當世堂・版元さんへの要望 <C2288>
明後日に迫った仕出し膳料亭の座の臨時の寄り合いと、明日の事務方寄り合いに向け、料理比べ興業の中心となる首脳陣が萬屋の茶の間に集まり相談している。
萬屋主人・千次郎さん、八百膳主人・善四郎さん、瓦版版元・當世堂さん、そして義兵衛の4人が卓袱台をかこんで頭を突き合わせている。
『この場には、誰も近づけるな』と千次郎さんが大番頭・忠吉さんに厳命し、お婆様でさえ中に入らないよう押えてもらっている。
後から参加した瓦版版元・當世堂さんに興業内容の説明と、臨時寄り合いの扱いについて概要を説明した。
「明後日の臨時寄り合いは、こちらの八百膳さんを含めて182軒の料亭からそれぞれ1人が出席の予定となっております。
この席で初回の大寄り合いのような運営をしたのでは果てがありません。そこで、議題を20日開催の料理比べ興業とし、既発行の番付表記載の48料亭のみ対象とした説明に絞込み、後の133軒の料亭には発言させず経過を聴講してもらうだけとします。
番付の異議申し立ては36軒からありましたが、興業での審査条件を見直して伝えたところ、5軒が対象として残り、それが3軒の料亭に挑戦する格好となりました。各々の行司の前には全部で8膳並ぶことになります」
義兵衛の説明に合わせて、善四郎さんは机の上に対決する料亭を書いた紙を示した。
> 日本橋・坂本(大関)対 浮舟町・百川(小結)
> 一石橋・三文字屋(前頭)対 橋場・甲子楼(幕下)
> 亀戸町・巴屋(幕下)対 3軒の下記料亭
牛込・阿波屋(幕下)、明神町・伊勢傳(三段目)、八丁堀・魚留(三段目)
千次郎さんは、版元に補足説明をした。
「異議申し立てで審査するために委託金を出してもらう必要があることを説明すると、36軒が5軒まで減ったのです。
聞き取った内容から委託金額を考えており、挑戦料亭には現金で金10両を出してもらうことにしました。それを飲んだのが、先の5料亭なのです。勝負に負ければ出した10両の委託金を座が没収するという仕組みです。勝負で勝った料亭には、座から対戦毎に報奨金を10両出します。要は挑戦料亭が料理勝負で勝てば報奨金として委託金を取り戻すことになるので、本当に腕に自信があれば損はしないことになります。まあ、委託金を原資にして報奨金を出す仕組みとご理解ください。
その上で、挑戦する相手は番付で上段の料亭に限るという縛りを入れました。最上段の幕内料亭は前頭であれば3役にということだったのですが、3役の中の小結が最上位の大関に挑むという図式までは考えて居りませんでした」
いきなり背景抜きの説明をされて目を白黒させている版元に、善四郎さんはあわてて話しかけた。
「話が前後するが、前回の料理比べは『興業によって含む仕出し膳料理へ世間を注目させる』、『膳料理の座の存在を喚起する』という意味では大成功で、仕出し料亭の座への参加申し出が一気に増えたことでもそれが判る。しかしながら、興業単独の収支という観点で評価すると、勧進元であるワシの所や、東西3役の料亭、事務方である萬屋さんからの持ち出しで大穴を開けずに済んだというのが実態なのだ。なので、前回同様の興業で持ち出しを続ける訳にはいかない。せめて興業単独で収支が釣り合わねば、興業は続けられないという観点で、色々と見直しをしているのだ。今回設ける委託金・報奨金という制度もこの流れに沿っている」
「ああ、やっと何を言っているかが判りました」
少し考えてから版元は返事をした。
義兵衛はここを勝負とばかりに畳みかけた。
「まずは、20日に行う興業は何としても興業単独での収支で黒字にしたいと考えているのです。
そのため、非常に申し上げにくいのですが、版元さんから興業へそれ相応の寄進をして頂きたいのです。
萬屋さんから武蔵屋さんへ卓上焜炉料理を売り込んだ日、3月の下旬でしたか、初めてお会いしてからまだ2ヶ月ほどしか経っておりませんが、料理にかかわる瓦版をかなり頻繁に、そして多量に売り捌いていらっしゃいますよね。特に、料理比べの興業については、裏方・事務方の一員として参加して頂いており、他の版元が知りえないような裏事情や決定事項を先行して入手でき、瓦版に織り込めるという有利な立場です。こういったことから、かなりの利益を得ていらっしゃるのではないでしょうか。いかがでしょう」
版元さんはちょっと苦い顔をして考えながら口を開いた。
「確かにここ2カ月の瓦版の出方は尋常ではありません。しかも、書くネタに困るということもありません。少し前には考えられないような状況なのは確かです。刷る端から売れていくなんて、昔のことや他の版元のことを思えば夢のような話です。
ただ、休む間もなく次から次へと出さなければならないことが出てくるので、版木を彫る者や刷る者は徹夜続きで大変なことになっているのです。当然、給金を増やす約束をして対応してもらっているのです。それに、売り子もそれなりに新しい者を雇い入れたり、と結構物入りなのです。気になるのが、この忙しさがずっと続くのかどうかで、料理比べの興行頼みになっている所が怖いのですよ。
先行きに不安が無いと言えば嘘になります。料理比べの興行以外にも何か瓦版になりそうなネタがあれば、助かるのですがね」
景気が良ければ良いなりに悪化した時のことの心配をする、というのは経営者として当然の心がけなのだろう。
人を増やすということは、それなりの見通しと覚悟を要求されるのだ。
また、ここで寄進の約束をしてしまうとこれに縛られるということもある。
かといって、興業の身内という立場を捨てることもできない。
安全策として別な金づるが欲しいという気持ちは良く判る。
「それでは、ちょっとしたネタを差し上げましょう。ただ、幸龍寺さんとの兼ね合いがあり、私では具合を測り兼ねますので、公表時期などはこの興業が終わってからにしてください」
義兵衛のこの発言に版元さんだけではなく、善四郎さんが身を乗り出してきた。
「そりゃまた一体何なんですか」
「向島の秋葉神社で焜炉供養という興業の企画が立ち上がろうとしているのです。昨日の今日なので、そう話は進んでいないと思いますが、別当満願寺の原井喜六郎さんがどう進めるか一生懸命知恵を絞っている所でしょう。基本は、壊れてしまった卓上焜炉を神社に奉納して供養してもらい、料亭の繁栄・板前の腕前の向上を願うというものです。お土産として、秋葉神社で直接お祓いをした卓上焜炉を購入できるということで考えているようです。焜炉については販売のための審査を依頼してきていると思いますが、出どころは深川の辰二郎さんが作っているものなので、焜炉としては問題無い代物のはずです」
「確かに、満願寺から卓上焜炉の審査について問い合わせがあったが、そのような話になっていたのか」
千次郎さんは合点がいったようだ。
「それで『料理は幸龍寺に深いご縁がある、という恰好にしたい』という以前の話と齟齬があるので、今回の興業前に話題になっては困るのです。幸龍寺さんには客殿の使用料を寄進頂きたいので、臍を曲げさせる訳にはいかないのですよ。何せ50両ほどの金額になりますので、これを寄進に出来るかどうかが結構大きいのです」
義兵衛さんの説明に、千次郎さんが補足する。
「今回の料理比べの興行は、何としてでも単独で黒字にする必要があるのです。版元さんにも是非協力をお願いしますよ。実は、當世堂さんのように、この興業に1枚噛みたいという他の版元からの申し出も結構あるのですが、こういった向きに今は御遠慮頂いているのです」
千次郎さんが体のいい脅しをかけている。
版元さんの額には見る見る内に汗が浮かんできた。




