秋葉神社ので再交渉 <C2275>
用向きを尋ねてきた秋葉神社・別当・満願寺の経理担当・原井喜六郎さんに義兵衛が答える。
「はい、椿井家・家臣の細江義兵衛です。今日は七輪製造の追加分への寄進をさせて頂きたく、寄らせてもらいました。
明日、深川の辰二郎さんの所から丁度1000個の七輪が工房から出て行きますので、1個40文という前回のお話通り10両を持参しました」
義兵衛が社務所の部屋の畳の上に、懐紙で包んだ10両を置いた。
「それでな、喜六郎さんよぉ。こっちの12両分の支払いはどうなっているんだっけ。言われた内容の卓上焜炉を急いで造って持ってきたんだ。なので、こっちの払いが先だぜ。
それと、七輪1個のポンで40文(1000円相当)っていう取り決めは、こりゃ一体なんでい。お祓いして貰っているといっても、ポンする判子だけだろ。まあ、判子はここにちゃんと持ってきてはいるけどな。いくらお祓いをした功徳がある判子だと言ったって、ポンと押すだけで40文を義兵衛さんから取るって言うのは、ちょっと酷じゃねえのか。出来上がった商品全部に1個ずつお祓いする訳でもねえんだから、もっと安くしてやんなよ。
平たく言うと、その判子を押しているのはワシの工房なんだよ。そちら様の手を何一つ煩わせている訳じゃあねぇんだ。
前に萬屋謹製卓上焜炉に押す判子は、1回のポンで30文という値段を10文にしてやっているじゃあねえか。これと同じにはできねぇのかい」
これは有難い切り出し方になっている。
『グッド・ジョブ、辰二郎さん』
反応があれば、何とかできる可能性が出てきた。
「そう言われましても、義兵衛さんとの口約束で1個40文と切り出したのは、義兵衛さんのほうですよ」
そう真顔で答える喜六郎さんだが、確かに言う通りで、喜六郎さんに非は全くない。
そして、前に交渉した時は、義兵衛自身も想定していた50文から40文と、10文値切った寄進額になったことで喜んでいたのだ。
だが、今、辰二郎さんは喜六郎さんに覆いかぶさるように迫って、早口で捲くし立てた。
「だからさぁ、それは卓上焜炉へのポンが1個30文だったから、それよりちょっと大きい商品だからって義兵衛さんが遠慮したんだよ。それ位判ってやれよ。子供相手だからって、おちょくったんじゃないかい。満願寺は、一応衆上を救う坊主の巣窟、いや元締めみたいなもんなんだからさあ。
それで律儀な義兵衛さんがこうして10両包んで持ってきていると聞くと、こちとらはなんだか申し訳ない気持ちになるのよ。七輪に押したポンの数を喜六郎さんが直接数えた訳じゃないんだろ。1000個分って言っていても、ひょっとしたら2000個押しているのかも知れねえんだぜ。まあ、そんなことをしたら、神様の罰が当たるのは間違いねぇから、家の工房では絶対そんな真似はさせねぇけどな。
喜六郎さんよぉ。お前さんも気づいているんじゃねぇかな、『これは美味すぎる話だ』って。こちとらの目から見たって、例え義兵衛さんが40文って言っちゃったから、って付け込んでいるようにしか見えんのよ。この話を聞いたら誰しも『満願寺の坊主が、まだ若い世間知らずの御武家様を騙して金を巻き上げている』と思ってしまうに違いねぇ。
萬屋製卓上焜炉へのポンが10文になっても寄進は受けるんだろ。今までは2000個毎に判子を借りていって御祓いしてもらって、15両の寄進をしてるのは知ってんだよ。
そのくせ手前のとこのポン分はタダなんだよな。なんで御祓いもしていない判子でポン押してんだか。まあ、後で400個の焜炉をまとめて御祓いするなら、判らんでもないがな。
それで、せめて七輪1個あたりのポンをタダにしろとまでは言わねえが、10文位に負けてやんなよ」
この辰二郎さんの必死の言いように喜六郎さんは、苦笑いしてしまった。
笑ったら負けなのだ。
「確かに、10日程前の交渉の時に、何か妙な感覚を覚えたのは確かです。それで『商売するならもう少し勉強なされては』などと、柄にもなく忠告したのは確かです。やはり世間はそう見ますかねぇ。
この印形は、萬屋さんや椿井家との契約で定価を決めて押してもらうことにしているのですよ。それで、この最初の契約の所以外から『同じように押印したい』という要望があったら、馬鹿高い寄進をしてもらうことにしておるのですよ。例えば1個100文です、なんてね。しかも、おまけに『どこからの要望なのか萬屋さんに教える』ということになっていて、似たような製品が出せない障壁にしておるのです。誰が考えたか、上手い仕掛けですよ。
それで、まあ値下げすることは考えてもいいですが、いきなり10文はちょっとですなぁ」
とりあえず、値下げ交渉には入れる感じがする。
「おうよ。じゃあ、いいことを教えるぜ。卓上焜炉で萬屋さんから2000個追加で作ってくれ、と言われたのさ。普通なら、物を造ってから萬屋さんが5両寄進に来る寸法だが、それを入れて今回の代金12両という所を半分の6両に負けてやろう。萬屋にはもう寄進の5両は払っていると言うさ。うちが1両分泣いてやる。そこにある10両から6両払ってくれれば、卓上焜炉の代金も寄進料も済ってことさ。それで、この義兵衛さんの七輪へのポンを今後は1個10文にしてやってくれねえか。
ここにいる義兵衛さんに恩を売っておくと、絶対に損はしないし、きっと何かいいことを考えだしてくれるって」
喜六郎さんは、辰二郎さんの最後の言葉に首をひねった。
「義兵衛さん。『きっといいことを考えてくれる』と辰二郎さんは言っておるが、何かあるのでしょうかな。もし、それが素晴らしい内容であれば、押印ポン1回10文の契約に見直してもようございますよ」
チャンスが回ってきたのだ。
義兵衛は思わず笑みを浮かべてしてしまう。
横で黙って座っていた安兵衛さんが、思わず義兵衛の顔を覗き込んできた。
「では、ちょっとお聞きします。秋葉神社での卓上焜炉の売り方は考えておられますか」
義兵衛が喜六郎さんに問うと、困惑した返事が返ってきた。
「いえ、社務所に置いて、卓上焜炉を求めて来た方に1個160文(4000円)で売ることだけを考えています。1個売れる毎に40文の利益です。それで、その方法では何か変でしょうか」
「やはりそうですか。では、新しい売り方を考えましょう。
今、萬屋さんでは卓上焜炉50個1組にして、小炭団と組み合わせて販売しております。バラ売りをしておらず、数個が必要で求めてくる料亭に『予備は必要でしょう』と言ってまとめ売りしかしないそうです。
では、料亭は、なぜ数個だけ必要になるか判りますか」
喜六郎さんも含めて一同は首を横に振り、判らない、という仕草をした。
「それは、何回も使った結果、焜炉が壊れたからと考えられます。私の想定では500回位使っても大丈夫というものです。しかし、人気料亭では1日10回以上も卓上焜炉を使っていたようです。だとすると、壊れても無理ない程使ったのだ、と思います。形あるものは必ず壊れます。それで数個買い求めたのは、多分その買い替えだと思っています。
そこで、私からの提案です。この秋葉神社で、定期的に焜炉供養の催しをしませんか。壊れた焜炉を皆が持ち寄って、ここで供養していくのです。そして、帰りには、秋葉神社の直接の御加護を得た卓上焜炉を買ってもらうのです。壊れた焜炉を持ってきた人には、例えば10文程度安く売る、という方法を宣伝すれば、競って破損した焜炉を持って人が集まるでしょう。その人達を相手に売るのです。
人が来るのを待つのではなく、来る口実を作って人を集めるのです。どうでしょう」
皆息を呑んだ。
辰二郎さんが沈黙を破ってポツリと言う。
「確かに、ここの秋葉神社の印がある焜炉なので、ここで供養するのは道理。ここで開催したら他の所では真似できようハズもない。独占状態じゃないか」
喜六郎さんは大声で叫んだ。
「それだぁ!それしかない。義兵衛さん、素晴らしい提案をありがとう。卓上焜炉の供養祭りをしよう。ここで新しい祭りをするのだぁ」




