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松平越中守様の屋敷での出来事 <C2268>

 御殿様が最近の領地経営について、松平越中守(松平定信)様に状況を説明したが、その中にあった幾つかの言葉に反応して問いかけられてしまった。


「そうさの、まず飢饉対策として米蔵を作り始めているという件からかな。

 おお、そうじゃ。このあたりの話は家老に聞かせても構わんので、同席させるがそれで良いな」


 一応密談は終わったという認識で、越中守様は座る位置を元の所まで戻った後、声を上げて御家老様と受付をしてくれた留守居役代理の二人を呼んだ。

 二人はすぐさま部屋に入って、越中守様の右後ろに控えた。


「伝達された内容については、知らせる必要が無いものであった。向後、椿井家より時々同様の連絡を頂くことになったゆえ、対応を申しつける。使いの者は、今回事前に都合を知らせに来た椿井家家臣、細江義兵衛であるので、伝言があるとの申し出があった場合は、ワシに取り次げ。また、こちらから連絡したいときには、毎日萬屋の丁稚が御用聞きにくることになっておるので、そこを通して用事を取り次ぐそうじゃ。門番にはその旨承知させておけ。

 それで、話は今、椿井家の拝領地経営のこととなっておる。そちらも聞いておいて損はないと思い同席させた。面白い話が聞けるやも知れぬので、心して聞くことじゃ」


 越中守様はさらっと義兵衛が連絡担当であることを伝え、必要な指示を抜かりなく行った。

 そのままご機嫌な様子で座敷の真ん中近くで平伏している御殿様を見ている。


『これは、御殿様がどこまで漏らすのかを知る良い機会に違いない。程度が判れば、担当としての限度がはっきりするので、好都合だ』


「それでは、まず飢饉対策のことからご説明致しますが、練炭・馬の話は全て繋がっている話でございます。

 今年の春、里にある高石神社の巫女が述べた神託の内容が聞こえて参りました。それは『数年の内に天候不順による未曾有の不作が数年に渡り続く』というものでございました。我が里は山間の僻地にあり、わずかに開けた谷間の川縁に田を開いているという寒村で、米の取れ高も少なく、5年に1度程度の不作であっても乗り切るのに領民が苦心惨憺致します。ましてや不作が数年続くということであれば、今のままでは到底乗り切れまいと思っておりました。

 そこで、ここに控えております義兵衛が、里で農閑期に作る木炭を加工すると高く売れることを見出しました。これにも、同じ神様からの御神託がからんでいる、とのことでございます。

 椿井家では、この殖産興業を支援し、得た金子きんすで里の各村に米蔵を建て、そこへ籾米を蓄えさせることで飢饉の折に領民が餓えることがないよう進めております。せめて、3年連続の不作でも領民が餓えることが無い様に、御公儀に頼ることなく乗り切れるように考えております。

 現在までは卓上焜炉とそれに使用する小炭団を薪炭問屋・萬屋に卸しておりましたが、それだけでは飢饉対策用の金子が不足することから、炭団を更に大きくした練炭という加工品を作り、七輪という火鉢様の道具と一緒に長時間暖を取る道具として秋口から売り出すことが出来るよう準備を進めております。ただ、この練炭の運び出しに難渋しておりますため、我が家の馬を充てて領民の労力を助けるつもりでおり、良馬を幾疋か新たに求めようとしておる所で御座います。

 概要は以上ですが、木炭加工にかかわる細かい所に御懸念があれば、当の義兵衛より御答え致します」


 流石の御殿様、上手い言い方で、嘘は一切入っていない。

 そして、木炭加工を始めたいきさつに神託をからめても良いという所は判った。

 ただ、肝心の巫女の扱いが抜けている。

 そう思った瞬間、越中守様がそこを突いてきた。


「それで、飢饉の神託の中身と、それを述べた巫女は如何いかが致した」


 先ほどの伝達の中身は背景となる神託のことは一切入っていなかったので当然の質問になる。

 御殿様は間髪いれずに答えた。


「御神託の中身は『4年後の壬寅みずのえとらの年より7年間、戊申つちのえさるまで、稲の不作が続き、特に陸奥国での影響が大きい。大勢の百姓が餓死し、米価が高騰し米不足からそれぞれの御城下だけでなく、ついには江戸市中でも商家への打ち壊しが始まることになる』という具体的なものでございました。

 その巫女を神社から貰いうけ里の館に確保しておりましたが、つい先日、ことの次第を北町奉行・曲淵甲斐守様に詮議され田沼様に召し上げられたところにございます。現在は、弟の椿井甲三郎と共に田沼邸に留め置かれております。余談ではありますが、此度の伝言の経緯とからんでおります」


『これは家老などに聞かせてはまずい話だ』と気づいた義兵衛は思わず咳き込んだ。

 果たして、そうと気づいた越中守様はあわてて話の向きを変えた。

 先の伝達と、この経緯が繋がっていることを語ったのだから当然の反応だ。


「そこの話は別途と致そう。それで、椿井家では里から木炭加工品を出荷するのに領主の馬を充て、そのために馬を購入するということだが、当てはあるのか」


「現在4疋を新たに購入しようとして話を進めておりますが、家中の馬役の者はもう形ばかりとなっており、とても目利きどころではございませぬ。購入にしても、つての掘り起こしから掛かる始末で、お恥ずかしいばかりでございます」


 馬がからむ所は、御殿様の希望から出ている話なので、義兵衛の出番ではない。

 それで、細かい所は義兵衛で、と言いながら御殿様が対応して下さる。


「陸奥国は古来より馬の産地であり、白河藩が助力もできよう。馬役のものを当家へ寄越すが良い。

 我が白河藩もそれなりの馬を揃えておるので、そこから選ぶのも良かろう」


 越中守様は後ろを振り返り、留守居役に何やら指示を出している。

 御家老様は驚いた顔をしている。

 それから越中守様は正面に向き直ると、ここでの話の終了を宣言し、平伏する皆を残して座敷から退出していった。

 暫くして、一行はご家老様に先導されて刀を置いた座敷へ案内されたのだった。


「飢饉の噂はどこかで聞いたような気がしましたが、具体的な話は初めて聞かされました。実に驚かされましたが、椿井家では御神託ということで具体的に動かれておったのですな。何やら椿井家は景気が良いという噂を聞いておりましたが、そのような裏があったとは、実に興味深い話でございますな。

 それで、田沼様からの御伝言は……」


 御家老様の話を御殿様が突然遮った。


「御神託と巫女に直接絡む話は、一切出来ません。

 先ほど越中守様が『そこの話は別途と致そう』とおっしゃられたばかりではございませんか。そこについてはお話することは御座いません。

 それより、馬の話の時に越中守様からどのような指図があったのか、お教え頂けませんか」


 御家老様は渋い顔をしながら話始めた。


「御殿様からは『この屋敷のうまやを案内し、自分用でない馬で、求めるものか良いのを見繕って2疋を椿井殿に譲れ』との御下命であった。

 よほど良い話を伝えられたのであろう。あのように上機嫌な殿をみるのは久し振りじゃて。

 話振りから見て、椿井殿は御殿様に随分気に入られたようでございますぞ。『領民は大切にせねば』が御殿様の口癖で御座います。御領地の民を実際に労わるよう働く領主との御話は、さぞかし嬉しかったに違い御座いません。

 さて、それでは馬を見せましょうかの」


 そう言ってから、一行を馬房へ案内し、御殿様に散々馬を見せたのだった。

 勿論、厩の中からこれはと思う2疋を御殿様は選び、明日馬役が引き取りに来ることを伝えた。

 こういった後処理を終わらせ、松平越中守様のお屋敷を辞去した。

 それから、回収した薬籠を安兵衛さんに渡し、御奉行様に返却することを依頼すると、上機嫌な御殿様と一緒に屋敷に戻ったのであった。


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