松平越中守様の御屋敷 <C2266>
急いで屋敷へ辿り着くと、早速に結果を紳一郎様経由で御殿様へ報告した。
「それでは、ワシと義兵衛、それに浜野安兵衛殿の3人で向うこととしよう。直ぐ支度をするので、門番部屋にて暫し待て」
門番部屋で待っていると、先方の屋敷で着替える衣装など一式入った箱が届けられた。
この箱は義兵衛が担ぐ役目となる。
更に待つうちに、なんと深川から大八車5輌に分散して載せた七輪、計1000個が到着した。
出立の刻限の直前である。
「義兵衛さんから依頼のあった七輪、きっちり1000個運んで参りやした」
門前から辰二郎さんの声が響いた。
間が悪いことこの上ないが、応対せざるを得ない。
門番の一人を紳一郎様の所に走らせてから顔を出した。
「朝早くから深川を出なさったようで、ありがとうございます。私は所用で間もなく不在となります。荷捌きは今門番が呼びにいっている方が対応致します」
道行の反応などもっと話をしたいところであるが、出立の刻限が近いため余裕がない。
受け取り手続きを紳一郎様に任せることにして、聞きたいことの質問は控えた。
しかし、辰二郎さんは気にしている所を察して手早く教えてくれた。
「深川からこちらまで、指示された経路で運んできました。鑑札を頂いていたので、御門は問題なく通過できましたぞ。あと『七輪・初荷』の幟と荷台の大風呂敷はこちらで考えやした。人目を引きましたぜ。『七輪』は何か、を聞いてくる者も結構おりましたが、説明すると遅くなりますんで、風呂敷の端を持ち上げて中を見せてやると納得しておりやした」
辰二郎さんには『七輪』という名前を知ってもらうために、わざと繁華な場所を通ってくるように依頼していたのだ。
紳一郎様が門の所に来て、辰二郎さんと向き合った。
「申し訳ございませんが、間もなく御殿様が参りますので、七輪の受け取り・搬入指示をよろしくお願いします」
そこへ丁度御殿様が出てきた。
路上のこと故、辰二郎さん始め深川から大八車を引いてきた男共は腰を折って深く礼をしている。
大八車にはためく幟を目にしたのか、御殿様はその場に足を止め、車の先頭にいた辰二郎さんの方へ向かい声をかけた。
「七輪の製造・運搬、大変ご苦労であった。まだまだ続くので、今後ともよろしく頼む」
突然の声掛けに驚く辰二郎さんを後目に、義兵衛・安兵衛を供に連れて御殿様は通りに出て行ったのだった。
たかが500石とは言え、武家で現役の御殿様が一介の職人に声を掛けるということは、通常あり得ない。
『このようなお声掛けは、椿井家では普段あるようなことなのかを確かめておいた方がよさそうだ。もし、七輪を意識して特別対応なされたのであれば、期待の高さがうかがえる。
椿井家では良くあることかも知れないが、辰二郎さんの所では旗本の御殿様からのお声掛りなど普通あることではなかろう。そうであるなら、七輪作りの意欲は大きく上がったに違いない。これは後で感触を聞いてみるしかない』
そう思ううちに、松平越中守様のお屋敷・正門に到着した。
到着し義兵衛が門番に声を掛け名乗った瞬間、近くのお寺から九つ時を示す鐘の音が響き渡った。
特に急いだりゆっくりと歩いた訳でもなく、出発から到着まで全く同じ歩調で歩く御殿様について来ただけなのだが、こうまで計ったようにピタリと予定時刻に到着するというのは驚きであった。
御殿様は、義兵衛の驚く表情を見て『ニヤリ』とし、門番が開けた脇門を潜っていく。
あわてて、義兵衛と安兵衛さんが門を潜っていった。
門を入ると、先に案内を乞うた留守居役代理の宮久保弥左衛門様が出迎えており、そのまま応接のための脇座敷へ案内された。
「ここで衣服を改めるとよかろう。準備が整ったら、当家家老の待つ座敷へ案内いたすので、襖越しに声を掛けて頂きたい」
弥左衛門様が下がると、御殿様は部屋の真ん中にすくっと立ち上がった。
義兵衛は衣装箱を開け、安兵衛さんに小声でお願いをする。
「実は私は衣装替えをお手伝いしたことがございません。申し訳ありませんが、着付けのお手伝いをお願いいたします」
義兵衛はそう言った後、御殿様に『御免こうむります』と一声掛けてから、大小を外し、帯を解いて着衣を解いた。
そして、安兵衛さんの助力を得ながら、御殿様の衣装替えをなんとか済ませたのだった。
「まだ慣れぬようじゃの。無理もない。お前はこのようなことをするために当家に居る訳ではないのだからな。ただ、臨機応変で一通りのことが出来ぬと、この先厳しいこともあろう。此度は、奉行の家臣・浜野殿が同行しておって助かったな。上に立つ者の扱いについて、紳一郎に就いて知っておくほうがよかろう。ワシとて、城内であれば唯の一介の下っ端じゃ。衣装改めの心得位はあるぞ」
小声で諭す言葉に、義兵衛はその場で平伏するより他はなかった。
それから、襖越しに声をかけ、家老と面談する座敷へ案内された。
座敷に入ると、家老は下座で平伏しており、御殿様は上座に着座するよう促され、義兵衛は御殿様の刀を持ったまま横後方へ控え、安兵衛さんも義兵衛の横へ平然と座った。
「旗本・椿井庚太郎である。内密の話の御用があり、松平越中守様へ御目通りを求めておる」
「まずは、預かりましたこの薬籠をお返し致します。表に葵の御紋、裏に御老中・田沼家の紋と北町奉行・曲淵家の紋が並んでおりますので、表にはできないお話があるという符丁と承知しております。しかし、可能であれば御用の向きを事前にお教え頂ければと思いまして、このような場を設けさせて頂いております」
白河藩の御家老とは言え、御公儀から見れば直属ではなく又者なのだ。
家格や石高の差は歴然としているが、強いて言うと義兵衛や安兵衛さんと同じ扱いになる。
なので、御殿様は何のわだかまりもなく上座についているのだ。
義兵衛は薬籠を家老から受け取り、御殿様に渡した。
御殿様は手にした薬籠を確かめ平然と返答した。
「此度は極秘の話ということで来ておる。難しい話である故、ワシが間に入って中継して居るのだ。越中守様が知っても良い、とされた者以外に、この中身は話す訳には行かぬ。面談時の同席についても同様である。
どうしても事前に聞いておかねばならぬ、ということであれば、この薬籠をお見せした上で越中守様の許可を得てからにして頂きたい。また話をする際には、貴殿の同席についてもワシから確認致すゆえ、その旨を了解頂きたい。
なお、話が終わった後、ワシから直接貴殿等に話してよいかを確認し、許可が得られれば若干の説明はしよう程に、今は収められたい」
ここに至って、薬籠には急な密談を行いたいという鑑札代わりの符丁であることをはっきり意識した。
また、犬猿の仲と思われる田沼様からの話ということで、最初に受け取った宮久保弥左衛門様が驚いた訳を理解したのだった。
そして、話の内容の重大さも改めて認識した。
御殿様の普段の様子とはガラリと違うはっきりとした言い様に新たな一面を見せられたが、この返答で御家老との話合いは膠着してしまった。
こうなってしまっては御家老としては返す言葉もなく、越中守様と面談する予定の座敷へ案内するほかは無かったのだ。
義兵衛が持つ御殿様の大小はこの場に置いて行くことを御家老は申し出、御殿様はこれを了解し、部屋から座敷へ移ったのだった。




