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北町奉行所へ <C2224>

竹森氏が義兵衛に憑依して103日目、やっとこの国の政治中枢との関わりができ、そして北町奉行所に向うという話です。


■安永7年(1778年)5月21日(太陽暦6月15日)


 料理比べの翌日、萬屋で結果まとめの相談が行われる手筈ではあったが、午後に甲三郎様と曲淵甲斐守様の話に同席せねばならないため、義兵衛は予め欠席する了解を得ていた。

 今回の興業を振り返り、次回の興業に向けた課題の整理や対策といった話であれば参加せねばと考えていたのだが、結果まとめの相談ということであれば、実質的には瓦版の記事の確認なので、義兵衛はここへの口出しするつもりは毛頭無かった。

 次回の興業に向けての話し合いは、瓦版が出てからということになり、当面顔を出す必要はなく、また、今日の話合いの結果は版木にする前に、行司・目付の了解を得るため今日・明日中にでも千次郎さんがお礼の挨拶がてら訪問してきたときに報告されるであろうことを見込んでいたのだった。

 それよりもむしろ、昨日お殿様が曲淵様と話をしていた中身が気になって仕方なかったのだ。

 朝食が終わると御殿様・甲三郎様から、早速の呼び出しがかかった。

 座敷では、御殿様・甲三郎様・紳一郎様がすでに着座されており、義兵衛は平伏しながら座敷の下座に擦りよって入室し、改めて平伏した。


「義兵衛、昨日は実に愉快じゃった。北町奉行・曲淵甲斐守様とも興業では同じ目付役ということで親しく話をさせて頂いた。

 残念ながら行司ではなかったので、土産になる料理の折はなく奥や倅には嫌味を言われたが、目付に出された特製八百膳仕出し膳や宴席での大関料亭の特製膳は誠に美味であった。

 大方の要領は判ったので、次回は文句が出ぬように奥と倅を同伴させようと思っておる。

 それにしても料理比べの興業で目付の1席が当家に毎度割り振られるというのは、誠に嬉しい話じゃ。ワシも色々と食材のことや味のこと、料理の良し悪しを知ろうと改めて思ったぞ」


「昨日の働き、興業の成功は義兵衛の尽力もあったことと理解しておる。

 当家の供の席も、出入りの呉服の商家が是非にと所望してきたので2席を融通したが、随分と感謝されたぞ。

 それはともかく、御奉行様の曲淵甲斐守様にご挨拶でき、本日午後に呉服橋御門内のお役宅へ伺う約束ができたのは幸いじゃ。先方も同心の戸塚を同席されると聞いておるので、今日は義兵衛も同行するが良い。

 戸塚様はえらく義兵衛のことを贔屓しており、曲淵様にもそのことを吹き込んでいるようじゃ。

 ワシは曲淵様が控え室に戻った時にご挨拶と今日の約束が出来たに過ぎないが、兄・庚太郎が別棟の宴会の所で里でのことを色々と聞かれて説明しておった」


 さて、問題はその中身なのだ。


「いや、たいした話はしておらん。里一帯には近々に飢饉が来るという噂があって、その出どころが高石神社の巫女であったこと、その神託によって飢饉対策を進めておること、飢饉対策として木炭を加工して売ることを始めたこと、加工した木炭が売れるように江戸市中であれこれ工夫したこと位じゃ。

 どうやら、すでに同心・御家人の戸塚より報告があがっておったことのようじゃったが、ワシの口からも聞きたかったようじゃ。

 あとは、巫女の神託について説明したいことがあり、このため里を統べておる弟・甲三郎に江戸へ出てきてもらっておると言った所、既に今日の午後に約束したと言われてしもうた。

 後は、里の館と江戸の屋敷の役割分担の説明といった話じゃ。

 曲淵様の所領は甲斐匡韮崎にあるので、里へ戻るには途中で1泊が必須とのことじゃ。なので、どうしても里の殖産というところには目が届いておらず、ただただ年貢を名主に任せて取り上げるだけになってしまっておるのが心苦しいとのことじゃ。無理すれば日帰りできる椿井家が羨ましいとこぼしておったぞ」


 どうやら同心・戸塚様が既に知っていることしか話していないようだ。

 肝心の神託の中身について目新しいことは何ひとつ伝えていない。

 いや、実際に御殿様には伏せているのだから、話のしようも無かったというのが真相なのだ。

 なので、椿井家の近況についての確認しかできなかったに違いない。

 今日の午後、甲三郎様が御殿様にも隠している神託があることをきちんと説明しないと問題だろう。

 供としてついて行くが、甲三郎様がどこまで話すかにかかっているのだ。


「恐れながら申し上げます。

 話は少し変わりますが、この興業に合わせ登戸村より小料理屋主人の加登屋を江戸へ呼んでおります。先日のご進講の折に若君様が『以前あったように、また料理を皆で頂きたい』というご要望がございましたので、この逗留の間に前回同様料理を提供するよう依頼しております。日程などまだ決めてはおりませんが、近々の非番の日として明後日23日があります。その日での開催を依頼してもよろしいでしょうか」


「うむ、それでよい。甲三郎も出席するので、5膳を支度せい」


 御殿様、奥方様、若君様、甲三郎様、紳一郎様の5人分と、義兵衛は数に入っていない。

 なんだかだと言われながらも、それでも要望や言いつけられたことはきっちり果たそうと努力する義兵衛なのだ。


 昼過ぎ丁度に曲淵甲斐守様の役宅に到着すべく、甲三郎様の供として義兵衛は一緒に屋敷を出た。

 江戸には南北2つの町奉行所があり、その2つは全く同格である。

 月毎に当番が入れ替わるが、非番だからといって全く暇ということではなく、訴訟など公事受付業務だけ閉じている状態なのだ。

 そして、非番の間は新規案件が持ち込まれないため滞留した案件の審議を進める格好になっている。

 奉行所の中は公務を行う場所と私事の場所が区切られ、私事の場所には家族・家臣が一緒に暮らすという究極の職住接近なのだ。

 もちろん、御役が終わるとこの役宅から離れるため、旗本としての屋敷は幕府から別に支給されている。


 南町奉行所は数寄屋橋御門を入って直ぐの場所にあり、平成の世では有楽町駅前の場所にあたり、金属製のプレートで説明が出ている。

 それに対し、北町奉行所は呉服橋御門を入って直ぐの場所にあり、東京駅八重洲口北側の鉄鋼ビル西側のビルの谷間に跡の掲示版がひっそりと立っていて、結構見つけ難い場所にある。

 移動にそれほど時間がかかる訳ではないが、義兵衛は小声で甲三郎様にどこまで説明するのかを聞こうとしていた。


「甲三郎様、本日曲淵様へなさる釈明はどのような内容になりますでしょうか。

 飢饉の話であれば、ある程度同心・戸塚様から伝わっておりますし、昨日御殿様からも話されておりましょう」


「そうさな、高石神社の巫女からの神託ということで、大飢饉と浅間山噴火のことは伝わっておろう。なので、流れにもよるが、来年亡くなる人の話が出来ればと考えておる。

 口火さえ切ることができれば、あとはある程度正直に話すしかあるまい。

 それよりも秘さねばならないのは、義兵衛のこと、中に居られる竹森様のことじゃ。

 富美の中の阿部様のことは話しても良いと考えるが、義兵衛を椿井家から抜かれることがあっては困る。

 なので、神託は全て里の館に祭り上げられたご神体とそれを口伝できる富美、まれに義兵衛に聞こえたという話で辻褄を合わせたい」


 どうやら意識はあっているようだ。

 日本橋近くまで出て呉服橋を渡り北町奉行所の前まで行くと、同心・戸塚様が待っており、表門ではなく、その横にある裏門から私邸(旗本としての家)側の屋敷内へ案内されたのだった。


決して話を伸ばしている訳ではありませんが、どうしても伸びてしまい、その結果奉行所に出かけるまでで一話使ってしまいました。

実際に南町奉行所跡・北町奉行所跡を実際に訪ねて有楽町駅・東京駅を歩き回りました。こういった史跡の説明は結構充実していました(日比谷図書文化館に千代田区の史跡案内がありました)。

さて、次話は奉行所内の私邸での面会です。さあ、本番!

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