大飢饉が迫っているのです <C2113>
飢饉が迫っていることを、いよいよ甲三郎様に明かします。
■安永7年(1778年)3月23日 細山村
陽が上がったばかりの細山村・白井家の門を百太郎と義兵衛は大きく叩いていた。
「朝早くから申し訳ございませんが、至急に甲三郎様へ言上せねばならないことがあり、お取次ぎ願います」
ドタバタする気配がして下男が門を開け、二人を家の中の土間へ招き入れた。
白井与忽右衛門が寝巻き姿で応接間に現れた。
「今、喜之助を隣のお館へ走らせた。ワシも直ぐ着替える故、少しだけ待って頂きたい」
とだけ言うと奥へ戻り、普段着に着替えて直ぐ戻ってきた。
「至急の言上とは穏やかでないのぉ。どれ、お館の東屋へ向うか。ワシも同席させてもらうが、それでよいかの」
「村だけの話しではないので、それで結構ですが、他の方へどう話されるかは慎重になさってください」
そのまま白井家の裏庭を通り、お館の東屋前へ出た。
すると、椿井家の爺と喜之助が現れて、東屋の中へ案内された。
「今、甲三郎さまは支度をされておるので、少しだけ待って頂きたい」
そう言ってから、二人は退去した。
「一体何を言上されるのですかな」
「思兼命様からのお告げがありまして、そのご報告です」
そう言えば、ご神託が得られるという話はつい1月前にしたばかりだ。
白井さんがギョッとするのが判った。
甲三郎様が部屋へ入ってこられた。
「このような朝早くに飛び込んでくるというのは、何かあったのか。ああ、平伏はよい、話ができんではないか」
「申し上げます。今朝ほど、ご神託があり、練炭や薩摩芋の真意が判りました。重要な神託であるため、このような時刻ではありますがご報告させて頂きます」
百太郎が口上を述べた。
「思兼命様は『これより4年の後に大飢饉が、しかも7年続く大飢饉がこの国を襲う。
皆、それに備えよ』とおっしゃいました。今まで色々とお教え頂いたのは、この大飢饉を乗り切るための知恵だったのではないかと考えます」
義兵衛は神託と解釈という定番のフォーマットに則り、ゆっくりと、はっきりした口調で伝えた。
目の端で、白井さんが引きつっているのが判った。
何の声も、物音一つしない時間がつかの間流れ、甲三郎様が大きく息を吸い込んだ。
「安永11年から17年にかけて7年間もの飢饉か。
疑う訳ではないが、それが真とすると大変なことになるに違いない」
「いえ、ご神託で仰られたのは、天明2年から天明8年の7年間でございます」
義兵衛が思わず発言を訂正する声を出した。
甲三郎様の目がギョロッとなり光った。
「なに、元号が安永ではなく天明と申すか。
改元は国の大事であるのは明白なことであろうし、讖緯説での改元になる干支が近々あるとも聞いておらぬ。そちは何を知っておるのか、詳らかに申せ」
「はい、真に恐れ多いことでございますが、京に居られる天子様が来年、安永8年12月にご崩御なされます。後に、後桃園天皇と諡号されます。諒闇を経て、安永10年4月に天明と改元されます」
甲三郎様は、義兵衛の説明に判ったというように頷いた。
「よし、もう改元に絡むことを軽々しく口にしてはならぬぞ。今後は天明2年ではなく安永11年と話すことにせよ。それ以外に、何が起こるか聞いておらぬか」
「はい、天・・・安永12年7月に、浅間山が噴火し関八州全体に灰が降り、農作物に甚大な被害が出る、とのことです。この噴火の影響も飢饉が長引く原因となるそうです。今、僕に知らされているのは、これだけでございます」
甲三郎様は腕まくりして考えこんでいる。
「それで、何も特産が無いところに木炭加工で銭を得るように恩寵を与えたのか。
なるほど、辻褄はあっておる。では、この思兼命様は我々を試しているのであろう。
言うてはなんだが、貧乏村に素寒貧の旗本という組み合わせの所に、努力すれば金が入る状態を作り、その上で飢饉が迫っていることを伝える。ここに暮らす我らが、いかに知恵を練り上げ努力してこの飢饉を乗り切っていくのか、我々の心根を測っているに違いない。
考えれば考えるほど、そうとしか思えん。
邪な心や、わが身だけ良しとする不届きものがいるか試していると考えれば合点がいく。
与忽右衛門は、隣村から金程村を見ていてどう思うておった。正直に話してみよ」
甲三郎様は、突然白井さんに話を振った。
「申し上げ難いことをおっしゃいますな。
細山村に比べ、土地も狭く人も少ない金程村は、一生懸命農業しておりますが、格下の村と思っていたのは確かです。しかし、名主の伊藤さんを中心に皆が力をあわせていくという所は、人が少ないからこそでしょうが、羨ましいと思っておりました。そして、今回の木炭加工でも、年貢米ではなく全部銭で納めるという方針で男女問わず村民の皆で取り組んでおります。伊藤百太郎さんが、木炭加工品で得た金を私財とはせず、村のために、さらに工房を広げるためにこの銭を用いて次々と手を打たれております。他の村の名主では、とてもそこまではできますまい。
また、お殿様や甲三郎様は、このような金程村の振る舞いを充分支援なさっておられ、これが神様が与えた試しとすれば、そのお心に沿っていると思いますぞ」
この答えなら、ヨイショ三昧といった感じがする。
流石に長く名主をしているだけのことはあり、中々にうまいことを言う。
「ところで、炭屋との取引でどれ位の売掛を作っておるのだ」
この問いには、百太郎が答える。
「普通の木炭で15両分あり、これは例年通りの数量と言えます。そして、今回の練炭などの卸しで17両あり、全額が金程村のものであれば、35石の年貢分は大分おわっている金額になっています。
実は、このほど江戸日本橋の炭屋本店・萬屋さんから、おおよそ1000両に相当する炭団を卸してほしい旨の申し出があり、これを受けております。実際に期限までに炭団を卸すことができれば、この分が売掛として追加されます。
この目途が立ったので『次のことをせよ』という意味で、ご神託がくだされたものと思います」
白井さんは金1000両と聞いて、これがもう目前にあると知って、すごく驚いた表情をしている。
細山村は290石で、年間収益の3倍を越える収益が、金程村に転がり込んでくるのだ。
しかし、つい先ほど、いいことを言ってしまったので『細山村にもそれなりの権利があります』と言いにくくなっている。
ここで、百太郎は困っている仕草をする。
「なにか存念があるのじゃな。申してみよ」
「金1000両分の炭団はこれから作るのですが、工房には細山村からの応援を始めとして、万福寺村、下菅村からも応援を頂いています。この村々に、この1000両をどう配分するのかに頭を悩ませております。早く皆に納得のいく配分を示さねば『それで年貢を皆払えばよい』という声が充ちますし、それでは公平ではありません。
このお金は、さし迫った飢饉を凌ぐための貴重なお金であり、練炭作りに協力頂いた面々に相応分を分けるのはやぶさかではありませんが、何のご協力も頂いていないところにまでバラまくのは、思兼命様の本意ではないと思っております。
ただ、こうすると今度はどの家からも見える見返りを求めて人手を出すと思うと、これも違うという思いがあります。上手く言うことができず、申し訳ありませんが、気持ちをお察しください」
流石に百太郎、感情面から甲三郎様になんとかしてもらいたいと訴えたのだ。
甲三郎様は「うむ~」と唸ったきり、長考に入った。
長い沈黙に耐えかねたのか、白井さんが何かいいかけようとした。
しかし、その動作を手の平で押さえた。
「義兵衛、この事業を起したものとして、何か考えがあろう。
なにも考えずに言われるまま飛び回っていた訳ではあるまい。お殿様への年貢分という訳ではないが冥加金も含まれておったのであろう。今般、大飢饉という真意があきらかになったことで、思いついたこともあろう。皆の参考になるやも知れんので、思うところがあるなら、この場で包み隠さず申してみよ」
義兵衛は、少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
甲三郎さんも無茶振りをします。しかし、それに応えてしまう義兵衛さんという話しが次回です。
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