36 お馬の親子と黒い子犬
カルナーレの宿にチェックインした2人は、馬車置き場と厩舎に向かう。宿に到着すると、いつもルーファスが馬と馬車の手入れをしているのを見て、マリアも途中から少しずつ手伝うようになっていた。
……とは言うものの、水や餌を運んだりする力仕事は、マリアがあまりにも非力なので、その日のうちに呆れたルーファスからやらせてもらえなくなった。その代わり、馬たちに愛情をこめて話しかけながら丁寧にブラッシングしてやる。
「ユーラ、気持ちいい? ユーリはもう少し待っててね」
2頭は鹿毛の馬で、ユーリはユーラが出産した牡馬である。
今回の旅が順調な一因は、馬車が2頭立てで、この2頭が頑張ってくれていることも大きい。この馬の親子は、アジャーニ家にとって、屋敷に次ぐ数少ない財産だった。
屋敷にいたときは、乗馬が苦手なマリアはあまり厩舎には立ち入らなかった。ユーリの前に飼っていた馬が気性が荒く、幼い頃に手荒い洗礼を受けたためである。マリアには気性の荒い馬を乗りこなす技量も度胸もなく、そのまま乗馬からは遠ざかっていた。
でも、ユーラとユーリの親子は気性が穏やかで、マリアはこの世話をした数日ですっかり仲良くなってしまった。
「お待たせ、次はユーリね。今日もお疲れさま」
マリアが優しく話しかけると、ユーリは甘えたように鼻先をくっつけてくるのでかわいくて堪らない。マリアが馬たちとじゃれていると、ルーファスから声がかかる。
「マリア、雨が降ってきた。本格的に降りだす前に部屋に戻ろう」
「雨……?」
アストリア王国は今の季節はほとんど雨は降らないが、たまにまとまって降ることがあった。そうしないと、農業等が立ち行かなくなるので一般的には恵みの雨になるのだが、今のマリアたちにとっては旅程に影響を及ぼしかねないため、雨はあまり降ってほしくない。
2人が急いで少し離れた宿に戻ろうとしたときだった。どこからか「……クゥーン」と弱々しい声がマリアの耳に届く。マリアが思わず足を止めると、彼女の手を引いて前を歩いていたルーファスが怪訝な顔で尋ねてきた。
「どうした? 早く入らないと、風邪をひくぞ」
「あ……、今、小さな鳴き声が聞こえたような……」
マリアがキョロキョロと辺りを見回していると、厩舎の陰に動くものが目に入る。そうっと近づいていくと、そこには怯えた瞳の黒い子犬がいた。
牡馬 は、男の子のお馬さんのことです。
ちなみに、女の子のお馬さんは、牝馬です。




