延元3年、暦応元年(1338年)難波宮への遷都と後醍醐先帝の死、次男元服
さて、年が明けて延元3年(1338年)になり、一応の再建が行えた難波宮への遷都が行われた。
元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治はこの宮でおこなわれたという。
藤原一族が跳梁跋扈した平安京を捨てて難波宮への遷都を行うのは俺たちの政権の旧来の慣習やしがらみからの解放の宣言でも在る。
まあ、軍事的な面でも山城の盆地の中の平安京よりは護りやすいし、経済的にも交易をしやすくなる。
同時に寺社などがそれぞれ勝手に作っていた関所を撤廃させ、その場所は侍所の駐留所とした。
これで陸上交易も多少は活性化するだろう。
もちろん国の境にある関は当然残したがな。
寺社のその収入が減る分だが、まあ私腹を肥やすことは禁止しており、そもそも無駄に銭を貯める必要はないはずだが、何らかの理由で再建が必要な建物があれば申請させ、其れを確認した上で判断を下し、必要な場合は寺社がその地方の有力者に勧進を募ることで銭を集めさせることにした。
「これで名実ともに平安や鎌倉の時代とお別れというわけですな」
「うむ、貴族や武家の専横の時代は終わった。
私達皇統が権威を持つ時代へと戻ったのだ」
実際は飛鳥や奈良の時代も言うほど大王に実権が有ったわけでもないらしいが、今は黙っておこう、盛り上がってるところに水を指すこともないしな。
そして、花山院で蟄居していた後醍醐天皇が崩御した。
阿野廉子の死後は洗脳も溶けたのかだいぶおとなしくなっており、ひたすら祈祷三昧の生活を行っていた先帝だが、自らの手ではなくとも皇統に権力が戻ったのはそれなりに嬉しかったらしい。
先帝の葬儀が行われるとともに年号の改元が行われ暦応元年となった。
そしてしばらくして落ち着いた頃、今上帝が俺に言った。
「そういえばそなたの次男梓丸もそろそろ元服して良い頃ではないか?」
梓丸は今年12歳たしかにそろそろ元服しても良い頃だな。
「そうですな、たしかにそろそろ元服させてもいい頃です。
となると今回は烏帽子親を誰にやってもらうかですが
前回のように今上自らってのはもうゴメンですが」
この俺の言葉に北畠顕家が食いついてきた。
「ならば私にその役目を与えていただきたいが如何かな?」
その言葉に万里小路藤房が食いついた。
「いやいや、その役目は私に与えていただけないだろうか」
やっぱりこうなったか。
「ふむ、正成よ今回はそなたが決めて良いぞ」
今上帝がそう言うがどっちを選ぶにしろ角が立つだろうがな。
まあ、とは言え万里小路藤房とは長い付き合いだ、どっちを優先するかは自明の理だな。
「じゃあ、今回は万里小路藤房殿に頼むとする。
北畠顕家は俺の三男のときの烏帽子親を頼みたい」
「うむ、了解だ」
「仕方ありませんな、ではそのように」
対称的な表情の万里小路藤房と北畠顕家がそういうと今回の元服についてと次回の元服についての烏帽子親が決まってしまったな。
そして長男多聞丸の時と同じく今回の式もどこの貴族だと言うような盛大な式になったのは言うまでもない。
万里小路藤房が勤める烏帽子親により烏帽子をつけた梓丸は俺の名から正の字を万里小路藤房より房の字をもらい正房と名乗ることになった。
まあ、これもいい名前なんじゃないかな。
さて、元服が済んだら出仕のための科挙を受けることになる。
「兄が主席で大変だと思うが、まあ力まずにいけ」
「はい、わかっております、父上や兄の名を汚すようなことはいたしません」
まあ、こいつも兄と同じく英才教育を施された身だ。
正房も兵部の科挙を主席で合格した。
「これで父上や兄上の名を汚すようなことがなくすみました」
「やれやれ俺の息子が皆優秀で俺の方がびっくりだよ」
やっぱり同じテストをやっても息子を上回れる気がしないぞ。
さてさて、今回も科挙で主席となった俺の息子に対して婚約を結ぼうと引く手あまたとなったとなったのは言うまでもないな。
「お前さんの兄にも聞いたがお前さんが結婚したい相手が
いるなら俺はその意志を尊重するがどうだ?」
「であれば……」
と息子が名を挙げたのは乳母子で一緒に育ってきた万里小路藤房より遣わされた万里小路家の乳母子で甥の万里小路仲房の娘だった。
万里小路藤房の妹が俺の妻だから結構近い筋になっちまうわけだが……。
まあ、問題はないか。
「なるほど、いいんじゃないか。
万里小路藤房達も喜ぶだろう」
「ではそうしていただけますでしょうか」
俺は万里小路藤房と万里小路仲房に事情を伝えると彼らは喜んで受け入れてくれた。
「うむ、これで我らの家の絆は益々深まるし良いことだと思うぞ」
笑っていう万里小路藤房
「まあ確かにその通りですな」
俺も彼に笑い返して万里小路家のお姫様が正房に嫁入することが決まった。
やはり輿を連ねての嫁入り道中が行われ、祝言を上げて式三献、初献、雑煮が出たあと、祝言が終了すると、いよいよ床入となって翌日は色直しの衣裳に着替え、俺と対面することになる。
「お義父様、お義母様、不束者ですがこれよりよろしくお願いいたします」
何となく俺の妻の滋子に似ている気がする、血は争えないということか。
「ああ、こちらこそ息子をよろしく頼むぞ」
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますわ」
こうして俺の家族にさらに一人新たな人間が加わったわけだ。
俺は難波宮に家を建てさせていたので、正房たち夫婦はそちらに移り住んだ。
因みに息子の北の方は万里小路家の娘だが、西の方としては島津貞久の娘を、東の方としては赤松円心の娘を娶ることになった。
四国と中国方面の実力者とも縁を結んでおくためだが、政治的理由での政略結婚もしなくちゃならないのは息苦しいかもしれんな。
と言っても立場上仕方がないのだが。




