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楠木正成・悪党と呼ばれた男  作者: 水源


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嘉暦2年(1327年)次男誕生と大塔宮の天台座主就任

 さて、年は代わり嘉暦2年(1327年)になり、俺の二番目の子供が生まれた。


 後の楠木正時だな。


 俺は子供を抱き上げて言った。


「うむ、この子は梓丸あずさまると名付けよう」


「梓丸ですか、はい、良い名だと思います」


 にこやかに微笑む滋子の体調も悪くなさそうだ。


 今回も滋子は無事で、母子ともに健康だ。


 子供が生まれるのは嬉しいが、母子に何かあったらという恐怖がつきまとう。


 今より母体に負担がかからない出産の方法があればいいのだがな。


 水銀や干しきのこ、木材に刀剣もくわえた河内の産物や硫黄島の硫黄、琉球の珊瑚、伊勢や壱岐の真珠などを東南アジアやインドで宝石や香辛料、硝石や鉛、仏法経典や法具に変え、其れを元で砂糖や綿、生糸、宋銭、鉄の延べ棒、陶磁器、茶、書籍、絵画、経典、文具、薬材、香料などに変え、其れを日本で売るという交易は今のところうまくいっている。


 だが、元は相変わらず政情が不安定で皇帝が次々に変わっているし、華北の土地は荒れて収益が下がり、江南では反乱が頻発し、元は経済的に急速に衰退しつつあった。


 其れとともに高麗へ赴いて、襲撃をかけてさらわれた日本人を連れ戻すことも続けている。


 俺の勢力下に在る壱岐対馬や協力者である松浦、五島列島の住人を中心とした海賊衆は高麗では非常に恐れられる存在になっていた。


 俺達はあくまでも敵の防備の弱い所を狙い、高麗の正規軍との直接的な戦闘は避けていた。


 海賊の装備は貧弱なものだったからな。


 赤坂には万里小路藤房までのこうじふじふさがたまに来ていた。


 俺の妻である妹の様子を見るというついでに話しを良くした。


「私は国のあちこちを行き来してあちこちの民を見てきましたが民というのは国というものの根幹をなすものだと思いますよ。

 そして民の声というのは国そのものの声でもありましょう」


 俺のその言葉に万里小路藤房は渋い顔になった。


「帝はこの国において頂点に立つお方だ。

 そして今まで帝を頂点にいただくことによって成り立ってきた。

 しかし、最近では其れは名目だけのことになり、帝も将軍も飾りだけに成り果ててしまった。

 これはおかしなことだと思うが」


「民にとっては支配者が誰だろうとちゃんと働けばその分ちゃんと食べられればよいのです。

 働きもしないのに贅沢だけしている貴族など民から見れば害でしかありませんし、朝廷の官司であろうと鎌倉の地頭であろうと其れを取り上げるだけの厄介者でしかありません。

 同じ厄介者であれば害が少ない方がいい。

 其れだけのことですよ」


 万里小路藤房が少しムッとしたように言った。


「帝は米の価格を定め、商人が暴利をむさぼることなく民衆が安心して買えるようになさっておられるが」


 俺はその言葉に頷いた。


「そこで帝のほうが良いとあれば民は帝につくでしょうな。

 民は苦しむものですが今よりわずかでも生活が楽になればよいのです。

 そして其れは幕府によるものでも帝によるものでも構わぬのですよ」


「やれやれ、帝に仕えるものとしては耳が痛いな。

 しかし、私も官位を授かる前までは貧乏暮らしであったゆえそなたの言うこともわからぬではない」


「しかし、幕府より朝廷の方が良いと思っても朝廷には幕府を抑える武力がありませんからな。

 このままでは絵に描いた餅で腹の足しにもなりませぬ」


「そのために大塔宮は比叡山の天台座主となられるのであろう。

 平安の世より山の僧兵の力は大きなものであったゆえ」


 俺は腕を組んで首をひねった。


「しかし叡山は叡山の利益のためにしか動きますまい。

 帝がそのことをわかっておられればよいのですがな」


「今のところ寺社は幕府と対立する方向にあるようでは在るがな……」


 俺は話を変えた。


「そういえば、最近この村の端の河原で温泉がわきましてな。

 一緒にどうですかな?」


「ほう、温泉とはありがたい。

 旅の汚れや疲れが落とせそうですな」


 俺達は連れ立って温泉に向かった。


 川の脇に湧き出た露天の温泉で村人たちと共用で使っている。


 俺達の姿を見た村人たちが出ようとしたが、俺は別にでなくてもかまわないといってからのんびり湯に浸かりながら話を続けた。


 政治や軍事のことではなく、俺の妻で万里小路藤房の妹の滋子のことだ。


「しかし滋子はよくできた良い女だ。

 俺などにはもったいない」


「いやいや、不自由なくのんびり暮らせて幸せだと言っておったよ。

 しかし、身体の弱いところもあるゆえ、其れには気を付けてくれ」


 俺は頷いた。


「ああ、そうさせてもらおう。

 後ほど滋子にも湯に入ってもらうとしよう」


「うむ、温泉とは良いものだ。

 体が芯から温まり、疲れが溶けて消えてゆくようなきがする」


 のぼせぬ程度に俺たちは温泉の湯の心地よさを楽しみやがて上がった。


 村人の噂などもこういった裸の付き合いのときに聞けば情報源として活用できるし、俺は村人から雲上人のように思われたくなかったしな。


 万里小路藤房の存在は村人の公家に対しての悪い感情を減らす意味合いもあった。


 まあ、公家だろうと僧だろうと鼻持ちならない奴はいるんだが。


 ・・・


 その年の暮になり、大塔宮は叡山に上がって天台座主となった。


 彼は座主として本来やらねばならない仏事に関しては下のものに任せ、叡山の僧兵を心身共に鍛え始めたようだ。


ゴロツキ同然だった僧兵の中で大塔宮に従えないものは叡山から逃げ出したが、従ったものは本来の仏道の教えに立ち返るとともに山中での修行に明け暮れた。


 滝行や山中を真言を唱えながらひたすら歩くなどかなり厳しいもののようだ。


 其れにより僧兵の乱暴狼藉は全体的には減り、多少規律を守るようにはなったようで、京の民たちは大塔宮の方針を歓迎したようだが、六波羅にとっては歓迎せざる状況だったろう。


 因みに逃げ出して京で乱暴狼藉を働いたものは離縁状が出回っていたためもはや僧ではないと捕縛されれば処刑されたようだ。


「まあ、あちらはあちらで、それなりに上手くやってるようだな」


 世間知らずな法親王ではなく一度戦乱に身を投じて敗れたが魑魅魍魎の跋扈する平安末期の以仁王の記憶を保つ意味は大きいのだろう。


 一方陸奥、出羽で起きている蝦夷大乱は嘉暦元年(1326年)に御内侍所工藤祐貞が追討に派遣され、祐貞は旧暦7月に季長を捕縛し鎌倉に帰還したが、季長の郎党や悪党が引き続き蜂起し、嘉暦2年(1327年)に御家人の宇都宮高貞と小田高知を派遣してようやく和談を成立させた。


 これは北条得宗に仕える御内人の紛争をすでに得宗家には処理できる能力をなくしており、得宗家の権威を失墜させ、幕府の武力の弱体化を衆目に晒してしまった。


 こうして鎌倉幕府打倒の機運は徐々に広まっていくことになる。

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