冬虫夏草と霊芝の人工栽培の成功と船の改良、そして宝石と香辛料の買い付け
さて、朝鮮半島の南岸である程度暴れ、元寇の際に連れさられた壱岐、対馬などの人間をぼちぼち見つけては連れ帰り、ある程度人手と収穫の見込みができたところで俺は河内の楠木館に帰った。
やっぱりなんだかんだでここが一番落ち着くのは間違いないな
「今戻ったぜ」
神宮寺が俺を出迎えてくれた。
「よお、おかえり、土産は無いのかい?」
俺は紹興酒のはいった瓶を手にしてみせた。
「あるぜ、大陸の旨い酒だ。
つまみにイカやアワビの干物もある」
神宮寺が顔を輝かせた。
「そいつはいいな」
そして其の夜は飲み明かした。
「やはり、清酒はうまいな。
んで、こっちはなにか変わったことは有ったか?」
俺達は干しイカをつまみに紹興酒を飲んでいた。
俺の言葉に神宮寺はハハと笑って否定した。
「いや、特に何事もなかったさ。
農作物もぼちぼち取れたし、良いことも悪いことも得にはなかったな」
「平穏無事ならありがたいことさ」
「ああ、俺もそう思うぜ、まあ熊野の湯浅は大変そうだがな」
俺は頷いた、熊野の水軍を率いる湯浅は源平合戦の頃から熊野を治めている豪族だ。
当時の湯浅権守宗重は平家側として熊野別当湛増と対立していたが、結果としては今の時代まで生き残っているのは紀伊半島が山ばかりで攻めにくく寺社勢力が多くあったことだろう。
源氏としても南都を焼き討ちして仏敵の汚名を被った平重衡の二の舞いにはなりたくなかっただろうしな。
「まあ、あいつらの気持ちは分からんでもない。
近頃は関税も馬鹿にならん。
堺などの主なところは北条家が抑えてるんだから、ガッポガッポでウハウハなはずなんだがな」
「しかし、元寇のときの恩賞がまだはらわれてない御家人もいると聞くぞ」
俺は頷いた、
「だから、しきりと神風が吹いて日本は救われたなどと言い出すのさ。
武士には土地を与えなきゃならんが寺社なら銭を与えればいいからな」
「儲けるのは坊主ばかりなりだな」
「まったくだ、そうして坊主や神人は集めた金を貸して、
その利息でさらに儲けるわけだ」
「全く世も末だな」
「俺もそう思うぜ」
さて、翌朝俺は蚕の蛹と取ってきた冬虫夏草を目の前に人工栽培を試みていた。
理論的には椎茸などと同じで、原木を蚕の蛹に置き換えただけだ。
冬虫夏草の根本を残して斬りそちらは干して薬として売る。
薬効としては不老長寿、精力源とされるが実際に冬虫夏草には肝臓に蓄えられるATPを増やす効果があるらしい。
ATPというのはアデノシン三リン酸というやつでミトコンドリアなどが作り出すエネルギーの貨幣ともよばれているものだな。
冬虫夏草は肝臓に蓄えられるATPを30%ほど増やすことができそれにより、スタミナを増強させることができるらしい。
勿論ベータグルカンも豊富で免疫力もふやせる。
そしてきのこが生えてる昆虫の幼虫側を細かく切って、蚕の蛹に埋め込んでいく、それを冬虫夏草が生えていた場所に埋めて、野生動物に食われないように柵を作る。
うまく行けばきのこが生えてくるってわけだ。
そして、結果としては冬虫夏草の人工栽培に俺は成功した。
この頃には原木を使った霊芝の人工栽培にも成功していたが、冬虫夏草と霊芝は驚くほど高い値段で売ることができた。
水銀と同じく不老不死の霊薬と呼ばれている上に水銀と違い実際に健康効果も在るからな。
さて、それが終われば船の改良だ。
木造船の最大の敵は底板に穴を開ける船食虫で、こいつに食われて穴だらけになり沈んだ船も少なくない。
フナクイムシはミミズのような姿をした貝だが、シロアリのようにどんな木材であっても奥深く入りこみ木材をたべて、ボコボコ穴を開けていく厄介なやつだ。
対策としてはこれを駆除するため年に二回船を陸にあげ、船底を持ちあげで萱でいぶして煙と木材を乾燥させることで船食虫を駆除する。
また船底に付着するフジツボも悩みのタネになる。
藻などが引っかかって速度が出なくなったりするわけだ。
で、小さく底が平たい船であれば砂浜に引きずりあげて、皆で抱え上げて木の台の上に乗せてたり、船を横にして船底を燻すこともできるが、でかい船ではそうは行かない。
平安時代の遣唐使船はV字型の船底を持ってたらしいが、乾ドックのない日本では維持ができなかったようだ、まあ、そのために大型船の建造や進水が容易になりメンテナンスが可能な乾ドックを壱岐に作ろうと思う。
で、フナクイムシ対策としては大型の船に総櫓及び船体の総てに防火・防蝕、フナクイムシ虫対策を目的として石灰と火山灰を用いたローマン・コンクリートを船体に塗る。
ローマン・コンクリートは海水にも強く、強度も木材と遜色ない。
火山灰は九州の南側に行けばたくさん手に入るし、石灰岩は割とどこでも手に入る。
砂と水を混ぜて練れば出来上がりだ。
これは後々城を作るときにも使えるだろう。
では、船の整備をするための乾ドックだが干潮の時に海岸をほって土嚢を積み上げて穴を掘り下げ、そこに巨大な水門を設置し、排水用のポンプを設置する。
近代的なドッグはもっと複雑だがこの頃の中国の乾ドックはこんなものだった。
乾ドックが完成したら船を入渠させる。
船をドックに櫓を漕いで進入させ、海と繋がっている水門を閉め、ドック内の海水を手漕ぎポンプで徐々に排水していく。
船の入渠が完したら、船にはしごを掛けて、フジツボを剥がし船底を燻して乾かし、フナクイムシを駆除してからローマン・コンクリートを塗っていく。
実際に鉄筋コンクリート船は第1次世界対戦から第二次世界大戦のときには鋼材不足で結構作られてる。
しかし鉄鋼と同じ強度を持たせるために分厚くなり重量が重くなって燃費に問題が有ったり、船体が破損した時にすぐ沈没するという欠点もあり使われなくなった。
木造の船のフナクイムシ対策や強度の補強であれば、ある程度の厚みでローマン・コンクリートを塗れば十分だろう。
それが終わったら真珠の養殖の開始だな。
現代では壱岐は真珠の養殖の盛んな地域だった。
アコヤ貝やヒオウギ貝、アワビに球体に削った核と外套膜とを一緒に挿入して、真珠層を形成させれば大陸では高く買ってくれるはずだ。
まあ、最悪真珠ができなくても死んでなければ貝の身を食べたり貝殻を美術品として貿易に使うこともできるはずだ。
母貝となるそれなりの大きさに育った貝を海女に海に潜ってとってもらう。
その前に「卵止め」と「卵抜き」を行なったあと「貝立て」を行って、貝の口をあけくさび形の栓をさす。
真珠は生殖巣の真珠袋の中で生まれるので、貝殻で真珠を作り核生殖巣にてピースと真珠核を挿入して、真珠袋を形成させる。
そして真珠筏と呼ばれる筏にアコヤ貝は板状の網でサンドイッチ状にはさんで、ヒオウギ貝は内部が何段かに仕切られた円筒形の網籠を吊るして養殖する。
貝は海に吊っていると、フジツボ等の付着物がたくさん着き、貝が栄養分であるプランクトンを食べられず、死んでしまうので定期的に除去する必要がある。
この状態で半年から2年半の間、貝掃除を繰り返し行いながら様子をみる。
ここで3ミリくらいの小珠は半年、5ミリ以上の中珠以上は1年半7ミリ以上の大珠は2年半ほど時間がかかる。
そして真珠の出来具合を調べるため10個程度の試験むきを行い、出来を確認したら真珠を収穫する。
収穫は正式には浜揚げと言い12月から1月に行う。
この中でも真円になって品質的に優れた「花珠」の真珠は5%しかなく、商品価値はあるが品質は低いものも含めても3割に満たない。
更におおよそ半数の貝はそれまでに死んでしまう。
養殖期間が長くなれば死亡率はもっと上がる。
大きな真珠というのができるのは奇跡的な確率なわけだ。
真珠の仕込みが済んだら琉球に渡り米と引き換えにサンゴを手に入れる。
それから大陸に渡り係留していたジャンク船を使って東南アジアに向かう。
東南アジアは宝石の産地として有名だな。
ビルマは元に攻められて其の統治下となっていたりするが、ここは高品質なルビーやサファイヤ、瑠璃、翡翠トパーズなどが取れる。
珊瑚とそれらの宝石を交換してインドに向かう、インドでは硝石が普通に土地の表面に算出し肥料や肉の塩漬け加工に際して塩とともに硝石を肉にすり込むことが古くから行われてきた。
そんな感じだからインドでは硝石は安く手に入る。
水銀や珊瑚と引き換えに樽いっぱいに硝石を手に入れた俺はインドでも宝石を買い漁った。
ダイヤモンドや、サファイヤ、インドスタールビー、ガーネット、ムーンストーン、エメラルドやアクアマリン等いろいろな宝石が帰る。
まあダイヤはカット技術がないので原石のままだから現代ほど価値はないがな。
さらに香辛料も買い漁る
胡椒はインドで、肉桂はセイロン島で、丁字と肉ズク(ナツメグ)はモルッカ諸島で買い付ける。
ついでにサンバールというスープカレーも食べてきたが現代日本のカレーとは似ても似つかないものだったぞ。
まあ、あれはあれで悪くはなかったが。
そしてそうやって手に入れた宝石類や香辛料を中国に持っていって売れば大金で売れるってわけだ。
なんだか大航海時代みたいになってきたな、交易というのはそれだけ儲かるってことだ、まあ海は嵐などの危険も多いがな。




