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土蜘蛛 後編

「で、なんでこんなことしたんだ?」


「く、食うに困りまして……」


「ありがちな話ではある」


「まぁ、そんなオチだろうとは思っていたよ」


 俺――賢者の石は大きなため息を隠すことなく漏らしながら、樹にグルグル巻きにされ縛り付けられた少女を見下ろしていた。


 あれから、少女を捕まえた俺たちは、かろうじて軽症だった少女が気絶している間に彼女をしっかりと捕縛。


 なぜこのような凶行に出たのか――まぁ、この時代で、この歳の子供が犯罪に走る理由など数える程度しかないが――事情聴取を行っていた。


 さすがは都の守護者。それが仕事なだけあり来光の事情聴取は、先ほどの圧倒的な戦闘能力における格の違いを見せつけていたこともあって、スムーズに進んでくれた。


 そこでひきだせたのがこの証言なわけで……。


「まぁ、蟲人(ちゅうじん)……それも、蜘蛛ってなると、両親どころか一族郎党結構苦労していそうだしな……」


 そう。俺達が退治したその少女。身元を確認するために何の獣人か調べようと、カツラをとってみたのだが、驚くべきことにその少女、灰色と黒の二色のベリーショートの髪をしており、口から覗く牙からは、蜘蛛特有の消化毒。さらに両目の瞳孔が複眼だったのだ。


 蟲人――今ではすっかり見かけなくなってしまった、狐獣人以上の希少種族。


 俺達がまだ国すら作っておらず村でのんびりしている間に、とある弱小神格群――今は相誅氏命(そうちゅうしのみこと)にその痕跡が残るだけの、蟲型神格群だ――が生み出した、蟲をベースに作られた人だ。


 だが、残念なことにその神々のセンスがすごくなかったのか、端的にいうとその連中の見た目は、二足歩行をする巨大昆虫でしかなかった。


 そんな見た目で、まだ中二時代だった断冥尾龍毘売に見つかってしまったところから、蟲人たちの悲劇は始まる。


『醜い!! キモイ……何より怖いっ!!』


 断冥尾龍毘売のその一言によって、蟲人たちは断冥尾龍毘売の軍勢によってひとり残らず駆逐されていった。


 断冥尾龍毘売が最初に見たのが、断冥尾龍毘売を食糧だと思い襲い掛かってきた、ゴキブリ型の蟲人だったのも被害に拍車をかけた原因だったといえる。


 そんなわけで、そういった神話の時代に殲滅・駆逐の憂き目にあった蟲人たちは泣きながら日ノ本の辺境奥地へと隠れ住み、ひっそりと暮らすようになった。


 それでも、日ノ本王朝ができてからはこちらとの交渉や折衝の機会を設けようと努力をしてくれたようなのだが、何分見た目が見た目……俺が何度か口利きをしたにも関わらず、蟲人たちとの交渉は難航。そうこうしているうちに蟲人たちの結束もバラバラになっていき、集落へと隠れ住んでいた蟲人たちは、新天地を求め各地へと拡散。


 そこで化物と間違われて殺されたり、なんとしてでも子供を作ろうと獣人の娘をさらって強姦したあげく、討伐軍によって倒されたりと……まぁ、ろくな結果にならぬまま、その数をぐんぐん減らしていった。


 おまけに虫並の単純な脳みそが災いしたのか、蟲人たちの見た目が受け入れられたのだとしても、こちらの社会構造を理解できず「金を払わず商品をパクった」「他人のペットを食料として食べた」「隣人が毒の鱗粉吸い込みすぎて毒殺された……」などという被害が相次ぎ、だんだんと差別され、蟲人たちは野垂れ死にの人生を歩むようになった。


 そんなわけで、蟲人たちは俺が眠っている間にすっかり絶滅……。今や姿を見かけることもなくなったと……そう思っていたわけだが。


「まさか生き残り……それもこんなに獣人に近い形の子孫が残っているとは」


――執念だね……。と、俺が感心している間に、少女も自分の種族が割れていることにようやく気付いたのか、慌てて両目を隠そうともがくのだが……あいにく彼女は拘束中。両手が自由に動くわけもなく、彼女は必死に目を閉じることで自分の複眼を隠そうとする。


 そんな少女の姿を哀れに思ったのか、靖明はため息をつきながら彼女の頭に手を置き、


「あ、おい……」


 俺の注意も間に合わず、


「そう怯える必要はない。小生らはおぬしがどんな種族であろうとも、それで理不尽にお主を責めるほど度量が狭いわけでは、シビビビビビ!?」


「靖明ィイイイイイイイイイイイ!?」


 突然ガクガク震えながらぶっ倒れる靖明に、思わず来光が悲鳴を上げる。


 俺はそんな二人を呆れた様子で見つめながら、彼女の短髪に触れないように教える。


「あれ、ごく一部の蜘蛛が持っている刺激毛っていう体毛で、敵の気管支に入ったり、皮膚突き刺したりして強力な麻痺毒送り込むもんだから、手の保護もなしで触るのはお勧めしない」


「先にいえよっ!?」


 がくがく震える靖明を何とか助け起こし樹にもたれかけさせた来光が、そんな悲鳴を上げながらも刀を抜き、少女に切っ先を向ける。


「ひっ!?」


「まぁ、解析した限りは人間にも効くように毒性は上がっているみたいだけど、死ぬわけじゃないからあえて言うのは後回しにして蟲人の歴史を語ったわけだが……だめだった?」


「ダメだねッ!? おかげでいまおれはこの子のことが純粋に信用できなくなった!!」


 ちょっと近づくだけで人間に被害が出る。蟲人差別の根幹にある、迷惑すぎる先祖たちの特徴の継承。それが今回も悪い形で働いてしまっていた。


――どうしたもんかな。と、俺はそんな二人を眺めながらも、なんとなく口を出せないでいた。


 俺が口をはさむとさらにややこしい事態になりそうだ。と、自愛の時の経験から、嫌というほど思い知らされていたからだ。


 だからこそ、最近俺は仲介やら何やらといった行為に二の足を踏み、できないようになっていた。


 一種のトラウマであり、直さなければならないことだとも思っている……。だが、どうしても、俺は誰かの仲を取り持とうとするたびに、あの血まみれになった二人の姿がまぶたの裏に浮かんで(石だから(以下略))……。


 そんな風に俺が迷っているときだった。


「あ、安心してくれ、来光。小生は無事だ」


「靖明!?」


「お」


 あと、十分ぐらいは立てないだろうと思っていた靖明が、意外なほど早く復活したことに、来光はほっと安堵の息をつき、俺はちょっとだけ驚いたあと、靖明が持っていた解毒の札に気付き、少女は真剣に驚いたようで目をまん丸く見開いていた。


――というか少女、お前目を隠したいんじゃなかったのか?


「さて少女。話の続きをしようか? 何故食うに困ったのか。そして、なぜ妖怪などになり果てようとしたのか……そして」


 靖明はそこで言葉を切り、懲りずに少女の頭に手を伸ばした。


 だが、さっきと違うのはその手には解毒の札がまかれ、きちんと防御がなされていること。


「おぬしの名前を、聞かせてくれ」


「っ!」


 そんな優しい靖明の言葉と笑顔に、少女はほだされたのか、先ほどまで来光に尋問を受けていた時とは違い、震えのない落ち着いた声音で、ポツリポツリと自分の来歴を話してくれた。




…†…†…………†…†…




 まぁ、内容としては先ほどあげた良くある話の一つだった。


 八本の腕に八つの瞳の、刺激毛で全身を覆った人間。そんな化物じみた見た目をした父親と、彼にさらわれ強姦され少女――寄芽(よりめ)を身ごもった母親のお話。


 父親はたまたま来ていた、大罪府の派遣罪人がいてくれたおかげで討伐された。


 当然母も、卵で生まれた自分を親族一同に流す(・・)ように言われたらしいのだが、「父親が何であれ、この子は自分がお腹を痛めて産んだ大切な子供だ」といって、寄芽のことを大切に育ててくれたらしい。


 だが、その幸せも長くは続かず、つい半年ほど前に寄芽の母親ははやり病によって他界。


 当然村の住民としては、母という保護と枷がなくなった寄芽が何をするかもわからず、おそれにおそれた彼らはまだ幼い彼女を村から追放した。


 というわけで、この歳で路頭に迷ってしまった寄芽は、都なら何か食うものがあるかもと、なけなしの体力を使いこの街道あたりまで来た。


 だが、そこで体力がつきてしまい、もはや一歩も歩けない……となったところで、一人の旅人に出会ったらしい。


 自分を見た瞬間、異形の複眼に畏れ慄いた旅人に苛立った寄芽は「ガオー!!」とかいって、当時精一杯の脅しをしたのだが、それが思った以上にうまくいってしまい、旅人は自分の荷物を全部放棄して、悲鳴を上げながら逃げて行った。


 その時の荷物がちょうど金と食糧だったので、疲れ切っていた少女は遠慮なくそれをむさぼってしまい……味を占めてしまった。


――あれ? これなら楽してご飯食べれるじゃない? これなら働かなくてもいいじゃない? あれ? もしかして、こんな見た目に生まれた私勝ち組!? とか思っちゃったらしい。


 というわけで、自分の姿をよりおどろおどろしく見せる変装を、旅人からぶんどった金銭でそろえた彼女は、満を持して貴族を脅してみた。


 すると今度もあっさり成功。


――やばいわ! 私追いはぎの天才なのかもっ!! 天職を見つけちゃったかもっ!!


 と、テンションハイになった彼女は意気揚々とこの街道を通る人物を脅しまくり、金を巻き上げる生活をしようとして、貴族然とした恰好で現れた俺達に襲い掛かり……。




…†…†…………†…†…




「返り討ちにあったと……」


「はい……」


 ごめんなさい……。と素直に頭を下げる姿には好感が持てるが、とはいえやっていたのは立派な追いはぎ行為だ。許すわけにはいかない。なにより、


「被害届が出ちゃっているしな……」


「おまけに、よりにもよって出したのは刑部卿……。見逃すわけにはいかないな」


「ということは、来光。寄芽を都の刑部へ連れて行くのか?」


「ひっ!?」


 罪人たちの中では畏怖と共に語られる、都の最高司法機関の名前。そのくらいは少女も知っていたのか、彼女は小さく息をのみガタガタ震え始めた。


 す、素直に話したのにっ!? と言いたげな寄芽だったが、あいにくと人生はそんなに甘くない。


 事情があったのは認めるし、そうするしかなかったというのも、まぁ子供が言うことだ……。そう考えるのも仕方ないし、事実犯罪に走る連中が語る理由なんてだいたいがそうだ。


 だが、だからと言って犯罪を見逃すわけにはいかない。それを許してしまうと、国としての根底を揺るがしてしまうからだ。


 とはいえ……その国の基盤である律令自体も、いまの時代では決して優秀とは言えないわけで……。


「せ、窃盗って……刑を受けるとしたらどのくらいに?」


 最後の望みとばかりに、寄芽から発せられた問いに答えるのは、本職の来光だ。


「窃盗というか強盗な? 確か……大宰府に島流しの上に、30年近い労働。いや、でも相当怒っておられたからな……妖怪だと思っておられたから退治と言われていたが、正体が子供だとばれれば、下手したら首を刎ねられるかもしれん」


「ひぅ!?」


 そして、法整備が現代よりも整っていないこの時代の刑事法では、だいたいこのくらいの極端な刑が、いくらでも採用される。


 本当なら、冠務が自分の代で、そのへんの律令の大幅な改革を目指していたのだが、最終的にああなってしまったため、あのおおざっぱ律令はそのまま残っているだろうし……。


 と、俺が一人黄昏る中、縛られた寄芽はぼろぼろ涙をこぼしながら、必死に懇願してくる。


「お、お願いです! ゆ、許してください! ほんの……ほんのちょっと、今日の糧がほしかっただけなんです。こ、こうでもしないと、子供で蟲人の私じゃご飯食べられなくて……だから、だからっ!!」


 なんでもしますっ! なんでもしますからぁっ!! という、痛々しい寄芽の懇願を聞き、俺たちは痛ましげに眉をしかめることしかできなかった。


 実際寄芽は悪いことした。だが、彼女だけが悪かったのかと言われればそうではない。


 流行り病の被害を抑えられなかった朝廷にも、長い間蟲人差別をどうにもできなかった俺にも問題はあった。


 要するに、彼女が悪事を働いたのは今の社会が多分に悪いところがあったからでもある。


 だがしかし、それはいまさら言っても仕方のないことだ。


 俺はもう政治にかかわれる立場ではないし、武官である来光もまた同様だ。


 かわいそうだと思うが、それも仕方がない……。俺はそう思い、来光が言うのもつらかろうと、寄芽を諭すために口を開いた。


「罪は罪だ。償うんだ……寄芽」


 瞬間、いままで必死に泣きわめき、命乞いをしていた寄芽が絶句し、俯く。そして、


「悪いのは……あなたたち獣人だって一緒のくせに」


「……………」


 俺は、とうとう彼女が発し始めた憎しみを、一心に受け止める覚悟を決める。


 どちらにしろ、役立たずと罵られた神様だ。鬼を生み出すほどの憎しみに当てられたことのある身だ。


 少女の憎悪など、どうってことはない。


「私たち蟲人を、ただ見た目が違うからと……気持ち悪いと罵って。君が悪いと蔑んで……私だって、私だって……生まれ方を選べるのなら、普通の獣人に生まれたかったのにっ!!」


 涙ながらの少女の慟哭に、俺たちは黙って耳を傾けることしかできない。


 彼女の種族を変えてやることも、彼女の生き方を変えてやることも、いまの俺達には出来ないのだから。


「どうしろと……どうすればよかったんですか。どうすれば、こんなところで死なずに済んだんですかっ!」


 理不尽な世界に対する罵り声が、森の中に響き渡る。


 俺達の心中に、後味の悪い気持ちを植え付けて……。




…†…†…………†…†…




 叫び疲れてグッタリと眠っている寄芽を来光が背負い、俺たちは森の中を歩き都に向かって帰っていた。


 苦々しい沈黙が、俺たちの間を満たす。


「なぁ、賢気」


「んだよ、来光」


 提灯をかざし、前を歩いている来光からの問いかけに、俺はちょっと疲労が見える声音で返事を返す。


 その時の俺は、「何度やっても慣れはしない。人の憎悪の罵りを自身で受けるという行為は……」と、ちょっとだけ自分の判断の甘さを呪っていたからだ。


「この子……どうにかできんかなぁ」


「どうにもならんさ……」


――悲劇は起こるし、人は死ぬ。そういう世界だよ……ここは。と、俺は最近になったようやく気付いた真理を、ボソリと語ることしかできない。


 そんな俺の返答に、来光はギシリと歯を食いしばり、同じように呟いた。


「だが、これではあまりに救いがない。俺の剣は……こんな子供一人すら守れぬほど、脆弱なものだったというのか」


 情けないではないか……。と、心底悔しげに、来光はつぶやく。


 そんな風に、俺たちが情けない雰囲気で、ダラダラと森を歩いていた時だった。


「おい、お主ら」


「「ん?」」


 靖明が突然、ふと思い出したかのように、


「どうにかなるかもしれんぞ?」


「……は?」


「なに?」


 起死回生の一手を、提案したのは。




…†…†…………†…†…




 とつぜん頬をペチペチ叩かれるのを感じ、疲れ切っていた私――寄芽は目を覚ました。


「なに……」


――もう死ぬぐらいしか残っていない未来だというのに、どうしてゆっくり寝かしておいてくれないの?


 内心でそんな風に罵りながら、私は目を覚ます。


 目の前にいたのは、私の頭を撫でてくれたあの狐顔の人間――靖明だった。


 どうやら私は、街道脇の小さな樹に、座らされているらしい。


「寄芽よ……。一つだけ言うておくことがあって起こさせてもらった」


「なに……。わたしもう疲れたんだけど」


「なぁに、今生の別れの説教ぐらいは聞いておいて損はないと思うぞ」


「………………」


――笑いながら何言っているんだろうこの人。結局この人も、私を殺すために都に連れて行っているくせに。と、若干裏切られた気さえしていた私は、そんな靖明の言葉を鼻で笑う。


「説教? 首刎ねられる以上のものが、今のあなたに言えるの?」


「いえるとも。妖怪を騙るなという説教がな」


 靖明はそう言って、扇子を広げる。


 その扇子に描かれているのは、今都を騒がせていると有名な妖怪行列――百鬼夜行。


 そこに描かれている無数の妖怪たちの姿に、私の体は本能的に恐怖を覚えた。


「よいか? 妖怪とはな……実は人が生み出すものなのだ」


「人が?」


「そう。そこにいると信じ、人を襲うと恐れ、いつか食われると畏怖する。そうすることによって妖怪とやらは生まれてしまう。人の心はそれだけ強力だということだ……。鬼、付喪神、雑霊、雑鬼。どいつもこいつも、人がそこにいると信じたがゆえに生まれた妖怪たちじゃ」


 だからこそ……。と、靖明は扇子で口元を隠しながら言う。


 隠されたからこそ私には靖明の表情がよくわからないが、


 どういうわけか、三日月のように口の両端を吊り上げて、笑っているのがよく分かった。


「おぬしがこの街道で妖怪を騙り、旅人を襲えば襲うほど、人々はここに妖怪がいると信じ……そして妖怪を生み出すのだ」


 瞬間、森の奥地がザワリとざわめいたのが、私には感じられた。


「そして妖怪とはことさら……生みの親に執着する。今回は、その母体となったお主じゃろうな」


 だから、今度から妖怪を騙るのはやめなさい。と、靖明は笑って呟いた、


「もしも、小生らがおらんかったら……お主、自分の息子に食われておったぞ?」


 私の悪寒が頂点に達し、体がガタガタ震えはじめる。


 そして、なんとなく気配を察していたそれが森の奥から凄まじい速度で、私たちの前へと飛び出してきた。


 街道を封鎖する、四明取近い巨大な体躯を誇る蜘蛛。


 褐色の体毛に八本の丸太のような足。


 らんらんと輝く無数の複眼からの光は、すべて私をとらえていた。


「ひっ!?」


――殺されるッ!? 本能的にそれを悟った私は、必死に逃げようとして、体が疲れ切っていたのを失念してしまう。


 当然、四肢は動かず転ぶ。


 その間にも街道に飛び出してきた蜘蛛は、足を不気味に蠢かせ凄まじい速度で私に迫ってくる。


「あ………」


――死んだ。私がその蜘蛛の突撃を見て、本能的にそう確信した瞬間だった。


 純白の狩衣が、私の前に立ちふさがる。


「まぁ、小生らがおるからこそ、お主は今回助かるわけだがな。おぬしの息子に感謝しろよ?」


 おぬしの命を長らえさせる、一助になってくれるやもしれん。と、私を守るように立ちふさがってくれた靖明は、即座に空間に指を走らせ一喝。


「禁!」


 秘導縛呪……あとでそう言うのだと教えられたその陰陽の秘儀は、空間に走った靖明の指にそって、真円に囲まれた五つの頂点がある星を空間に作り出し、盾となる。


 瞬間、蜘蛛が私たちの近くに到達し、星に向かって激突した。


 森に激震と轟音が響き渡る。


 でも、靖明が作り出した星の盾は無傷。


 逆に、蜘蛛の顔の方がひしゃげて、悲惨なことになっていた。


「ギヂュアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 この世のものとは思えない悲鳴と共に、紫色の体液を頭からまき散らしながらもだえる蜘蛛に、私は戦慄を覚える。


「こ、これが……私の作り出したもの?」


「そうだ。体躯や行動から見て、さしずめ《土蜘蛛》といったところか?」


 ずいぶんと大物ができたものだ。と、靖明は不敵に笑いながら、星の盾に触れ、


「縛!」


 新たな指示を下す。


 瞬間、盾から真っ白な鎖が幾重にも重なって飛び出し、蜘蛛の四肢をとらえ拘束した。


 その鎖自体にもかなりの力が宿っているのか、鎖に巻きつかれた土蜘蛛の全身からは、真っ白な煙が吹きだし、土蜘蛛は再びもだえ苦しむ。


 靖明はそれを見て、


「かかかか!!」


 と、傲然と笑い、


「来光。出番だぞ?」


「了解だ!!」


 そういえば、目を覚ました時からいなかったな……。と、いまさら気づいた来光さんが、多分不意打ち狙いで隠れていたんだと思う、木の上から舞い降りてきた。


 手には、月光に反射する反りのある細い片刃剣。


 最近都の武官の間で流行っている《刀》という剣。


 それを落下する力を咥えて降り降し、


「断ち斬れっ!! 《鬼裁(おにだち)》!!」


 もだえ苦しむ蜘蛛を、真っ白な鎖ごと、真っ二つに引き裂いた。




…†…†…………†…†…




 土蜘蛛退治から二日ほど経過した。


 本日は生憎ながらの雨。


 靖明はそれを理由に「本日は日取りが悪いので物忌」といって出仕をずる休み。朝からノンビリ酒をカッくらって、爆睡していた。


 俺――賢者の石はそんなダメ家主に嘆息しながら、こちらも物忌と言い張り仕事をさぼったあげく、物忌ならば外出をしてはいけないくせに、俺宛に送られてくる、クサレ神謹製の銘酒を飲みに来ていた来光に話を振ってみる。


「結局、あの後、寄芽はどうなったんだ?」


「ほとぼりが冷めるまで、うちのところでしばらく下働きをしてもらうことになった。御咎めなんて言わせんよ。なぜなら、街道の妖怪(・・・・・)はきちんと首を持って退治したといったからな」


 そう。つまりはそういうこと。


 最近噂が広まりすぎたせいで、徐々に具現化しつつあったあの土蜘蛛を、靖明が霊力を流し込み完全に顕現させたのだ。


 それを寄芽の代わりに退治し、首を持っていくことによって街道の妖怪騒ぎは一件落着となった。


 無論、そこで本当に悪事を働いていた寄芽におとがめなど行くわけもなく、すべては土蜘蛛が変化して行ったことという、靖明の嘘八百――華麗なる道聴塗説で有耶無耶となった。


 さすがは清濁併せのむ陰陽の使い手と言ったところ。嘘をつくときに全く目が泳いでおらず、さも本当のことのように盛りに盛った化物退治の話を聞かせる靖明の姿は、ある意味感心してしまうほどだった。


 あげく、それを理由に陰陽部は陰陽寮へと勢力拡大。仕事の増加、人員補充に、術者教育のための機関まで立ち上げてしまうのだから……末恐ろしい奴。


 というかあいつ、こうなることわかっていてあの提案しやがったな?


「ほんと、今回は全部靖明の掌の上か」


「頼もしい所持者を持って賢気は幸せじゃないのか?」


「掃除すらできん奴を所持者と認めた覚えはない」


――いや、歴代の所持者で家事ができたのは、実は流刃だけだけどさ……。と、俺は、流刃以外は代々皇帝だった俺の所持者たちの顔を思い出し、なんといえない気分になる。


「それにしてもお前のところで下働きね……。お前の剣馬鹿がそのうち移るんじゃないのか? 女だてらにお前の役に立ちたいとか言い出して」


「ははは! まさかそんな。今回はさんざん寄芽を脅してしまったからな。恨まれこそすれ憧れるなんてことはないだろう! 役に立ちたいなんて……それこそ言わんだろう。あの娘は」


 そう言って、ケラケラ笑う来光だったが……彼は知らない。


 現在屋敷に残された彼女が、雨で暇している来光の部下たちに、


「私に剣の稽古をつけてくださいっ!!」


 と、土下座をしていることなど……。


「…………………………………」


――まぁ、命の恩って、結構な大恩だしな……。と、俺は一人のんきに笑っている来光をしり目に、遠視によって余すことなく見ることができたその光景に、そっと一つため息をつく。


 どうやら来光は、紀泉法師が死ぬ気で止めた、成片の悲願をかなえちゃう後継者だったらしいと……。よっ……この生きる光源氏(ロリコン)め。と、ちょっとだけ僻みが混じった思考をしながら。



 この時はさすがの俺も知らなかった。


 まさか彼女が 後に来光が率いる四天王の末席に、ちゃっかり名前を入れてしまうことを。


 武士に寄芽の名前は似合わないと、寄部末竹(よるべのすえたけ)と名乗る、剣技の達人になることなど……。


 俺達は、知らなかった。


寄部末竹(よるべのすえたけ)=日ノ本初の女武者と知られる武人。その剣技能では緻密かつ、流麗であったとされており、


「触れただけで切れる鋭い愛刀《百足丸(むかでまる)》の刃の上に、あえて和紙を斬らせないまま滑らせた」という逸話が残るほどの、刀の運用に長けた剣士であったらしい。


 種族はこの当時はほぼ絶滅したといわれていた蟲人。蜘蛛の蟲人であったらしく、瞳孔は真赤に輝く複眼であったといわれている。


 また、当時の女性としてあり得ないほど短い髪であったといわれているが、こちらは種族的に所持していた、《刺激毛》を有効活用するためであったのではないかと近年では指摘されている。


 蟲人差別の撤廃をやってのけた偉人としても知られており、彼女の没後、彼女をしたい集まった蟲人たちが作り上げた、《楽士楽座》所属の巨大(れぎおん)――《土蜘蛛》は、蟲人たちによって組織された組織であったが、《武士道》の基本概念を作った、人道的な傭兵集団として後世まで語り継がれた。

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