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明石閑話・最古の婚礼

 翌日。瑠訊様を一泡吹かせるために、狩りに出かけた私――夜海は一人……森の中を逃げていました。


 理由は簡単。


「グルゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 背後から、おぞましい咆哮を上げ、けたたましい木々を粉砕する音を響かせ、


 敵が……怪物が、私の後を追いかけてきていたからです。


「やだっ……。やだっ! やだっ!! やだっ!!」


 その時の私の脳裏からはもう、瑠訊様に対する復讐心など消えていました。


 ただただ足から力を奪いそうな、絶望的な恐怖と戦いながら、うつろに拒否の言葉をつぶやきます。


「し、死にたくないよぉ……」


 そんな私の願いを聞き届けてくれる人なんて、この場にはいませんでした。




…†…†…………†…†…




 なぜこんなことになったのかというと、時間はしばらく前にさかのぼります。


「うにゅ~。夜海~。やめようよ~。力云々以前に、瑠訊様や大風彦様みたいに、武術の鍛錬だってしてないでしょ? やめようよ~」


「うるさいですよ、否麻! ここまで来たら覚悟を決めてください!!」


 お昼。ごねる否麻をひきつれて、森に入った私はおそらくかなり鼻息荒く、森を切り裂き進んでいました。


 ですが、私だって一応賢者様から教えを受けて知恵をつけています。当然自分身一つで、狩りを成功させよう! などと無謀なことは考えてはいませんでした。当然です。今の私が貧弱なのは、誰よりも私自身が知っています。


でも、私たちには、忌まわしいですが、賢者様に与えられた肉体以外の強い武器があります。


 そう。知恵です。


「何も素手で獣を狩ろうと言っているわけではありません。瑠訊様と大風彦様から、狩りによく使う罠はないかと聞いておきました! これで獲物の捕獲体制は盤石です!!」


「え、でもそれって要するに二番煎じってことだよね? そんなんじゃどれだけ頑張っても瑠訊様には勝てないんじゃ……」


 否麻の意見は最も。当然私も、そんな生ぬるい策略程度で、瑠訊様に勝てるとは毛頭思っていません。


 ですがよくよく考えれば、その欠点は割とあっさり補うことができることに、わたしは気づきました。


「甘く見られては困りますね、否麻。当然そのくらいの欠点を、補てんする術は考えています。といっても、普段瑠訊様が狩られている狩場から……もっと離れた場所で狩りを行うだけですけど」


 そう。瑠訊様が普段動物を狩られている場所の大物は、もうすでに瑠訊様によって根こそぎ狩り取られているといっても過言ではありません。


 ですから今は動物たちの成長周期に合わせて、狩りの量を調節している云々と賢者様はおっしゃられていました。


 要するに、近隣の動物が大きくなるまで乱獲は控えているということでしょう。それでも食事が不足しないのは、ひとえに瑠訊様と賢者様が監修した、あの作物をつくる畑なるものが収穫期に入ったからでしょうね……。勉強して学びましたが、賢者様の生活計画は本当に無駄なく完成されています。そこだけは尊敬してもいいでしょう。


 ですが、その守りに入った狩りの裏の裏を読めば……瑠訊様の狩場の外になら、まだ大物は残っているかもということになるのですっ!!


「つまり瑠訊様は一定区画以外の動物は狩らないのです。どれだけそれが魅力的な獲物であっても、見逃している可能性があります! そこに私たちのつけ入る隙がある!!」


「いや、でも瑠訊様たちが決まった場所でしか活動しないのは、なれた場所以外での活動は、かなりの危険を伴うからって言ってたよ? 特に森は視界と足場が悪いから、きちんと地形を把握した後じゃないと、到底狩りなんて激しい動きはできないって……」


「そこは私たちに残る野生の勘でカバーです!」


「わぁい。一気に不安が残る感情論に移行したよこの人……」


 私生きて帰れるかな……。と、黄昏る否麻をしり目に、私は意気揚々と瑠訊様の活動範囲を出て、罠をいくつも仕掛けていきます。


「ふふふふふ! 待っていなさい、瑠訊様! 必ずあっと言わせて差し上げます!!」


 そして、私たちはひとまず拠点に戻り、昼食をとった後、早速罠に獲物がかかっていないかを、見にいったのです。




…†…†…………†…†…




 そして私たちは、もっとも瑠訊様たちの行動範囲から離れた森の奥地で、信じられない獲物がかかっているのを目撃しました。


「え……えっと……」


「こ、こんにちは……」


 それはまるで虎のような人でした。


 黄色と黒の縞模様に、吊り上ったおっかない瞳。その下にあるω←こんな口が、矢鱈と愛嬌を誘いますが、そこから覗く若干鋭さを見せる牙が、やや私たちの危機感をあおる……丸い耳と、しなやかにしなる尻尾をもった……筋肉質な(オス)の獣人。


「う、うにゅ……見た感じ虎の獣人かな?」


「い、言ってる場合ですか? なんかものすごいこっち見てるんですけど……」


 そう。罠にかかっているということは、その獣人は現在捕獲されているところでした。


 しかも何とも間の悪いことに、彼がかかったのはしなる枝と頑丈なツタを使った、上を歩いたものの足を拘束し吊り上げる、吊り上げ式の罠。


 つまり彼は現在、罠に使った木の枝によって逆さづりの憂き目にあっている状態で。


「グルゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


「「っ!?」」


 獣のような咆哮が私たちにぶつけられた。どうやら彼は相当お怒りのようだったようです。


「で、でもキッチリ拘束されているみたいですし……」


「そ、そうだね~。見た感じ知恵もあんまりないみたいだし……あの状態からの脱出はほぼ不可能」


 わたしと否麻がそんなことを言いながら、空元気交じりに笑顔を浮かべたときでした。


「ガウッ」


 軽い掛け声とともに、男が上半身を持ち上げ、手から生える鋭い爪を使い、あっさりと自分の足を拘束するツタを切断。地面に降り立ったのは。


「「…………………………………」」


「……グルルルルルル」


 氷結する私たち。不気味に笑う虎男。


 その時私の脳裏には信じられない可能性が浮かんでいました。


 この虎男が今まで逃げなかったのは、この罠を仕掛けた存在を待ち伏せして襲うつもりだったからではないか?


 もしかして罠に誘い込まれたのは、自分たちではないかと……そんな考え。


 そしてそれは、


「よ、よるみぃ……」


「わ、わかってます……。わかってますよ?」


 私たちを見て身を低くして、


「逃げますよ」


「グラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 襲い掛かってきた虎男の姿を見た瞬間、現実になりました。




…†…†…………†…†…




「はぁ、はぁ、はぁ!!」


 というわけで、私は地形もわからない、なれない森の中を必死になって逃げまわっているのです。


 否麻とはいつのまにかはぐれてしまい、現在は私一人。そんな私を追いかける虎男の足音は、着実にこちらに近づいてきています。


 ですが、


「はぁ――――――――!! はぁ―――――――――――――!!」


 ここにきて貧弱な私の体が足を引っ張りました。まるで海でおぼれたかのように、必死に空気を求める私。足はもうすでに棒のようになってしまい、一歩たりとも動かせません。


(あぁ……私ここで死ぬんだ)


 私はようやくそのことを悟りました。


 疲労困憊の体。近づいてくる虎男の気配。疲労で曇る思考。この状況で生き残る術など、私はもっていませんでした。


 そんな風に死を覚悟したからか、私の脳裏には人間になってからの生活が、思い出されていました。


 賢者様に人間にされ怯えていた私に、土下座して謝ってくれた瑠訊様。

 思った以上に貧弱になっていた自分の体に驚いて、情けなくて、泣いてしまった私を、慰めてくれた瑠訊様。

 媚を売るために畑仕事を手伝い、鍬を二、三回振っただけで動けなくなった私を、苦笑いしながら抱えて運んでくれた瑠訊様。

 狩りのついでに、森に連れて行ってくれて、いろんなものを見せてくれた瑠訊様。

 海に帰りたいとこぼした私を、大風彦様と共に浜辺へと連れて行ってくれた瑠訊様。

 薪を運ぶのを、笑いながら手伝ってくれた瑠訊様。

 ずっと反発する私を、笑ってみていてくれた……瑠訊様。


 こんな時になって、思い出すのは全部瑠訊様のことばかりでした。


 あぁ……こんなことなら、こんなことなら……。


「もっと素直に、瑠訊様に……お礼を言っておけば」


 後悔の言葉を漏らす私の背後には、もうすでに虎男がいました。もう私は助からないでしょう。だからせめて、末期の時ぐらい素直になりたかった。


「瑠訊様……私、ずっと素直になれなかったけど、本当はあなたのこと」


 大好きでした……。私が力なくそう漏らした瞬間、虎男の爪が私の体をとらえようとして、


「バカやろう!! そういう言葉は、俺の目の前で……笑って言えぇええええええええええ!!」


 怒号と共に、木々の間から飛び出してきた瑠訊様の剣が、振るわれかけた虎男の腕を斬り落としました。


「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 激痛に悲鳴を上げ、森の中へと逃げ込む虎男をしり目に、私を背中で庇うように立った瑠訊様を、私は信じられないものを見るような瞳で見つめます。


「うそ……どうしてここが?」


「ちょうど逃げてきた否麻が、狩の最中の俺に知らせてくれてな。暇つぶしに一緒に来ていた賢者の石に頼んで、お前の居場所を割り出してもらったんだよっ!」


「まったく無茶するな、夜海。森は危険だって言っただろ?」


 叱責とも、怒鳴り声とも取れる荒々しい瑠訊様と、呆れたような賢者様の言葉に、私は思わず小さくなります。


 今まで見たことがない瑠訊様が怒っている姿に、私は少し怯えていたのです。


 でも、


「あぁ、クソッ。無事でよかった……本当に、無事でよかった!!」


 泣きそうな声で瑠訊様がつぶやきをもらし、私の体を力強く抱きしめてくれたとき、


「うぁ……」


 私もとうとう限界が来て、人間の姿になってから得てしまった涙腺が、決壊してしまいました。


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい瑠訊さまぁ! 素直になれなくて、ずっと馬鹿ばかりやっちゃって……本当にごめんなさいぃ!!」


 泣きながら謝る私の頭を、瑠訊様は抱きしめながらずっと撫でてくれました。


 それがどうしようもなく嬉しくて、愛おしく……私はなかなか泣き止むことができませんでした。




…†…†…………†…†…




 夜海の危機から一週間がたった。時刻はお昼。


 俺――こと賢者の石は、何とも言えない微妙な顔をしている大風彦に抱えられ、めでたい宴の石に参列していた。


「まさかお前らが先をこされるとはな……。文字通り雷がごとき速さだった……。電撃結婚ってやつだ」


「で、電撃? まぁ、あの二人の態度を見れば、相思相愛なのは透けて見えてましたけどね……。夜海さんがなかなか素直になれないようでしたから、もう少しかかると思っていたんですが」


 さすが、だてに数年単位で恋愛を続けている男は違う。恋する人間の心はすっかり把握済みらしい。と、俺は大風彦の考察を黙って聞きいたあと、


「ほら。主役のご登場だ」


 今あるもの……紅葉し始めた木の葉や、大風彦が拾ってきた綺麗な貝殻で、目一杯おしゃれした夜海と、その隣に寄り添う俺監修の白い服と灰色の毛皮の上着によって、男らしさを上げた瑠訊とが寄り添いながら本家の家から出てくる。


 二人が目指す先には、二人の結婚を見届ける巫女としての否麻と、嬉しそうに兄を祝福する瑠偉の姿があった。


 そう。今日は二人の結婚式。


 俺の世界の古代の結婚式の結婚式をしてもよかったが、それでは面白みに欠けると近代式を採用した、俺プロデュースのめでたい席だ。


「えぇ~あなたたちは……なんだっけ? えっと、ふうふ? 夫婦になり……」


「今日からが抜けています、否麻さん」


「うぇぇ……だっていきなりこれ覚えろって言われても無理だよ……。え、えっと……」


 なんかもうすでに物覚えの悪い否麻のせいでグダグダだが……。後ろで瑠偉が頭を抱えていた。


「えぇい! もう、とにかく誓いのキスしちゃってください!!」


「「「うぉい!?」」」


 俺と大風彦。そして、今日の主役である瑠訊の抗議が重なり、「こいつ本当に巫女になれんのかっ!?」と、俺たち全員で心を一つに、割と真剣に否麻の将来を心配したときだった。


 こんなこともとっくに想定有済みだったのか、夜海は小さく苦笑いした後、


「旦那様」


「え、な!?」


 瑠訊の頬を両手ではさみ、自分の方を強制的にむかせ、有無を言わさずその唇を奪った。


 唖然とその光景を見つめる俺たちに、キスを終えた夜海は満面の笑みを浮かべ、


「えへへへ。ようやく、あなたをアッと言わせることができましたね」


「アッ……」


 思わずそう漏らしてしまった自分に、瑠訊はため息の後苦笑い。そして、


「さて、今日はめでたい席だ。存分に騒いでくれっ!!」


「「「「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」


 瑠訊の長としての号令に、俺たちは、俺が世界改変で今日のために作った酒と、それが入った木の杯を掲げ、自分たちの長の結婚を祝う。


 森に突如現れたあの虎男や、その他の問題もいろいろと浮上し始めてはいたが、


「まったく、俺たちに追い越されるとは何たる不出来。さっさと告白するなりなんなりしろって!」


「あ、明日頑張ります!!」


「うにゅ。大風彦様……なんだかわからないけど、明日もそれ言ってそうな、気がする」


「いいですか夜海姉さま? 夜が勝負です。夜をどれだけうまくこなせるかどうかによって、今後の夫婦生活が決まる……と、大陸の村のご近所さんが言っていました」


「つ、つまり……交尾がどれほどうまくできるかが重要だと?」


「……なんだかいきなり躓きそうで少し不安なんですけど」


 大風彦のへたれっぷりを罵る瑠訊や否麻。そのチームとは別にヒソヒソ怪しい会話をする、瑠偉と夜海。


 そんな彼らの姿を見て、俺は顔なんてないけど小さく笑う。


 きっとこれからも、こんな楽しい生活が続くと信じて……。




…†…†…………†…†…




 さて、これで終わると綺麗にまとまったのだろうが……。このお話には実は下世話な後日談がある。


 結婚式が終わった夜のことだった。


『イダダダダダダダダダダダダダダダダ!?』


「うにゅ!? な、なにっ!?」


「に、兄さんの悲鳴?」


 夜を切り裂き、突如響き渡った瑠訊の悲鳴に俺たちは飛び起きることとなった。


 慌てて本家を尋ねると、そこには歯型だらけの瑠訊と、俺たちの気配を察知して慌てて服を着たと思われる夜海の姿が。


 いったい何があったのかと俺――賢者の石が尋ねてみると、


「こ、交尾ってオスが噛みついて行うものだと思ったのに……瑠訊がいつまでたっても触ってくるだけで噛みつかないから……。こ、これは私が主導しないと、瑠偉様がいうような、ちゃんとした夫婦になれないと思って……」


「「「「…………」」」」


 俺たち4人は無言になり、生暖かい目で歯形をさする瑠訊を見た後、黙って本家をあとにした。


 ちなみに鮫の交尾とは、雄が雌の体が自分の体から離れないよう、食らいついて行われる生傷だらけの凄惨な物らしい。それを覚えていた夜海の本能が、瑠偉の余計な助言によって暴走したのだろう。


 翌日。昨夜見たときよりもさらに、キスマークならぬ歯形を増やしていた瑠訊に、夜海の身体能力を下げていたことを、物凄く感謝された。


「で、でも、案外甘噛みが気持ちよくて……。もう癖に」


 その後、聞きたくもない、惚気交じりの夫婦の情事を吐きかけたので、俺は黙って土人形を作り出し、瑠訊をたたきつぶしたが。


瑠訊に嫁ができました……リア充爆裂しろ。


 そして主人公の賢者の石にはいまだにヒロインが……。まぁ、石だから仕方ないんだけどもっ!!


 誰かヒロインになってくれる奴いないかな……。

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[気になる点] ~「そこは私たちに残る野生の勘でカバーです!」 ~「わぁい。一気に不安が残る感情論に移行したよこの人……」 根性論かな? ~俺の世界の古代の結婚式の結婚式をしてもよかったが、 結婚式…
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