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冠務の乱

 幻想空間から帰ってきた俺――賢者の石を待っていたのは、女房からの信じられない報告だった。


「う……そだろ?」


「っ!!」


 呆然自失とした状態で呟きを漏らす俺に対し、冠務の反応は早かった。


「天華っ!!」


 最愛の娘の訃報を、信じたくなかった冠務は、俺を引っ掴みそのまま私室を飛び出す。


 その彼の願いが痛いほどわかったから、俺も彼に落ち着けと言うことはできなかった。


 というか、俺も混乱していた。


――よりにもよって、どうして……どうして自愛が天華を殺す必要があったッ!?


 今の人生(?)でも、以前生きていた人生でも、相手を殺してしまうほどの、狂った愛を見せる存在など、俺は出会ったことがなかったから、この時の俺は自愛の気持ちが全く分からなかった。


――万一フラれたと思ったのだとしても、殺すなんてことには普通ならないだろ……。俺は本気でそう思っていた。


 平和な人生の積み重ねがあったから、そんな思考をする人間がいるなんて信じられなかった。


 痴情のもつれで殺人なんて、物語の中ではよくある話だが、現実世界で起こるなんて思っていなかった。


――きっと、何かの見間違えだ……。そうだ、誰かが自愛の迫真の演技に騙されたに違いない……。


 何故そんなことをする必要があるのかとか、冷静な判断はできなかった。


 ただ俺は、そんな悲劇は起こっていないと必死に自分に言い聞かせながら、それが現実になるよう祈っている。


 その時、


 俺たちの前に、真っ黒な姿をした何かが立ちふさがり、




…†…†…………†…†…




「ケケケケケ! 父上様は本当にいい温床だった! まさか俺が体を得られるまで力を食らえるとは……。あの絶望は最高だったぜっ!!」


 鬼――慙愧は不気味な笑い声をあげながら、宮中を駆け回る。


 異形の存在が疾走する姿に、官吏たちは悲鳴を上げ、あるものは腰を抜かす。


 そんな彼らを睨みつけながら、慙愧は吟味を行う。


 次の自分の食糧にふさわしい、深い絶望を味わっている存在を探して。


 そして、


「見つけたっ!」


 どこかへ向かって走っている、一人の男に視線を定めた。


 あれほど乱れた感情。あふれ出る強い霊力……。


 その男は確か、自分がこっそり寝ている自愛の体を操り、密告の手紙を出したこの国の王。


 あの男の絶望を食らえば、自分はさらに強くなれるに違いないっ! そう踏んだ慙愧は、狂笑を上げながら、男――冠務に取りつこうととびかかり、


「うせろ、雑霊。テメェの悪さに付き合っている余裕はねぇ!」


 彼に握られた小さな赤い石から発せられた霊力によって、瞬時に体の下半分を消し飛ばされた。


「……あ?」


 何が起こったのか理解できなかったのか、慙愧は小さな声をあげた後、きょとんとした顔で床にたたきつけられ、体の大部分が消えてしまったため、存在を維持できずに消滅してしまう。


 彼は考え違いをしていた。


 いくら力をつけたところで、妖怪は神にはかなわない。少なくともたった一人の人間の感情を食らっただけでは……。


 だからこそ彼は、実体化など選ばず、先ほどまで自愛にしていたように、人の心に深く取りつき、神々の目をごまかす選択をするべきだった。


 見えてしまい、目立ってしまえば、悪しき霊の存在を守護の役割を負う神が許すわけもなく、異常な事態に気が立っていたがゆえに、手加減なしで放たれた賢者の石の霊力につぶされた。


 こうして慙愧はその命を終え、穢れた魂は圏獄へと送られる。


 誰の歯牙にもかけられないまま、名前すら残せず、この最悪の結末を描き出した元凶は、この世界から退場した。




…†…†…………†…†…




 そして、俺たちは最悪の結末に到達した。


「………………………」


 地面に夥しい血を流し、池をつくる、穏やかな死に顔の天華と、


「あぁ、賢気様……お待ちしておりました」


 疲れ切った顔で、必死に笑顔を浮かべる自愛のもとへと。


「……………………………………………………うそだろ? 嘘だって言ってくれよ、自愛。いったい、いったい何がっ!」


 それでも俺はまだ現実が信じられなかった。


 こんな悲劇が起こっていいわけがない。


 だって、だって……ずっとうまくいっていたじゃないか! と、心の声が悲鳴を上げる。


――戦争もあったけど、別れもあったけど……でも俺の目が届く範囲では、誰もが幸せに笑って暮らせていたはずだ。この国は、そういう国だったはずだ……それが、どうしてっ!!


 トラウマが刺激される。


 すべてが失敗した兎嵐の記憶が。ここで抉りだされる。


 だが、俺が本格的に壊れる前に、


「き、きさまぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


「っ!?」


 俺を握っていた冠務が俺を手放したことにより、俺は何とか正気に戻る。


 そして、いつのまにか持っていた天剣を構え、一直線に自愛に向かって疾走する冠務の前に、


「ばかっ! まだ、なんかの間違いかもしれねぇだろうがっ!!」


 とりあえず殺しはまずいと。そこだけは冷静に判断できた俺は、慌てて冠務の前に障壁を展開。


 なんとか、天剣の一撃を防ぐことに成功した。


 火花が飛び散り、甲高い音が響き渡る。


「止めるな……賢気ィイイイイイイイイイイイイイ!!」


 もはや敬称すらつけられない。それでも俺は、


「お前を正しく導くのが仕事だっ!」


「正しい? ふざけるなっ!! 娘を殺され、黙っているのが……正しい生きざまだとでもいうのかっ!!」


「何か事情があったかもしれないといっている! 神皇なら罪人に対しては常に冷静に、慎重に対応しないとっ!!」


 怒り狂う冠務を必死に説得しようとする俺。


 だが、そんな時間は冠務にも、俺にも……そして、自愛にもなかったのだろう。


「私がやりました」


「「っ!」」


 怒り狂う冠務の怒号と、混乱の極みにありながらも、冷静さを取り繕えた俺の説得の言葉を切り裂き、自愛が告白する。


「全部、私が悪かった……。捨てられたと思ったから……私は天華を殺しました」


「ちがう……やめろ。そんな言葉が聞きたいんじゃない」


 きっと何か悪いモノのせいなんだろ? お前はそれに操られただけなんだろう? 俺はただ、そう言ってほしかっただけなのに。


「彼女を殺したこの短刀は、私が言霊で作り出しました。彼女の魂をとらえ、私の血の流れに封印する」


 だが、そんな俺の願いなど聞き届けられるわけもなく、自愛は天華に突き刺さった短刀を引き抜き、掲げる。


 血潮が怪しく短刀を彩っている。


「彼女の魂は私の血族――狐獣人の中に封印され、私の魂の接近を感知し解放される。それまでは、彼女には永遠に転生できないという、苦しみを味わってもらう予定でした。そして、今生での行いに十分反省した来世でこそ、彼女と結ばれようと……私は考えていました」


 バカなことをしたものです……。全部タダの勘違いだったのに……。と、自愛は呟く。


「違うだろ……。お前はそんな奴じゃないだろっ!!」


 俺の必死の呼びかけに、自愛はただ笑い、


「すいません……こんな、バカな結末しか作れなかった、不出来な生徒で」


 涙を流した。


「私はもういい。死んで圏獄に行き、幾億幾千の年月、責め苦を受ける覚悟がある。だから、賢気様……最後にすべて押しつけてしまって申し訳ありませんが。どうか彼女を、救ってください」


 最後にそう言い残すと、自愛は手に持った短刀を逆手に構え、


「私はもう……疲れてしまいました」


 自らの喉を、その短刀で掻き切った。




…†…†…………†…†…




 血しぶきが辺り一帯に飛び散る。


 俺の思考は今度こそ停止した。


 そして、


「あ、あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 怒りをぶつける相手すら失い、娘の敵を討つことすらかなわず、


 冠務は……発狂する。


「許さん、許さん! 許さんぞっ!! 自愛め……あの裏切り者めっ!! 娘を……死してなお苦しめるとぬかすのかっ!!」


「お、落ち着け……落ち着くんだ」


 取り返しのつかないことになりつつある。俺はそれを悟っているにもかかわらず、情けない声音で、先ほどの言葉を繰り返すことしかできない。


 それははたして、冠務に向かって言っていた言葉だったのか、それとも思考が停止した自分に言っていたのか……今となってはそれすら疑問で。


「黙れっ!! 無能な石ころがぁ!」


「っ!!」


 冠務が最後にはいたその言葉が、俺の心にとどめを刺す。


 完全に何も言えなくなった俺の眼前では、冠務の中から姿を現した、巨大な瘴気を纏う、鱗をはやした三本角の鬼神が立ち上がる。


 鬼。俺の世界の日本ではもっとも有名であった悪の権化。


 人の心がそれだけ成熟し、闇を抱えるようになった証であるそれが、最悪のタイミングで、最悪の人物から作り出された。


 その巨大な腕が俺を拾い、握りしめる。


 抵抗をする気力は、もう俺にはない。


 なぜか? 決まっている……。神だなんだの言って持て囃されて、最近は平和だったからと油断していた俺はまた、


「もはや貴様の言葉は信じぬ……。余は、余の力で天華を助けるっ!!」


 また失敗したのだと……自覚していたから。


 最後にみたのは、俺をあざ笑う鬼の顔。


 俺はその鬼が放つ霊力を無抵抗のまま受入れ、そのまま100年の封印を、俺は鬼に施されることとなる。


 時代はめぐり、悲劇は続く。


 怒り狂い、心に鬼を宿した冠務は、『狐祓い勅令』を発令。


 天華の魂を救う為、現在国中にいる狐獣人たちをしらみつぶしに殺し始めた。


 突如の神皇の乱心に、狐獣人たちは慌てふためいたものの、何とか生き残った勢力を集結。


 万年稲穂の平原へと逃げ込み、守護神・金矢穂群女の加護のもと徹底抗戦をとることを決意。


 それにより、狐獣人と朝廷は血みどろの戦いを演じることとなる。のちにこの戦乱は《冠務の乱》と呼ばれ、安条始まって以来の大内乱となった。


 多くの戦死者を出しながら、戦いは激化、泥沼化。その状況が、少しでも朝廷側が有利になるようにと、冠務は、『狐獣人は凶兆である』と民間に流布し、狐獣人たちを徹底的に排斥した。


 のちの世に日ノ本三大悪法と罵られる《狐祓い勅令》によっておこった動乱は50年の歳月をもって終結することとなるが……俺はその間、身動き一つ取らなかった。


 もう、何かをしようとする気概さえ……俺はへし折られてしまっていた。


 俺にはもう……何もできない。


 何も……変えられない。


*冠務の乱=日ノ本三大悪法《狐払い勅令》によっておこった、狐獣人排斥に端を発する内乱。


 主戦場は万稲原(まいはら)とされており、その地域には今でも膨大な数の慰霊碑や、怨霊鎮魂のための寺が立ち並んでいる。


 主な原因は、鬼神(おにがみ)一言主に取りつかれた冠務の発狂であるとされているが、さらにさかのぼるならば日ノ本随一の悲劇であるとされる、《大罪狐の変》があげられるだろう。


 のちの世でもこの二つの事件は、多くの人々に知られ、歌舞伎や狂言となり、語り継がれることとなる。

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