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「さてと……行くか」


「はい、賢気様」


 早朝。まだ一番鳥が鳴き出す前に起きた俺――賢者の石は、眠気で目をこする神祇官に頼み込み、自愛の邸宅向けて出発した。


 空の明るさはまだ薄明。下界はまだまだ暗い時間だ。そんな中、冠務に気取られぬようお忍びとして自愛の邸宅を尋ねるおれたちは、明かりも持たずに都を歩く。


 普通なら多少足元が危ないが、神祇官には暗視の神術をかけているので問題ないだろう。


「それにしても、なんでこんな早朝に? わたしもうちょっと寝ときたいんですが……」


「いや。なんか嫌な予感がしてな……」


 俺は神祇官にそう言いながら、明け方に感じた嫌な気配を思い出す。


 石になってから幾星霜。いちおう睡眠はとれるらしい俺の体は、生前と同じく一度寝たらなかなか起きない性質だった。そんな俺が、早朝に思わず目覚めるほどの悪寒が、俺の体に走ったのだ。


――何かよからぬことが起きている。国を揺るがす大事件が起きる予兆か?


 それを感じた俺は、ひとまず高草原に注意するよう連絡を入れ、国の要である冠務と、後継の片胤、斎宮となる天華の護衛にいくつかの神の権能を当ててもらい、俺は自愛の方へと顔を出すことにしたのだ。


――一応あいつのことも冠務は息子のようにかわいがっているからな……。何かあったら、多少の無理は通してでも復讐に走るかもしれん。と、俺はそう考えていた。


 だが、


「正体が結局わからんかったんだよな……」


 日ノ本王朝はすでにこの国の支配者として盤石な体制を築き上げている。おそらく、国内でこの王朝に害成そうとする存在はゼロに近いはずだ。


 だとするなら、恐らく海外からの侵略攻撃。それも、こちらの神格たちの目を欺けることから、それ相応の霊格を持つ神格からの攻撃だと思えるのだが……。


――董の方は今落ち着いた政治体制がとれているみたいだし、侵略を考えることはない。北マリューヒルの方はちょっとした政変が起こっているみたいで、結界が張られて詳しくは分からんが……とにかくこっちに気を向ける余裕はないだろう。


 日ノ本と関係を持ったことがある二大大国の存在が、俺の脳裏から除外され、他の外国はこちらの国の存在すら知らない状況。


 海外からの侵攻という線は、これで限りなく薄くなってしまう。


「じゃぁ、いったい何が起きるっていうんだ……」


――未来予知でも持っていたらなぁ……。と、割と真剣にそう思う俺に対し、「心配のし過ぎでは?」と神祇官があくびをしながらこぼす。


「だといいんだが……」


 ほんと、勘違いが一番結末としてはありがたいんだけどな。と、俺が笑った時だった、


「ん?」


「どうした?」


 神祇官が驚いたような声をあげ、歩みを止める。


「あれは……」


「っ!?」


 そこには、自愛の邸宅を物々しい装備で固めた検非違使の集団がいた。


「どういうことですか? 成片様ならわかりますが、自分たちの上司である自愛様を検非違使がとらえようとするなんて」


「……まさか!」


 嫌な予感が当たった。そのことを察した俺は、慌ててその検非違使たちに駆け寄るよう神祇官に指示を出そうとして、


「突入!」


 一歩おそかった。


 ひっそりとした、しかし俺にはしっかりと聞こえた、検非違使の指揮官と思われる男の声と共に、門を抑えていた検非違使たちが、霊力を纏った蹴撃を門に叩き込む。


 轟音と共に閂がはじけ飛び、門は大きく開いた。


 それと同時になだれ込む検非違使たちに、邸宅の使用人たちの悲鳴が響き渡る。


「いそげっ!」


「言われなくともっ!!」


 俺の指示を聞いた神祇官も、ことが悠長に構えていられる事態ではないと悟ったのか、慌てた様子で神術を発動し加速。即座に門をくぐり、邸宅をあら捜しする検非違使たちの姿を、俺に提供してくれた。


「くっ! どこに行かれたのだ」


「まさか、われわれの動きを察知して……」


「バカなっ! 陛下がこの密命を出されたのはついさっきだぞっ!」


 そんな言葉を交わしながら、館中をひっくり返す検非違使たちの姿に、俺はひとまず安どの息を漏らす。


 どうやら、幸いなことに、自愛は今でかけているらしい。ひとまずあいつの安全は確保されたことになる。


 だからこそ、俺は大きく息を吸い込み、


「何してんだ、お前らぁあああああああああああああ!!」


『っ!?』


 怯える使用人たちをしり目に、いまだに家探しを止めようとしないバカどもを一喝した。




…†…†…………†…†…




 そんな光景を、自愛は物陰に隠れながらひっそりとみていた。


「やはり……そうなのですね。天華様」


 あなたは私を裏切られたのですね……。そうつぶやいた彼は、身をひるがえし闇の中へと消える。


 その背中には、もう黒い影はいなかった。




…†…†…………†…†…




「ふざけやがって! 誰だ、密告しやがったのはっ!!」


 神様権限で検非違使たちを抑え込み、事情を聴いた俺は、検非違使たちに「万が一自愛に危害を加えてみろ。最高神の祟りが都を襲うと、他のこの作戦に加担した連中に徹底させろ」と、くぎを刺した後、内裏へと向かい、その中を神祇官に運んでもらっていた。


 事態はいたって単純明快。手紙による誰かの密告によって、冠務が自愛と天華の関係に気付いた。


 だから冠務は、自愛をとらえることにしたのだ。育ての親を裏切り、自分の最も大切な宝物に触れた、愚か者の首を切り落とすために。


――気づくのが早くてよかった。俺は、内心でそう安堵の息を漏らしながら、視線を先へと向ける。


 目指す場所は神皇の居室。


 冠務が検非違使たちに事態の首尾を聞くために待ち構えている場所だ。


「っ!? なにもの!?」


「陛下はまだお休み中ですっ!!」


 途中、使用人の女房や小間使い達が俺たちを阻もうとしてきたが、「俺は賢気朱巌命だ」の一言で黙らせ、俺たちは一直線に冠務のもとへと急ぐ。


 そして、


「ん? 検非違使か? 首尾はどうだ」


 部屋の前に誰かが立った気配を感じ取ったのか、中から聞こえる冷然とした冠務の声が俺に聞こえる。


 その声音から、冠務が今相当怒っていることが分かったのだが、


「どうします、賢気様」


「かまわん。お前は妙なとばっちりを受けないように、外で待機していろ」


「はっ」


 俺は、それでもためらいなく、神祇官に冠務の部屋の扉を開けさせ、


「なっ!?」


 俺の突然の登場に驚く冠務に向かい、


「よぉ。くそ餓鬼。いつかはきっと悟るだろうと……人の親なら分別くらいつくだろうと思っていたが、もういい。若宮たちとの約束を破ることになるが……貴様には、あいつらと俺の説教が必要だと判断した」


 目がない俺であったが、睨みつけられたのははっきりと分かったのか、驚きに歪んでいた冠務の顔が、確かに引きつる。


「さて、お前を若宮たちの時代にご招待しよう。それを見て、いまのテメェの行いを、しっかり反省するといい!」


 その言葉と共に、俺は神術を発動。俺ごと冠務を幻想空間に放り込み、俺の記憶の中へと連れて行く。


 さかのぼる時代は若宮の時代。


 親によって、愛する相手から引き離された二人の物語――《竹姫物語》の、追体験だ。




…†…†…………†…†…




「結界が……」


 普段は分かるものにしかわからない程度の、濃度しかもたない内裏を覆う守護結界。


 それが今は、しっかり視認可能なほどの色を持って、自愛のもとに立ちふさがる。


 この時自愛は、その結界が、賢者の石が凶兆を感じ、それを日ノ本神群に知らせたが故にはられた、神皇家を守るものだということを知らなかった。


 決して、自愛を拒むためにはられたのではないと、知らなかった。


 だから自愛は、


「先手を打ったのですか……。私をここまで拒絶されるのですか?」


「かまうこたぁない。入りな」


 そんな景色に、自愛が絶望しかける中、彼の心の底から声が響き渡ってくる。


「だが、この結界は害意を察知して敵をはじく。今の私が触れたところで……」


「いったはずだ。かまうな。入れ」


「………………………」


 奥底からの変わらぬ指示に、わずかに疑わしげな顔をした自愛だったが、それでも自分にはもうこうするしかないのだからと、心の奥の声に従う。


 一歩。結界の中に踏み入れる。


 あっさり、入ることができた。


「? なぜ?」


「神ってのは強力だ。人が逆立ちしたって勝てる相手じゃねぇ。だが、その強大すぎる力故に、奴らはある弱点を抱えている。矮小な悪意を気にかけていられないんだよ、あいつらは」


 人が、わざわざ歩く際に、地べたをはいずる虫たちを気にかけないように、


 神はその莫大な力の容量ゆえに、小さすぎる力に気付かない。心の声はそう言った。


「だからこそ、俺のような生まれたての《■■》には気づかないし、気づけない。俺も極力、お前の悪意を抑えるようにしたからな。全部お前があの女から聞いた知識だぜ?」


「そうか。そんなこともあったな」


 懐かしい思い出にわずかに微笑みを浮かべながら、自愛は一歩内裏の中へ足を踏み入れる。


 そのほほえみは、普段の穏やかさを表に出しながら、どこか暗い影を落としていた。




…†…†…………†…†…




「……ひどい顔」


 鏡の中に映る、泣きくれて過ごした自分の顔を見て、私――天華は思わずため息をつく。


 そして、


「情けない私……」


 そんな暗く落ち込みきった自分の顔を見て、今度は皮肉げな笑みが浮かんできた。


――なんで、いままで、自愛にふさわしいのは私だけ……なんて、バカな夢を見てきたんだろう。本当なら、もっと最初に気付くべきだったのに……。


 わたしなんかよりもずっとすごい女の人はいる。と、天華は呟く。


 わたしなんかよりもずっと、自愛にふさわしい人がいる。


 そんなこと、あの人がモテはじめたころから、わかりきっていたことなのに。


 醜く嫉妬して、幼馴染という立場を盾に自愛に迫って……。


「本当に自愛を愛しているなら、私なんて危ない橋を渡らせない方がいいに決まっている。私以上にふさわしい女の人と、自愛が結婚できるように計らって、婚儀の時におめでとうって言ってあげた方が……自愛はきっと幸せになれたのに」


――少なくとも、いつお父様にわたしたちの関係がばれるのかと、怯えて暮らす必要はなかった。あの人に、毎日お父様にばれないように、苦労を強いることもなかった。


 一晩考えて、それがよく分かった私は、ため息をつき両頬を叩く。


「会いに行こう……」


 そう覚悟を決めた。


「あって、しっかり言おう。もう、無理しなくていいって……。私なんかに付き合う必要はないから、小町さんと幸せになってって」


――それが、ずっと自愛を苦しませた、私の最後の罪滅ぼしです。


 覚悟を決め、立ち上がった私は、そのまま私室の扉を開き、


「あっ! ひ、姫様っ!!」


「ん? どうしたのです? 赤染(あかぞめ)


 何やら慌てふためいた様子でやってきた女房に、首をかしげる。彼女は、私の協力者で、私のもとを何度も訪れてくれた自愛を、この館に引き入れる手引きをしてくれた人です。


 赤染めはよほど急いできたのか、息を切らせながら、途絶え途絶えでも言葉を紡いでいく。


「い、いま……知り合いの検非違使さまから、連絡があって……み、帝が……自愛様をとらえよと命令をっ!! 姫様と自愛様の関係が、ばれてしまったのですっ!」


 瞬間、私の体は勝手に動いていた。


 寝巻に使う薄い着物一枚のまま、私は内裏を駆けだす。


 とうぜん、その行いはとてもはしたなく、すれ違う早起きの女房たちが、ぎょっとした様子で私を見てくるが、気にしていられない。


「じ、あい……自愛っ!!」


 最愛の人の命が奪われるかもしれない。


 先ほどまでの覚悟など忘れて、私はただ彼の無事祈り、一人内裏の入り口を目指す。




…†…†…………†…†…




 この時のことを、いまだに日ノ本神群はこう語る。


――あれは手痛い失敗だった。まさかたった一人の人間が、あのような化生に化けるとは思っていなかった。


――時流が生んだ神ならざる神――(やみ)が、われわれの喉笛に食らいついたのだ。


 だが、そんな未来の後悔も、今はけっして届くことなく、


「さぁ、先へ……」


「あぁ、先へ」


 自愛をとどめようとした武官たちを、微塵に切り裂いたそれ(・・)は、自らの矮小さを利用し神の目を欺き、


 最高神に愛された男の体を使い、深く……深く、この国に災厄の芽をはびこらせるために奥へと進んでいく。


 そのうち、その存在は真っ黒な闇からどんどんくっきりとしていく。


 角が生えた、自愛へとその姿は変わっていく。


「お前の名前の通りに生きろ……」


「自分の愛を貫けって言いたいのですか?」


 言われるまでもない。そう答える自分の生みの親に、角を持つ自愛は凶悪に笑いかける。


 のちの大陰陽師・綾部靖明(あべのせいめい)は、人の妄念から生み出され、それを食らって生きる、この化生をこう呼んだ。


《鬼》と。


*鬼=地獄の鬼神、疫病の神などをモデルにしたといわれる日本の固有精霊種=妖怪の元祖。


 基本的な発生原理は、人の思想の影響を受けやすい日ノ本にいた精霊種が、人々の感情の変貌を受け、変質したのだといわれている。


 現代では固有の肉体を得て活動ができる彼らだが、彼らが生まれた当初は人のはげしい感情を喰らって生きていかねば、生存が不可能な矮小な雑霊だったといわれる。


 なぜ安条中期になってから、精霊が、このような悪質な精霊種が変貌したのかという疑問には諸説あるが、一番有力なのは『文化の成熟が進み、人の感情は原始の時代と比べると複雑になった。その複雑な感情を持て余した人々が、その感情を整理するために体の外に出そうとして、精霊に押し付けてしまった。その果てに生まれたのが、この種族である』という、民俗学の権威松田久仁男(まつだくにお)学説。


 ただ、そんな矮小な雑霊の中にも例外は居たらしく、古く生き多くの感情を喰らってきた鬼は時に強大な力を持って顕現し、人々に災いをもたらした。


 迎得山(おおえやま)の《酔天童子(すいてんどうじ)》しかり、冠務神皇が発狂の果てに生み出した《一言主(いちげんしゅ)》しかり、羅針門の《首狩り童子》しかり。


 そういった強力な鬼は、暴れやすいよう肉体を持ち、災いをなし人を喰らう怪物であった。


 また、最古の鬼は六歌仙のひとり《大罪狐》と呼ばれる鹿自愛が生み出した《慙愧(ざんき)》と呼ばれる鬼だったという話があるが、直後に狐獣人虐殺の混乱が起こったため、正確な資料は残されていない。

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