悲劇の始まり
「なぁ、きっとなんかの間違いだって。今からでも遅くないから、いこうぜ自愛の邸宅に。冠務だって『幼馴染に挨拶させたいんだけど』って俺が言ったら『かまわんよ。自愛とは仲が良かったからな』って言って、許可くれたじゃないか」
「ほ、ほっといてください……」
自愛が小町に告白されているシーンがよほどショックだったのか、明日の昼には、盛大に祝われ出発だというのに、天華は自身の寝所にグッタリ倒れ込んでいた。
俺――賢者の石は、そんな彼女を何とか説得して、余計な擦れ違いをしないようにと気にかけてやっているのだが、傷ついた乙女の心はなかなか治ってはくれないようで……。
「小町さんへの事実確認だって、できていないんでしょ……賢気様。きっと私に後ろめたいことがあるんですよ」
「いや、あっちはあっちで大変だからだと思うぞ。成片がとうとう検非違使にパクられたらしくて、六歌仙総がかりで弁護しているんだとか……。内裏で凄い話題になってた」
――女遊びのし過ぎが祟ったなあ……。まぁ、俺としてはざまぁみろ以外の感想は思い浮かばないんだけど。と、俺は内心考えながら、とりあえず現状六歌仙の面々はあてにならないとため息をつく。
それに、念話通信は確かに便利な術式だが、これに使われる念というものはほとんど囁きに近いもので、他のことで忙しく、念に集中している余裕のない人間には届かない。
小町が返事を返せないのも、後ろめたいことがあるからではなく、成片の弁護にかかりきりになっているからだろう。無論、ショックを受けてそれどころではないであろう、自愛にも念話は通じないわけで。
だからこそ、俺は天華に直接足を運び、自愛に話をするように言い聞かせているのだが……。
「それに、もし……勘違いだったとしても、私考えちゃったんです。私は本当に、あの人を10年待たせる価値がある女なのかって……」
「それは」
「あの人の隣には、小町さんっていう凄く博識な人も……名だたる貴族の令嬢も、たくさんいる。昔からあの人は、たくさんの、私なんか足元にも及ばない女の人たちに好かれていた……。その中で、私を選んでくれたのはうれしかったけど……こんな、嫉妬ばかりで、心根の醜い私は、あの人の隣にふさわしくないんじゃないかって……あの人の隣に立って、笑っている小町さんを見て。思ってしまった」
こんな情けない私……こんな醜い私は、あの人に見せられない……。
そういって、ますます深く落ち込んでいく天華に、俺はこれ以上の進展が望めないのを悟る。
恋の病は、プラスにもマイナスにも働く。今回はマイナスへ……。嫉妬心が強い彼女が、そんな自分の心を正しく理解しているがゆえに、彼女自身が、本気で愛している男を、なお信じられない自分に罰を与えてしまった。
こうなると、周りが何と言って慰めようと、効果はない。自分に対する罰なのだ。自分が自分に与える罰なのだ。他人がどうこう言ったところで、自分で折り合いをつけない限りは、決してこの考えがぬぐわれることはない。
唯一、そんな彼女を救える存在がいるとするなら、それは問題の当事者の一人である、自愛だけだが、
「あいつもあいつで、今は天華を気遣ってやれる余裕はないだろうしな……」
――仕方がない。岩守にまたおせっかいって、からかわれるかもしれんけど、明日朝一で、神祇官にあいつの邸宅へと連れて行ってもらうか。
と、俺は明日の予定を立てつつ、「明日も早い。今は眠って、その嫌な感情を極力忘れておけ」と、天華に言い残しその場から巫女に連れ出してもらうことしかできなかった。
俺は今でもこの時のことを後悔している。
なんでこの時、俺は時間を惜しんで自愛に会いに行かなかったのか。
深夜だから、流石に迷惑。なんて考えずに、一分一秒でも早く、二人の不安を解消してやるべきだったのに、俺は明日でも間に合うと先延ばしにしてしまった。
未来予知ができたなら、俺はこんな判断は絶対取らなかっただろうに……。
だが、失敗はいくら悔やんでも失敗のままだ。
そして、言い訳もさせてほしい。まさかあの二人があんなことになるなんて、俺は考えてもいなかったんだ。
誰よりも仲睦まじく、俺が身近で見てきた、誰の大恋愛とも遜色なく、あの二人は愛し合っていた。
それがまさかあんなことになるなんて、この時なら誰だって予想できるわけがなかった。
だが、言い訳しても過去は変わらないし、これから起こることも変わらない。
だから翌朝――すべてが激変する朝が、誰のもとにも平等にやってきてしまった。
…†…†…………†…†…
私――自愛は夢を見ている。
いや、夢だと信じたい光景を見ていた。
目の前で繰り広げられる花嫁行列。
無数の家財や、家具をひっさげ、長い行列をつくるその集団は、ひとりの女性をとある貴族のもとへと送るためのものだった。
私は、それを呆然と見つめる。
今より年を取った私は、疲れ切った顔でそれをみつめる。
なぜかって? それは、
「いやぁ、見事な行列だな」
「流石は天華内親王様の嫁入り行列。冠務陛下も気合を入れられた」
「……………………………………」
私の知らない男のもとへと嫁ぐ、天華の花嫁行列だった。
暗転。景色が変わる。
「なぜ!? 何故ですっ!」
そこで私は第三者だった。
泣きながら天華に縋り付く私を、いつもはこちらが心配するほど無防備に見せてくれる素顔を、扇子でキッチリ隠しながら、天華は不気味な笑い声をあげる。
そんな光景を俯瞰するように眺めている。
「なぜ? 何故ですって? ただの幼馴染というだけの、零細貴族であるあなたに、なぜそのような問いかけをされねばならぬのです?」
「だ、だって……約束。約束をしたではありませんかっ!」
「……ねぇ、自愛。お互い大人になったのです。いいかげん分別をつけるべきでしょう?」
必死に、縋る私の耳元までかがみ、天華はひっそりと私に囁く。
「遊びと、本気の恋愛の区別ぐらい……つけておくべきだと思うでしょう?」
「っ!!」
絶望の絶叫を上げる私を、私は乾いた瞳で見つめる。
それでも、あなたを愛していると、嘲笑いながら去っていく、彼女に必死に呼びかける私を。
暗転。また景色が変わる。
私は、処刑台にいた。
「私を裏切り、天華内親王に手を出した罪、許し難し」
私の傍らには、怒りに燃えた瞳を私に向ける冠務陛下。
私はそれを呆然と見つめながら、正面に座り顔を隠した天華を見つめる。
表情は、決してうかがえない。
「死ねい、身の程をわきまえぬ愚か者が」
その言葉と共に、私の首に向かって天剣が振り下ろされる。
そして、私が首に激痛を感じた瞬間、扇子のすきまからわずかに天華の顔が覗く。
厄介者が消えたと、そう言わんばかりのホッとした笑みが、天華の顔に浮かんでいた。
…†…†…………†…†…
――何故だ? 私は心の底でそう自問自答した。
――なぜ私を裏切る? 何故私の手の届かないところに行く!
私の声は、どんどんどんどん大きくなり、最後には狂ったような絶叫に変わる。
――疎ましいならそう言ってくれればよかった。恋が枯れたのならそう言ってくれればよかった。ならば私は黙ってあなたを諦めたのに。笑って所詮身分の違う恋だと諦めたのに……一度期待させておいて、この仕打ちはなんだ!
でも、そんな怨嗟の声の中でも、この思いだけは決して消えない。
――あぁ、でも私はあなたを愛している。
――あなた以外を見つめることなど、愛することなどわたしはできない。
弱りきった細々とした声。情けなくも、揺れる声。
怒りの声にかき消されかねないそんな弱々しい声に、救いの手が差し伸べられた。
――素晴らしい愛じゃないか。
――その思いは遂げるべき価値がある。
何かが私に囁いた。その時、私の傍らに、一本の白刃が落ちる。
――さぁ。それをとれ。
――それによって一度現世の縁を斬り、魂の縁をつなぎなおすのだ。
現世の縁を切る? 内心で首をかしげる私に、それは小さく笑ってその背中を押す。
「あぁ。この世で手に入らぬのなら、いっそ来世に期待するしかあるまい。ならば、これ以上辛い裏切りに会う前に、さっさと縁を未来につなげ」
今度ははっきりと聞こえた。
いつのまにか私には体がある。
真っ黒な空間にたたずむ私は、必死にあたりを見廻し、その声のもとを探した。
「だれだ! 一体お前は誰なんだっ!!」
「だれ? これは否ことを聞く」
そして、私が背後を振り返った時、それは闇の中から姿を現した。
額から一本の角をはやした、
「お前は俺で、俺はお前だ」
私自身の姿となって。
…†…†…………†…†…
そして、私は目を覚まし、
「………………」
枕元に置いてあった白刃きらめく短刀を、ためらうことなく手に取った。
…†…†…………†…†…
明朝。
まだ誰もが眠るその時間に、娘が斎宮として威世に行くということで、私――冠務は嘆きの深さのあまり目を覚ましてしまっていた。
――早く起きすぎたな。
我ながら、子離れができない情けない親だと、私は自分をあざ笑う。
いいかげん鬱陶しがられますよ、父上。いい機会じゃないですか。これを機に子離れを。を、昨日片胤に言われた言葉が胸に突き刺さって抜けない。
「神もそう思われたから、天華を斎宮にと望まれたのだろうか」
――だとするなら、私は少し周りが見えていなかったのかもな。と、いまさらながらそんなことを考え、私はため息を漏らす。
天華が斎宮の務めを果たし、帰ってくるのは10年後。その間に天華は、結婚適齢期を逃すこととなる。
女としての幸せの芽を、自分が今まで摘み取ってしまったばかりに、天華にはいばらの道を歩ませることとなる。
それが今は残念でならない。
――あぁ。こんなことなら、
「あいつの縁談の一つでも、持って行ってあげればよかった……」
私がそうつぶやいた瞬間、私は自分の傍らに一枚の紙が置かれていることに気付いた。
乱雑に置かれているところから、風にでも運ばれたのだろうか?
なんだこれは、と私が思わずその紙を手に取り、目を通すと、
「なっ!?」
どういうわけか、私の内心は、憤怒一色に染められた。
さきほどの後悔などまるでなかったかのように、私はある一人の男の激怒を覚える。
手紙からはいずり出てきた黒い闇が、私の右腕に巻きついたことなど気づかずに……。
「おのれ、自愛め……裏切っておったかっ!!」
そこには、私が息子同然に可愛がっておった自愛と、娘の天華の姦通の様子が事細かに書かれていた。
…†…†…………†…†…
誰にも平等に、誰かにたくまれたかのように、
悲劇が、その幕を上げた。




