恋ひ恋ひて
夜。草木も眠る丑三つ時……というわけではなく、ソコソコ早い時間。時間にして午後七時と言ったところでしょうか?
内裏内には無数の提灯が吊るされ、貴族たちが夜を彩る蛍を楽しんでいます。
そう。本日は夏に関連がある神々を奉る《夏至祭事》。
蛍を楽しみ飲んで、歌い、日ごろの仕事の疲れをいやす、お祭りの開催日です。
「やぁ、楽しんでいるかい、天華」
「まぁ、楽しくはあるのですが……お兄様」
私――天華はそんな光景を、明るい建物の中から眺めながら、ため息を一つ。
「この十二単だけはどうにかなりませんか?」
20記路近い布の塊に押しつぶされて、ぶー垂れていました。
今回は内輪の祭りですので、そう着飾ったりしなくていいですよ~。なんて、女官に言われて渡されたそれ。
私としてはだったら私服の小袿か、細長の服にしてよと抗議したくなったんだけど、さすがに神皇家の姫が、公の行事であるこの祭りで、そこまで手抜きするのはまずいということもわかっていたので、黙って着ましたとも。
えぇ。不満なんてなに一つ漏らしませんでしたよ? 着たときは。
「綺麗だよ?」
「えぇ、そうでしょうね。そんな布きれ数枚だけしか着ない男性に、この服のつらさは分からないんですよ。それとも一度着てみますか、兄様?」
「お洒落は楽しては成らずだよ、妹よ。君はもうちょっとそれを着て私室から出るべきだ。書物が恋人みたいな生活なんてしないでさ。そすればその着物も苦じゃなくなる」
「勘弁してください。私は神術さえ弄っていられればそれで満足なんですよ……」
と、青い顔をして首を振る私に、兄様――今年元服された片胤親王は、頬のあたりに一枚だけはえた鱗を動かしながら、苦笑いを浮かべた。
「ほんと、天華は神皇家の中でも変り種だな~。僕と父様はそれも可愛いって思えるからいいけど、このままじゃ嫁の貰い手なくなっちゃうよ」
「いいんですよ。そうなったら私は局にでも入って、兄様の小姑でもしますから。あら、○○さん。ここの掃除がまだですわよっ! って」
「流石にそれはやめてほしいかな……」
神皇家に生まれる人間の特徴としてよくあげられる、美男美女という特性を遺憾なく受け継いだ兄様は、クククと肩を震わせながら、ちょっとツボったのか端正な顔に笑顔を浮かべる。
そして、兄様は少しの間辺りを見回した後、ある一点で視線を止める。
「それにしても、まだ自愛くんとは仲直りしていないのかい?」
「うっ……」
そう言われて私が、兄様の視線の後を追うと、そこには、
「自愛様! こちらのお料理など如何ですか?」
「自愛様ぁ~。蛍、こちらにたくさんいますわよ!」
「自愛様! 今日も凛々しいお姿ですわ」
「え、えっと……」
相も変わらず女の子に囲まれ、モッテモテな私の幼馴染が、苦笑いしながら立っていて。
「…………………………」
「天華。怒っているのは分かるけど、とりあえず扇子曲げるのはやめようか? 折れちゃうよ?」
「はっ!?」
いつのまにか私の手の中でみしみしいっていた扇子に気付き、私は慌てて力を緩める。
そんな私の姿にため息をついたあと、兄様は、
「まぁ、彼が君以外の女の子に馴れ馴れしくされるのが気にくわないっていうのは……感情的には分かるけどさ」
「ち、違いますっ! だれがあんな軽薄な男っ! 私は若宮おじい様みたいな、質実剛健で筋骨隆々とした男の方が好きなんですっ!」
「それはそれで将来が不安になる趣味だとは思うけど……」
貴族にそんな男何人もいないよ……。と、兄様は嘆息交じりにつぶやいて、
「まぁ、君が心からそう言うなら、僕がとやかく言うことじゃないだろうけどさ……」
素直になれていないだけなら、すぐにでもそんな態度はやめることをお勧めするよ。と、兄様は最後に私の頭を撫でて去って行った。
私はそんな兄様の背中を見送り、ほんの少しだけ頬を膨らませる……。
「そんなこと……言われなくてもわかっていますよ」
このままじゃダメだってことくらい、私が一番痛感しているんですから……。と、私自身への不満を秘めて、私は小さくつぶやいた。
…†…†…………†…†…
「これでいいんですか? 賢気様」
「あぁ。ありがとう片胤あとはこっちの印象操作で、適当にロマンチックな場所をだな……」
「あちらの方はうまくいっているので?」
「断冥尾龍毘売があいつの取り巻きの子女たちに紛れ込んでいるから、多分うまく誘導してくれると思うが……」
「あとは頃合いを見計らうしかありませんね」
…†…†…………†…†…
私――自愛は、二つの視線を感じていた。
一つは相変わらず私のことを気にくわなさそうな顔で見ている天華様。
そして、もう一つは、
「どうだ自愛! 気に入った女の子はいたかな?」
「陛下……」
ニヤニヤした顔でこちらに話しかけてきた、冠務陛下だ。
「いいえ。どの方も私にはもったいないくらい素晴らしいお方。私などが選ぶなどということをしていいわけがありませんから」
「なぁに、気にするなっ! 我が神皇家は代々恋愛結婚だ!! 早くに亡くしてしまった我が妻とも、それはそれは素晴らしい恋物語の果てに結婚したのだし……お前も身分など気にせず、好きな女を選んでもいいのだぞ?」
ニッコニコ笑う陛下は、どうやら相当飲んでおられるらしい。
いつもよりも機嫌がよかった。でも、この人はこう言っているのだが、その酔いと機嫌の良さを一撃で吹き飛ばす言葉があるのを、私は知っている。
「あ、あの……陛下。たとえばの話なのですが」
「ん? なんだ?」
「私が妻に天華様を望んだ場合は、どうなりますか?」
相も変わらずあの信念だけは変わらないのだろうか? 私がそう思い、確かめるために問いかけたその言葉に、陛下は笑顔で首をかしげる。
――あ、よかった……。さすがに誰とも結婚させないなんて妄言をいつまでも言い続ける人じゃなかったか。と、私はその態度からそう判断しかけたのですが、
「なんだ自愛。それならそうと初めから言ってくれよ! ははははは! 命がいらないならさ」
いつのまにか私の首筋に天剣があてられていた。
どっとあふれ出る冷や汗。私の視界には満面の笑みを浮かべながら、目が全く笑っていない陛下の顔が映っている。
「い、いや……ですからたとえばの話で」
「ん? あぁ、何だ。すまんな、自愛……危うく大切な養子を殺してしまうところだった」
危ない危ない。と、天剣を穏やかな笑顔になって治めてくれる陛下の姿に、私の心臓は早鐘のように鼓動を打ち続ける。
この人……今本気で私を殺す気だった!!
「まぁ、確かに……天華ももうそろそろ結婚を考えなければならん歳ではあるのだが……まだまだ私の手元に置いておきたくてなぁ」
「そ、そうですか……。まぁ、陛下も片胤真王もご壮健ですし、そう焦ることでもないでしょう」
「おぉ! 良いこと言うな、自愛は! そうだな! いざとなれば余の側室として一生面倒を見る覚悟もあるしなっ!」
「いや、さすがにそれはどうかと……」
形だけとはいえ、さすがに娘を嫁にしたなんて、風聞が悪いどころの騒ぎではないので、さすがの私も止めておく。
そして、
「まぁ、急ぐこともありますまい。天華様ほどの美しさなら、多少人より結婚が遅くとも、妻にと望む人は引く手あまたでしょうから。もうしばし、陛下のもとに置いておかれても何ら問題はないかと」
すらすらと……天華様を嫁に行かせないための言葉を紡ぎだす自分に、嫌気がさす。
結局私もこの人と同じ……自分のことだけ考えて、天華様のことなど全く考えていないただのバカなのだと、自覚してしまうから。
今の貴族の子女にとっては結婚こそが人生の最終目標だというのに、私は天華様にそこに至ってほしくないのだ……。
そんな浅ましい考えを、心の奥底で抱いている自分が、私は心底嫌いだった。
…†…†…………†…†…
「すこし、酔ってしまいましたね」
「まぁ、大丈夫ですか自愛様っ!」
「さぁ、さぁ……あちらの腰掛の方にお座りになって!」
あれから数分の時が流れ、私は貴族の令嬢の方々から差し出されるお酒を飲みすぎて、少し酔ってしまっていた。
さすがのそれを聞いた令嬢の方々は、私に気を使ってくれて、私が疲れているだろうと、腰掛に案内した後は静かに離れて行ってくれた。
この祭りが始まって、初めて一人になれた時間。
先ほどまでの喧騒とは違う、落ち着いた周囲の空気に、私はため息をつきながら、空を舞う蛍を見上げる。
風景はこんなに美しいのに、私の心には蛍ほどの光も灯らない。
能面のように笑顔を浮かべて、私に求愛してくる令嬢たちをいなし続ける日々。
子供心に恋い焦がれた、天華様の夫になるために、誰よりも早く出世して、偉くなろうと頑張った検非違使の仕事。
でも、
「結局私では……あの高嶺に手を伸ばすことすら許されない」
さきほどの陛下のわずかに狂気をはらんだ瞳を思い出し、私は一つ、ため息を漏らす。
なにより、私自身、陛下を裏切ることはできない。
陛下は私の育ての親であり、大恩のある人だ。仕え、恩を返さねばならぬ人だ……。その人を裏切るなんて、私にはできない。
「やはり、天華様にはどこかの有力な貴族と結ばれてもらった方がいい。そのほうが都の為にも、天華様の為にもいいんだ」
少なくとも、こんな半端な、貴族の端にひっかかっているような男じゃ……。と、私が思った時、
「あら? 自愛様っ!」
「っ!?」
突然声をかけられてしまい、私は柄にもなく驚き、顔を跳ね上げた。
「こんなところで座っているなんてもったいないですわよ?」
「え? い、いえ。ほんの少し酔いが回ってしまって……」
きっとさっきの取り巻きの誰かだ。そう思い、私は必死に名前を思い出そうとするのですが、目の前の女性のことだけはどういうわけか頭に霧がかかったかのようにはっきりせず、思い出せませんでした。
――まずいな……。忘れたなんてことになったら、とっても失礼なことになる。
私は必死に記憶の戸棚をひっくり返し、彼女の情報についてさぐるのですが、そのすべてが空回り。手ごたえなどみじんも感じられません。
そんな風に私が焦っているのをしり目に、彼女は私の手を取って、
「まぁ! そうでしたの? でしたら、もっといい休憩場所を知っていますわ。さぁ、こちらに」
「え、ちょ……まっ!!」
貴族の令嬢らしくない強引さで、女性は私の手をぐいぐい引っ張っていきます。
私がそれに目を白黒させているうちに、景色はどんどんと変わり、辺りは人がいた場所とは比べ物にならないほどの蛍が見ることができますが、それしか光源がない、穏やかな川へと変わっていました。
「じゃ、ごゆっくり~」
「あ、ちょ!」
そして、私の手をはなし、どことも知れぬ場所に去っていく貴族令嬢に、私は抗議の声をあげようとしたのですが、彼女の姿は瞬く間に遠ざかり、もう声が届かないところにいて、
「って、はやっ!?」
なんなんですか一体……。と、私の身に起った珍妙な事態に、私は思わずそう漏らした。
その時でした。
「はぁ……わかっているんですよ、兄様。素直にならないといけないことくらい」
「っ!!」
私の耳に聞こえてきた声は、
「でも、仕方ないじゃないですが……。あいつの顔を見ると、素直になんて絶対なれない……」
私が慌てて茂みの中に隠れ、そっと顔をのぞかせると、
「はぁ。ほんと、どうすればいいというのです」
そこには、川の上を舞い踊る蛍を眺めながら、彼らに愚痴を聞いてもらっている天華様の姿がありました。
「いっそ、歌にでものせていえば素直になれるのでしょうか?」
天華様はそう漏らすと、ポツリポツリと言葉を考えながら、一つの歌を紡ぎだす、
「っ……!!」
私はその歌に息をのむ。
『来い来いと、願い続けてきてくれないなら、せめて出会ったときくらい、優しい言葉をかけてくれ』
と、懇願する歌に、息をのむ。
それは、いったい誰に向かって言っているのですか。と。
その答えはすぐに出た、
「いつまで身分などとくだらないことを言っている気ですか……。私の隣は、いつだってあなたしかいないのに」
そんな彼女のつぶやきに、思わず呼吸を止め、
「あぁ……くそっ」
せっかく押さえていた思いの箍が、外れてしまう音がした。
勝手なことを。私がどれだけあなたを思っているのか、あなたは知らないくせに。
あなたのために私がどのような思いで、あなたと距離をとったのか知らないくせに!!
だから私はその歌を読む。
『私は私が嫌いだ。だからあなたにも嫌ってほしい。せめてその心だけでも、あなたと共にありたいから』
そんな思いを込めた歌を。
「えっ?」
突然聞こえたその歌に、天華様は振り向き、いつのまにか佇んでいた私を見つけて目を見開く。
――あぁ。おわった……。変なところ盗み聞きしたってまた怒られる。
私が正気に戻り、委縮する中、天華様は目を吊り上げ私のもとに歩いて生きて、
「私にあなたを嫌えですって?」
「嫌いだといっておられたじゃございませんか」
「言葉のあやです。幼馴染なら気づきなさい」
「無茶をおっしゃる……。私は神ではないのです。人の心は読めません」
「そう。では言葉を尽くして私を愛しているというべきでした。他の女のご機嫌取りなんてしないで」
「今の言葉では足りないのですか?」
「足りません。全然足りませんっ!!」
そう言った後、天華様はわたしに抱きつき、胸に顔をうずめられた。
「私と気持ちを共有したいのなら、嫌いあうことではなく、愛し合うことで共有しなさいっ! 今までできなかった気持ちの共有を、万言を持って表しなさい! あなたは大作家の孫でしょう!!」
そういって、泣きくれる天華様を抱きしめながら、私は何度も謝罪する。
そして、覚悟を決めた。
自愛――その名の通り、私はこの愛のために、すべてを犠牲にし、すべてを顧みず、すべてを賭ける覚悟を決める。
自分の愛を貫くために、命すら賭ける覚悟を決める。
たとえこの身が裏切りで薄汚れようとも、陛下の憎しみを一身に受けようとも……私はこの人を、諦めることができない。
幾百もの蛍に見守られながら、私はようやく、自分の気持ちに正直になれた。
大伴坂上郎女「盗作! 盗作ですわっ!」
藤原俊成「許し難し!!」
作者「だだだ、大丈夫! 著作権法的にはセーフ! セーフだよっ!! まさか、大昔の和歌の著作権どっかの団体がとったりしてないよねっ!?」
という、脳内会話があったかどうかは皆さんのご想像にお任せします。
平安らしく和歌入れようと思ったのですが、自作和歌とか無理でした。
元ネタは上記の二人となります。




