素直になれない関係
子供の成長っていうのは早いものだ。
俺――賢者の石は、目の前で文机に書を広げ、本来なら自慢げに垂らしておかなければならない長い黒髪を、鬱陶しいからという理由で、櫛でまとめて、アップにしている眼鏡をかけた少女――天華内親王を見てそう思う。
「ついこないだの誘拐騒ぎまでは、こんなちっさいガキだったのに」
「もう三年も前の話ですよ」
彼女の部屋に遊びに来て、その成長具合に驚く俺に、ひとまず書から視線を上げた天華は、ここ数年で随分と上品になった言葉遣いでしゃべった後、苦笑いして眼鏡を上げる。
この眼鏡、度がはいっていない伊達眼鏡なのだが、別に何も効果がないというわけではない。
最近都の術者が作った神術がかけられた道具で、一度学んだ知識を思い出しやすくしてくれる、《思い出し眼鏡》なる神術具。
珍しいモノ好きの天華に、冠務がよくお土産として、こうした魔法道具ならぬ神術具をもらっては与えているのだ。
「それにしても、最近はずいぶんと道具の革新が早いこと早いこと……」
「勝手に墨を補充してくれる筆に、油なしでも火が消えない行燈……都も随分と便利になりました」
神々の加護がなくなり、大部分のことを自分たちでやらなければならなくなったが故の発展だろうか? 最近都では、こういった神の権能によって賄っていた行為を、神術を込めた道具でやろうという考えが流行り、こういった神術具が発達しだしていた。
悪いことじゃない。物事が便利になって、人の生活が豊かになるのはいいことだ。それも、神という第三者を介在したわけではない、自分たち人間の力で。
だが、
「まだまだ、失敗作は多いけどな……」
「いいじゃないですか。面白い失敗もあって」
そう言って俺が呆れたように視線を横にずらすと、そこには硯一杯の墨を吐きだし続け、もうそろそろ硯から墨を溢れさせそうにしている筆と、俺が作り上げた結界の中で、火力調整ができずちょっとした火炎放射器のように炎を噴出し続ける行燈があった……。
もう捨てろよ、と俺は思うわけなのだが、父親にもらったこれらの道具に愛着があるのか、天華はホケホケ笑って捨てようとはしない。
というか、
「むしろこれ失敗の原因を調べた方が面白いんですよっ! 墨の術式はうまく応用すれば、渇水の村に水を作り出すことができるかもしれませんし、行燈の火力だって、行燈には高すぎるってだけで、鍛冶屋や料理士たちに使わせてみれば、もっと活躍の場が……」
と、目をキラキラ輝かせながら、文机に広げていた書――《神術全覧》という、いま理解されている神術の基礎理論の書をバンバン叩きながら、神術具の術式を解明していた彼女は熱弁をふるう。
その姿はさながら……。
「立派な神術オタクになっちゃってまぁ……」
どこで育て方間違えたんだろう。と、到底この歳の少女が話すべきではない、学者ランクが語りそうな神術理論の考察を展開する天華に、俺は内心頬を引きつらせる。
別に女が勉強するなだなんて、前時代的なことは……いやまぁ、この世界では今は前時代なんだろうけど……とにかく、魂と感覚は現代人の俺はそんなことを言うつもりはないけど、
「もうちょっと、年頃の娘らしい話題の一つでも持ってほしいと思うのは、俺の贅沢なのかね~」
健全? に育っちゃいるんだけと、なんというか色気が足りんのよ……。と、彼女が将来、汚い白衣を着て嬉々として研究に埋没する女学者になる気がして仕方がない俺は、思わずため息をつく。
――ほんと、餓鬼の頃は、嫁に行き遅れる心配だけはしていなかったんだけどな。
と、俺が思った瞬間だった、
「きゃ――!! 自愛様ァアアアアアアアア!!」
「――っ」
「あ」
内裏の入口の方から聞こえてくる、女官たちの黄色い声を耳ざとく聞きつけ、天華の顔から一気に表情が消え、部屋の温度が氷点下まで下がる。
そして、彼女はスクッと立ち上がった後、すたすたと自分の部屋のドアを開け、ちょうど目の前を通りかかったその青年を睨みつけた。
「あ、天華……様」
「っ」
ギリッと、近くにいる俺に歯ぎしりの音が聞こえる。
それはその青年にも聞こえたのか、青年は困ったように笑顔を浮かべ、
「あのすいません。天華様が、話があるようですので……」
「え~。そんな!」
「せっかくお近づきになれましたのにっ!」
「つれないですわ、自愛様っ!」
キャッキャキャッキャとはしゃぎ、自分の周りを固めるウサ耳やネコ耳をつけた、年若い女官たちに、離れるようにお願いする、狐耳と尻尾を動かした、弓を背中に背負い、腰に剣を佩いた、最年少検非違使の少年――自愛。
当然、かつての幼馴染のそんなわが世の春と言わんばかりの光景を見て、天華の機嫌はさらに悪化し、
「べ、べつに一緒でも構いませんわ、自愛様」
「……あーあ」
顔をひきつらせながら、嫌味たっぷりにそんな言葉を自愛にぶつけてしまう。
「えぇ、べつに。確かに私たちは幼馴染ですし、昔はソコソコ仲が良かったですけど、今は言うほど仲がいいわけではありませんし、あなたがどんな女の子を手籠めにしようが知ったことではありませんっ!!」
『おい、やめろ……やめろ、天華。どうせまたあとで落ちこむんだから、抑えろって』
慌てて俺は天華に念話を飛ばし忠告するのだが、あいにくと頭に血が上って彼女には聞こえないのか、天華はさらに罵倒を続ける。
「ですが、ここは貴き神皇家が住む大内裏。あまり下品にはしゃがれるのもどうかと思いますわ、自愛さま! おかげで私の読書の手も止まってしまいました」
「も、申し訳ありません……。今後はこのようなことがないよう、気を付けます」
彼女の怒りに触れ、身を縮こまらせながら、いつのまにか戻った敬語を駆使し謝罪をする自愛。
そんな彼の姿に、女官たちはかわいそうにといわんばかりの顔を向け、天華にわずかばかりの抗議の視線を向ける。
その視線にちょっとだけ天華が気圧された瞬間、
「私などのような下賤な輩が話しかけてはいけない、高嶺の花の機嫌を損ねてしまうなど……申し訳ございません」
「――っ!!」
幼いころには感じることがなかった、断崖のような巨大な壁を感じる自愛の言葉に、天華の怒りは頂点に達し、近くにあった墨を生み出し続ける筆を、彼に投げつけた。
それは彼の額に当たり、その端正に育った顔を黒く汚す。
それを見て女官たちは悲鳴を上げ、天華は後には引けないといわんばかりの怒号を上げた、
「出ていきなさいっ! 二度と私の前に、その嫌らしくニヤケた顔を見せるなっ!!」
そういって、ぴしゃりとと扉を閉めた後、天華はずるずるとその扉にもたれかかるように座り込み、女官たちに手洗い場に連れて行かれた自愛の気配が遠ざかるのを確認した後、
「うぅ……賢気様。またやっちゃった……」
「だからやめろって言っただろうに……」
「だ、だって、私以外の女にあんなニヤケた顔っ!!」
「別ににやけてなかっただろう」
寧ろお前に怒られて困りきってたよ……。と言う俺のフォローも、嫉妬を覚えた、恋する乙女には通じないらしく、
「いいえ、絶対ニヤケてたっ!! 口元もほんの少し上がってたし、眉の間だって情けなく離れてたっ!! お、おまけにあんな近くに女の子侍らせてっ……絶対胸とか腰とかいやらしく触る算段だったっ!!」
「確実にお前の気のせいだよ、それ……」
そう。現在彼女は、まだ元服前なのに、武芸と神術の腕を見込まれ、いつのまにか官職まで得ていた、出世街道驀進中のモテモテ幼馴染の姿に――ツンデレ少女化進行中だった。
…†…†…………†…†…
「どうしたもんかねぇ……」
「私たちの時にはそんな困んなかったのになっ!」
「あぁ。僕らは相思相愛だったからねッ!」
「お前らの場合は恋愛なんて語っている暇もない、血なまぐさい関係から始まったんだろうが……」
社に戻った俺は、そのあと巫女に頼んで神皇の私室のさらに奥にある大きな部屋――三種の神器が収められている、皇祖神室を訪れていた。
現在そこにいるのは、主神の息子であり皇祖神の筆頭である大和高降尊と、その嫁・断冥尾龍毘売。
流刃達は、神と人間の在り方が変わったことにより、神界そのものの構造が変貌してしまったため、その構造の変貌に神々を適用させるため働いている。その仕事が忙しいのか、最近ではめったに顔を出さなくなってしまい、この部屋に詰めている神はもっぱらこの二柱になった。
「にしても、こんなことで頭悩ませることになるとはな……。ガキの頃はこのまま仲良く育ってくれて、ちゃっかり子供作って結婚しちゃうなんて未来を予測していたのに」
「まぁ、それはそれで問題ありますけどね……」
「冠務ちゃんが天華ちゃんを猫かわいがりしているからね~。万が一デキ婚なんて事態になったら、冗談抜きで血の雨が降るわね……」
と、皇祖神二人組は苦笑いをしながら、天華がもうそろそろ元服だというのに、いまだにデレッデレな冠務の顔を思い出す。
「なんというか……あれ冗談じゃねぇの? 娘は絶対結婚させん!! どこのバカ親父も一度は言う冗談だろ? 普通の親御さんならありえんだろう」
今の時代、良い旦那に恵まれ愛されるのは女の夢だ。最終目標だ。それを姫とはいえ全面的に禁止する馬鹿親がいてたまるか。
「神皇家だからその無茶も通せるんじゃない?」
「この前見ていたんだけど、天華ちゃんにこっそり恋文だそうとした貴族の青年がいまして……。いい笑顔した冠務君につかまって、後日島流しの辞令が出たのを見ましたよ」
「それは止めろよっ!?」
なんてこった。優秀な神皇だと思っていたのに、とんでもないところで心の闇抱えてやがったよっ!?
「いや~。だって、あんな親のすねかじっているだけのただの貴族のボンボンに、天華ちゃんはやれなかったんで」
「そうね。あんな奴は論外よ」
「お前らもお前らで大概だなっ!!」
呆れきった俺のツッコミの声の肩をすくめながらも、二柱は一応俺が主題にしている問題を真剣に考えてくれていたのか、話をひとまず戻してくる。
「とにかく、あの二人の仲をそろそろ修繕しないといけないというのは、私としても賛成です」
「もうそろそろ元服だしね。自愛くんならぜんぜん問題ないから、今のうちに唾付けさせておかないと……。最近自愛くんやたらともてるから、他の娘が横入りしそうだし」
「でも、天華はともかく自愛があいつのことどう思っているかわからないんだよな……。会うたびに迷惑そうな顔しているし、もしかしたら本気であいつのこと嫌いになったのかも」
俺がそう言いながら、人間の心っていうのは複雑怪奇だよな……。と、元人間としては割と人ダメな言葉をついもらしてしまう。
だが、
「いや、それはないでしょう?」
「えぇ。それだけは確約しておきます。今でも自愛くんは、天華ちゃんのことを大事に思っていますよ?」
「ん?」
なんでそんなことわかるんだ。と、俺が疑問を口にする前に、二人の背後にあった天瞳鏡が、ある景色を映し出し始め、
『はぁ……また、天華を怒らせてしまいましたね』
と、ひとりため息をつく自愛が映し出され。
『まぁ、これでいいんですよね……。もとより身分違いの関係。成長し、分別がつけば、嫌でも別れなければならないとお互い自覚する』
相手は神皇家の娘。自分は大貴族とは名ばかりの、親の保護すらない孤児。自愛はそう言って苦笑いをし、
『冠務陛下のおかげで私は貴族として生きられる……。だから、あの方の大切な娘さんを、下賤な思いで穢すわけにはいかない』
これでいいんだ……。誰に聞かせるわけでもない、小さな小さな少年のつぶやき。
俺は、それを天瞳鏡で眺めながら、涙ぐみながらその光景を見つめる二柱に向かって一言。
「なぁお前ら……盗撮盗聴って知っている?」
「なぁに、神様が下界の人間の様子を見るのはむしろ当然の義務じゃないかしら?」
「多少下世話なシーンを選り好みしていますが、どっちにしろ、助けるにはきちんとその対象のことを知らなければなりませんしね……。必要悪ですよ。必要悪」
いけしゃあしゃあとそんなことを言って開き直る龍毘売と大和に、俺は盛大にため息をついたあと、
「まぁ、そのおかげであいつの本当の気持ちがわかったんだから……。良しとするか」
――助けていいんだ。と、小さく笑う。
「さてお前ら、神様のお仕事だ。仕事内容は……身分違いの恋で苦しむ二人をくっつけようぜ大作戦!!」
「昔は身分なんてガン無視して、自由に恋も結婚もできたんだけどね……」
「面倒な世の中になってしまいました……」
二柱はそんなことばをグチグチ漏らしながらも、俺の言葉ににやりと笑い、額を突き合わせる。
久々に神様らしいことができることに、俺もこいつらもはしゃいでいるのだ。
なかなかシリアスにならないなぁ……。




