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幼い日々

「都の様子を見たい?」


「うん!」


 私――天華は、賢気様に作ってもらった、幼馴染・自愛の尻尾を梳くための、ぶらしなる櫛の亜種をぶんぶん振り回しながら、にっこりと笑った。


 今日は一世一代のわがままを聞いてもらうんだから、できるだけ愛想良くしておかないとね!


「だって、私賢気様からいろんなお話は聞いているけど、実際都を見たことはないし……」


「それは、天華様は……」


「敬語禁止!」


「うっ……。て、天華は」


 よしよし。と、私は素直に言い直した自愛の尻尾を撫でまわす。自愛はそれを、顔を真っ赤にしながらむずがゆそうな顔をして受けていたけど、それでも私のお目付け役という仕事は忘れなかったのか、わずかに渋い色を宿した声で言葉を続けていた。


「一応この国のお姫様……内親王だからね。いちおうお兄様の片胤親王(ひらたねしんおう)陛下がおられるって言っても、片胤陛下に万が一があれば、次に神皇様になるのは天華なわけだし、大事にされているんだよ」


 でも、甘いわね自愛。そんな言葉、私はとっくの昔に予想していたわ! だからこそ、きちんと、その理論に対する対抗論は用意済みよっ!!


「だったらなおのこと、都の様子は見ておかないといけないって私は思うのっ!」


「……その心は?」


 まだ食い下がるの? と、言わんばかりの、面倒くさそうな自愛を無視して、私は練りに練った理論を展開!


「だって、神皇になるっていうことは我が日ノ本の民を守り、導くっていうことでしょ? その守るべき対象を碌に知らないままなんて、神皇失格だと私は思うわけ。それこそ神皇になった時に支障が出るわ!! もしかしたら、何も知らないってことで邪な臣下に、良いように扱われるかもしれないし!! 断冥尾龍毘売様みたいに!!」


――決まったぁあああああああああ!! 論破確定っ!! ありがとう賢気様の裏歴史授業!! すべて私の血と肉となっています!!


 と、後日賢気様に「あんま断冥尾龍毘売の黒歴史抉るのやめて……。高草原でのた打ち回っていたらしいから……」と、言われることなどつゆ知らず、私は完璧すぎる私の理論づけに協力してくれた、神々の加護に感謝の意を示す


 が、


 私が説得の成功を確信し、内心飛び上がった時、


「そうだね。でも、それは陛下が勉強しようかって言い始めてからでよくない?」


「……あれ?」


「今は君も僕も幼いんだし、自衛の手段も教えてもらっていない。なにより、まだまだ冠務陛下も片胤陛下もご存命だ。だったら、そんなに焦って神皇になるための勉強をする必要はないんじゃないかな?」


「………………………………」


――論破ァ。私が……。


 一気に内心で膝をつきうなだれる私に、勝ったといわんばかりの笑顔を浮かべながら、自愛は私にとどめを刺す。


「まぁ、元服までには外に出ていろいろ学ぶ機会はあるだろうから、今は我慢しておうちでお勉強だよ、天華」


 面倒なことにならなかったのがよほどうれしいのか、自愛の声はいつもよりはずんでいるように、私には聞こえた。




…†…†…………†…†…




「とはいえ、大人しく引き下がる私でもありませんけどねッ!!」


 時刻は夜。繁華の時間。無数の蝋燭による照明に照らされた町に、私は降り立っていたの!!


 と、いうわけで、こっそり賢気様から教わった神術を使い王宮の壁を飛び越え、逃げ出した私は、初めて訪れる都の姿に目を輝かせていましたっ!!


 ほんとうなら、自愛にもこの景色を見せてあげたかったんだけど……。


「いいもん、いいもん! 自愛のくせにあんな生意気な口きくなんて……。せっかく今の都について、いろいろわかる機会だったのに……もう知らないんだから!」


 あとで悔しがっても知らないんだからねッ! と、なにやら得意げにギャフンと言わされてしまった私を見ていた、内心の自愛に舌を出しながら、私は夜の都へと繰り出す。




…†…†…………†…†…




 知識欲の権化。私はよく賢気様にそう言われていた。


 俺が知恵を与える神であるならば、お前は将来《学ぶ》という行為の神になるかもな……。と、あの賢気様に言わしめるほど、私の『知りたい』という気持ちは、いろいろ異常らしかった。


 たとえば初めて話した第一声は、『これ、なに?』


 近くにいたお父様もお母様もガン無視して、当時のおもちゃを指差しながら私はそう言ったらしい。


 その性質は今でも変わっていない。いろんな物語を読み漁り、賢気様のもとを訪ねてそれを聞き、不思議なことがあったら、いったい何が原因でそうなったのかと賢気様に聞きに行く。


 そんな毎日を繰り返していた私だからこそ、いまの都の姿を知りたいと思ったのは、ある意味当然のことと言えるわね!


「おじちゃん! この水あめもう一つっ!!」


「おいおい嬢ちゃん……あんま食いすぎると、腹壊すぞ?」


 決して……決して! 都のおいしいモノやら観光名所を回って楽しみたいなんて、身勝手な理由で脱走したわけじゃないのよっ!! うん! 私がいなくなったら、宮中の人たちが慌てふためくことくらいわかっているモノ! まさか、そんなくだらない理由で、無断外出なんてするわけないじゃない! 手に装備されている露店に出ていたお菓子や、頭の狐のお面は、都に溶け込むための装備なんだから!!


 そんな誰にするでもない言い訳をしながら、私は楽しげに都を回る。


 お父様の政治がうまくいっているのか、都の中は活気にあふれていて、夜だっていうのに蝋燭や神術の明かりに照らされて、外は明るい。


 そして、そんな灯りに照らされた、紅い彩色を施された柱たちが、何とも言えない幻想的な風景を私に提供してくれていた。


「これが……安条京。私が……私たち神皇家が守る都」


 綺麗……。誰に聞かせるでもなくそうつぶやく私は、確かに今幸せの絶頂だった。


 でも、その時私は知らなかったの。


「お嬢ちゃん……」


「?」


「こっちに面白い出し物があるんだけど、見に来ない? いまなら、水あめもついているぜ?」


「ほんとっ!!」


 人がたくさん住んでいる都。だからこそ、その都に住んでいる人はいい人ばかりじゃないってことを……。


 悪い人だって、きちんと住んでいるんだってことを……。


 私はそんな簡単なこともわからないまま、先ほど食べきってしまった美味しいお菓子の追加が手に入ると、男の人が手招きするくらい路地裏に、ひょこひょこと歩いて行ってしまった。




…†…†…………†…†…




「ねぇ、面白い出し物ってどこなの?」


 私が路地裏に入ってから数十分。二人いた路地裏を案内してくれる男の人たちの歩みは、まだ止まらない。


 いいかげん表通りの光も届かなくなってきて、路地裏の明かりは細々とした既朔(きさく)の明かりのみ。


 当然、夜の闇はどんどん増していき、私は本能的に怖いという感情を抱き始めていた。


 でも、それすらも、


「うるせぇな。まだ気づかないなんて……」


「よほど頭が弱いのか、常識を知らねぇのか……。こりゃ、結構なお嬢様を捕まえちまったらしい」


 気づくのが遅すぎた。悟るのが遅すぎたの。


「え?」


 物騒すぎる言葉を吐く男の人たちに、私はようやく自分が誘拐されかけていることに気付いたけど、


「おっと、逃げんのは無しだぜ、お嬢ちゃん!」


 ようやくそれに気付いた私の、態度の変貌は予想していたのか、私の後ろを固めていた禿頭の男が、私の右腕を掴みひねり上げた。


「っ!?」


 とつぜん右腕に走った痛みに悲鳴も上げられないまま、目元に涙をためる私。


 そんな私を、前を歩いていた男が、ニヤニヤした笑みで振り返り見つめ、


「なかなかの上玉が手に入ったなぁ。貴族の娘なんて……そうそう手に入るもんじゃねぇ」


「これで、身代金がっぽりだな」


「あぁ。今回は良いもうけになりそうだ」


 ただに商家や農家の連中じゃシケタ金額しかせしめられなかったしな。と、二人は笑いながら、私を人間としてではなく、優秀な商品を見るような目で見つめてくる。


 背筋に怖気が走る。悲鳴をあげたくなるけど、腕の痛みがそれを許さない。


「さてお嬢ちゃん……ここまで来ちまったんだ。いいかげん腹くくれや? どうせこんな暗闇の中……神も真も見ちゃいねぇ。入り組んだ裏路地だからこそ、人の目も届かねぇし、何が起ころうとだれも気付きゃしねぇんだ。いくら泣こうが叫ぼうが、助けなんてこねぇよぉ!」


「っ!!」


 そして、トドメとばかりに言われたその言葉に、私が涙を流しかけたとき。


「はぁ……まったく。多分抜け出すだろうと思って、賢気様に神術使ってもらって探してみれば、やっぱりこのざまですか」


「――っ!?」


 来ないと言い切られた助けが、


「さてと……」


 ほんと勘弁してくださいと言いたげな雰囲気で、頭をかきながら裏路地の、闇の中から現れた。


「あぁ? なんだ?」


「ガキじゃねぇか!!」


 その彼の姿を見てゲラゲラ笑う男二人の声も、今の私には届かなかった。


 だってその人は、


「うせろ、チンピラ。私は怒って(・・・)いるんだ」


 私の幼馴染で、


「その人は、お前らが触れていい存在じゃないんだよ。ゴミカスが!!」


 裂帛の言葉一つで、男たちの意識を刈り取り、ばたりと倒した、頼れる私の英雄なのだから。




…†…†…………†…†…




「まったく! 賢気朱巌命様からも言われていたでしょうっ! 最近神様の加護が薄くなってきて、それを本能的に感じ取った悪党どもの活動が活発になってるから、治安が元に戻るまでは、宮中でも気をつけろよって! 陛下の守護もない都に出たら危ないという考えぐらい、思い浮かばなかったんですかっ!!」


「うぇええ。ごめん……ごめんなさい自愛ぃ……」


 安心したのか、謝罪しながら泣きじゃくる天華を背負い、私――自愛はため息交じりに大内裏の方角へと向かっていた。


――まったく。大事に至らなくてよかった……。冠務陛下がいつもより早く部屋に来て、天華の不在に気づいてくれていなかったら、今頃いったいどうなっていたことか……。と、私は考えながら、先ほど天華をとらえていた、薄汚い男たちの顔を思い出し、体を震わせる。


 幸いなことに、私にはおじい様に教えてもらった言霊がある。その力を使って、あの男たちを退治することができたのは、僥倖と言っていい。正直人に対して使うのは初めてだったから、ちゃんと効くかどうか不安だったんだ。


 私の言霊の力は、おじい様と比べてとても弱い。おじい様が言葉一つでいろんなものを作り出したのに対し、私の言葉はせいぜい人の心をかき乱す程度。


 さっき男の人たちを倒したのだって、《怒っている》という言霊を使って、私の怒りの感情を何倍にも感じるように相手の心を乱し、相手に怒気を叩きつけただけの簡単な技術。


 それによってあの二人は、怒り狂う猛獣を前にしたような怒気を全身に感じ、意識を失った。


 もしもあそこで、あの二人が倒れなかったら……その時は私も天華と一緒にのされて、誘拐されることになっていただろう。


――ほんと、我ながら危ない橋を渡ったもんだ。と、自分の無謀ともいえる蛮勇に、私はため息を一つ漏らした後、


「うぅ……。ありがとう、自愛」


「…………………………」


 ようやく泣き止み、涙で顔中を濡らしながらも、浮かべてくれた天華の笑みに、


「はぁ。もう、顔ぐしゃぐしゃじゃないですか。私の背中で、良いんで拭いてください。可愛い顔が台無しですよ」


 と、照れ隠しの悪態をつきながらも、彼女の笑顔を守れたことを、ほんの少しだけ誇らしく思った。


あれ? 賢者の石は?


まぁいいや……。あいつが目立たないのはいつものことだし(よくねぇよ!?)。

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