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安条中期のはじまり

 俺――賢者の石は、久々に自分の社でのんびりしていた。


 あの竜種の侵略からはや百年ほどだろうか? あれから、安条京は大きな事件もなく、平和な空気が流れていた。


 幸いなことに、今代の神皇も中々の賢君で、一時的に開いた都に住む貴族層と、都外に住む平民層の富裕格差を憂い、それを何とかするための政策をいくつも実施してくれている。


 これなら、俺がいた世界の平安京のような、貴族が平民を一方的に搾取し続ける時代はまず来ないだろう。


 だから俺は安心して楽隠居を決め込み、こうして社の中でのんびりしながら、


「賢気様っ! またお話聞きに来たよっ!!」


「ひ、姫様っ! 淑女が足音を立てて走り回るなど、はしたのうございますっ!!」


 神様の住む社への礼儀などなんのその。社の扉を、バンと音が立つほど勢いよくあけ、俺の社に入り込んできたのは、豪華な着物を着た額に小さな鱗がある一人の少女と、それにつき従う狐獣人の少年だ。


 少女の名前は――天華内親王(てんかないしんのう)


 少年の名前は鹿自愛(かのじあい)


 名前からお察しいただけると思うが、あの若宮と貫己の孫である。


「おぉ、ようきたようきたっ! ほら、茶菓子でも食え」


「どこぞの、親戚のお爺さんみたいだな、お前……」


 そんな二人の姿に俺は内心で顔をほころばせながら、隣に立っている男に指示を出す。


 その男は呆れきったような顔を浮かべながら、肩を竦めつつも、きちんと俺が言った茶菓子を持ってくるのだから、こいつもなかなかこの二人には甘いんだと思う。


「さて、この前はいったいどこまで話したっけ? 明石記の裏歴史あたり?」


「そそ。仏来武霆命様が、電撃結婚で、雷神になったって話!」


「じゃぁ、次はいったい何話すかな……。そうだ、お前が好きそうな恋愛ものなら、徳政太子と征歩神皇の禁じられた同性同士の恋バナがあるわけだが」


「なにそれおもしろそうっ!」


「お願いですから賢気朱巌命様っ! 自重してくださいっ!!」


 目を輝かせて、おせんべい片手にこちらを見てくる天華に、必死に聞いてはいけないと言いながら、自愛が滂沱の涙を流し懇願してくる。


 そんな二人の反応に、俺は少しだけ笑いながら、


「安心しろ。最終的にはちゃんと普通の男女の恋愛になるから!」


「間に何があったんですかそれっ!? どっちかが性転換でもしたのっ!?」


 自愛の魂のツッコミをスルーし、


「さて、ではでは……知恵の神賢気朱巌命様の、ワクドキ歴史授業の始まり始まりー!」


「よっ! 待ってましたぁ!!」


「陛下ァアアアアアア! お願いだから家庭教師変えてくださいぃいいいいい!!」


 それぞれの歓声や悲鳴を聞きながら、俺は今代神皇――冠務神皇の「知識欲旺盛な天華のために勉強を見てやってくれんか?」というお願いをかなえるために、渋々(・・)歴史の裏舞台のことを天華に教えてやるのだった。




…†…†…………†…†…




「まさか徳政太子が女の人だったなんて……。メモメモ……」


「あの、お願いですから痕跡を残すのだけはやめてもらえません姫様……。最近姫様が教えてもらっている話一つ漏れるだけでうちの宮廷が揺らぎかねないんですけど……」


 目をキラキラ輝かせる天華と、それに疲れ切った顔で追従する自愛を見送りながら、俺は神術で扉をこっそり操作し閉ざす。


 それと同時に、神職風の衣装に身を包んだ男――流刃はほーっと息を吐き、首をふるった。


「まったく、久々の下界は肩がこる。おまけに信仰の変貌で妙な制限受けちまっているし」


「受肉しなかった神様の宿命だろうな。人の信仰によって在り方が変わっちまうのは」


 流刃の愚痴交じりのため息に、俺は苦笑いをしながら、今後の日ノ本の先行きに関して頭を巡らせていた。


 実はこの日ノ本――下界では確かに竜種侵略に匹敵する大事件は無かったのだが、神々と人間の関係が、徐々にではあるが変わり始めているのだ。


 それは竜種迎撃にあたり、神々が権能をふるったことによって発生した、日ノ本の神々に対する信仰の強化と同時に起った――神の神聖化。


 ようするに、人々は今まで以上に自分たちと神々には大きな隔たりがあり、神は自分たちとは違う世界に住む貴き存在だという認識を強固にした。


 それによって、神々は確かに今までとは比べ物にならない力を持つに至ったわけだが……。


「で、他の連中はどんな感じだ?」


「もう、神として下界に降りられる連中は数えるほどだな……。一応皇祖系の神々である俺たちは、神皇家の神域であるこの大内裏でなら無条件で降臨できるが……他の神々は自分が所有する神社でもさっぱりだ。大がかりな儀式を行って、一定期間ならってやつもいるにはいるが……そういったのは中級神以上の神格を持った連中だけだな。神の本体――神体が大地に根差している、天剣八神の連中はいまだに降臨が可能らしいが……それもいつまで続いてくれるか」


「腐敗や、突風といった事象系の神々が真っ先にあおりを食らったのが痛いな。今じゃせいぜい、自分の権能を飛ばしてちょっとした異能を起こすのが関の山とは」


 というわけで、神々の降臨は、とうとう相当の難題となってしまった。人が神から離れるのではなく、神が人よりもさらに上位の次元に上ってしまったせいで、下界から遠ざかってしまった時代が、訪れてしまった。


 もはや日ノ本の神々の加護は薄くなっている。


 竜種迎撃のような大盤振る舞いは、恐らくもう不可能だろう。


「とはいえ、解決策がないわけじゃないのが救いだな……」


「あぁ。神として降臨できないのならば、()として降臨しなければいい」


 そう言って、くるりとまわり自分の体を確認した流刃は、ひとまず成功してよかったと安堵の息を漏らす。


 それは、生前の流刃の姿と変わらぬ――人間の肉体。


 流刃が自分の霊力を高草原からわずかにとばし、人間の体を作り出したうえで意識をその肉体に憑依させるという、面倒なプロセスを踏んだことによって作られた、神が人間世界で自由に操れる分神体(アバター)だ。


 これを使うことにより、神は一応人間世界に擬似的に降り立つことができるようになった。とはいえ、その肉体に込められる力は人間の物と大差ない。おまけに神様とばれれば、体を作り上げる霊力がほどけ消滅してしまう儚いものだ。


 とうてい以前のように気軽に降臨して、権能をふるって問題解決というのはできない。


「まぁ、何も悪いことばかりってわけでもないだろう。お前たちの大幅な霊格上昇に伴って、人間に与えられる霊力も大きく上がって、今日ノ本は術開発の波が来ている。神術の技術向上も目覚ましいしな」


「まぁ、人間そのものに力が宿るのはいいことだけど……」


 と、流刃は語りながらも、やはり今までのように直接助けたりすることができないのが不安なのか、首を横に振るいながらも嘆息を漏らす。


「賢者の石……これからは今まで以上に注意して、人間たちを見守ってやっていてくれ。俺たちはとうとう、下界に降りて力をふるえなくなったうえに、神託という形で助言できる連中も、神職に限られつつある。これから俺たちは、ほとんど下界に干渉することができなくなるだろう。だからこそ、お前のような大地に根ざし、下界に在り続けることができる神に……今後大きなしわ寄せがくる」


「……わかっているよ」


 仮にも俺は最高神だぞ? 心配するなよ。と、俺は笑いながら流刃の心配を払拭できるよう、極力明るい声を出す。


「お前たちこそ、そう心配ばかりするなって。久々の長期休暇だと思って、しばらく神様生活楽しんで来い」


「いや。そういう休暇とかはもう新婚旅行でしこたまやったんで」


「そういやお前ら……あの時三年近く帰ってこなかったよな」


「つい燃え上がっちゃって!!」


「黙れ、バカ夫婦」


 いったい神様の身で何してんだお前らっ!? と、いつも通りの雑談に戻りつつある空気に鼻を鳴らしながら、俺は楽観的な空気を心地よいと思っていた。


 そのとき、俺は油断していたんだと思う。


 今までの歴史が大体ハッピーエンドな終り方で幕を閉じたから、この世界はそういった、優しい力で満ちているんだと……本気で信じていたんだと思う。


 だが、この数年後、俺は思い知らされることになった。


 この世界は現実だと。幸せいっぱいなユートピアなどでは断じてないと。


 ハッピーエンドがあるのならば、バッドエンドも存在するのだと……。




…†…†…………†…†…




 私の名前は自愛。


 ごくごく普通の狐型獣人だ。


 両親はいない。野盗に殺された! やら、流行り病で死んだ!! やら、他の人はいろいろ憶測を語ってくるが、今私を育ててくれている冠務陛下が言うには、特に劇的な死因ではなく、食中毒で死んだんだとか言っておられた。


 さて、ここで疑問になってくるのは、なぜそんな両親もいない孤児になってしまった私が、この国の頂点である神皇陛下に育てられているのかということ。


 その理由はいたって単純で、神皇家の先祖の恩が関係していたりする。


 私が子供のころに老衰で他界した、鹿貫己おじい様が関係しているんだとか。


 そう、私にこんな妙な名前をつけた大作家様だ。


 なんでもこの名前には「お前はあの脳筋みたいに、自分の愛を譲るようなことはするなよ」という意味が込められているらしく、自分を愛し、自分の愛を第一にしろという、なにやら意味深な考えのもとにつけられたらしい。


 同じように老衰で亡くなられた、那岐おばあさまは苦笑い交じりでそう語っておられた。


 閑話休題。今私の名前に関してはどうでもよかった……。


 とにかく、そんな大貴族であったおじい様に対し、神皇家は何やら返し切れない恩があるらしい。というわけで、冠務陛下は親である若宮神皇陛下から、耳にタコができるほどに「お前が生まれられたのはひとえに貫己のおかげだから、彼の一族が困っているようなら助けてあげなさい!」と言われていたらしい。


 なんでも卵を孵すのを手伝ってくれたとか、殻を破る際力が足りなかった陛下に、言霊で強化を施してくれたとか、眉唾どころか頭がおかしいんじゃないかと思ってしまうことを言われたらしいが……まぁ、若宮神皇陛下は歴代神皇陛下の中でも変り種だったらしいので、そういうこともあるのだろう。


 というわけで、両親がいなくなった僕を見た冠務陛下は、僕のことをあわれに思ってくれたのか、天華内親王の傍仕え兼友人役として僕を雇ってくださり、僕が元服するまでの衣食住を保証してくださった。


 今では、天華様の兄のように扱っていただき、かわいがっていただいているので、元服した際は、陛下のお役にたてるよう粉骨砕身する所存だ。


 とはいえ、


「天華はほんと可愛いなぁああああ!! もう眼どころか、天華にだったらケツの穴掘られてもいいよ!! なぁ! 自愛もそう思うよなっ!!」


「陛下。仮にも神皇がケツの穴とか言わない。あと陛下……あんまり頬ずりされると姫様が嫌がり」


「お父様御ひげいたい! 頬ずりきらいっ!! お父様嫌いっ!!」


「ガ――――――――――――ン!?」


 なんて、毎晩毎晩姫のもとを訪れて、かまいすぎて逆に嫌われるという悪循環の果てに、


「自愛ィイイイイイイイイイ!? 天華がぐれたっ!? 貴様っ……何か天華によからぬこと教えているのではないだろうなっ!?」


「あの、いいかげん私を疑うのやめてくれませんか? どっちかというと賢気朱巌命様疑ってほしいんですけど」


「仮にも最高神である知恵の神様が、天華のようなかわいい姫に妙なこと教えるわけないだろうがっ!!」


 と言いながら、割と殺気立った眼で睨みつけてくる、バカ親っぷりはさすがにどうにかしてほしいと思う私だった。


 というか、ろくでもないことを教えているのは、ほんとあの小石の方なんだけどな……。


 まったくもって、ひどい冤罪である。

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