嵐と津波
「きたか」
ところ変わって都。
京の平原に建てられたその巨大な町の中に坐す、主神・流刃天剣主は都に襲い掛かった大豪雨を眺めながら、自分の仲間たちの儀式がうまくいったことを悟る。
その隣に座った盲目の太陽神である妹も、雨音でそのことに気付いたのか、ほっと胸をなでおろしながら、回廊から雨を眺める流刃の隣に歩み寄った。
「他の地域が竜種の侵攻を受けたという報告も入っていませんし、どうやら本当に竜種の侵略は天空要塞だけのようです。他の地域の守りについていた神格の皆様から、自分たちも戦場の海岸に行かせろ。と抗議の声が入っていますが」
「絶対動くなと伝えろ。もしかしたら伏兵が潜んでいるかもしれないんだから」
「むろん。その指示は徹底してありますので、ご心配なく」
「そりゃなにより。董の方は?」
「平原の方から遊牧民が攻めてきたらしくて、私たちに注意を払っている場合ではないとか。おかげでこちらが大きな戦いをしていることも気づいていないようです」
「あそこまた戦争してんのか……」
少しは落ち着くって言葉を知らんのかね……。と、流刃はしょうがない国だな。と笑った瞬間だった。
「ん?」
「おや?」
一枚の巨大な羽が彼らの眼前に舞い降り、光の粒になってはじけ飛んだ。
その光の中から現れるのは、だいたい流刃天剣主の腰辺りまでしかない身長をした、小さな少年。
「雨ノ宮か?」
「我が主の眷族として、主神様にごあいさつ申し上げます~」
今回国を守るために訪れた嵐の神の眷族とされる少年は、雨の神・雨ノ宮衣良津子。
豪雨の中を自由自在に飛ぶ海鳥であるカモメの翼をはやした少年は、間延びした声で頭を下げながら膝をつき、流刃に臣下の礼をとった。
せっかく日ノ本に現れたというのに、本人ではなく眷族があいさつに来るというのは大変無礼なことではあるのだが、流刃はそんなことを気にする神ではないと知っているのか、単純に彼のことを舐めているのか……彼の神が自分から流刃天剣主への挨拶に来たことは一度もない。
だから流刃も、いつものことだと頭を下げる雨ノ宮に、笑って手をふるい、
「挨拶などいらねーよ。今回はこっちがあいつを呼び立てたんだ。むしろ悪かったな……。こんな季節に無理やり仕事させちまって」
「いえ~。我が主も、自らの空を犯した愚か者を食いちぎるといって、怒り狂っておられましたし~、儀式がなくとも自然に顕現はしておられたかと~」
ノンビリした雰囲気を顔で、全力で自分たちの気勢をそいでくる少年に、流刃は思わず肩を竦め、
「それ大分遅いだろ? たとえば俺らが負けた後とか?」
「何分我が主は寝坊助ですので……」
シレッと主の悪口を言う雨ノ宮に苦笑をうかべたあと、
「『お前の息子たちを守るついでに、我等の子供たちのことを頼む。天剣八神としての役割を果たせ』これが主神からの伝言だと、伝えてくれ」
「あいわかりました~」
その言葉と同時に、雨ノ宮は姿を消す。降り注ぐ雨粒一つ一つに彼は宿っているので、どこに出現しようが、降雨範囲内であれば自由自在に瞬間移動が可能だ。
こと、雨の中の伝令役としてはこれほど便利な存在はいないだろう。
「適材適所って言葉はちゃんと知ってんだけどな……あいつ」
なんでもうちょっと人づきあいがうまくできんかね~。と、人間の時からの知り合いである大気の鳳の姿を思い浮かべながら、流刃は小さくため息を漏らした。
…†…†…………†…†…
莫大な量の空からの水滴が、戦場そのものを包み込んだ。
「なんだ、これは?」
一気に見難くなる遠視術式に舌打ちを漏らしながら、私――アルフェスは敵軍勢の動きに注視する。
「そして、こいつはどういうことだ? 何故撤退している?」
豪雨が降り注ぐと同時に、身をひるがえし尻尾を巻いて逃げ始めた空の敵軍の姿に、私は得体のしれない違和感を覚えた。
そこには今まで命がけで、地上を死守していた誇り高い戦士の姿はない。あれではまるで外敵の到来におびえる子リスのようではないか。
「やりました! アルフェス様! 敵軍が撤退していきます!!」
だが、そんな違和感を覚えているのはアルフェスだけなのか、オペレーターたちは散々竜を苦しめてきた部隊が逃げ出すのを見て、歓声を上げながらハイタッチを交わす。
勘違い……か? そんな仲間たちの姿に、私が一瞬そう思いかけたとき、
ガクリ……!! と、私の視界が傾いだ。
「っ!?」
いや違う。視界が傾いだわけではない。要塞そのものが傾いているっ!?
私がそれに気付いた瞬間、近くにあったものにつかまり何とか転倒を防いでいたオペレーターの一人が、魔方陣に浮かんだ情報を読み上げ、悲鳴を上げる。
「こ、攻撃感知っ!! 大規模エネルギーの塊が、要塞南方に出現。凄まじい速度でこちらに向かっていますっ!!」
「攻撃の種類は……」
「そ、それが……」
私の問いかけに、報告してきたオペレーターは信じがたいと言いたげな顔で、つばを飲み込み、
「た、ただの風ですっ!!」
「なっ!?」
なんだそれはっ!? 私がそう言いかけた時だった。私たちの南方に出現したエネルギーの塊が、大写しの映像で司令室に届けられる。
「!? な、なんだ、あれはっ!!」
それは海にできた巨大な灰色の柱だった。
莫大な量の雷雲でその身を包み込んだ柱は、所々に雷光をきらめかせながら、凄まじい速度でこちらに向かってくる。
その中央には、我等竜種など及びもつかない巨大な体躯を持つ鳥の姿が!
「あれは……」
まだ自分たちが神だったころに見たことがある。
我らの天空大陸の下を、覆い尽くしながら通過していく、巨大な気流の渦の存在を。
下を通り過ぎるだけなので、我等には大した被害はなく、山岳民の南マリューヒルの連中も、めったにみるものではないし、来ても山岳の盾によって防がれるからと、大して気にも留めなかった珍しい気象現象。
だから、我々はその猛威を知らない。知らずにここにやってきてしまった。
よくあの大渦の被害にあうこの国が、あの巨大なエネルギーの塊を神格化し崇めているなど、知る由もなかった。
「サイクロンか!!」
時々見学に言って楽しんでいただけの空の模様が、本当の猛威を振るい我々に牙をむく。
『さて……貴様らが敵ということでいいのだな?』
怖気が走る凄絶な怒りの声が、私の耳にたたきつけられた気がした。
…†…†…………†…†…
「何奴かは知らんが……所詮は大気の渦であろうが!!」
空の支配者たる我等が、負ける道理がないだろうっ!!
血気盛んな一頭の竜が、渦の中心にいる巨大な鳳に挑みかかる。
突然戦場にあらわれて、戦いを邪魔したあげく、これからは敵を一方的に蹂躙するだけの、楽しい追撃戦に割ってはいられ、その竜の頭には血が上っていた。
殴りつけるような暴風雨を、逞しい翼をはばたかせながら平然を食い破り、竜は嵐へと近づいていく。
だが、
「ぬぅ!?」
嵐の中核を追おう積乱雲から、おびただしい数の雷が竜に向かって放たれ、その体を打ち据えた。
全身に激痛が走り、意識が一気に遠のく。
そのままその若い竜は海へと落ちていき、
「――あっ」
突如として現れた、高波が変化した大鯨の口の中にのまれ、二度と出てくることはなかった。
…†…†…………†…†…
大雨の中、台風特有の強烈な暴風も吹き荒れているせいで、視界はひどく悪い。
だが、それでも海中から突如として出現した全長5キロ近い黒い巨体は、さすがに見逃すことはなかった。
「ようやく来られたのですね……《天剣八神》の《大気の神》荒威風命様と、《大海の神》汐満留津軽毘売様」
俺――賢者の石がもはや天を支える柱のような巨体を持つ鯨を眺めているとき、背後から疲れ切った声が聞こえたのは。
視線をそこに移すと、そこには輝夜に肩を借りて何とかこの場にやってきた、ナギの姿があった。
「儀式で踊り続けて疲れてんだろ? 休んでてもいいんだぞ。この戦いは俺たちの勝ちで決まったし」
「それは慢心だな。初戦での竜族の敗因だ」
「おっといけねぇ」
縁起でもないことを貫己がつぶやく原因を作ってしまったことに冷や汗を流しながら、俺は空で起こっているでたらめな戦いに目をむける。
「でも実際負ける気はせんだろう? こと戦いにおいて、あいつが負ける姿なんて想像できんし」
何せ台風と津波の神様だしな……。と、あの二柱の神々の荒御霊の顕現である事象を思い出しながら、俺は思わず、石のくせに背中に冷たい汗が流れた気がした。
「本気出したらそれこそ……国すら滅ぼせるぜ? あいつら」
瞬間、また嵐に突っ込んでいった竜が一頭、大気の辣腕によって薙ぎ払われ。大鯨の姿になった荒波に飲み込まれ沈没していく。
おそらく、復活はまずありえないだろう。
…†…†…………†…†…
冥府に続く道の守神であった有翼蛇は、あたり一帯に瘴気をまき散らしながら、何とかその嵐の中に突入することに成功していた。
その巨体に幾筋もの雷が食らいついてくるが、そこは高位の神であった肉体の耐久度によって何とか我慢し、触れるものを皆、死に至らしめる煙をまき散らす蛇は、とうとう嵐の壁を突き抜ける。
「やっ……た!!」
歓声を上げ、嵐の中に引きこもった神を睨みつける。
が、
「……!?」
その巨体は、自らの体をはるかにしのぐ、空すら覆い隠すほどのもので、
「汚物が……。我が聖域に入り込むとは」
だが、その巨大な鳳の姿は瞬く間に縮む。
見る見るうちに縮み、先ほどまで自分が戦っていた獣人という種族とそっくりな姿になった。
背中に生える黄金の翼に、こちらを睥睨する琥珀色の瞳。
髪だけはその豪奢な色に似合わない黒色で、その中に幾筋か混じった金髪が、嵐の雲の中に迸る稲妻を思わせた。
そんな、莫大な威圧感を感じさせる、白い衣をまとった男が、その神の人化形態なのだろう。
「やはり、力を精密に振るう際はこの姿の方がやりやすいな……。細かい仕事は獣人の姿に限る」
「な、なにを……する気だ?」
あの巨体だけでも十分脅威であったのに、それをあえて捨てるような神の変貌に、有翼の蛇は思わずそう問いかけてしまう。
その答えなど、すぐに自分の身で思い知るというのに……。
「戯け。不届きもの。誰が口を開いていいといった。我が聖域が穢れるであろうがっ!!」
今まで組まれていた男の腕が解かれ、男の手が振るわれる。その動きに合わせるよう作り出された暴風の腕が、有翼蛇の巨大な翼をむしりとった。
「――っ!?」
まるで鶏でも殺すかのように、
まるで小鳥でももてあそぶかのように、
あっさりと翼をむしられ、地に落ちていく自分に信じられないという気持ちを抱きながら、有翼の蛇はほかの竜たちと同じように、地に落ちていく。
「ふむ。やはりこのくらいの力加減がいいな。本性のままだと列島の民まで薙いでしまうからな……。敵だけを殴殺する手加減というのは、やはり難しい」
そして、その力すら全力でないという神の言葉に絶望しながら、有翼の蛇はほかの竜たちと同じ運命をたどった。
…†…†…………†…†…
翼をへし折られ、荒波にのまれ、次々と姿を消していく天空の竜たちの姿に、私は唖然としてその事態を見つめることしかできませんでした。
いったい何が起こっている? 悪い夢だと言ってくれた方がまだ救いがある。
「まさか、そんな……あの不思議な模様だと思っていただけの存在が、あれほどの力があるなんてっ!!」
信じられなかった。
信じたくなかった。
あんなでたらめな力があることを、信じていられるわけがなかった。
「わ、我々は神だぞ!? マリューヒルの支配者だぞっ!? それが、こんなにあっさりっ!!」
そんな悲鳴じみた声を私があげたときだった。
『愚かな……。肉体を得て、人の信仰から自らを切り離した時点で、神足りえぬと気付かぬとは……どこまで無知蒙昧な蜥蜴なのでしょう』
嵐の下に仕えるように回遊していた、津波の鯨が瞬く間に姿を変え、ひとりの女になり海面に立ったのは。
瞳は閉じられ、達観したような表情を見せる。サンゴの髪飾りをつけた、ひどく美しい女。
その女は片眼だけをわずかに開きながら、確かに……私の方を睨みつけた。
『もはやあなたたち竜は神ではない。あなたたちが望み、それを捨てたんです』
他の比較対象がないと、神はここまで愚かになるものなのですね……。と、女神は吐き捨てながら、私の方へ――私が乗る空中城塞の方へと手を掲げた。
『もういいです。その無様……見ているだけで不愉快。いつまで空に坐しているつもりですか、蜥蜴。陸地とは……海に浮くものですっ!!』
「くっ!!」
悪寒が走った。すぐに逃げるように指示を出そうとした。
だが、すべてが遅かった。
巨大な津波同士がぶつかり合い。空中城塞の真下から凄まじい水量をほこる水柱が立ち上がる。
そして、落下を開始する水柱のエネルギーに引きずられ、
「お、落ちます!! アルバトロン……海中に落下しますっ!!」
オペレーターの悲鳴のような報告を、呆然自失と聞きながら、私は眼前に迫る海面を見つめていた。
衝撃が走る。
悲鳴が至る所で上がり、竜種たちの絶望の声が要塞内を満たしていく。
この時私はようやく、自分が異国の神々に敗北したのだということを悟った。
…†…†…………†…†…
だが、
「まだだ……」
諦めるわけにはいかない。
「まだ終わらんぞ……!!」
神々には負けたが、獣人たちには負けていないッ!!
*荒威風命=天剣八神の一柱にして、数多いる鳥獣人の守護神として知られる神。
本性は巨大な鳳であり、その威容は一部地域を根こそぎ飲み込むほどであり、ほかの天剣八神とは隔絶した霊格を持つと記されるが、台風とともにやってくる来訪神であることから、本気でその霊力を使うことは少ないとか。
基本的に台風シーズン以外は冬眠している。
また、台風を神格化している他地域の神とは、同一の固体であるらしい。つまり、同じく台風大国である、ある島国での『嵐の神 メジャリクシャラ』とは、姿と名前が変わっただけのこの神であるらしい。
また、同じ時期に複数の台風が出現する場合も、すべて彼が管理を担当することとなり、自分の身を分身させてそれぞれの嵐の管理を行っているとか。
*汐満留津軽毘売=天剣八神の一柱。海の神であると同時に、荒波の神でもある。津波を起こすのも大体この神様なのだとか。
そういった「荒れる海」を信仰の材料としている以上、単独での顕現は非常に困難な神であり、大体は荒威風命や、海を荒れさせる頭とセットで顕現してくる。
といっても、出現頻度は荒威風命よりも多く、ほとんどの季節にひょっこり顔を出す神でもあるため、信仰量は荒威風命と大体同じくらいというでたらめな神様。




