持ち直す竜種 顕現する神
「なんだ、奴らは!?」
南のマリューヒルでは見たことがない、獣の身体的特徴を残した人間たちが、氷を突き抜け海に落下した竜たちを次々と討ち取っていく。
ただの凡庸な武器にしか見えない槍が、竜たちがまとう絶対防御である障壁を貫き、その体から魔力を奪う。
そして海に体の自由を奪われた竜たちの眼球やのどを、情け容赦なく無数の武器が抉り、地上に降り立った竜で生き残った存在は数えるほど。
そんな信じがたい事態に、私――アルフェスは思わず絶句し、一瞬指示を出すのを忘れてしまった。
だが、
「くっ! 伝令!! いますぐ地竜たちを引かせろっ!! これ以上の損害は許さん!!」
「は、はいっ!!」
「あとは諜報術式だ。遠視に集音魔法。なんでもいい! 概念翻訳魔術を使って何としてでも敵の策略を解明せよっ!!」
得体のしれない敵だ。知恵のある敵だ。油断していい敵ではない。そのことをようやく悟った私だったが、だからと言って我らの勝利は揺るがない。
我等は今まで我等と同等の知能を持つ竜と戦っていたのだ。奴らと同じように、策が練れないわけがないだろう。いささか慢心をしてしまっていたため、初戦は後れを取ってしまったが、慢心を捨て、策を巡らせれば、一人一人の兵士の地力が上の我らが負けるわけがない。
あのいけすかない義父と義母に勝つ為に、長い年月内乱に明け暮れていた私は軍を率い勝利をするために、何が必要で何をすればいいのか知っている。
「いいだろう。初戦は確かに私の負けだ。慢心しすぎていた。貴様らを舐めすぎていた。謝罪しよう……だが」
戦はまだ始まったばかりだ。
撤退する地竜たちを見て、勝鬨を上げる野蛮な獣たちを睥睨しながら、私は次の戦略を構築していく。
…†…†…………†…†…
「ほほう。とりあえずは一区切りといったところか?」
本陣で若宮率いる地上の軍隊が、海の落ちた竜たちを次々と討ち取っていくのを見ていた俺――賢者の石に、そんな言葉が飛び込んできた。
俺が、視線をその声の方向の向けると、そこには巨大な竜を引きずった毒舌作家・貫己の姿があって。
「とりあえずなにかの参考になるかと思い、死体を軽くして引きずってきたわけだが……必要なさそうだな」
竜死体なら、あとでごまんと手に入るだろう。と、洋上に浮かび躯を晒す竜たちを見つめながら、貫之は小さく鼻を鳴らし、竜の死骸を投げ捨てた。
その巨体は投げ捨てられたにもかかわらず、まるで羽毛のように地面に落ちる。どうやら重量を軽くしたというのは本当らしい。
「相変わらずでたらめすぎないか……その術は」
「貴様が言うか?」
割かし何でもできる癖に。と、こちらの呆れた声を逆に投げ返しながら、貫己は手元にある手帳に戦況を記載していく。
どうやらこいつはこんな時になってなお、作家としての本分を忘れるつもりはないらしい。
「『撤退の命令が出され、泡を食って逃げ出す竜たち。だがしかし、その足取りは混乱していてもなお健在であった。
氷上・海上という環境にも慣れたのか、その疾走は先ほどまでの比ではないくらい早く、次の激突に関して、楽観視できない力を我々に見せつける』」
「そこで若宮たちを一切褒める文章を書かないのがお前らしいよな」
「始まったばかりの戦で楽観視ばかりしていてどうする? なにより、初戦は相手もこちらを舐めてかかっていたようだが、一度戦果を挙げてしまった以上次はない。今度こそ相手は全力でこちらを殺しに来るぞ」
「わかっちゃいるけど、言葉のままに世界を作り変えるお前が言うと縁起でもないんだよ」
そう。貫己が操る神術の亜種――《言霊》は、言葉のままに世界を作りかえる異能だ。
強力すぎるって? 当たり前だろ。何せこいつがやっていることは、原始時代の流刃達と同じ、ただ言葉によって補強した圧倒的意志力で、作り変えられた霊力を原始の状態――人の意志に反応し、思い通りの世界をつくるという状態に戻し、自分の思い通りに操っているのだから。
世が世なら神と敬われても仕方がない、霊力制限など存在しない、世界そのものを掌握しかねない術式。それが現在の言霊の正体。霊的な先祖がえり。
大和高降尊が中二病によって強力な力を得たのと同じように、こいつは生まれながらこの職業につくと決まっていたと豪語する、作家の矜持によってその力を手に入れた。
おそらく現在の日ノ本において、神を除く霊的戦力の最強の切り札。それがこの貫己だ。
だからこそ、かれには戦が始まった瞬間この本陣の守りを固めてもらうように言ってあった。
それは軍を動かすための象徴である本陣が落とされないようにするためでもあったし、
「さて、そろそろ敵さんも動くな」
「あぁ」
緊急事態が起こった時のために、あらゆる場面で彼に命令を飛ばすための措置でもあった。
そして、その緊急事態が起こる。
「来るぞ」
「っ!!」
天空から雲を切り裂き、いつのまにか天高く上っていた数百近い竜たちが、地上に向かって降り注ぐ。
それは着地のことなど全く考えていない、頭部からの自由落下。
しかし、それをしても問題がないほど、その竜たちの頭部は巨大な骨によって覆われており、まるで巨大な鉄槌のような四角柱に近い形をしていた。
足はない。手は翼と同化している。その姿はまさに、
「リントヴルム!!」
竜たちの巨体を生かした大威力打撃が、兵士たちが立つ氷の大地に直撃した!!
…†…†…………†…†…
快音と共に猿どもが立っていた氷の大地が粉砕される。
だが、突如として起こった足場の崩壊にもかかわらず、兵士たちは至って平然とした様子で海面にたたずみ、撤退を開始。
速やかに自分たちの拠点である大地へと逃げ去っていく。
本来なら追うべき場面だろうが。
「深追いはしない」
何をたくらんでいるかわからんからな……。
私――アルフェスはまるで本当に逃げているように見える敵軍の背中を、見送るように指示をしながら、海面から再び飛び上がるリントヴルム種の同胞たちに指示を出す。
「それに、何も肉弾戦だけが竜の戦闘ではないさ」
瞬間、リントヴルム種たちの口内に莫大な魔力の収束が発生する。
魔力砲の原点であり、我等竜の絶対的遠距離攻撃手段。
魔力を高圧に圧縮し吐きだすことにより、圧倒的破壊力を実現した――ブレス!!
信仰されていた竜たちの権能によってさまざまな姿になるそれだったが、リントヴルム種たちは見ての通り、空を飛翔することに長けた種族だ。
必然、そのブレスは大気に関係するものが大半。
無数の圧縮された空気の塊が、不可視の破壊の光線となり、リントヴルム種たちの口から吐き出される!
岩をも砕く、我等竜種を象徴する強壮なる一撃。
だが、
『ふんぬぅ!!』
鱗に覆われた巨大な拳が、その一つを殴り飛ばした。
開戦の折、真っ先に竜の命を刈り取った、あの鱗の両腕を持つ巨漢だ。おそらく名のある将兵。竜種との戦闘経験もあるのか、こちらに全く物怖じしていない。要注意の人物だ。
相当高い地位にいるのか、この軍を率いる奴の背中に、下々の兵士たちは迷いなくついて行った。そんな異常といってもいいカリスマがあっても、おかしくないと頷ける戦士。
そして、一撃で竜の首をもぎ取ったところから、ブレスが奴に防がれるのは予想の範囲内。
だからこそ、
「貴様には手ひどい無力感を味わってもらおう」
直接手を下し、奴を倒すのは困難を極める。少なくとも相当な犠牲を伴う。それはこの世界に頂点の生物たる竜種としては、あまりスマートな方法ではない。
なら話は簡単。体を壊すのではなく、心をへし折ってやればいい。人型の生物のカリスマなど、我等竜にとってはどうしようもなく儚いものだと教え込む。
奴が弾き飛ばしたブレス以外にも、放たれたブレスは数百近い数に上る。
そのすべてを奴が弾き飛ばすのは不可能。結果、
「その脅威は、貴様の背中についてきた愚かな兵士たちに向くっ!!」
『っ!?』
戦場を移す映像の向こうで、鱗腕がしまったと言いたげに振り向く。
奴の視線の先では、奴を信頼しているのか無防備な背中を見せ逃げる兵士たち。
それに向かって一直線に飛来する高速のブレスは、スケイルアームが届かない場所を飛んでいる。
これで奴の軍は巨大な被害を追うことになり、奴の求心力は著しく低下する。なにより、自分を信じついてきてくれた兵士たちを失えば、奴自身も自分が思った以上に強くないのだという、現実を思い知らされる。
「調子に乗った存在は厄介だ。早めのその勢いを、くじかせてもらうぞ」
下等な猿どもめっ!! 私が最後にそう吐き捨て、ブレスにより蹂躙される兵士たちの光景を脳裏に浮かべた瞬間だった。
「こ、高濃度魔力活動を確認。こ、これはっ!?」
世界に、境界線が引かれた。
それによりブレスは瞬く間に力を失いただの風になりさがり、兵士たちは無傷のまま上陸を果たす。
「なっ!?」
なんだいまのはっ!? 驚愕のあまり固まる私の視界では、大きく映し出されたスケイルアームの隣に、ひとりの男が剣を携え出現していた。
男自体は凡俗なただの軍人に見える。虎の耳と尻尾をはやした、スケイルアームと同じぐらいの年をした、細身であるが長年鍛え上げられたしなやかな筋肉を持つ軍人。
男はまるで獣のように体を低く、低くして、海面にはうように佇み、振り切った剣を背中の鞘におさめなおす。
『まったく……。油断するなと言っただろうがバカ宮。戦争はお前が思っているほど単純には済まないんだよっ!!』
『むぅ。すまなんだ多貫麻呂。だが助かった。それに、おぬしと流刃天剣主様に感謝だな!!』
『ったく、皇族でもない俺がまたこの剣をふるうことになるなんて……。主神様が聞かれたら泣かれるぞ?』
『仕方があるまい。余には剣術の才能がないのだからなっ!!』
呵々大笑するスケイルアームに、ため息をつくタイガーマン。だがその男はそんな気の抜けた姿であっても一切隙を見せずに、姿勢を正し直立。
『さて、危なかったし一度立て直すぞ、若宮陛下。まさかまだ戦いとか言わんだろうな?』
『その気持ちはあるが、本職の人間をないがしろにしてまで我欲を通すほど、余は愚かな王ではないぞ』
『結構。それさえ分かっていりゃ十分だ』
じゃぁ、派手に仕斬りなおすと行こうかっ!! タイガーマンは最後にそう言って笑い、背中に収められた剣をふるう。
その刀身が現れ、空間に一条の閃光を残した瞬間、私の背中に夥しい鳥肌が立つ。
「まずっ!!」
い!! そう言い切る前に、再び世界に境界線が引かれた。
今度はブレスが新たにできた境界によって、《風》として新たに分類分けされ、無力化されたのとは次元が違う。
空間そのものが断絶し、巨大な刃になって、天に浮き上がろうとしていたリントヴルム種数体と、その境界の延長線上にあった我が要塞の魔力砲を数十本、斬り飛ばす。
城塞に激震が走り、オペレーターたちに悲鳴が上がる。
対魔力防御の障壁を張るように指示を出しながら、私はその剣の力の正体を悟った。
「神器……それも建国神が扱った級の、超高威力武器だと!?」
ありえん。うちの大陸では長きにわたる歴史のはざまの中で、紛失してしまうこととなったそれを、奴らはいまだに保有しているのかっ!!
物持ちが良すぎる敵国の武器管理事情にいささか度肝を抜かれながら、その攻撃に匹敵する自分たちの魔力砲が一切通じない事態に歯噛みをし、私は最後の判断を下す。
「おのれっ! もはや様子見などと安いことは言わん!! 全力を持って蹂躙せよっ!!」
高位竜種限定の種族――私と同じ四足竜と、あのいけすかない月光竜と同じ有翼蛇の部隊に、出撃の指示を出す。
「空から一方的に攻め立てろっ!! 《鳴る神》による裁きを下せっ!!」
神だったころは、破壊神・冥府神・戦神・武神などと恐れられていた猛者たちが、強敵が現れたのか? と楽しげに笑いながら城塞の外へと飛び立っていく。
私はその光景を引き起こした下界の猿どもに、隠しきれぬ苛立ちを覚えながら、逃げ帰ってきた部隊の再編成を急がせる。
今回の敵は、たとえ負けた部隊であったとしても、遊ばせていられる相手ではないのだ。
…†…†…………†…†…
はるか遠くの戦場から、響き渡る遠雷の音。
それと同時に起った、莫大な魔力と霊力のぶつかり合いを感じながら、私――輝夜はいまだに踊り続ける那岐に向かい、少しでも力になればと祈り続ける。
この国の神は人の祈りに答えて顕現する。
人の願いに答えて顕現する。
ならば、他国の住人である私の願いであっても、この戦の原因である私の祈りであっても、きっと力にはなれるはず!!
そうなることを信じ、一心不乱に祈り続ける。
それから数秒後、フッと……那岐はまるで何かを感じ取ったかのように踊りを止め、空へと視線を向けた。
「儀式が成就したわ……。彼の神――はるか南の洋上に再臨されたし」
最後にそう言った後、汗だくの体から一気に力が抜け、那岐の体が石舞台に倒れ伏す。
私が慌てて駆け寄る中、那岐の言葉を聞いていた神職たちはしばらく呆然としていたあと、
「や、やったぁあああああああああああああああああああああ!!」
「やったぞっ! やったぞっ!!」
「これでこの戦は勝てるっ!!」
口々に歓喜の声をあげ、互いに手を叩きあった。
そんな彼らの姿にほっと安堵の息をつきながら、私は少しだけ首をかしげる。
「いったいあなたたちは、何の神を呼んだのですか?」
歓喜の嵐に包まれるその場に、私の質問に答えてくれる人はいなかった。
…†…†…………†…†…
そして、その時のとある洋上にて、
「ちっ……。また戦の煙で我が領土が穢されておる」
「今度は異国の神がこちらにやってきて、戦を仕掛けたみたいですね」
小さな空気のうねりが生まれていた。
そのうねりの中心に再臨した彼の神は、舌打ち交じりに自身の足元から聞こえてきた、連れの神に吐き捨てた。
「他国からの侵略者であろうが、異世界からの蹂躙者だろうが知ったことか。俺の領土だ。俺の空だ……俺が守る国の空だ!! 何人であろうと下らぬ争いで穢すことは許さんっ!!」
激怒し怒り狂う神に呼応するがごとく、大気のうねりはそのまま巨大になっていき、激しい雨を降らせる雷雲を纏う。
「さて、どこの身の程知らずだ?」
俺の領空を穢した愚か者は? そう言って凶悪に笑いながら、一柱の神が季節外れの嵐を日の本へと運び出した。
*言霊術=日ノ本三大異能《陰陽術》《神術》《真法》すべての魔術の基礎ともいえる、言葉によって世界を改変する術式。文字によって発動する魔術も、この中に含まれる。
達人ともなればわずか一言で無数の現象を引き起こすといわれており、開祖であり始まりの言霊使いである鹿貫之は、自らの文字や言葉で世界そのものを作り変えたといわれる。
現在でも生き残る術式でもあり、一般人がその気になって唱えても、おまじない程度は力を発揮することから、最も一般に流布した術式でもある。
ただし大成する人間は少なく、別格である開祖を除き、達人といわれる言霊使い達は、言霊全盛期である安条時代の《六歌仙》《八詩翁》《三記聖》だけである。
のちに呪術的に形状が整っている陰陽術に吸収されることとなる。




