宵闇 まつりたのしみて
「えぇ……今年もこの季節がやってきた。雪が積もり、山は白く、獣は眠り、神はさびしいこの季節が。その神を慰めるために、貴君らはこうしてこんな山奥までやってきたわけだが……」
私――輝夜の視線の先では、こちらも伝統なのか、雪で作られた壇上の上から祭りの開催宣言を行っている若宮。
意外なほど普通な挨拶をするあの人の姿に、私は「こういうところではきちんと空気読めるんですね」と、ちょっとだけ意外だったあの人の新しい一面を見られて、頬を緩めた瞬間、
「正直余はあんま長ったらしい挨拶も、神を喜ばせる言葉も知らんので、そいうのは本職の神祇官や巫女に任せて、貴君らはただ神が寂しくないよう楽しめっ!! 今夜は無礼講であるっ! 余もそうするっ!! というわけで誰か!! 余に挑み神にささげる演武をしたいというものはおらぬかっ!?」
「……………………………………………」
物凄い勘違いでした……。と、いきなりハッチャケタあの人の言葉に半眼になりながら、私は大きくため息を漏らします。
まぁ、皆さんの予想通りではあったのか、他の人たちも呆れた顔をしながら杯を掲げましたが。
「ごほん! 演武の話はマジであるが、このまま貴君らを待たせるのも悪いな。では、乾杯と行こうかっ!!」
若宮がそう叫んだ瞬間、あちこちにあるカマクラの中で人々の歓声と盃をぶつけ合う音が響き渡る。
楽しげな空気が山に満ち、神々が笑いながら温かい霊力を山中に広める。
祭りが始まる。
冬の大祭が!!
…†…†…………†…†…
「どっせぇええええええええええええええええい!!」
「「「「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああ!?」」」」
飲めや歌えのドンチャン騒ぎ。
平民も貴族も……時々は紛れ込んだ神さえも関係なく、笑い、騒ぎ、飲み、歌う。
冬の身を切るような寒さが外を満たしているにもかかわらず……。穏やかであるが、未だに雪が降り続いているにもかかわらず……。この場にいる人と神は、山を暖かい空気で満たしていた。
まるで夢のような時間。うつつに舞い降りた、ひと時の楽園。でも、
「嫁そっちのけで、演武と言って暴れまわる夫ってどう思います?」
「あ、あははははははははは……。まぁ、若宮陛下だし」
「脳筋だな。夫の風上にも置けん畜生だ」
「ちょ!?」
雪で作られた舞台の上では、このありえないくらい寒い空気の中、上半身裸になった若宮が、自分に挑んでくる酔っ払いたちと戦い、天高く放り投げまくっていました。
さきほどの挑戦者たちは、あまりに若宮が強いので4人ほどで徒党を組んで挑んだのですが、結果は惨敗。鱗に覆われた両拳の一撃を食らい、他の挑戦者たちと同じように天を舞っています。
それを見て、若宮は楽しそうに高わらい。酒も入っているのか、いつのまにか顔も随分と赤いです。
嫁である私を放っておいて……ずいぶんと楽しそうです……。
「か、輝夜? 顔、美人の顔がえらく怖い感じになってるわよ!?」
「ふむ。痴情のもつれの悲劇が待ち構えているのか? いいぞっ! もっとやれ!! いい小説の題材になる」
「あんたはもう黙ってなさいよ、鬼畜作家!!」
そんな私が愚痴を漏らすために近寄ったのは、カマクラの中でもひときわ騒がしい貫己と那岐の居るカマクラでした。
友人(貫己は後に“?”がつきますけど)である二人に、この何とも言えない理不尽を食らった私の怒りを、紛らわしてほしかったからです。
このままでは陛下がいい感じの笑顔で私のもとに帰ってきた瞬間、その笑顔を力いっぱい殴りつけてしまいそうでしたしっ!!
「せっかく、せっかく一緒にお祭りに行って、無礼講で楽しめるって聞いたから、一杯若宮と一緒に楽しもうと思っていたのにっ!!」
「まぁ、神皇の夫婦関係は、普通の夫婦関係とは違って色々堅苦しいからねぇ……。最近なかなか見つからない賢者の石を探し回っている若宮陛下が、あまりかまってくれていないのも知っているけどさ……」
半ば泣きそうになりながら愚痴を漏らす私に、苦笑いをしながら酒を進めてくれる那岐。私は彼女が出してくれた盃を遠慮なくもらい、一気にそれをあおります。
「あの人だって、好きなことができなくていろいろ溜まっているんだから、たまの無礼講ぐらい好きにさせてあげたら?」
「わかってますよっ!! だからこうして、あの人が帰ってきたら殴らないよう、あなたたちに愚痴を吐いて、我慢しようとしているんじゃないですかっ!!」
「人を悪感情のはけ口に使うとは、褒められた行為ではないな」
「「あんたが言うなっ!!」」
「ふん。俺とて人間だ。常に完全な行動をとれるわけないだろう?」
さんざん人をネタに使って嫌がらせ小説を書いている貫己は、私たち二人のツッコミに悪びれもなくそう言い切りながら、神術であっためられている鍋の中から、茶色い液体を匙で救い、自分の椀に入れていく。
「ところで、思っていたのですが、なんですかそれ? とっても美味しそうな……」
「あぁ。これは最近賢気様が腐れ神様と共同で開発された、《味噌》っていう調味料を使った料理なの」
「味噌汁という料理らしいが……これが意外と美味くてな。食うか?」
「貫己が、人に向かって好意的な態度を示すなんて……」
「うまいものは誰であっても進める性質だ。俺は料理ができんからな……。うまい料理に出会ったら、その作り方を積極的に広め、作れる人間を増やすのだ。そうすれば、俺が作れなくてもだれかの家に訪れたときに、その美味い料理が出る確率が上がるからな」
「なんて迂遠で遠回しな自分のための努力……」
まったく……そういう労力を惜しまない前に、少しでもその誰の為にもならない毒舌を抑える努力をしてください。と、私は愚痴のような小さな抗議をしながら、お椀をうけとり味噌汁をよそってもらう。
そして、
「お、おいしぃ!?」
今まで味わったことがない、はっきりとした《味》が感じられる料理に、私は驚きました。
塩を大量にぶっかけたときの物とはまた違う、不思議な風味を伴った独特の辛味。
いや、辛みというのも語弊がありますが、とにかくおいしいのです。
「これは……料理世界に革命がおきますよっ!!」
「これ食べたら、ただ具材を煮込んで、塩で味を整えただけの飲み物なんて、食べられませんよね」
「うむ。あの無能の知恵神もたまには役に立つことをする」
滅多に意見の合わない貫己と那岐は、そんなことを言いながら意気投合し、互いに匙をとりあい味噌汁を飲んでいきます。
こ、これはまずい!? 私も早く参戦しないと御代わりがもらえません!! と、その熾烈な匙争奪戦を見た私は、慌ててついでもらった味噌汁と飲もうとして、
「って、そういえば、賢気様は?」
いつも那岐の首下にかかっている、あの最高神の姿がないことに気付きました。
ですが二人は、私の質問に少し争いをやめた後、なぜかとっても生暖かい瞳で、
「まぁ、いろいろだ」
「神様にだって私用の一つは二つあるんですよ、輝夜」
なぜか曖昧な言葉ではぐらかされました。
…†…†…………†…†…
神人入り乱れる乱痴気騒ぎを眺めながら、俺――賢者の石は、主賓である岩守の隣に置かれながら、大きな雪の鳥居が入口手前に設置されたカマクラで、最近できた味噌を使った味噌汁を、岩守に振舞っていた。
岩神はその味噌汁を美味しそうに口に含み、外の景色を見つめる。
「この国も……私たちが出会った当初と比べると、ずいぶんにぎやかになりましたね」
「こういう騒がしい空気は嫌いか?」
「いえ。誰かに祝ってもらえるのはいつだって嬉しいですよ。それに」
そこで岩守は言葉をきり、人間とともに肩を組んで歌う、雪の神を見つめた。
「こうして定期的に冬に働く神々が祝われる祭りがあるというのも、いいことだと思いますしね」
「そうだな……」
そう。本来は岩守だけを祝う祭りだったこの大威山祭りも、開催がちょうど冬真っ只中ということで、冬の神々……雪の神や、霜の神々などが集まり、自身の存在を知らしめる祭りになりつつあるのだ。
完全に岩守の信仰に乗っかった、無賃乗車的な行為なのだが、岩守も彼らの気持ちはわかるのか、だいたいの神々の参加が黙認されている。
真教伝来により、人は神以外の上位存在を知り、縋るようになった。
無論神への畏敬を忘れたわけではない。だが、やはり神々はいつ忘れられるのかという不安を消し切れないでいるのだろう。
いずれ自分は、いらない存在として扱われるのでは? と。
自分の代わりはいるのだから。と。
真神戦争で、一応の決着と理解は得られた。だがそれでも、人間臭いうちの神々はやはり内心の不安が隠しきれない。それが顕在化したのが、いまの大威山の祭りを盛り上げる冬の神々だ。
俺はそう考察していたのだが、
「えぇ。彼らも、自分をたたえてくれる祭りがないと張り合いがないと常々こぼしていましたからね……。とはいえ、下界の民たちに、何回も別々の神を称えさせるのも負担でしょう? ですから私が「でしたら、一緒に祝われてみません?」と、祭りの合併を持ちかけたら意外とあっさり許諾してもらえて」
「って、あれ!? そんな理由で!?」
思った以上にゆるかった神々の祭り参加の理由に、俺は思わず声をあげ、岩守はそんな俺を不思議そうに見つめた。
「?? 他に理由があるのですか?」
「だ、だってほら……真教伝来による信仰喪失とか、まだ色々不安が残っていたのかな~。なんて、俺は思っていたわけなんだけど」
「あぁ。賢者の石……それはさすがに私たち神々を舐めすぎですよ」
いちいち決着のついた事象をとやかく掘り返すような神はいません。と、岩守は俺の不安を切って捨てた。
さすがにその時は「流刃は、死んだ依産の件を遠慮なく掘り返して、黄泉をぶった斬ったけどな」という、空気読めていない発言は控える。
「ここ数百年で、私たち神は悟ったんですよ。この国の民たちは、私たちを決して忘れないと。真教による教えを受け入れはしても、欠かさず社をお参りしてくれる人。御供え物をしてくれる人。日常のちょっとした奇跡に、感謝を告げに来てくれる人。そんな人たちが減らなかったのを知って、私たち神は、人を疑うことを止めました」
そう言った岩守は、カマクラの入り口に目を向け、夜を暖かく照らすカマクラから漏れる蝋燭の光を見つめていた。
「それに、私たち神は人と長く付き合い続けていくうちに、情が移ってしまいました。不思議ですね……昔は血筋なんてものは微塵も興味がなかったのに、今では私をお参りしてくれたお爺さんの孫が来たら、無条件でかわいがってあげたくなる」
蝋燭の明かりを見る岩守の瞳は暖かく、穏やかに、我が子を見つめる母のような愛が感じられた。
「だからこそ、その子たちがもう神はいらないのだといい、私たちを捨てるのなら……私たち神はそれでもいいと思い始めているんです」
「え?」
「賢者の石はいつでも言っていたでしょう? 人はいずれ一人で立つ。それは確かにさびしいことだけど、悪いことじゃないんだって。成長の証なんだって。なら、私たちはそれを祝いこそすれ、怒り祟るのは間違っているんだと……今の神々はそう思っています」
人間的な未熟な精神を持つ神々。だが、その神々も真教に触れ、不完全ながらも正しくあろうとする人間に触れ、変わってきているのだろう。
神として、上位存在として君臨するような考えではなく、生み出したものとして、助け起こすものとしての矜持が、岩守の言葉には感じられた。
「だが……今まで守ってきた連中に、その恩をあだで返されるようなことをされて、神々は本当に納得がいくのか?」
「それこそ愚問ですね賢者の石。私たちは《神》。子供に恩を返せと強要するような狭量な考えしかできぬようでは、その名を戴くことはできませんよ」
最後の俺の質問に、嫣然とした笑みで自信たっぷりに返してくれた岩守に、俺は苦笑いをしながら脱帽する。
神様らしくなりやがってと……。
「それに……いずれ終わる生も、誰かに執着する愛も、悪くはないと思いますしね」
それも、人間の影響か? と笑いながら問う俺の言葉に、岩守は「さて、どうでしょう?」と、悪戯っぽい笑みを返した。
穏やかな時間が過ぎていく。賑やかな空気と共に。
俺はそんな暖かな岩守との時間が、嫌いじゃなかった。




