征歩死す
「へ……いか?」
矢を放った鴉獣人が、ずいぶんと離れた場所へと墜落する。慌てて豊隆が拘束の仙術を飛ばす中、突然目の前に現れた征歩陛下に、私――徳上政子は思わず目を見開きます。
どうやってこんなところに? 神様の説得はどうなりました!?
そんな質問がいくつも思い浮かびますが、それが私の口からうまく形になって出ることはありません。
そして、
「大丈夫か? 政子」
「っ!?」
振り返った征歩陛下の顔を見て……。いいえ。雰囲気を見て、私はそんな質問など口にできなくなりました。
だって……だってその陛下は、
「違う……。誰ですか、あなたはっ!」
陛下とは似ても似つかない、畏怖すら覚える圧倒的圧力を、その身からはなっておられたからです。
「やっぱり、長年連れ添った嫁にはばれちゃうか……」
良い嫁もちやがって。と、その征歩陛下の姿をした何かは、照れくさそうに頭をかきながら、名乗りを上げる。
「わが名は《流刃天剣主》。お前と会うのは俺が征歩に謝りにいった時以来かな? 政子。お前あのとき相当怒ってたから、あんま顔合わせたくなかったんだが……」
その雰囲気と、に身にまとう圧力に釣り合わない軽い口調は、確かにあの主神様のものと酷似していました。
彼が言っていることは、恐らく本当。でも、だとするならっ!!
「へ、陛下は! 陛下はご無事なんですかっ!!」
その身に神を宿すなど、人の身に余る行いだと巫女たちはよく言います。望戸のような傑出した才能でもない限り、到底不可能だと。まぁ、そんなことしなくても、勝手に降臨してくれるから、憑代の技術が発達しなかったという事情もありますが……。
無論陛下も、神の血を引く皇族である以上、一般の人よりかは憑代の才能は非常に高いものを持っています。ですが、だからと言って望戸級の神職としての才能があったかと言われれば、首を傾げざるえません。
到底神をその身に宿し、無事でいられる才能はもっておられませんでした。
でも、そんな私の不安をくみ取ってくださったのか、主神様は征歩陛下の顔で笑い、私の頭を撫で、
「安心しろ……政子。お前を一人にしたりしないよ」
「っ!!」
陛下の声で、そう笑いかけてくださいました。
それに思わず呆然とする私を置き去りに、身をひるがえした主神様は武志さんに話しかけます。
「この戦争を止める。主戦場はどこだ?」
「は、はいっ!! ここから北に五記路明取ほど行った場所に!!」
「何萎縮してんだ。俺に会うのは初めてってわけじゃないだろうに」
「し、真剣な仕事体勢のあなた様は初めてです……流刃天剣主様」
「え? マジで? 俺そんな圧力出てる?」
そんな軽口をたたきながら、
「ガキの喧嘩止めるためだけに、ここまですんのは大げさなのかもねぇ?」
と、小さく笑いながら、私たちの目の前から光の粒子になって消失されました。
しばらく私たちは、陛下が消えられた場所を呆然と見ていましたが、
「て、天瞳神社の巫女を! 神術具である鏡ごと連れて来いっ!! 戦場の様子をここで映させろっ!」
真っ先に復活した武志さんの指示を受け、突然の神の降臨に呆然としていた兵士さんたちが、あわただしく動き始めます。
それでも私は、嫌な予感が降り払えず……いつまでたっても立ち上がれませんでした。
その時、私は気づいていたのかもしれません。
これは……きっと、取り返しのつかない事態になると。
…†…†…………†…†…
それから数秒後。
血で血を洗う戦いをしていた兵士たちは、突如出現した白い人影によって大地にたたき伏せられた。
いや、正確にいうならば、大地に突然現れた白い人影が放つ圧力によって、だろう。
「控えろ……。この無意味な戦争をいますぐ終えるのだ」
戦っていた兵士たち全員を叩き伏せたのち、白い人影――真っ白な霊力を纏った征歩がそう語るのを聞き、真教派の兵士たちは安堵の息をつき、神祇道派の兵士たちは瞠目する。
だが、
「いまさらになって……何をしに来よった!」
その圧力に抗い、立ち続ける老人が一人。
「征歩っ!!」
神祇道派大将――神盛大来名。
その老人は生涯で最大の仇敵の出現に笑いながら、神の圧力になお抗い、大将の役目をまっとうする。
「儂は確かにお主に負けた。決して誇れるような、上等な人生を歩んできたわけではないからな……いずれ誰かに野に追いやられる覚悟ぐらいしておった。おぬしに負けたときの、案外すっきり諦めがついたよ。儂を負かすぐらいのやつが神皇になってくれるなら、この国は安泰じゃろうと! じゃが、結果はなんじゃ!? 神を捨てるなど妄言をぬかしよって!! 貴様はそれでも神皇かっ!!」
その声に含まれる、隠しきれぬ失意と憤怒。その声を真っ向から受け止めながら、征歩は天剣をふるい、
「否。征歩に非ず」
瞬間、世界に一瞬だけ線が引かれ、ぶれた。
あまりに非常識。あまりにでたらめ。その圧倒的かつ絶望的な出力の神術を見て、大来名はようやく自分の勘違いを悟った。
「わが名は……流刃天剣主。日ノ本神話体系の……主神である」
「あ……あぁ!?」
幸い世界はすぐに戻り、元の光景を取り戻したが、大来名の失態は、戻りはしない。
奉っていた神を、守ると誓った神を見間違えてしまったのだ。周囲の失望以上に、本人が受けた衝撃の方が大きい。
膝が折れ、大来名はそのまま地面に座り込む。
そんな彼に申し訳なさそうに笑いかけながら、征歩に魂に宿った流刃は声高らかに神託を下した。
「きけっ! 日ノ本に住むすべての民よっ!」
その声は戦場にいる人間だけではなく、日ノ本全土でこの戦争の行く末を気にしていた人々へと届けられた。
「主神・流刃天剣主の名において、真教布教を許可する! だが、これは我々神をすてよという命令ではないッ! 我々日ノ本神は、真教を信じる者であっても、我等を崇める許可を出すっ!!」
それは、日ノ本の宗教観が確定した重要な日。
「真教を崇めたからと言って、真教を信じたからと言って、我等に見捨てられると恐怖を覚える必要はないっ!!」
その神託に、人々は涙を流し、真教徒でさえも地に伏し感謝の意を示した。
「我等は、いつなんどき、なにがあっても! お前たちを見守り……救う存在であるっ!!」
こうして、日ノ本最古にして最後の宗教戦争の幕が引かれ、兵士たちは涙を流しながら、神々が自分たちを変わらず守ってくれることに感謝した。
そして、
…†…†…………†…†…
「陛下っ!!」
この戦場で、一つの命が消えようとしていた。
神託を終えた途端、放っていた圧力が消え倒れ伏した征歩に、政子が駆け寄る。嫌な予感から確信へと変わった事象が起こる恐怖のあまり、何度も地面につまずきならも、死に物狂いで、彼女は最愛の人物に駆け寄る。
そして、倒れた征歩に彼女がたどりつき助け起こすのを、敵兵も邪魔しなかった。
邪魔をしてはいけないと、誰もがわかっていたからだろう。
「陛下……陛下っ!」
涙を流しながら、完全に瞳を閉じてしまった征歩の顔に触れる政子。
それに気付いたのか、征歩はうっすらと目を開き、
「は、ははっ……。わりぃ、無理しちまった」
「い、いいえっ! いいえっ!! あなたは、立派に神皇の役割を果たされましたっ!! 胸を張って、誇ってくださいっ!!」
「そうか? じゃぁ、戦争は終わったんだな……」
よかった、征歩は満足げに笑い、政子が流す涙をぬぐう。
「泣くな、政子。お前の泣き顔は昔から苦手だって、いっていただろ?」
「陛下……。でも、陛下っ!!」
その時にはもう、征歩の体は足元から消え始めていた。
魂のまま下界に降りた征歩の体が、霊力に変貌し拡散していく。
「あぁ、なんだ……。一応高草原で神様に布教の許可もらうために、月一で祭り開くことになったから、根回し頼む」
「喋らないで……」
「それから、真教や仙術知識もいれた科挙の修正案だったな……。あれ、一応署名書いておいて、許可だしといたから、望戸や豊隆に頼んで一緒にやってくれ」
「いやっ……」
「あぁ、あと篤之宮……。子育て、途中放棄する形になってゴメン。でもおまえなら、あいつを立派な神皇にできるって信じてるから」
「遺言みたいなこと……いわないでくださいっ!!」
政子の悲痛な悲鳴を聞き、征歩は一瞬口を閉じた。でも、やはり彼は再び口を開く。
「ゴメン……政子。でも、いわないと……。お前も、聞いてくれないと、いけないんだ」
征歩も薄々そのことに気付いていたのだろう。だから、神皇としての役割を放棄し、政子をとった以上、最低限の責任をとるために、これから神皇としてやっていかなければならない仕事を、すべて政子に伝えていく。
政子は涙を流しながら、何度も首を振りながら、それでも最後まで征歩の遺言を聞き届け、
「あと……最後に」
「……………………………………」
「笑って……名前を呼んでくれ。昔みたいに」
「っ!!」
酷な願いをしていることは、征歩自身もわかっていたのだろう。
いままでよりも多くの涙を流しながら、顔を俯ける政子に、征歩は思わず目を閉じかける。
だが、
「大好きでした……征歩」
「…………………………………」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも笑ってくれた政子の頬をさわり、
「あぁ……ずっとお前が好きだよ。政子」
征歩は満足げに笑った後、とうとう霊力の粒子になって、高草原へと登って行った。
享年38歳。
征歩神皇……戦場にて安らかに寝る。
神皇たちの死にざまが書かれた、《皇家葬送帳》には、征歩の最後はそう記されていた。
魂が抜け落ちた体があった場所ではなく、英雄として彼が散った場所が、死に場所として記載されていた。
*皇家葬送帳=初代神皇大和から脈々と続く神皇家。その死にざまと偉業が記された書物だ。現代でもその記載は続いており、現代の成和神皇の名前も記載されている。たとえ悪行であっても、神皇の行いはすべて正直に記載されているので、おそらくもっとも嘘偽りがない歴史が記されている歴史書だと、歴史研究者たちは考察している。日ノ本歴史を調べるに当たり、よく参照される重要な書物の一冊。
この本には神皇家秘伝の『固定化』の神術が施されており、あらゆる手段を使っても破壊、内容の改変は不可能となっている。そのため一度記載した文章を改変することはできず、記載も門外不出の特別な墨を使わねば不可能。
そのため、この書に記載を行うことは、一字一句間違うことが許されず、筆記者はこれを書く際すさまじいストレスを覚えるという。
安条時代の記載者『野洲中彦』は自らの手記で、『めちゃくちゃ疲れた……。もう二度とやりたくない』と記載していたが、とある事情で神皇が二代ほど即座に変わってしまったため、泣きながらその書を記したといわれる。その後彼は、神皇を絶対殺さないためにあらゆる知識・武術を獲得し、神皇家の守護神といわれる英雄になったらしい……。
証拠とされる涙のしずくの跡が、その当時の皇家葬送帳から見れることから、あながちウソというわけではないのだろう。




