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天魔王の信念

「いてててて……。ひでぇ目にあった」


 地面にできた巨大な陥没から、俺――流刃は全身に残る痛みに苦悶の声をあげながら立ち上がる。


 人間だったら確実に死んでたな……。と、俺の周囲にできた巨大な陥没を見て思った俺だが、


「まぁ、神様だから死なないんだけど……」


 と、ちょっとだけいまの自分の体に感謝。


 だが、


「貴様を落とせばこの高草原は再び混乱するだろ?」


「おっと……お早いご到着で」


 吹っ飛んだ俺と同じように、上から突如として降ってきた六落天魔王の二人に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。


 周囲では、賢者の石に説得され通常業務に戻っていた神格たちが、突如始まった俺の戦闘に、ぎょっとした様子で固まっている。


 まずいな……。ここで戦うとかなり被害が出そうだ……。


 内心俺がそう考えていると、


『お前らっ……今すぐ逃げろっ! 流刃が本気出して天剣振り回すぞっ!!』


 突如として俺たち日ノ本神話体系の神々の頭に、直接響き渡る警告の声。


(賢者の石か!! さすがはいい判断しやがる!!)


 ただ、警告の内容にいささか語弊がある気がするけど……。と、内心でツッコミを入れつつ、俺は賢者の石の警告が事実であると、周囲の神々に知らせるためにわかりやすく天剣を構えた。


「あぁ、確かに倒せたらさっき社で話していた話は流れるだろう。それどころじゃねーしな。まぁ、倒せたらの話ではあるが」


「随分と自信があふれるセリフだな……小国の主神よ」


さっきの話を聞いていなかったのか? 嫉妬の六落天魔王は、そう吐き捨てながらじわじわと俺への距離を詰めていく。


 それを見てようやく事の異常さを悟ったのか、六落天魔王たちを刺激しないように、コソコソと……しかし迅速にその場から離れていく神々。


 だが、まだまだ避難には時間がかかりそうだ。


 時間を稼ぐ必要がある。


 そう判断した俺は、足運びや切っ先の移動で、六落天魔王を牽制しながら、質問をぶつけた。


「なぜそうまでして真教を嫌う? あんたにとってはそういう存在ってだけで十分な理由になるんだろうが……それにしちゃしつこすぎるぜ? 何か他にも理由があるような気がするんだが?」


「ん?」


 幸いなことに、天魔王はその質問に食いついてくれた。


 下らん。そういう神だからそうするだけだ。と切り捨てられてしまう可能性もあったが、幸いこの質問は奴らの琴線に触れたらしい。


「なぜ? なぜだと……? 語る必要があるっていうのかっ!?」


 これだから無知な田舎の神は……。と、吐き捨てるように《激怒》がつぶやいたのには若干腹が立ったが。


 というか、ついうっかり怒りのあまり、避難を待たずに天剣をふるってしまうところだった。


 さすがは激怒を誘発する魔王。人を怒らせる才覚に関しては、ピカ一の物を持つらしい。


「下らん。説法は俺の領分じゃないんでね……。《傲慢》の方に任せるよ」


 と、激怒が言った瞬間、嫉妬はそのまま拳を構えた状態でひとまず臨戦態勢を解き、


「さて……またお目見えいたしましたね」


 マフラー代わりにしていた黒衣を再び上からかぶり、雰囲気が変わった激怒を、守るように前に立つ。


「先ほどは自己紹介ができずに申し訳ありません……。私が《傲慢》をつかさどる六落天魔王にございます」


「っ!? 多重人格かっ!?」


 その光景を見て驚いたように声をあげるのは、いつのまにか俺たちの社から出てきていた、征歩に運ばれている賢者の石。


「というか、危ねぇだろ!? なんできたっ!?」


「お前のこと流慰が心配していたからだよっ! 安心しろ。岩守塚女と作った結界のおかげで、俺の防御に関しての権能は、うちの国では五本指に入る。そうやすやすとこいつを傷つけさせたりはしねぇ!」


 そう言った賢者の石の言葉通り、征歩の体には簡易だが、夜海の黄泉の瘴気を防いだあの結界がまとわれている。


 確かにこれなら、高草原ごと切っちまわないように加減する予定の俺の斬撃も、何とか防げるはずだが……。


「雑談はよろしいですかな?」


「っ……あぁ、待たせてわりぃ」


 心配そうに征歩を見つめていた俺の視線は、傲慢の言葉によってふたたび六落天魔王たちに引き戻された。


 そうだ。今の俺の敵はかなり厄介な奴だ。他人の心配していられる状況じゃないか。


「にしても、こっちの雑談の終了を待ってくれるなんて……。意外と気が利くじゃないか!」


「いえいえ。私は、他者に私を侮らせ、《傲慢》な感情を引き出すことを得意としているかわりに、戦闘手段を持ち合わせておりませんので……下手に出るしかないのでございますよ」


 そう言って不気味な笑みを浮かべながら、傲慢はようやく本題に入った。


「さて……なぜ我々が真教を嫌うのか? 細かく話せば長くなるので、本格的な説法は省略させていただきますが……本質的な理由は、あの宗教が狂っているからにほかなりませぬ」


「……なに?」


 その答えはさすがに意外だった。


 賢者の石も、征歩も驚いているのか、息をのみ傲慢の言葉に耳を傾けている。


「俺たちには……それはとてもいい話をする宗教だと思うが?」


「ではひとつ問いましょう……。真教には《不殺》の教えがあります。これは自分の欲望のために他者を殺すことを戒めた教えですが、その教えの理論は動物にもおよび、アリを踏みつけて殺してはならない。獣を狩り食してはいけない。と、そういった戒律がつくられています。さて、あなた方はこの教えが受け入れられますか?」


「………………………………」


 答えは否。できるわけがねーだろ。俺ははっきりと思った。


 もとより獣を狩り食すのは、それが必要な食糧だと賢者の石に教えられたからだ。


 確かに草だけで生きていくこともできないわけではないだろうが、人間の体がそのままでは変調をきたす。


 生き物を殺して食うのは、人にとっては必要なことなんだと……俺も長年の経験から知っている。


 だが、


「真教はそれを否定した……」


「……何が言いたい?」


 遠回しな傲慢の発言に、俺は何やら得体のしれない悪寒を感じる。


「こんなものはまだ序の口です。真教は常に教え続ける。私たちから逃れるよう、私達を捨て去るよう、私達を認めぬよう!! そして、それが完全になされた存在は、世界の真理を悟り解脱していく……だが、だとすれば」


 私達を捨て去った人間に……はたして何が残る? 六落天魔王はそう問いかけたが、その結論はすでに出ていたらしい。


「なにも……残らないんですよ」


 俺の体に鳥肌が立つのを、確かに感じた。


「激怒を忘れた存在は正義を忘れ、どんな悪党が何をしても笑って許してしまった。

嫉妬を忘れた人間は、高みを目指すことを止め、ただあるがままを受け入れて停滞した。傲慢を忘れた人間は矜持を捨て、誰かのためになら汚水すら飲み干した。

淫楽を忘れた人間には子も生まれず、その一族は滅びてしまった。

過食を忘れた人間は、食べることすら嫌になり餓死してしまった。

怠惰を忘れた人間は、休むこともせず働き続け疲労のあまり倒れ伏した。

こんな……こんな人間を量産する教えが……理想の教え?」


 そして次の瞬間、傲慢は読経をするかのようにこの言葉を唱え始める。


「ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない――――――!! 断じて、あってはならないッ!! あんな悲劇は、繰り返されちゃいけないんだっ!!」


 だからっ!! 傲慢はそう言って再び黒い掛物を脱ぎ去り、青い三つ目の魔神へと変貌する。


「俺たちは……真教に異を唱える」


「お前たちは間違っている。お前たちは狂っていると」


 そして、再び臨戦態勢に入った二人は、俺に向かって霊力を発し、


「お前たちの教えは……決して、こんな広大な範囲で広められていいような、大したものじゃないと……叫び続けるんだっ!!」


 瞬間、二人の姿が消え、俺の眼前に再出現する。


 振りかぶられた嫉妬の拳は、限界まで引き絞られ、くらったら首がもげるんじゃないかと思うほどの力が感じられる。


 激怒の怒りに燃える第三の瞳は、俺の天剣から発せられる霊力を睨み付け、その力を散らそうとする。


 確かな覚悟。確かな信念を持った男たちの瞳に、俺は思わず感嘆の息をもらし、そして、


「お前たちは……」


 あの教典の一文を、思い出していた。


「真教の教祖に……《シン・アルダータ》に、もっと普通の人生を、送ってほしかったんだな」


「っ!!」


 瞬間、二人の目が見開かれ、動きが止まる。


 それを見逃す俺じゃない。


「両断しろ」


「しまっ!?」


「《天剣――神征》!!」


 俺の力をもっとも十全に引き出す神術の言霊。あの戦場で龍神姫に振るった一撃は、神話を知る人々の信仰によってさらに強化される。


 莫大な圧力によって練磨された至高の斬撃が、一本の線を世界に引いた。


 真教の悪魔、二体の体が……再び二つに分けられる。




…†…†…………†…†…




 今度は四人になってしまった己が体に、唖然として驚いていた六落天魔王は、問いかけるような視線を、流刃に向けていた。


「なぜ……いや、どうやって」


「私たちの、いや、嫉妬の戦闘技能は……あなたの常に上を行っていたはず」


 さらに増えた、もうほとんどヌードに近い姿をした、艶めかしい褐色の肌を持つ美女――《淫楽》と、黒い掛物をした男――《傲慢》の問いかけに、征歩は呆れたように答えを告げる。


「お前ら……一度真教の教祖に負けたんだったら知っているだろう? 嫉妬が常に相手の上を行くっつっても、その相手がそれ以上上のない、世界の上限に達していれば、それを超えることは絶対にできないって。真教祖が何を極めていたのかは知らんが、俺は剣術が極致に至った神格だ。だったら、絶対越えられることがない剣術の一刀で、お前らを切断できるのは当然のことだろうが」


 なんの気なしに言いやがったが……実はとんでもないこと言っているよな、あいつ。と、俺――賢者の石はあっさりと流刃が告げた正解に、思わず呆れながら首をふるう。


 世界の極致に至るとか……神様になってもかなり難しいことくらい知っているだろうに。


「だ、だが……いったいどうやって!? 我々はただ斬られただけでは、それぞれの人格ごとに分割されたりは……」


「仮にも俺は主神だぞ? 神様相手に効果がある神術だって持ち合わせているっつーの。まぁ、詳しい内容に関しては企業秘密だが……。というかさぁ、勝ったのは俺だぞ? いつまで質問してんだよ、お前ら」


 本当は俺の方が、言いたいことが山のようにあるんだ。と、語る流刃に対し、


「ま……まだだ」


 今度は別の六落天魔王が声をあげた。


 切り裂かれた嫉妬だ。


「まだ俺たちは死んでいない……。まだまだ戦えるっ!!」


 そう主張し、再び拳を構える嫉妬に流刃は大きなため息をもらし、


「お前たち真教は……なんていうか極端だよなぁ」


 苦笑い交じりにそう言った。


「な、なにを……」


「だってそうだろうが? お前たちの行き過ぎた負の感情を受け入れれば、ろくなことにならないのも理解している。だが、真教教祖が言うように、すべての悪感情を捨て去れば、お前たちが言ったような悲劇が待ち構えている……。まったく、面倒な宗教をこさえたもんだ。お前たちは」


 流刃は苦笑いを浮かべたまま剣を収め、


「要はさぁ、均衡なんだよ。行き過ぎた悪感情じゃない。なくなりすぎた平穏でもない……。悪感情だって感情だ。いい感情だって善ってわけじゃない。その二つを同時に持って、迷い続ける人間が、人間としてまっとうな人生を送れるんだ。お前たちは、人間にはそうあってほしいと願って、こんなことをしていたんだろ?」


 きっと彼らは見てしまったのだろう。なんの気なしに、悟りの会得を、邪魔をするだけの存在だった彼らが、本気でこの権能をふるうことになった理由を……真教の完成の際に、見てしまったんだ。


 自分を殺そうとした弟子を笑って許した、真教祖を。


 その弟子に再び裏切られ、死の淵をさまよい、結局戻ってこられなかった真教祖を。


 そんな無残な死因だったのに、それでも笑って満足げに逝った……綺麗すぎる真教祖を。


 経典には、真教の祖は、多くの弟子たちに囲まれて、穏やかな、寝ているような笑顔で逝ったと記されている。


 だが、彼の死因が暗殺であったという事実は決して揺るがない。


 六落天魔王は、長年の好敵手であり続けた彼のそんな無残な死因を、許すことができなかったんだと……流刃は予想した。


 もっと泣いてほしかったんだ。


 もっと理不尽な世の中を罵ってほしかったんだ。


 どうして自分を殺したんだと、暗殺した弟子を怒鳴りつけてほしかったんだ。


「あいつは……恨み言ひとつ言わずに逝ったんだ。神様になったんだ。でも、俺たちは人間だったころのあいつを知っている……苦労して、泣きわめいて、どうしてこんな苦しみを得て生きて行かないといけないんだと、絶叫するあいつを知っている」


「そのころのあいつは本当に無様で、笑えて、滑稽で……でも綺麗な生きざまをしていた」


 涙を流す六落天魔王たちを代表し、嫉妬と激怒はそう語る。


「そんなあいつの最後を、作り出した弟子が許せなかった……。でもあいつは死ぬ間際、俺たちがその弟子のもとへ行こうとするのを確かに見ていて……こう言いやがったんだ」


「『やめてくれと。あの子に罪はない。救えなかった私の責任だと……』」


「ふざけんじゃねぇよ……。一番あのクソ弟子を恨まなくちゃならねぇお前が、どうしてそんなこと言うんだよっ! お前がそんなこと言ったら……俺たちはあいつに手を出すことができねぇだろうがっ!!」


「弟子はそんなあいつの気も知らないで、のうのうと生き延びてソコソコ幸せになってから死にやがった」


「まるであいつの死なんて、そいつにとっては関係ないといわんばかりに……平穏に、あっさりと……まるで何も悪いことをしていない奴のように逝きやがった!! あいつを殺した罪の意識なんて、一度も覚えないまま、あいつから奪った信者たちに称えられ、小さな宗教の主として、天寿を全うしやがった!!」


「あいつが語っている善なんて、すべて嘘だ! 人は……あの教えでは幸せになれない! 幸せになったと錯覚するだけだっ!!」


「だから……俺たちは許すわけにはいかないんだ」


「真教が広まるのを、許すわけにはいかないんだ……」


『もうあんなくだらない死にざまを、他の人間にさせないために……俺たちは、真教に異を、唱え続けなくちゃいけないんだっ!!』


 魔王たちの怒号の合唱を受け、流刃は目を閉じる。そして、


「……あい分かった。日ノ本神話体系の主神として、汝らの願い、汝らの思い、しかと受け取った」


 神としての裁定を下す。


「だが、お前たちは敗北者だ。そして、真教はこの国に必要だ。よって、お前たちの訴えを、俺は受け入れることはできない」


『っ』


 当然だ。俺は流刃の結論を聞きながらそう思う。


真教は人が悪感情にだけ傾倒しないよう、自主的道徳心を学ばせるのに絶対必要な宗教だ。悪感情のまま、殺人や窃盗といった、悪事に手を染めないようにするための必要最低限のストッパーとして、活躍してもらわなくてはならない。


 俺たち日ノ本神は全知全能で無く、実際すべての民の罪を見ているわけではない。だからこそ、神が見ているという教えだけでは、罪の防止には足りないんだ。


 自主的な罪に対する戒めが――真教の教えを基盤とした道徳心が絶対に必要だ。


 だが、それと同時に俺は新たな問題に直面することとなる。


行き過ぎた善の感情はその人間から人間味を欠けさせてしまうという、真教の欠点に。


 とはいえ、現代知識を持つ俺は、べつにその可能性は言うほど気にする必要はないと思っている。


 当たり前だ。そんな人間味が欠けるほどの聖人君子が、そうポンポン現れてしまっては、真教の教祖は偉大でもなんでもなくなるし、全世界の真教信者はあっという間に解脱祭り。真教天界の天楽は、瞬く間に人(神?)口飽和を迎えるだろう。


 だがそんなことはありえない。人が聖人君子になることは、決して安いことではない。


 真教祖だってそれを理解しているからこそ、少しでも自分の教えが救いになればと真教を立ち上げたのだろう。


 結論としては……六落天魔王たちの取り越し苦労だ。


 人は結局のところ、清濁を併せ呑んで生きていく者が大半なのだから。


 特にこの日ノ本は、現在瑞から渡ってきた仙術のおかげで、さらにそれを顕著に表す可能性を秘めた国でもある。


 仙術の基本理論の一つ。暗明五行(あんみょうごぎょう)思想。世界は《(あん)》と《(みょう)》、そして五つの《行》によって構成されるという考え。


 光だけでは成り立たない、闇も必ず必要だというその思想は、真教ほどではないものの、荒御霊と和御霊を持つ日ノ本神霊たちの信仰と合致し、緩やかに……しかし確実に、民間にも広がりつつある。


「だが、お前たちの警鐘は確かに重視すべきことだ……」


「え……」


 だからこそ、流刃は最後にそう言って、天魔王たちに笑いかけた。


「ならば、貴様らの仕事の代わりは我らが請け負おう。人が人らしく有れるよう、人が決して欠けてしまわぬよう……そういう加護を与え続けよう」


「で……できるわけがない。真教の教えは強力だっ! 現に俺の国では俺無しでは欠けてしまう人間が大勢……」


「あぁ、もう、めんどくさいなっ!! はっきり言ってやるよ! お前らは人間を過大評価しすぎだつってんだよ!!」


 いい加減真面目な口調が疲れたのか、流刃はいつもの口調に戻りはっきりと言い切りやがった。


 つか、ぶっちゃけんの早すぎるだろっ!?


「感情を消して天楽に行くだ!? できるかそんなもん! だったら俺はこんなところで仕事に忙殺されたりしてないっつーの! 神様だって、うまいもんだって食いたいし、楽しいもの見たいし、楽してダラダラしたいし、下界で遊んでいる賢者の石は妬ましいし!!」


「まて!? 遊んでいるわけじゃないぞっ!?」


 俺の必死の抗議をスルーして、流刃は叫び続ける。


「そして、そんな雑念だらけの俺達を……神々を見て、俺達の民たちはいつも笑っていたぞ! 俺達にすがったりはするけど、それでももっと、神様らしく感情を抑えろって言わなかったぞ? わかってんだよ、人間は! 少なくとも俺の国の民たちは、お前たちに脅されなくてもきちんと理解してんだよ!! どんな感情であったとしても、生きていくためには必要なもんだって、言われなくても……理解してくれているんだよっ!!」


『っ――――!!』


 悪感情は確かに悪い。少なくとも、良いものではない。それが行き過ぎれば、犯罪に手を染めるし、人を傷つける。


 だが、なくていいものではないんだと、生きていくうえには、楽しい人生を送る上では、決して不要なものではないんだと、この国の民たちは神から学んでいる。


「未完成で何が悪いっ! 不完全で何が悪いっ!! 完全を目指すのは結構! 真教万歳だ。もろ手を上げて喜んでやる。だがなぁ、その真教の教えを受けたからと言って、人間として大切なもんを欠落させるほど……俺のガキどもは、バカじゃないんだよ、クソ魔王が!」


 最後に流刃天剣主はそう締めくくり、宣言する。


「出ていくがいい、異国の魔王よっ! この国に、貴様らの杞憂など存在しない! それでもなお、お前たちが言うように、誰にも怒れない、生きていく力が欠落したやつらが出たというのなら」


 流刃は叫び、天剣を構える。


「神様権限で俺たちが、そいつの代わりに祟りを起こしてやるよっ!!」


 荒御霊という荒ぶる魂を持つ神がゆえに、誰かの代わりに怒ることを、悪感情を抱くことをいとわない。


 この国の神と、真教の神は違うんだ。


 それが明確にわかる流刃のトドメの一言に、六落天魔王たちは絶句した後、


「あぁ……くそっ」


 小さく笑いながら、


「羨ましい……羨ましいよ……。昔のあいつみたいな心を持って、神様になれたアンタが……どうしようもなく、羨ましいよ」


 最後にそう言って、穏やかな笑みを浮かべたまま、四人の魔王たちは高草原から姿を消した。




…†…†…………†…†…




 というわけで、高草原の動乱はようやくの終息を見せた。


 俺――賢者の石はそのことに安堵の息を漏らしながら、征歩の周囲にはっていた結界を解く。


「はぁ、ようやく終わったか?」


「まぁ、わかりきっていた結果だけどな」


 流刃は人間から神様になった存在だ。真教神のように世界の真理とやらを悟ったわけでも、神の声を聴いたわけでもない(いや、俺神様なんだけどね?)。


 本当にただの人間が、神様になっただけの男。だが、それゆえにあいつのメンタルは強い。


 小難しい真教がもたらす危機など、「知るか」のひところで切り捨てられる。そういう神様だ。


 だから俺は、流刃天剣主は必ずあの六落天魔王たちを退けると、信じていた。


 唯一予想外があるとするならば……そう。


「また、加減間違えていること……」


と、俺はつぶやきながら、六落天魔王たちの背後にあった、流刃の社を見つめる。


 幸い今度は高草原ごと切られるなんて非常事態にはならなかったようだが、六落天魔王たちを切り裂いた、斬撃の延長線上にあった社はキッチリ被害を食らったらしく、斜めに線が入り、若干上の段が左斜め下にずれていた。


(中でたぶん流慰が怒ってるんだろうなぁ……)


 最上階から漂ってくるどす黒い霊力にビビった俺は、慌ててそこから目をそらす。流刃の冥福をお祈りいたします……。


 そして、妹からの超絶説教が確定した流刃は、そんなことも知らないでお気楽にこっちに手を振りながら歩いてきた。


「おう、賢者の~。超楽勝だったな」


「仮にも大宗教唯一の強敵をそう言ってのけるのはお前くらいなもんだろう……」


「まじか? 俺ひょっとしてかなりすごい?」


 そう言って、剣を構えたポージングを決める流刃に、俺は半眼になりながら(石だから(以下略))、


「あぁ、すごいすごい」


「投げやりだな……賢気様」


 適当に褒めた俺に、呆れた雰囲気を持つつぶやきを漏らす征歩。


 そんな彼の言葉に内心肩をすくめながら、俺はようやく着手できる下界の様子を見て、


「っ!? まずいっ!?」


「「あぁ?」」


 時間をかけすぎたっ!! と、歯噛みをする。


 現在戦場になっている平原は混乱の極みに会った。


 いくつもの神術が入り乱れ、激突し、


 宮中から出て行った本職の軍人たちが、武志率いる正規軍と激突している。


 正規軍側が殺傷目的の攻撃をしていないおかげで、どうやら被害は抑えられているようだが……。


「押し込まれている……だと!?」


 正規軍は決して弱くないし、神祇庁の戦える神職たちも出張ってきている。


 新戦力の真教僧も、十分神術に対抗できる術を行使しているし、空は完全に豊隆の支配下だ。


 だがそれでも、こっちの真教派の方が押し込まれている!


「どういうことだっ!? 何があった!?」


 俺がそう混乱しながら、慌てて視線を指揮官の方へと移し、


「っ!」


 政子の服が破れ、その素肌とサラシが空気にさらされているのを見て、事態が最悪の方向に転がっていることを悟った。


*シン・アルダータ=真教の創始者にして初代教祖。厳しい修行を経て、悟りを開き、世界の真理を知る《真》になったといわれている。


 その生涯は、あらゆる現世欲にとらわれ、苦悶する人々を救済することに当てられた。そんな彼をしたい、大勢の弟子が集まることにより教団が設立。彼の説法に感銘を受けた、一国の王から広大な領地をもらいうけ、その領土を彼の教団の本拠地とした。


 六落天魔王たちとは、悟りを開いたのちも末長い付き合いが続いたらしく、頻繁にちょっかいをかけてくる彼らを、笑顔で説法し言い負かして撃退するという関係が続いた。


 彼が死んだ理由は、真教を乗っ取ろうとたくらんだ弟子による暗殺。猛毒を塗った爪によって、引っかかれたシンは瞬く間に動けなくなってしまい、死ぬ一週間前には寝たきりの生活が続いたという。


 だがしかし、彼の宗教を乗っ取ろうとしたその弟子―—リーバンダのたくらみは、シンのカリスマによってあっさり失敗。真の弟子たちを言いくるめようとした彼は、逆にその醜い内心を言い当てられ、羞恥のあまり逃げ出したと経典には記されている。

 結局教団の乗っ取りに失敗したリーバンダは、12名だけの彼の仲間である信者をひきつれ、そこそこ大きな宗教を作ったのち、いたって山も谷もない人生を送ってその生涯に幕を下ろした。その魂は圏獄に落ち、現在は焔真直々に罪の穢れを払っているとか。


 シン・アルダータは現在《真》として天楽の最高神を務めており、弟子たちの布教活動を精力的に手伝っている。

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