六落天魔王
さて、厄介な災厄神達の説得も終わり、他の日ノ本神話体系の神々も、それを彼らの存在を知らしめる、祭りをするということで一応の納得を得ることができ、ひとまずの神界・高草原の混乱に、幕を引くことができたわけだが、
「そうなってくると……問題はそこにいる男だな」
「っ!!」
俺がそう告げると同時に、完膚なきまでに口を閉ざされていた黒衣をかけた男は、びくりと震えながら、こちらを睨みつけた。
だが、その倍以上の日ノ本神達の視線が、彼の身には突き刺さっている。
この場はすでに真教を受け入れることで結論がまとまってしまっている。それをあくまで覆そうとする黒衣の男の存在は、この場では完全な敵なのだ。
それなのに、こと男の瞳からは、いまだに真教を憎む光が消えていない。
それはおそらく、
「さっき地揺腕命が言っていたよな? 真教領土の災厄神だって……。それってつまり、あんたは」
真教で最も恐れられる災厄とは何か?
地震? 違う。
砂漠の砂嵐? 違う。
大河の氾濫? 違う。
精神面を重視する真教で、最も恐れられる災害は……悟りを得られないまま死ぬこと=入滅だ。
現世の精神のまま、世のしがらみ、苦しみにとらわれたまま、再び輪廻転生の輪に組み込まれてしまうこと……。
ならば、この神の正体は!!
「おまえは……人を堕落させる魔神なんだな?」
確信を持って告げた俺の言葉に、黒衣の男は再び震え……。
「はぁ……。穏便に片を付けようと思っていたのに……田舎の木っ端神格風情が。何も知らずに、好き勝手なことをほざきやがってよぉ」
ぼそりと呟いた瞬間、
「まぁ、このまま引っ込むのは癪なんでなぁ。少しは戦果を頂いていくぜっ」
「っ!?」
信じられない速度で跳ね起き、平伏を止め、顔を上げた征歩の首に、その手刀を叩き込もうとした。
が、
「俺の目の前で何してんだ、コラっ!!」
自身の子孫を傷つけられそうになり、この男が黙っているわけがない。
流刃が、堕落神に負けないほどの速度で、征歩と堕落神の間に割り込み、失った右腕の代わりに左腕をふるう。その手に持たれているのは、当然と言わんばかりに、日ノ本最高本の神格武器。
「不届き者を叩っ斬れ! 神宿天剣!!」
その斬撃は至高の一撃。回避することも防ぐこともかなわぬ速度で振るわれた天剣の斬撃は、堕落神の体を二つに引き裂き、その背後の景色すら両断……
というか、高草原そのものが、真っ二つに切り裂かれた。
「……おっと」
『おっとじゃねぇえええええええええええええ!?』
その光景を見ていた日ノ本の神々全員がツッコミを入れながら、慌てて自分たちの霊力を放出し高草原の修復を行っていく。そんな彼らに軽く頭を掻きながら、流刃は謝罪し、
「いや、最近全力で剣を振るう機会なんてなかったからさ。まさかこんな威力になっているなんて、俺もちょっと想定外で」
「言い訳はいいから流刃! 修繕はほかの連中に任せて、お前は前をむていろっ!!」
「あぁ? 何言ってんだよ、賢者の石。完全真っ二つだったろうがあい……」
ツ。という最後の言葉は、流刃の口から出されることはなかった。
なぜなら、彼の視線の先では真っ二つになった堕落神の体が、変化を起こしていたからだ。
まるでそれぞれが一個の生命体のようにうごめき、二つに裂かれた体は、足りない部分を各々の体から生やし、二人の人物になっていく。
「驚いた……。本当に驚いた。生命の象徴である《淫楽》の姐さんの力をかりてもまだ、完全復活できねぇとは……。どうやらかなり油断ならない権能をもっているみたいだな」
「あぁ。だがかまわんだろう《激怒》よ。どちらにせよ戦闘になればいつも私が出張ってくるしかないのだ。六つの《悪楽》が三つずつに分けられたくらいで、さほど我等は困らんだろう?」
一人は、先ほどまでいた黒衣をかけた胡散臭い男になった。
だが、雰囲気がまるで違う。見ているだけで心をかき乱し、苛立たせる……。そんな雰囲気を奴は放っていた。
対するもう一つの半身が変貌した存在は、もはや別人と言っていい姿をしていた。
漆黒の袴に、男がかぶっている漆黒の掛物を、まるで羽衣のように纏いなおしたその男は、ひどく怜悧な印象を受ける絶世の美男子。
上半身裸のその男の体は、鍛え上げられた筋肉によって作り上げられ、この世全てを見下すかのような怜悧な瞳は、どういうわけか見つめられただけである感情を掻き立てる。
見ただけで嫉妬を覚える……そんな完成されつくした男が、俺たちの前に立っていた。
なんだこいつらは? 俺はその二人に得体のしれない怖気を感じ、男たちの会話から必死に、正体を探る。
そして、教典の中に書かれたある一文に、この男たちが発した言葉が書かれていたことを思い出した。
「悪楽?」
征歩もそれを思い出したのか、思わずといった様子で呟きを漏らす。
「確か、真教における悟りを邪魔する六つの俗世欲。そして、それをつかさどる悪魔だとしるされていたはずだが……」
「《淫楽》《激怒》《怠惰》《傲慢》《過食》《嫉妬》……確かその六つだったはず。そして、それらをつかさどる悪魔であるその存在は、そのすべてを限界まで極めた、蛇の化生だったって経典には記してあった……」
「それが俺たちだよ。田舎のクソ神ども」
俺たちがようやく思い出せたその言葉に反応した、黒衣をかけた男が、黒衣を取り払う。まるでマフラーのように首に黒衣をまいたその男は、真っ青な肌に、黒目と白目が反転した魔眼を持つ魔神。そして、額に開いた第三の目をぎょろりと蠢かせ、にやりと笑いながら名乗りを上げる。
「わが名は……六落天魔王。六にして一の大魔王の一人、《激怒》をつかさどる魔王であり、真教の狂いきった教えに異を唱えるものなり」
「まぁ、二つに裂かれちまったせいで現在は三つずつの悪楽しかもたんがな」
「ちょ……《嫉妬》。お願いだからかっこつけるときくらい、かっこつけさせてくれねぇ!?」
一瞬奴らの素が出た気がしたが、気のせいだと思い俺たちは無視する。付き合っていたら、場の空気が持たんような気がするからっ!!
「うちに真教が広まりだしたって聞いてちょっかい出しに来たのか? だったら、俺たちの前に、瑞の方に先に行ったらどうだ? 相当な面積の真教布教を阻止できるぞ」
「いや、あそこはちょっと……。俺達みたいな神霊の類がいづらくて……」
「というか、あんな状態でよく今まで民が過ごせていたものだ……。領土の三割が砂漠化しているが、あれは神の恩恵がなくなったどころか、動乱で潰えた国の神が起こした祟りのせいで、人が住めぬ大地になったわけだし……」
どうやら、悪神の目から見てもあの国の荒れようはちょっと引くらしい。まぁ、文字通り神も仏もない動乱の時代が続いたわけだから、それも仕方ないと言えば仕方ないのだろうが……。
そんな惨状になってしまった自分の元故郷に、俺が微妙な気分になっているさなか、六落天魔王たちと、流刃の会話は続いていた。
「だからこうして、この国を先に何とかしようと思って飛んできたわけなんだけど……。いやはや、田舎の神と断じて、馬鹿にできねぇもんだな」
「まさか我らの体を二つに引き裂き、元に戻せなくするとは……貴様、いったい何者だ?」
そんな魔王たちの心底驚いたといわんばかりの質問を聞き、流刃天剣主鼻を鳴らしながら天剣を構え、
「なぁに。ただのしがない主神様さ」
征歩をかばうように不敵に笑い、言い切った。
巨大な宗教を一人で覆すことが可能な戦力である魔王相手に、流刃は一歩も引くことはない。
…†…†…………†…†…
「しがない主神か……。なるほど、面白い自己紹介だ」
「だろう? 何が面白かったのかはわからんが、傑作だろ?」
絶世の偉丈夫である《嫉妬》は、流刃の自己紹介に凶悪な笑みを浮かべながら、その言葉を否定する。
正直俺――賢者の石も、内心の冷や汗が止まらない笑みだったが、流刃はそれには動じなかった。
寧ろ流刃はその言葉に乗っかりながら、同じように笑い、
「「はははははははははははははははははははははっ!!」」
二人の楽しげな笑みが、真っ二つに切り分けられた空間に響き渡る。
だが、その声に含まれる感情には、まったく喜悦は浮かんでいない。
双方共が発し、相手にたたきつけるように飛ばす殺気が、そのことを証明していた。
そして、
「天魔王舐めるのも大概にしろよ、田舎の木端神格風情が」
「その言葉……そっくりそのまま返してやるよ」
瞬間、二人の姿が掻き消え、空間の中央で激突した!
「っ!?」
驚きの声を漏らしたのは流刃。
その理由は至ってシンプル。
彼の天剣による斬撃を、天魔王は人差し指と中指の二本で白刃取り。その勢いを完全に殺していた!
「仮にも真教を敵に回して戦っている霊格が、貴様ごときに負けるわけがなかろうがっ!!」
その言葉と共に、あいている左手で拳を作り、流刃の心臓めがけてふるう天魔王。
だが、流刃はそれに真っ向から挑む。
「なめてんじゃねぇ。俺はこの国の守護神だ!」
「なっ!?」
「頭がたけぇつってんだよっ!!」
瞬間、流刃の生前からの神術。莫大な圧力を発生させる神圧が、天剣の一点に集中。強制的に斬撃の威力を底上げすることにより、白刃取りをする天魔王の指をへし折り、無理やり刃を解放。
天魔王の右手を、真っ二つに引き裂く。
突如走った激痛に、ほんのわずかな瞬間、拳を止めてしまう天魔王。
生前から武人として戦ってきた流刃にとっては、敵に付け入る隙はそれだけで十分だった。
「頭を下げろ。悪神」
斬り下ろした勢いをそのままに、体を回転させ、横一線に天剣をふるう流刃。
そこに込められていた霊力は、先ほど高草原を切り裂いたものと同量。しかもその切っ先が描くラインは、見事に天魔王の首を刎ねる軌道を描いている。
くらえばまずい。そのことは理解していたのか、天魔王は大きく身をそらし、何とか斬撃の軌道から体をどけると、
「《激怒》っ!!」
「はいはい、わかってるってっ!!」
「っ!?」
突如、流刃の斬撃の軌道が乱れ、あたりに撒き散らされる。
「きゃっ!?」
「あぶねぇっ!?」
流慰が悲鳴を上げ、俺が慌てて征歩や他の神々を守るための大結界を張り巡らせると同時に、その斬撃は着弾。
易々と俺の結界を貫きはしたが、何とかそれ以上の被害は出さないまま、雲散霧消した。
高草原も、今度は切り裂かれていない。
流刃がうまく加減したと取るべきか、それとも、
「なにをした……!」
嫉妬と流刃天剣主の戦いを傍観していた、黒衣をかけた男――激怒が、なにやら細工をしたか。
どうやら流刃は後者と判断したようだ……。というか、手加減する自信がないなら、その一撃はやめてほしい。高草原が持たん。
「六落天魔王はあらゆるものを欲望に落とす存在だ。それ故に俺たちはその感情を表すわけではなく、その欲望そのものを掻き立てる力を放つ」
「それ故に俺は他者の嫉妬を掻き立てる程度の、完璧さをもつ存在に」
「そして俺は人の怒りを掻き立てる、すべてを舐めきった雰囲気を放つ」
「そしてその力は……」
「モノにもきちんと作用するんだよ!!」
激怒がそう叫ぶと同時に、彼はいつの間にか手に持っていた瓦礫を投擲。
「怒り狂えっ!!」
それに自分の霊力を乗せ、言霊を放った瞬間、莫大な霊力の高まりが瓦礫から発せられ、まるで瓦礫が激怒したかのように爆ぜちった。
「激怒とは、瞬間的に生物に限界以上の力を与え……破滅をもたらす存在だっ!!」
散弾のような瓦礫の粒が、まだかろうじて機能していた俺の結界を打撃する。
その結界に守られていない流刃は、天剣をふるうことによって瓦礫を薙ぎ払い、目を細めた。
六落天魔王たちからは、莫大な霊力が放たれる。
分割されているせいか、個々の出力は流刃には遠く及ばない。
だが、二つの霊力を合計すれば、
「冗談だろう……。まだ広まって間もない宗教の悪神が……この土地でここまでの出力を持つなんて」
「あたりまえだ、俺たちはたった一人で真教を落とすために戦う存在……」
「ゆえに、真教が発展すればするほど、それを落とすために生まれた俺たちの力も、相乗的に上がってあがっていく」
この国の真教の信仰心は、すべてこいつらに還元されるのと同義だと、奴らは語った。
無数の真教の神々に分割配分される信仰の力を、この二人はその二つの身でそのまま受け取っているのだ。
そりゃ霊力も上がるというもの……。
その力はおそらく、
「まぁ、仏来武霆命ぐらいは有るかな?」
「そこで俺を引き合いに出すとか、どういう了見だ、クソ主神っ!?」
いや、確かに俺アンタの下だがよぉ、この国随一の武神に対してその言いぐさはないだろうが!? と、必死に高草原の修繕を行っている来武から抗議の声が上がるが、流刃はそれを、ひらひらと手を振ることでいなそうとして、
「って、考察中の攻撃は無しだろ?」
「どこの世界の話をしているっ!!」
信じられない速度で疾走してきた嫉妬の拳を、天剣で受け止める。
「っ!?」
だが、嫉妬の拳は剣の防御の上から、なお力を押し込み、流刃を押していく。
「《激怒》が怒りを誘発する権能を保持するように、俺にも無論《嫉妬》を誘発する権能が存在する……。それは」
その存在に対して常に一歩先へ行くことにより……対象者に嫉妬を抱かせる、権能!
「抵抗は無駄だ。俺はあらゆる能力において、常に貴様の上をゆく。そういう力を俺はもっているっ!!」
「くあっ!?」
莫大な膂力によってふたたび突き出された拳に、流刃は今度こそたえきれなくなった。
拳が流刃の体にぶつかり、
流刃が吹き飛び、
流刃の体は、勢いよく、でたらめたな高さを持つ社から叩き出され、高草原の地面へと叩き落された。
六落天魔王の二人は、その流刃を追いかけ、流刃天剣主が突き破った壁の大穴から、社の外へと飛び出す。
「兄様っ!?」
その光景を見て悲鳴を上げる流慰だったが、今の彼女は高草原の修繕の陣頭指揮。離れるわけにはいかない。
だから、
「俺が行くっ! 征歩っ!!」
「わ、わかったっ!!」
「なっ、待ってください!? 神々の戦いに征歩が介入できるわけがっ!?」
そんな流慰の静止の声も聞かず、俺と征歩は、社から飛び降りた。
*六落天魔王=真教の最大目標である《悟り》。六落天魔王は、修行僧たちにその悟りを開かせる妨害を行う悪神である。
正しくは六楽天魔王。この世の快楽すべてをつかさどる神として信仰を受けていたが、この世は生き地獄として定めた原始真教によって、その存在は悪神として落とされた。
真教教祖の修行の妨害にも訪れ、時には愚者に変化し知恵比べをし、時には美女に変貌して誘惑し、時には偉丈夫に変化しシンを叩きつぶし、時には魔神に変化し彼をあざ笑い、時には怠惰な浮浪者となりシンを堕落させ、時にはいくら食べても満腹にならない無限の美食を作り出す少女に変化し、シンに料理をふるまった。
だが悟りを開いたシンは、彼らの妨害が精神に働きかけるものだと気付き、無我の境地を開眼。それにより、彼はあらゆる欲望から解き放たれ、この世界の真理である女神を見たといわれている。
真教伝来の際、日ノ本に訪れたという伝説もあり、主神・流刃天剣主によってその身を四つに裂かれ、命からがら真教本拠地に逃げ帰ったと記されている。




