一人前
使者が滞在してからおおよそ半年が経った。
季節は巡り、窓を覗けば雪が見える外の景色からは、徐々に白が失われていき、春の木々の蕾がわずかながらに開き始めたころ。
「ふ~。だいたいこんなものですかね」
今日も今日とて、折衝を繰り返していた征歩、政子……そして春樺の三人は、ようやく双方が納得できる条件での友好を締結でき、互いの手を握ることができていた。
いやはや、長い交渉だったと俺――賢者の石は呆れたように振り返る。
「まさかこんなに時間がかかるとは……」
「それはこちらの台詞ですよ、征歩陛下。この程度の規模の国に、ここまで瑞の外交官が手こずらされるとは……。誇っていいですよ」
「褒めてんのかそれ?」
盛大に顔をしかめる征歩に肩をすくめながら、春樺は征歩との契約が書かれ、政子によって恒常化神術の印鑑が施された和紙を、巻物のように丸め懐に入れる。
この印鑑のおかげで、水につっこまれようが、火にかけられようが、消失することがなくなったその公約文は、瑞の皇帝に届けられ、いよいよ本格的な交易がはじまる。
そう、歴史に名を残すであろう、遣瑞使が始まるんだ。
「えぇ。好敵手に対する、ほんのちょっとした称賛ですよ」
「俺は仮にも一国の王なわけだが」
「自国の政争を手伝わせた男がよく言いますね」
「あう……そ、それに関しては申し訳ありません」
二人の軽口の応酬に本気で反応をし、慌てた様子で頭を下げる政子。そんな彼女に二人は苦笑をうかべ、冗談だから気にするなと互いにフォローを入れておく。
この半年のうちに、日ノ本の政治形態は大きく変革された。否麻こと因幡羽翔姫の加護を借りた巧みな話術をつかい、春樺からある程度瑞の政治形態に関する話を引き出した征歩たちは、俺にその政治形態の細かい問題点を聞きながら、それの利点も合わせて考察。こちらでもある程度は真似てみようと、春樺の滞在中にもいろいろやってみたわけだが、
当然貴族との信頼というつながりが薄い現状で、そんなことをやれば反感を買うわけで……。
まぁ、出たわ、出たわ貴族達からの反対の声。
一時は内乱にさえなりかけたが、いつのまにかこちらに寝返ってくれていた武志黒麿や、「ここまで来て頭が変わられたりしたら困るのですよ」と、ツンデレ的台詞を吐きながら瑞の権力をひっさげ出張ってくれた春樺のおかげで、どうにか事なきを得た。
そして、それのおかげでこの国の要職の面々も大きく変わった。
大来名と、それに最後まで従った二人の貴族の政治的失脚。
それを受けて、笑季が本格的な引退宣言をし、政子にその地位を譲ったこと。
武志を筆頭に、八人の貴族たちが天地神明に誓い、征歩に忠誠を誓ってくれるようになったこと。
無論俺だってその政争に協力した!! 神様はよほどの問題がない限り、めんどくさい政治は、下界の子孫たちに丸投げするというのが高草原の総意だが、俺は神皇を導く神。王への助言が本職の神様だ。
ま、まぁ……一番大きな介入は、ほとんど事故みたいなものだったが……。
あれは季節が冬に入り始めたころの話だ。
春樺が、うちの神話を読んで、獣人たちが神によって作られたという話を疑っていたところに、暇つぶしにやってきた流刃が降臨。腰を抜かした彼女に嬉々として昔話を聞かせ、俺の黒歴史を盛大に暴露してくれやがった。
当然恥ずかしい過去を暴露され、キレた俺は、瑠訊と壮絶な口げんか的戦争をし、怒りのあまり霊力を辺りに撒き散らした。当然それを感知した宮中の連中は、盛大に慌て宮廷内は凄まじい混乱に陥ったという……。
ちょうどそのころ、笑季の爺様の策略によって、いよいよ進退窮まった反征歩派の下っ端連中が、暗殺者たちを使い征歩を亡き者にしようとしていたところだったのが、唯一の救いだったか。
俺の怒りの霊力を食らい、征歩の部屋の前で失神している暗殺者たちが捕まり、てっきり俺に祟られたと思った反征歩派の下っ端連中が、俺のもとにやってきて土下座して官位を返上してきたところで、俺と瑠訊は事のしだいに気付き冷や汗を流しながらとりあえずお互いの矛を収めて、「こ、これからはこんなことするんじゃないぞ?」と、必死に神としての威厳を取り繕った。
全部事情を知っている、春樺の半眼がものすごくいたかったが……。
そしてそんな事件の最中にも、着々と進んでいた、どのような身分の者でも官吏になる機会が与えられる科挙試験が、本格的に始動し始めたこと。
それに伴い官吏の階級も、明確に分けられるようになった。
俺としてはぜひともその階級は、帽子の色で分けてほしかったのだが、そんな面倒なことができるかという征歩の一声で、渡来一族――今は火緋色金の錬成に成功した褒美として、炬の性を与えられている一族に、いつのまにか依頼していた色別の徽章を胸につけることで、階級を明確にするようになったらしい。
政子が草案を作り、提出したこの官吏階級は、全部で十二階級。階級の名前は、今いる12人の最高権力者と、科挙によって出世してくるであろう、抜けた三人の穴を埋めてくれる新人貴族達と、皇族の種族によって決めるつもりだ。ちなみに順番は貴族たちが持つ権力の大きさ順。文句を出させないためにあえてそう言ってみたのだが、意外と貴族たちは納得してくれた。
まだ決定ではないのは、大来名を筆頭に失脚してしまった三人の穴を埋める、新たな権力者たちの種族がまだ分からないから。
取りあえず確定しているのは、
官位一二位・未定
官位十一位・未定
官位十位・黄の狐
官位九位・灰の鼠
官位八位・黒の牛
官位七位・白の蛇
官位六位・緑の鷹
官位五位・青の馬
官位四位・赤の人
その上は、特別階級とされる最高峰の権力者たち。
12人の貴族が位置する、官位三位・黒金の虎
貴族の中でもとくに重要な位置を持つ、二人。財務長と軍事長の階級である、官位二位・未定
宰相にまで上り詰めた政子が持つ、官位一位・銀の狼
そして、
神皇・金の龍
以上がこの国の政治をまとめていく予定の、官吏たちの階級わけだ。
ちなみにこの階級の二位が未定なのには裏話があり、本当は第二位を虎にしておきたかったのだが、モデルとなる武志自身が「軍人があまり持て囃されてはいけない。なんでも力技で解決する、野蛮な国のそしりを受ける」と、断ってきたのだ。
当然、政子に次ぐ権力を持つ、彼の上に立ちたいと言う度胸がある貴族がいるわけもなく、渋々征歩が未定扱いにしたのだ。
これはこれでまた、新しく入れる種族称号について、朝議が紛糾しかねないが、本人が嫌がっているので仕方ない。
とりあえず科挙の結果がわかるまでこれで行こうと言う、玉虫色の結論で保留中だ。
「結構、カッコイイ彫り物を、徽章にしてくれているらしいからな、炬一族は。この前の朝議で炬の統領が、自慢げな顔をして言っていただろ?」
「あぁ、そういえばそうでしたね? それを見るのは結構楽しみです」
「くっ、そんな話を目の前でされると、ちょっとカッコイイと思ってしまうじゃないですかっ!! 瑞はなんであんなシンプルな帽子で色分けにしてしまったのかっ!!」
と、ガチャガチャの缶バッジをコンプリートしたがる、小学生のような目をする春樺に、征歩と政子は苦笑する。
この半年でいろいろと協力し合い、時にはもめあった仲だ。三人の仲はすっかり良好な関係になっていた。
これなら瑞との交易に心配はないだろう……。そう思った俺は、ほっと安堵の息をつき、本物の政治家との舌戦によって鍛え上げられた征歩の姿に、俺がこれ以上首を突っ込む必要性がないことを感じる。
もうそろそろ俺も社に戻るころかね……。なんて老人的思索を俺がしていた時、
「それにしても賢気朱巌命様」
「賢気でいいよ」
さすがに賢者の石って名前は教えるわけにはいかないけど……。と、俺は内心で呟きながら、話しかけてきた春樺に答えた。
そう。前の流刃との言い争いの話から分かるように、この半年で俺の正体は、割とあっさりばれていた。原因は酒に酔った征歩が、ついうっかり一緒に飲んでいた春樺に口を滑らせてしまったこと。
さすがにあのときはガチ説教した。目の前の首飾りが神様なんだぜ? って、普通いうか!? おまけに内容が国の最高機密に匹敵するだろ、馬鹿か!!? と、その場で酔いが抜けるまで岩で作った人形でタコ殴りにしてやった。
けっこうな惨劇になったらしく、見ていた春樺はがくがく震えながら、俺が何も言わなくても瑞には決して洩らさないですと、平伏してくれたのが唯一の救い。
というかあれ以来、なぜか彼女は俺に対してはよそよそしい敬語だ。なんでだろう?
「本当にあんなもの貰ってよかったんでしょうか? 遠慮なくもらっておいて今更あれですけど、あれ日ノ本の特産にしたらかなりの値打ちがつきますよ?」
「今の時代は発想で商売はできんからな。構造自体は簡単だし、そっちでの模造は容易だろう? 俺たちが持つ冶金技術は、全部あんたたちが育てたものを、渡来人から流してもらったものだしな」
だったら、今後瑞で出世しそうなあんたに、でっかい貸しとして与えておいた方がいいと踏んだんだよ。
と、俺は内心でそんなことを呟きながら、目の前に置かれた巨大な円形の鉄枠が、いくつも組み合わさり、中央にある円盤を平行になるように支えている、道具を見る。
円盤の中にはひたすら北を指し続ける針。
そう。羅針盤だ。
征歩の政争を手伝ってもらった際、彼女の政治家の才能がきっと瑞でも破格の物だと気付いた俺は、何らかのお礼と、でっかい貸しを作りたいと考え、この羅針盤を無理言って炬一族に作ってもらった。
さすがに腐食対策などという地味な目的で、まだまだ錬成量が少ない火緋色金を使うわけにもいかなかったので、鉄枠の素材はただの鉄になってしまい、潮風による腐食に弱くなってしまったが、日ノ本から瑞に行って帰るまでならそれなりの役割を果たしてくれるだろう。
目印のない海で迷わないための、道しるべとなる道具。
春樺ならこの道具を使い、さらに瑞でものし上がっていくはずだ。
何せ今回の交渉は、対外的に見れば、瑞が小国に譲歩をしたという結果だけが大きく喧伝されるものとなったからだ。
実際の内容はどうであれ、今後瑞は他国との交渉に苦労することになるだろう。
自分たちも……あの小国のように、瑞と対等に渡り合えるかもしれないと、考える国が間違いなく出てくるからだ。
広大な領土と、圧倒的軍事力でその考えをたたきつぶしてきた瑞にとって、その事実は明らかなマイナスだろう。
「それくらいしてやらないと、あんたはあの大国で自分を守る盾を失う。せっかく瑞と友好を結べたんだ。その橋渡し役であるお前を、失うわけにはいかないからな」
「おやおや? 口説き文句ですか? あいにく神様とはいえ、石に口説かれて喜ぶ趣味はないのですが」
減らず口を叩きながらも、春樺は小さく笑みを浮かべ、
「ありがとうございます」
最後にそう言って席を立った。
「では、私はそろそろ。交渉が終わった以上、早急に瑞に帰らねばなりませんので」
「あぁ。そういや予定よりも大分帰る時期が遅れたんだっけな?」
悪いことをした。と、若干の罪悪感が見て取れる征歩の言葉に、
「いえ。遅らせる価値のある交渉ができましたので」
春樺はすがすがしい笑みを浮かべて、会議室から出ていった。
「では、日ノ本からの使者の来訪。心よりお待ちしていますよ」
確かな友情を感じることができる、友好の言葉を残して。
…†…†…………†…†…
そして、その翌日。
ずいぶんと前から帰る準備だけはしてきた瑞の艦隊は、問題なく港から出航した。
見送りをするために征歩が武志に護衛され、お忍びで港にやってきており、遠ざかっていく艦隊を見つめていた。
「はぁ、何とか終わったといったところかな?」
「まだまだこれからですよ、陛下。今度は瑞に送る学生たちの選別を行わなくてはなりません」
武志の苦言に、征歩は思わず眉根を寄せる。
「そうだったな。あと条約に含んだ、神術の技術に卓越した連中の選抜もはじめないと……」
まぁ、とはいえ、征歩の中では神術者の代表を誰にするのかは決まっているのだろうが。
俺は内心そんなことを考えながら、征歩の胸元で揺れる。
「学生に関しては今度行われる科挙の結果で決定されてはいかがかと。第一次試験の結果はすでに出たようで、どの人物もかなりの粒ぞろいだと試験管から報告が上がっています」
「そんだけ、うちの国も人材がくすぶっていたってことか。俺もまだまだ未熟だな」
「えぇ。ですが、それはそのことに気付けなかった我々も同じこと」
そして、苦言と同時に征歩のことを正しく補佐する武志の姿を見て、俺は確信した。
「国はあなたのもとでようやく一つにまとまりました。あとは、少しでもこの国がよくなるように、あなたが迷わずかじ取りをしていくだけです」
「おっと、一気に責任重大になったな……」
だから俺は「やっぱり反抗勢力は一人くらい残しておくべきだったかねぇ」と、軽口をたたきながらも、自信あふれる笑みを浮かべる征歩に、一言だけ告げた。
「征歩」
「ん?」
「俺さ……そろそろ神祇庁の社に帰ろうかと思うんだ」
「「………………………………………」」
俺の言葉を吟味した、征歩と武志は一瞬の沈黙ののち、
「「えぇっ!?」」
突如された俺の引退宣言に驚き、悲鳴を上げた。
…†…†…………†…†…
それから一週間。俺は、俺が今までやっていた征歩への助言の仕事を、全部政子に丸投げして、神祇庁に帰ってきた。
その際、征歩と政子が悲鳴を上げながら「お願い残って!? お前がいないと処理が滞る書類の山がっ!?」と悲鳴を上げていたが……。あれは要するに人手が足りないだけなので、科挙を合格した、優秀な官吏たちが入ればすぐに消えるだろうと判断し、その悲鳴は黙殺しておいた。
俺を運ぶのは、一応巫女としては破格の性能を持つ望戸。
「今思ったのですが、賢気様ってなんの神様なんですか?」
「て、天地開闢の神と知恵の神?」
「知恵の神はともかく天地開闢の神のご利益ってなんなんでしょうね……」
「そんなこと俺に聞かれても」
そんな雑談を交わしながら神祇庁に戻ってきた俺は、
「ふぁっ!?」
相変わらず門の前で、邪気払い(自称)を続けている呉燈をみて、何とも言えない気分になった。
「さ、賢気朱巌命様!? きょ、今日はいったい何の御用でっ!!」
さっさと焚火に土をかけながら火をけし、慌てて平然とした様子を取り繕う呉燈。
こいつ……こんなに時間たったのに、まだそんなことやってんのか。と、俺は若干呆れてしまったが、
「……………………………………」
まぁ、こいつがこうなった原因って俺だし……。と思い直し、咳払いをして気持ちを改める。
そして、
「あぁ、征歩が一人前になったからな。帰ってきた」
「っ!?」
驚きのあまり尻尾と耳をぴんと伸ばす、狐獣人のおっさんに苦笑しつつ、
「あのときは悪かったな、呉燈……。その、ちょっと俺も言い過ぎたよ」
今まで言えなかった謝罪を告げる。
それを聞いた瞬間、呉燈は大きく目を見開き、
「い、いえ。私も少し……我を失っておりました」
あなたは王を導く神だというのに……。と、泣きながら頭を垂れた。
「あなたの決断と、あなたが加護を与えた神皇に対する数々のご無礼……お許しください」
彼はようやく、神職としての正しい姿を取り戻すことに成功し、唯一残っていた征歩の反抗勢力は、こうしていなくなった。
俺はそのことに安堵の息を漏らしつつ、これからの隠居生活で、暇な時間をどうやって潰すかということに、思いをはせるのだった。
…†…†…………†…†…
そして、社に帰って一週間後。嬉々とした様子で供え物を持ってくる呉燈に、俺はついさっき思いついた提案をしてみる。
「なぁ、呉燈」
「はい?」
「久しぶりにちょっと流刃達のところに顔だしたいから……お前一緒に高草原にいかねぇ?」
「……………………………えっ!?」
最高神権限でお供を連れて、里帰りである。




