模擬戦とやりがい
いま、俺――賢者の石の目の前では、激闘が始まろうとしていた。
片や、最近渡来人連中が金烙火己命の加護を借り受け、夢とロマンを追い求めて作ってしまった神鉄――火緋色金の武装に身を包んだ、本職の軍人たち五人。
火緋色金の特性は、身に着けた人物の霊的感受性を極端に引き上げること。
つまり、周囲に満ちる霊力に敏感になり、吸収しやすくなる。
結果発生する現象は、自身が使える霊力の容量が、莫大と言っていい数値まで増大するということ。
その気になって攻撃を放てば、中二病のころの大和に匹敵する……とまではいかないものの、町一つを範囲に入れる神術を放つことができるはずだ。
だがそんな金属を使った武装で全身を包んだ軍人たち五人をもってしても、目の前の女に相対するのは、いささか力不足のような気が否めなかった。
「はじめっ!!」
審判を務める神祇官の声が、この日のために作られた広大な闘技場の中に轟く。
瞬間、五人の軍人たちが一斉に突撃する。
早い。神速の加護を持つといわれる国常大上彦命の加護でも使ったのか、その姿がかすむほどの加速をおこなう軍人五人。
だが、そんな彼らの姿を見ても、彼らに相対する女は動じることなく、
「岩守塚女に奉る。汝の眷族をここに」
小さな……しかし早い祝詞の詠唱と共に、小さな小石を宙に作り出した。
小石は作り出された後、重力に従い落下を開始する。
しかし、その小石が地面にたどり着く前に、五人の軍人のうちの一人――猫型獣人の短剣使いが、彼女の前に出現した。
武器の重量が軽い分、他のメンバーより先に到達したのだろう。
そして、その軽量な短剣という武器を情け容赦なく一閃。
女の首を刈り取らんとした。
が、
「龍鱗をここに」
「っ!?」
簡易の速攻詠唱。本邦初公開。
絶対的と言っていいほどの霊力との親和性を持つ彼女にしか許されない、神への感謝の言葉を省略するという、反則級の技術。
そして、一応加護を受けているとはいえ、まだ今日は奉納により霊力をもらっていなかった、龍姫の霊力を即興奉納によって借り受ける。
そして、高草原にいる大和から念話が入り『なんか龍姫がすごくエロい顔をして、もだえているんですが、何したんですかっ!?』と、苦情のような問いかけが聞こえたが、ややこしいことになりそうなので俺は無視。
それによって彼女の体に作られた、霊力を素材とした分厚い鱗が、火緋色金の短剣をたやすく防ぐ。
「くっ、断冥尾龍毘売の加護も持っているのですかっ!?」
「七柱の神の加護はだてではないということですか」
驚く短剣使いをしり目に、遅れて到着した四人が一斉に彼女に向かって飛びかかる。
だが、その攻撃は悪手と言わざるえない。
彼らがとるべき選択肢は、短剣使いが攻撃を失敗した時点で、一度退却すること。
でなければ、
「岩守塚女に奉る」
小石が地面にたどり着いてしまう。
「汝の眷族。黄泉の瘴気すら拒絶する、要石に力を。わが身を犯す穢れを排さん」
瞬間、岩守塚女の加護を受けた小石が瞬時に重量を跳ね上げ、着弾。
岩守と同じ重量を、小さなその身に宿した小石は、大地を揺るがし地面をかち割った。
衝撃波がまき散らされ、無数の地割れが起き、粉じんが巻き上がる。闘技場も盛大に揺れたが、この時のための耐震設計をしたため、崩れる気配はなかった。
問題なのは闘技場の地面の方で、見事に放射線状の地割れが起き、しばらく使うのは無理っぽい。
いったい、あの広大な地面を整備するのに、どれだけの手間がかかったと思っているんだ。と、内心俺は愚痴を漏らしながら、小石落下によって発生した衝撃波を食らったと思われる、五人の軍人に視線を移した。
壁際まで吹き飛ばされ、うめき声をあげながらも、何とか立ち上がっていた。どうやら試合を続行するつもりらしい。
だが、対する彼女は万全の構えだ。
「畏れ多くも、黄泉路を封じし偉大なる大神、天剣八神の一柱で有らせられる岩守塚女に奉る。この世の罪、この世の穢れ、汝が娘たるわが身に降りかかるのであるならば、岩守塚女の名のもとに、わが身を守るために汝の権能をふるう許可を与えたまえ」
彼女が祝詞を締めくくると同時に、彼女が落とした小石を中心に、巨大な不可視の障壁が出来上がる。
俺と岩守塚女が、黄泉からあふれ出てきた瘴気の拡大を防ぐために、作り出した大結界。彼女はそれを人の身であるにもかかわらず易々と再現し、敵からの攻撃を完全にシャットダウンした。
だが、軍人たちも負けてはいない。
彼らにも崇め奉る神がいる。
「「「「「畏れ多くも、数多いる敵を屠る、鉄槌をふるいし雷神である仏来武霆命に奉る。我が敵、我が障害、我が壁を見られたならば、それを屠る鉄槌を、我が振るう許可を与えたまえ!!」」」」」
仏来の祝詞は、戦闘用に作られた祝詞の為、小節が割と簡略化されている。
先ほどの彼女の簡易祝詞を聞いた後では、いささか長いように感じはするが、神を奉り褒め称える祝詞にしては異例の短さをほこってはいるのだ。
そして何より、雷神というやつの属性上……奴の加護によって発動する神術は、
「「「「「鳴神槌!!」」」」」
異常なまでに出が早い。
雷光が輝くと共に、五人の影が再び消えたと思った瞬間、彼らの拳が彼女を守る大結界にたたきつけられた。
日ノ本神話の中でも割と高位の武神である仏来武霆命の加護がかかった神術に、流石の大結界も悲鳴を上げるようにきしむ。
だがしかし、岩守塚女も守りに関しては日ノ本神話では一二を争う権能を持つ神だ。いくら五本指に入る武神の加護を使ったとしても、その守りを抜くことは簡単ではない。
大結界は確かに軋んだ。だがそれだけだ。大きなきしむ音を響かせた後、大結界は再びその姿を取り戻し、健常な姿を敵に見せつける。
だが、軍人たちもそれは承知の上だったのだろう。
元々使える霊力の容量が、圧倒的に違う相手だ。多少奉納によって神の霊力をもらっている彼らであっても、ただの力押しでは決して勝てないと思わされるほどの格差がそこにはあった。
だが、彼らの攻撃に意味がなかったわけではない。
軍人たちが拳をどけ結界から距離をとった瞬間、俺は気づいた。彼らがほぼ一点に集中するように拳を叩き込んだからか、彼らの拳が直撃した結界の一部に、大きなひびが入っていた。
「っ!!」
驚く彼女をしり目に、軍人たちの内、四人は即座にその場に座り込み、朗々と祝詞を読み上げる。
「畏れ多くも、数多の神を生み出し子、穢れを払われし、日ノ本より生まれ出でる大神、国常大上彦命に奉るっ!!」
長い祝詞の詠唱小節。それを完成させまいと、結界の破損を直視ながら望戸は簡易詠唱によって、龍神姫の権能を呼び起こそうとするが、
「なっ!! なんでっ!?」
どうやら不測の事態が起こったらしい。俺が見る限り、彼女に対して断冥尾龍毘売の霊力が流れ込んでいない。
どいうことだ? と首をかしげ、さっきの質問の答えを返すついでに、大和に事情を聴いてみると、
『なんか、龍姫凄く怒ってて……』
『や、大和以外にあんな気持ちにさせられるなんて……。く、屈辱!!』
いったいあのとき、龍姫のやつどんな感じになってたんだろう……。と、内心で半眼になった俺は、慌てふためく彼女に手を合わせながら「反省しろ。自業自得だ」と、告げておく。
そうこう言っているうちに軍人五人の祝詞の詠唱が終わった。
あれだけ長い間、大上彦を称えていたということは、かなり高度な神術を放つつもりなのだろう。
たった一人直立していた軍人のもとに、四人の霊力が集う。それはまるで蛍が集まるような、光の集合という幻想的な光景だった。
「国常大上彦命様の権能を示す、神殺しの槍――天崩海人矛よ!! 神威を結いて顕現せよっ!!」
「っ!? 神器の再現だって!? バカな!? できるわけがないっ!!」
「そんな難しいのか?」
驚き慌てる俺をしり目に、俺をぶら下げながら戦いに見入っていた征歩が、初めて口を開いた。
「あたりまえだ! 神器――神話に名を連ねる武器や道具たちは、一個一個が破格の性能を持つ!! もしもその性能を再現できるようなら、攻撃そのものが天変地異クラスだ。とくに神殺しと名高いあの槍を再現したとなるなら、その一振りで大結界を薙ぎ払うことなんて造作ないぞ!?」
「なるほど……。ところで賢気」
「なんだっ!!」
「なんかいろいろと、間違っている気がするんだが……」
「細かいことは気にするなっ!!」
俺だって、いくら威圧目的とはいえ、ちょっと自重しろよ、お前らっ!! 誰がこの後闘技場を直すと思ってやがるっ!! 建築業者の皆さんだよっ!! とツッコミを入れてやりたい気分なんだからっ!!
お前ら、そろいもそろって中二病かっ!!
「ぶち抜けぇええええええええええええ!!」
だが、そんな俺たちを置き去りにして戦いは続く。
嵐のような圧倒的霊力の高まりを周囲に感じさせながら、とうとう明確な槍の形状になった光は、軍人の手の動きに合わせて投擲。
光すら切り裂く速度で一直線に大結界に向かい!!
直撃する前に雲散霧消した。
「あ、あれ?」
驚く軍人をしり目に、ほっと安堵の息をついた望戸はにっこり笑う。
「神職でもないのに神器の再現など……功を焦りすぎましたね。もしも本気で国常大上彦命様の神器を再現したいのなら、自力でとった海の幸を5年分……毎日捧げる必要があります」
「できるかそんなもん……」
「神器の再現なのですから、そのくらいの代償は普通必要でしょう?」
自分だって易々と俺たちの大結界を再現しているくせに、ぬけぬけとそんな言葉を吐きながら、天才巫女は柏手を打ち、絶対安全の大結界の中で祝詞を唱える。
「慎みて、畏れ多くも、我に加護を与える諸神に奉る」
「「「「「!?」」」」」
自分に加護を与える七柱(といっても、断冥尾龍毘売の加護は、現在途絶しているようなので、今は六柱だろうが)の神々全ての力を引出し、神術に注ぎ込む彼女の姿に、軍人たちの顔から一気に血の気が引いた。
無論、彼女の前にいる、彼女の神術の射線上になるであろう、観客席にいる人物たちの血の気も引いていた。
悲鳴と怒号を上げてその席から逃げ出す観客たちに、頭を抱える俺と征歩。そして虚ろな笑みを浮かべる政子。
そんな俺たち以上に、もっと顔色を青くしている瑞の女性官吏が、気の毒で仕方ない。
いくら威圧目的だったとしても、もっとソフトな神術による戦闘を見せるべきだったと。
「穢れ払い、悪意祓い、清浄一切清める、断罪の神の一刀をここにっ!!」
再現するのは、流刃の天剣による一撃。
あの断冥尾龍毘売の尾を斬り払った大斬撃。
八つの神。
天剣の不所持。
様々な要因がかけてしまっているため、実際の天剣の威力には届かないが、それでもたぐいまれなる彼女の霊力制御を受けた、六柱の神の霊力を束ねたその神術は、確かに巨大な剣の形へと変貌し、
「偽りの身なれど神の一刀……その権能、その神気をふるい、我が敵をことごとく斬り払いたまえっ!!」
その祝詞と共に、内側からの干渉は素通りさせるという、ご都合主義的改変が彼女によってかけられた大結界を素通りし、光の大剣は軍人五人に向かって振り下ろされる。
あ、死んだわ。あの軍人たち……。俺が思わずそんなこと思ってしまうほど、彼女の一刀は情け容赦なかった。まぁ、流石に模擬戦なので、俺が殺傷級のダメージは無効化する結界を張ってんだけどもさ……。
光が彼らを飲み干すっ!!
「八神宿祓剣!!」
後の世に、天剣による攻撃を除く、最高峰の攻撃神術として知られるその一刀が、軍人たちの後ろにあった闘技場すら両断し、この勝負に決着をつけた。
これが、瑞の使者の来訪を祝うために行い――企画した全員を後悔させた、瑞来訪祝いの演武。
武志秘蔵の新兵たちと、国最強の神術者にして巫女の――照夜望戸による模擬戦闘の顛末であった。
…†…†…………†…†…
「いや……やりすぎ」
「だ、だって、本気出していいって言ったじゃないですか賢気様っ!!」
「だとしても、もうちょっと自重しろよっ!? なんだ、あの一撃!? 本気で流刃の一刀に届きかけたぞ!?」
というわけで、見た人間に後悔しか覚えさせない模擬戦が終わった夜。
俺――賢者の石は征歩と共に、闘技場の後始末を、神術を使って肉体強化した望戸が一人でやっているところを見に来た。
無論さぼっていないかを確認する、監視のためだ。
同じく監視の任についていた兵士たちが、征歩の登場にあわてて敬礼してくるが、征歩はそれを手をひらひら振るうことでやめさせ、こっちはいいからもう寝るように指示を出す。
そうやって人払いをした後、征歩は近くの瓦礫に座り、綺麗に叩き斬られた闘技場を見て、顔をひきつらせた。
「ま、まぁ、当初の目的は達成できたわけだし……そう小言を言うな、賢者の石」
「達成しすぎて凄いことになったけどな……。なんだあれ? 何やったらあんなことになるんだ!?」
もう血の気が引きすぎて顔色が紙に近い色になっていた瑞からの使者――名前は確か春樺とか言ったか? 彼女の顔を思い出しただけで「ほんと大人気ないことをした……。反省しないと」と思ってしまうほど、今回の所業はひどかった。
「むしろあっちがこっちを怖がりすぎて、はたして友好が結べるかどうかが怪しくなったぞ!?」
下手にこちらが瑞に比肩しうる力を持つと思われれば、今度は従えるべき小国ではなく、滅ぼすべき外敵と認定されかねない。
瑞がこちらを脅すだけで済ませているのは、内心の奥底でこちらを、所詮小国と侮っている気持があるからだ。
戦う価値もない、とるに足らない相手だと。
だからこちらもその認識に甘えることにして、友好を結ぶ決意をしたが、相手が日ノ本を瑞と同等の国で、自分たちを脅かす存在だと思ってしまっては、その前提条件が根っこから破綻してしまう。
瑞の王権を守るために、異形の者たちが統べる国を悪の国として、瑞はこちらへの派兵を強行してくるかもしれない。
防衛するのは無理ではないだろうが、瑞の航海技術も今回の渡航で随分と改善がみられるらしい。
もしかしたら、次彼らが攻めてくるときには、軍勢を平然と率い、嵐すら乗り越える帆船を作り出しているかもしれない。
そうなれば、日ノ本の軍勢は数の力で揉みつぶされてしまう。
「俺たちは調子に乗って脅しすぎた……。明日の会見では落としどころが必要だ」
「そんなに心配する必要はないと思うけどな?」
だが、そう言って明日の会見の話題運びに頭を悩ませる俺をしり目に、征歩は相変わらず紫煙を吸いながら楽観的に笑った。
「陛下は楽観的すぎますよ」
そんな彼を諌めるように、いいかげんヒーヒー言いながら瓦礫の撤去をする望戸が可愛そうになったのか、神術による強化を使い作業に加わった政子が、ため息をついた。
そして、その政子の言葉に征歩は肩をすくめながら、
「いやだって……あの女。確かに顔色は悪かったが」
目の中の強かな色は消えていなかったぜ? と、征歩が小さくつぶやいたその言葉が、俺の耳には強く残った。
「それに、あんな光景を見た後、すぐに男を部屋に呼ぶくらい余裕があるみたいだしなっ!!」
「ちょ、下世話な話をしないでください陛下っ!!」
「なにそれ、とっても廃退的な臭いを感じるんですが、俗物!!」
いや、俺も見習うべきかね~。と、真剣に呟く征歩に、顔を真っ赤にした政子の怒声や、興味津津と言った様子の望戸の歓声が飛ぶ。
いや、それは多分勘違いだと思うんだけど……。と、俺は内心呟きながら、瞬く間に馬鹿話に戻って言った三人に、嘆息するのだった。
…†…†…………†…†…
「どう思います? この国を」
わたし――春樺は、あの征歩とかいう神皇が用意してくれた浴場から、迎賓用の部屋へと戻ってきていた。
部屋の装飾は質素かつ堅実。
重要な客人を迎え入れるにはいささか、味気ない雰囲気を感じる部屋ではあったが、絢爛すぎる瑞の王宮よりかは、個人的には落ち着く印象を受けた。
「恐れながら……恐怖を覚えました」
そう答えたのは、私が部屋に呼んだ補佐官。そう、あの船の管理を手伝ってくれた歴戦の海兵だ。
「個人であれほどの力をふるい、まるで神仙が如き異能を一兵卒が便利な道具感覚で使っている……。この国が我が国に牙をむけば、わが国には甚大な被害が出るに違いありません」
「でしょうね……」
ましてやあの国最強の巫女として紹介された、あの少女が放った一撃。
あれで力が減衰しているらしいですが、あの建築物すら一刀両断した一撃は、洋上で振るわれれば、船が根こそぎ斬り払われてしまうほどの威力を秘めていました。
この国に攻め入るに当たり、絶対必要となる海戦。それに勝てる要素がきれいに無くなってしまう絶望的な一撃……。
「ここは今すぐこの国から帰り、陛下に報告をしなくてはなりません……。この国はおかしい。この国はいずれ瑞にとっての脅威になると」
早いうちにつぶしておいた方がいい……。と、そう語る海兵の言葉を聞いた私は、その意見を一瞬受入れかけましたが、女性官吏になるために鍛え上げた思考を、目を閉じることで呼び覚まし、今日見た光景をすべて考察にかけ、
「いいえ、わたしはこの国に残り交渉を続けるべきだと思います」
「なっ!?」
そう結論を出しました。
「何ゆえっ!? これは国の一大事といっても過言ではっ!!」
「ではひとつ問いましょう。彼らがなぜ、わたしたちにこのような光景を見せたのだと思いますか? もしも万が一、この国が我々に対して徹底抗戦を挑む気構えなら、わざわざ歓待などせずに、私たちを追い出し、少しでも自身の戦力を隠すべき。なのになぜ、彼らはわたしたちに、自分たちに有利になる技術を開帳したのか?」
「そ、それはっ……」
海兵は私の質問に黙り込み、うなり声をあげ、
「申し訳ありません。何分私は粗忽な軍人ゆえ……」
「彼らも望んでいるのですよ。こちらとの友好を……」
だが、それでも彼らは以前送った親書を、ただ受け入れるわけにはいかなかった。
当然だ。瑞王国がはじめに送る親書は、ほぼ瑞の奴隷になれと言っているに等しい条件を、相手に叩き付けるもの。
そのまま受け入れるならめっけもの。その国を奴隷として支配下に置くが、たいていの国が反発し、その条件を覆すために何らかの手を打ってくる。瑞はその反応を見て、その国を属国としてどう扱うかを決めるのです。
ある国は、身の程知らずにも戦いを挑み瑞にたたきつぶされ、
ある国は交渉を挑み、圧倒的技術力・文化力の違いにひれ伏す。
だが、この国は違った。
「おそらく相手の狙いは交渉……。瑞の国と対等な立場での友好条約の締結。そして、今日の異能による演出は、それを円滑に進めるために行った、一種の交渉の材料なのでしょう。『戦うつもりはありませんが、いざ戦うことになったら安い相手だと思わないよう』という、相手側からの警告」
自分たちには最低限、瑞の侵攻から身を守れる武力があると、彼らはわたしに訴えたのです。
そうすることによって、兵力による脅迫をわたしに使わせないために。
「相当頭が働きますね、あの神皇は……」
そんな国だからこそ、私は手を取る価値があるとにらんだ。
瑞の部下ではなく、瑞の友として手を取る価値が。
「我が国はいまだに不安定です。海外に巨大な敵を作ってしまえば、そこを狙った瑞王朝の反抗集団が、一気に決起をする可能性もある。ですが、この国の技術を外交と交易によって手に入れることができたなら……我が国の地盤は盤石になる」
わたしの言葉を聞いて、海兵は目を見開きました。彼にとっては、ただ自分が恐怖を覚えるだけだった相手を、利用することなど思いつきもしなかったのでしょう。
「確かに相手は強大です。ですが話が通じないというわけではない……。それに」
彼らはこちらに劣っているものがある。
それは、文化という名の豊かな生活。
そして、今日見た12人の貴族たちの態度からわかる、有力者たちと征歩神皇の間に横たわる不和。
大国瑞は、長い間戦争と政争を続けてきた歴史を持つがゆえに、その二つに関しては一日の長がある。
私たちがあの異能の術をのどから手が出るほど欲しいのと同じように、彼らにはこの二つを解決する手段を渇望しているはずだった。
だったら、
「交渉の余地はあります」
私はそう言って両頬を叩き、気合いを入れなおした。
――初めは誰にでもできる、つまらない仕事だと思っていましたが、
「面白くなってきたじゃないですかっ!!」
これほどやりがいのあることは、朝廷管理になるための科挙以来だ!!
私は内心でそう叫びながら、あのくえない神皇からどのように譲歩を引出し、異能の術の技術提供をさせるか考え出しました。
夜が更けるのは、まだまだ先の話。
…†…†…………†…†…
…†…†…………†…†…
「6な成果00日ノ本来訪。東歴600年。当時大陸の覇者と認識されていた、瑞王国が日ノ本に友好の使者を送った年号だ。一年後の遣瑞使派遣とも連動して覚えられるし、よく覚えておくように!!」
時は現代。ある中等学校の歴史の授業。それを受けている私は、目の前の黒い皮膜の翼をはやした、魔族の先生の授業が嫌いではなかった。
他の先生たちが放つ催眠術を伴った授業とは違い、この先生の授業はいつも……面白い脱線をしてくれるから。
「それにしてもこの年号の覚え方は先生的にぴったりだと思うんだ! なぜかって? 聞きたい? 聞きたい? しょうがないな! 学年主任から思いっきり授業範囲遅れているって言われて怒られたんだけど、君たちがどうしてもっていうなら教えてあげてもいいかなっ!!」
ほらきた……。周りの友達も苦笑をうかべながらノートを片付け、歴オタの友人は目を輝かせ、逆に力強くペンを握る。
ちなみに私は後者の組だ。
「さて、どうしてあの年号の覚え方がぴったりなのかというと、実は瑞の日ノ本来訪は、失敗に終わったとされているからなんだ」
そう言って先生は、先ほどのまじめな授業とは明らかに速度が違うチョークさばきで、黒板に多くの文字を描いていく。
「当時瑞はまだできたばかりで地盤固めに奔走しているところだったんだけど、それ以上に平和になってからの技術革新ラッシュが相次ぎ、流れる時代の発展に王朝そのものがついていけてなかった時代だ。イメージといては、三日前にパソコンができたのにもうスマートフォンが出てきたみたいな感じかな? 当然瑞としてはそれを余すことなく利用したいんだけど、王朝の体勢的にそれは半ば不可能に近かった。その代表として挙げられるのが交通技術――インフラの発展だね。それにより、瑞王朝は以前とは比べ物にならない範囲の移動を可能とすると同時に、次々と見つかる自分たちの勢力外にできていた国たちの折衝に明け暮れることとなった」
「当然大国瑞に歯向える勢力は言うほどおらず、たいていの国が彼の国の属国になることを望んだ。当然瑞はそれを受け入れるわけだが、朝貢――あ、瑞に対する属国からの貢物のことだよ? おっと、脱線したね。とにかく、その朝貢を持ってくる国の整理にもひと苦労する状況だったんだ」
「そして日ノ本も、そういった小さな国々の一つだった」
「不満そうだね? でもこの当時の島国なんて、どこの地方でもそんな認識だよ?」
「話を戻そう。当然瑞としては、自分の近くに見つかった国があるのなら、そこを属国にしないわけにもいかず、使者を派遣した。こっちは前にも話したかな? 歴史上初の女性官吏となった、春樺という官吏を代表として派遣したんだね」
「当然瑞は日ノ本を侮っていた。なにせ脅せば従うような国との折衝が長く続いていたからね。日ノ本もきっとそうだと決めつけて、最低限の兵力しか日ノ本には送らなかったらしい」
そして手痛い反撃を受けた……。私は小学生のころに見ていた教育番組のフレーズを思い出し、それが先生の解説をかぶるのを聞き、思わず顔がにやける。
日ノ本の歴史はこの言葉と共に語られるといっても過言ではない。
日ノ本歴史の合言葉。
『そして手痛い反撃を受けた』
「とにかく予想を上回る盛大な歓迎をしたらしい。それも同時に日ノ本の軍事力も知らしめるようなものを……」
「詳しい内容は不明なんだけど、1985年に見つかった春樺の手記には『ありえない。まるで神の御業であった』と記されているから、相当なものを見せたらしいね」
「というわけで、日ノ本はひとまずほかの属国とは違った、対等な関係での瑞との交易がはじまったわけなんだけど……瑞にとってはこの貿易はえるものが少ないものだったらしい。内容的には確かに対等だったんだけど、ほとんど日ノ本が瑞の文化を吸収しただけの貿易で終わったようなんだよね。そのせいか、瑞との貿易はわずか数度の行き来だけで終わってしまうんだよ」
「でも、瑞もただでは転ばなかった。さっき話した春樺だけど、当然この失態を皇帝に責められ一度は官吏を解任された。でも彼女は、その時の航海の記録や、日ノ本にいた渡来の冶金一族――炬家の力を借りてあるものを発明していたんだ」
「みんなもよく知っていると思うよ。世界三大発明の一つ……」
「そう。羅針盤だ」
「彼女は航海で最も必要なものは、目印などない海の上で方向を正確に知ることができる、道具だということに気付いたんだろうね。彼女は交渉の間に、観光として案内してもらった炬家がいた火山のふもとで、天然の磁石を発見し、それの形を整えてやれば、必ず北を指す針ができることに気が付いたんだ」
「彼女はその発明品を作った功績を持ち官吏に返り咲き、最終的には瑞王朝皇帝の側近になるまで出世したらしいよ」
「でね、実はこれ歴史的事実と認められてないから、公的知識として教えられるのはだめって教育委員会が言っているんだけど……実はこの発明、日ノ本の天地創造神《賢気朱巌命》の神託を受けて、春樺が作り上げたなんて伝説が残っていてね……。さっき言った彼女の手記にもそれを臭わせる文章がチラホラと……」
「まぁ、神様なんて今は否定されてしまった存在だけど、ちょっとワクワクしないかい? 日本の守護神である賢気朱巌命は、どうして自分の国の敵である瑞の使者にそんな知識を与えたのか?」
「央国の方の神話学者たちの間では、実は賢気朱巌命は、我が国の始皇帝が持っていた《賢者の石》で、本来の故郷である瑞のために一肌脱いでくださったのだっ!! なんて、主張する人が出てくるくらいでね。今ちょっとそれで日ノ本と央国の学会が論争を繰り広げているらしい」
「おっと、これは歴史の授業と関係ないね。って、あら? もうこんな時間?」
「じゃ、じゃぁ、次はきっと必ず平安の時代まで行くからねッ!? ほんとだよ!? フリじゃないよっ!? これ以上授業遅らせたら学年主任にガチ説教されちゃうしね……って、主任!?」
しまった! といった顔で勢いよく授業に必要な道具を片付け、教室を出ようとした先生がそんな悲鳴を上げる。
それと同時に、綺麗に整えられた爪を持つ手が、勢いよく先生の顔面にアイアンクローをきめ、教室から引きずり出した。
廊下から上がり、遠ざかっていく悲鳴に、私たちは合掌しながら、
「さ~て、昼休みだ~」
「おっひる、お昼~」
いつも通りの日常に戻りつつも、先生の冥福をお祈りした。
*羅針盤=いわずと知れた方位磁石の原型として知られる航海道具。
印刷術・火薬に並ぶ世界三大発明として知られる。製作者は世界初の女性公務員として知られる春樺。ただ、羅針盤開発の内容が記されている彼女の手記には《賢者の石より神託を受け、技術を借り受けた》と記載されており、とある学会で論争になっている。




