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はじまり。徳政大子と、征歩神皇

 それから百年の歳月が流れた。


 将来確実に起こるであろう、西洋からの文化流入のあおりを食らい、いちいち暦を変更するのも、めんどくさかったので、透視・遠視で西洋の暦に合わせて作った東歴。その年号風に言うならば、切り良く600年といったところ。


 病気で早死にしたり、いろいろ不幸が重なったりして、この国の王も三代程変わった。


 だが、その間に神皇たちは少しでもこの国が安定するように、自分のできる力を振り絞り国のために尽力した。


 その結果、俺たちが宮殿から見下ろす都の景色はすっかり様変わりすることとなる。


「いや……いつみても絶景だな」


 碁盤目状に広がる、かやぶき屋根の建築群たち。


 その間には小さな水路が走り、上下水道が完全に機能している。


 一応現在主流の交通手段である牛車(といっても、俺がもといた世界の平安時代のような豪華なものではなく、大八車を牛にひかせているようなものだが)が行き来できるよう、それなりの広さで作られた道には、住民たちが活気あふれる声をあげ、最近ようやく普及できた《銭》を使い、経済活動を行っている。


 そんな景色を宮殿から見つめていた一人の男は、以前、渡来人の使者が持ってきてくれた、煙草の草を詰めたキセルをふかしながら、口笛を鳴らす。


 その男は、この世のすべてを斜に構えてみているような不敵な顔立ちをしており、流刃のような黒髪に、夜海こと霊依産毘売のような牙が特徴的な青年だった。手首には皇族の証である美しい光沢を持つ鱗がある。


 俺――賢者の石はその男の首下で揺れていた。持ち運びが便利なようにと、丈夫な紐で縛り上げられ、首から垂らされているのだ。


 その男こそ、いまのこの国の王である神皇。


 若い男の神皇だった。


 決して恵まれた出生ではない神皇だ。


 先代の皇家は流行り病で全滅してしまったため、神の血を残すため渋々選ばれた、庶民の娘と、先代神皇の間に生まれた隠し子。


 それがこの神皇――征歩神皇の来歴だ。


 まだ神皇になって日が浅いこの神皇を補佐するために、俺は祀られていた宮から引きずり出され、こうしてこいつの相談役をしている。


「まだまだやることはたくさんあるぞ? 《学校》もできていないし、優秀な人間を各地から集めるための《科挙こうむいんさいようしけん》もまだ整備段階。それに、大陸の方からも、いいかげん使者が来始めているしな」


「渡来人の奴らか? あいつら結局どうしたんだっけ?」


「ウチに住みたいって言っていたやつらは、冶金技術に目を見張るものがあったからな。火山の猿神……。おっと、今は《金烙火己命(かなやひこのみこと)》だったか? そっちに任せた」


「あぁ、なんかすごい喜んでたんだってな? 昔加護を与えていた連中にそっくりだって」


(そりゃ、猿に知恵付けて二足歩行させたら人間になるだろ……)


 と、そんな会話を交わしながら、俺たちは遥か彼方にある海の向こうの大陸へと思考を巡らす。


 あの大陸の国も、長い内乱が終わり一つの巨大国家としてまとまったようだ。


 その名も《(ずい)》。


 漢字が違うと思わずツッコミを入れた俺は悪くないはずだ……。


 閑話休題。


 とにかく、あの大国が落ち着いた以上、もともと保有する国力からその発展が加速するのは容易に予想ができていた。


 そして、その発展によって生まれたのが、うちの列島に船を出せるまでに至った、圧倒的技術力。


 大陸からこちらに移住しようと、海を渡ってきた住人達が出始めた。


 当然、その成功をきけば国も黙ってはいない。


 その俺の予想を裏切ることなく、渡来人たちがうちに居ついた数年後、とうとう彼らがやってきた。


「瑞からの使者……。まずは恭順を示せって親書には書いてあったそうだが……」


「別にしばらくなら、無視しても構わんだろう。いくらこっちに来られるようになったからと言って、さすがに軍隊送り出せるほどの航海技術は持っていないだろうしな。だが、その手段をとると……」


「いざ奴らがこっちに軍隊を送れる航海技術を持った時に、厄介な問題に発展するか……」


 まったく、面倒な時代に王様になっちまったもんだ。と、征歩は小さく愚痴を漏らす。


 もとより望んで神皇になったわけでもなければ、望まれて神皇になったわけでもない男だ。


 国のために身を粉にして働く理由など、彼には存在していない。


 だが、


「まぁ……世話になった奴らに恩返しできる程度には、頑張ってみますさ」


 そう言って彼が振り返った先には、いつのまにかやってきていた男。


 いや、正確にいうならば胸にさらしをまいて押しつぶした、犬型獣人の、男装の麗人が立っていた。


「陛下……。朝議の時間でございます……」


 そう言って頭を下げたのは、貴族たちに追い出された征歩たち親子をかくまい、征歩を育てる手助けをしてくれたとある老貴族の一人娘――徳上政子(とくかみのまさこ)


 褐色の長い髪から出た犬耳をピコピコ動かしながら、まだ幼さが抜けきっていない可愛らしい中世的な顔立ちを必死に引き締め、王の側近としての務めをまっとうする征歩の幼馴染の少女。


 といっても、彼女の服から出ている、普段は丸まっている尻尾が、緊張のあまりピンと立っているため、あまり真剣な雰囲気は感じられなかったが……。


 今は政治家としては何かと問題があるからと、性別を偽り彼の側近として仕えている。


 そんな彼女の言葉に、征歩は両頬を両手でたたくことによって気合を入れなおし、


「んじゃ、行くか」


 不敵に笑って一歩を踏み出す。


 瑞との貿易が始まった激動の時代を生きた、征歩神皇と、その補佐・徳政大子の時代が幕を開ける。




…†…†…………†…†…




 そして、時はさかのぼり……。


 日ノ本に瑞からの使者がやってくる、半年前の出来事。


「何?」


 大国の平定を終え、巨大国家として発展成長させていた瑞の皇帝――瑞貴(ずいき)は、玉座に座りながら聞いた部下からの報告に目を細める。


「東の海の果てに、異形の者たちが統べる大国を見た?」


「はっ!! そ、その国を見た漁師たちの話ですと、『そのもの異色の髪をもち、獣の耳と尻尾をはやす。あるものはうろこが、あるものは牙が、あるものは鋭い爪を持っており、まるで獣がごとき雰囲気を持っていた』と……」


「ふん。海の雑霊どもにまやかしでも見せられたのではないか?」


「で、ですが……このような報告がすでに幾人からも上がっています。無視できるものではないかと……」


「………………………………………………………」


 王としての威厳を出すために、長年伸ばし続けている黒いひげをなでながら、瑞貴は思考を巡らす。目の前の男の報告をどこまで信じてもいいのか? と。


 確かに男は優秀だ。こうして瑞貴に直接報告ができるくらいに、優秀な官吏だ。


 だがしかし、野心が強すぎる。動乱の時代、とんとん拍子で成り上がった瑞貴の隣にいたためか、自分もいつかは……。という考えが捨てきれないのだろう。


 さすがに瑞貴に直接歯向い、瑞王朝を乗っ取ろうと考えるような男ではない。そんなことをしても片手でひねりつぶされることくらい、長年瑞貴の隣にいた彼には、嫌というほど思い知らせた自覚がある。


 だが、新しく見つかった得体のしれない生き物が統べる王国なら話は別だ。


 もしかしたら、積極的に喧嘩を吹っ掛け、うちの軍隊をひきつれその国を制圧。そして瑞貴に、戦に勝った褒美として、その国を譲ってくれるよう願い出る。それくらいはやるかもしれないと、瑞貴は睨んでいた。


 だが、そんなことをしている暇はない。今は荒れていた国がようやく一つにまとまったところ。瑞王朝の地盤固めが、今後の瑞の将来を左右する時期だ。


 いくら得体のしれない異形の者が統べている国とはいえ、それを敵に回して戦争をしている余裕など、実は瑞にはないのだ。


 だからこそ、瑞貴は決断を下す。


 絶対強者として瑞を演出しながら、どのようにしてその国を戦わずして屈服させるかを……。


「わかった……。その国には少しさぐりを入れてみよう」


「っ!! では、それはわたくしにっ!!」


「いやいや、お前ほどの高官をそのような雑事に使うわけがなかろう?」


「えっ!?」


 その返答さすがに予想外だったのか、喜色満面の笑みを浮かべた瞬間、瑞貴の言葉に氷結する男。


 そんな男を睥睨しながら、彼に与える別の仕事を即座に脳内で作り上げつつ、瑞貴は手元に置いた龍の形をした鈴を鳴らす。


 即座に現れる女官の一人に視線をとばし、瑞貴は一つの命令を出した。


春樺(しゅんか)を呼べ」


「なっ!? み、帝!? まさか先ほどの話……あのような粗忽者に任せる気ですかっ!!」


 その名を聞いた途端、瞬く間に激怒し顔を真っ赤に染め上げる男を、呆れた視線で見ながら、瑞貴はその質問を無視する。


 だが、男の抗議は止まらなかった。


「帝よ! 今度ばかりは言わせていただきます!! あんな、高々科挙で少しいい点をたたき出しただけの者を、重用されるのはやめてくださいませ!! 我々高官の間で、あの者がどのように呼ばれているのかご存じのはずですっ!! あれは……あの者は」


 だが、その言葉が男の口から出る前に、


「『女だてらに男の真似をする、身の程知らずの女性(にょしょう)だ』と、言われておられるのでしたか? 巾菓(きんか)殿」


 涼やかな声と共に、最近瑞貴が作った女性用(・・・)の官吏の服を着た、17、8歳程度の少女が謁見の間に入ってきた。


 彼女の名は春樺。


 歴代最年少官吏にして、難関と言われる瑞の科挙にて、過去例にない満点と言うでたらめな成績をたたき出した、天才女性官吏。


 当然、女性の官吏はできて間もないとはいえ、瑞王朝でも例を見ない初の快挙だ。


 そしてそのせいで、彼女はいろいろと風当たりが強く、現状実力に見合った仕事を与えられていない。


 だからこそ、誰も訪れたことがない異国の地であるからこそ……彼女にふさわしい仕事をする場所になるだろうと瑞貴は考えた。


 口だけが達者な先輩官吏たちの目が届かない最果ての島にて、瑞貴は彼女に手柄を立てる機会を与える。


「春樺。お前に勅命を下す」


「なんなりと……陛下」


 男の官吏でもめったにできる者はいない、完璧な片膝をついた最敬礼の体勢をとりながら、春樺はよどみなく絶対服従の言葉を口にする。


 そんな彼女の姿に歯ぎしりをする男に、苦笑いを浮かべながら、瑞貴は勅命を下した。


「東の果てに新たな国が見つかった。少し顔を見せて、誰がこの世界の覇者なのかを教えてこい」


「御意」


 こうして、様々な思惑が絡まり合う、瑞と日ノ本の交流が、いま始まろうとしていた。


*徳政大子=瑞との交易の象徴である《遣瑞使》を始めたことで有名な、古代の政治家。大貴族の子息であり、天才的な政治の才を持っていたといわれている。


 彼には多く呼び名があり《馬の厩舎で産気づいた母親が生んだ》という逸話から《厩の大子》や、《馬の声を見事に聞き分け、騎乗に関しても天賦の才を見せた》という逸話から《騎練(きれん)の大子》ともいわれた。


 だが、近年の研究では彼の存在は怪しまれている。なぜなら、彼の子孫が残していた家系図を見ても、彼がいたはずの場所には女性の記号が記載された名前しかなく、王子であったという記述は一切なかったからだ。


 一部の学者の間では《徳政大子は実は女性だったのではないか?》という意見も飛び出しているが、真相は歴史の闇の中である。

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