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明石閑話・夜海黄泉帰り悲話 其之二

 餓鬼は門を開いた途端に消えてしまった。おそらく彼はまだこの場に来てはいけない存在なのだろう。


 案内ご苦労様! くらい言いたかったんだけどな……。と、俺は内心残念に思いながら、再び苦行に戻ったのであろう餓鬼の無事を祈る。


 そして、再び前を向いた俺の目の前に広がったのは、目を見張るほどの大きさをほこる巨大な広間。


 そして、それを真っ二つに引き裂く、スダレのような、草をまとめた幕だった。


 その奥に人がいるのは分かる。だが、それが一体何者なのかは、見ただけでは決してわからない。そんな絶妙な妨害を行うスダレ。


「瑠訊様……」


 だが、俺にはそれが誰なのかなんとなくわかっていた。


 夜海だ。


「久しぶりだな……夜海」


「……私は夜海ではありません」


 だが、自信満々に呼びかけた俺に対して、スダレに隠れた向う側の人物が返してきた答えは信じられないものだった。


「なっ!? んなバカなっ!? 確かに夜海の気配が……。お前は、夜海なんだろっ!?」


「名乗ることはできません。この世界ではそれが禁じられています。もしも私の正体を知りたいのならば、あなたが言い当てるしかないのです」


「…………」


 何を言っている? 俺はよっぽどそう言おうか迷ったが、スダレの向こうから聞こえてくる夜海らしき人物の声は、真剣だった。


(のっぴきならない事情でもあるのか? こっちに来る前に大和が昔考えていた、黄泉の設定とやらを聞いておけばよかったな……)


 と、内心で後悔したところであとの祭り。俺は仕方なくスダレに近づき、


「そうかよ。じゃぁ、このスダレをどけたらわかるだろ」


 答え合わせをするためにそのスダレに手をかけた。




 瞬間、俺の体は元いた場所に戻っていた。




 スダレは、再び俺から離れている。


「は?」


 いま何が起こった? 俺の脳裏はそんな疑問でいっぱいだった。


 仮にも地上最高峰の霊力を持つ神々を抑えて、トップに躍り出ちゃったらしい俺の霊体を、気づかせることなく後退させたっ!?


 そんなことはありえない。神にとって、霊力のキャパシティは、そのまま霊的防御力に変換されると賢者の石は言っていた。天剣八神すら上回る霊力を持つ俺に、こんな珍妙な干渉を起こそうとするなら、それこそでたらめな量の霊力が必要なはずだ。


 そして、そんなでたらめな霊力を持つ存在などこの世界にはいない……。


「まさか……賢者の石が言っていた女神からの干渉か?」


 その可能性を疑った俺は、無言のまま真っ暗な天井を睨みつけた。


 賢者の石の嫌な予感が当たったのだと。




…†…†…………†…†…




 私……この世界を作った女神は、突如感じた、刺すような視線に気づき、いままで見ていたヨーロッパモドキから思わず目をそらした。


「まったく、いったいなんですか? 今私が信託を与えた『神の娘(かみのこ)』がいい感じで霊格化されて、巨大宗教を作っていくいいところだったのに……」


 私が視線を動かすと、そこは今異世界の魂を封入した石ころがいるはずの、小さな島国だった。


 その地下にある、霊力によって作られた穢れた魂の集積場で、一つの奇跡が起きかけていた。


「おや?」


 地上を治めるハズの男神が、黄泉を治めるはずの女神を、地上へと連れ帰ろうとしていたの。


「面白い神話を作っているみたいね? あの魂がもといた国と似たような形態になりつつあるみたいだけど……賢者の石の差し金かしら?」


 でも、このままでは割とあっさりと、黄泉からの女神エスケープが、成功してしまいそうな勢いだった。


 それはこの世界を運営する女神としては、いろいろ困る。


 地上に帰ろうとしているのは、黄泉の女神。黄泉で餓鬼たちの穢れを引き受け、彼らを浄化する役割を持つ神。彼女がいなくなってしまっては、黄泉はただの穢れた魂の吹き溜まりになってしまう。


 いうなれば、浄水槽がついていた汚水処理場で、浄水槽がぶっ壊れたせいで、汚水がヒッタヒタ状態になってしまうということ。


 このまま放置すれば、汚水があふれかえり地上に悪影響が出てしまう。


 なんとしてでも妨害しなければならない。


 幸い、いまのところはスダレのように具現化している、黄泉が作り出した、死者と生者の絶対的な《境界》があるおかげで、触れることすらできないようだけど……。


「あの男神の霊格なら……境界ごとき、割とすぐに破ってしまいそうね」


 何か……あの二人を止めるネタを考えないとね……。と、私は静かに黙考しながら、


「いや、でもなんで私睨まれてるのかしら? まだ妨害はしていないんですけど……」


 何やら濡れ衣を着せられている気がしてならない私だった……。




…†…†…………†…†…




 あれから何度かスダレに触れてみたが、触れるたびに俺――瑠訊は、元の位置に弾き飛ばされ、夜海から引き離された。


 おそらく、あれはそういった類の《壁》なのだろうと、俺はようやく気付きひとまず徒労に終わりそうな、スダレを上げるという方針を捨てる。


 とはいえ、当時の大和のことだ。自分が死んだ時用の、蘇生神術狙いで、きっと何らかのスダレを破る、手段を作っているに違いない。


(息子よ……俺は病気のころのお前を信じているよ?)


 なんて、聞いたら大和が「もう、ほんと勘弁してください……。若いころは誰だってやらかすもんでしょうっ!?」と、嫁と一緒に羞恥心で泣きそうになるであろうことを考えながら、俺は先ほどの、向う(・・)の人物との会話を思い出す。


 名乗は禁じられている。


 だが、スダレが邪魔で本人確認ができない。


 正体を知りたいのならこちらが彼女の正体を当てるしかない。


 今のところ思い出せたのはこの三つ。


 そして、俺は考える……。もしも賢者の石だったら、この場はいったいどう切り抜けるか。


 ……答えは、


「力技でぶった斬る」


「!?」


 何やらスダレの向こうの人物が、ものすごい勢いで首を横に振っているが、文句はあとで聞くので今は許してほしい。


 俺は一刻も早く、


「こんなくだらない問答なんかうっちゃって、お前の顔が見たいんだよ……」


「えっ」


「夜海」


 いま俺会心の台詞言ったな!! スダレの向こうの夜海も惚れ直したに違いない!! と、ちょっとだけニヤケながら、俺は天剣を使い、久しぶりの嫁との再会を邪魔する無粋なスダレを叩き着る。


 ビリビリと盛大な音を立てて破れ散るスダレの向こうからは、懐かしい、驚いた表情をした嫁の顔が現れた。


 しばらく俺の顔を見て唖然としていた彼女は、クスリと笑い立ち上がった。


「名前を……名前を当ててくれればよかったんですよ。私の言葉遊びを受けたうえで、私とあなたの絆を信じて、私が私だと言い当ててくれるだけでよかったのに」


「バカっ。そんな回りくどいことしていられるか。お前だって確信してんのに、お預けくらうなんて、俺が待ちきれないことくらいわかってるだろ?」


「まったく……若いころに戻られてから、落ち着きがなくなったんじゃないですか?」


「そういうお前は、しばらく見ない間に綺麗になったな? 死んだ後も成長していたのか?」


「あなたの妻という属性のせいで、あなたの成長に引っ張られたんですよ……。死んだ頃の方がよかったですか?」


「いや。どんな姿をしていても、お前は俺の最愛だよ」


 死ねばいいのに……バカップル。って、賢者の石が見ていたらいうんだろうな……。だが残念。もう死んでるよ、バーカ!! と、思いながら俺は久々に妻と睦言を交わしながら、夜海の体を抱きしめた。


「遅くなってすまん。迎えに来たぞ?」


「もう……う、浮気されたんじゃないかって、ちょっと心配になっちゃったじゃないですかっ!!」


 そんな風に怒りながら、それでも俺の胸に顔をうずめて嬉し涙を流してくれた夜海。彼女の体をぎゅっと抱きしめ、もう二度と彼女を離さないと俺は誓った。




…†…†…………†…†…




 が、どうやら、そうは問屋がおろさなかったらしい……。


『いやいや、感動しましたね。思わず砂糖吐きそうなくらい感動しましたね』


「「っ!?」」


 突如上から響いてきた、夜海よりはやや劣るが、綺麗ではある女の声が響いて、


『おいそこ。仮にも世界最高の女神に向かってその発言は失礼すぎませんか?』


(っ!? 俺の心を読んだのかっ!?)


『まぁ、仮にも創造神ですし? この世界で生まれた存在なら、神であろうがなんであろうが、大概のことは筒抜けにできますよ?』


 天井から響く声はそんな軽口をたたきながら、俺と夜海に、


『まぁ、そんな雑談は置いておいて。困るんですよね……。仮にも穢れた魂の集積所である一つの最高責任者が、そんな好き勝手に出て行ってもらっては』


 俺達に苦情をぶつけてきた。


「知るかそんなもん。もともとこの世界は、こいつが死んだ後も安らかに眠れるように賢者の石が作った物だ。そこから出ていこうがどうしようが俺たちの勝手だ」


 俺は先ほどの強力な妨害を思い出し、再び夜海から引き離されないよう、その体を力強く抱きしめながら、あたりを警戒する。


 あの賢者の石を作った神。油断していれば一瞬で自分優位の状態がひっくり返されることくらい、俺でもわかっていた。


 女神の苦情は続く。


『それこそ……あなたたちの事情こそ、私にとってはどうでもいいことですよ。いいですか? 穢れた魂を浄化する役目を負った黄泉の女神が、黄泉からいなくなってしまっては、この場にやってきた穢れた魂はいつまでも罪を許されることなく、いつまでも苦しみ続けて、溜まっていくだけなのです。そんなことをすればいずれ黄泉はあふれかえる。そして、少なくない穢れた魂が地上に現れ、地上に災厄をもたらす……。日照り・洪水・地震・噴火・津波……少なくとも、どれか一つが……いや、ひょっとするとすべてが、あなた方の住む列島を襲うことになります』


「っ!!」


 夜海が思わず息をのみ、俺に何かを訴えかけるような視線を向けてきた。


 長い付き合いで、愛し合った女だ。何が言いたいのかはわかる。


 自分たちの幸せのために、現世の人間を不幸にすることはできないと……。彼女ならそう言うに決まっている。


俺も想像の女神の話を聞いた瞬間、一瞬どうするか迷った。


 俺が黄泉に残って夜海のそばでこの暗い闇の中を生きるか、夜海をあきらめるか、それとも地上が荒れること覚悟で夜海を連れ出すかのどれかを……。


 だが、黄泉に残ることはできない。


 穢れを引き受けるということは、夜海の体に負担がかかるということではないのか? 黄泉の女神の性質上、その穢れを払う機能ぐらい夜海にはあるのだろうが、だからと言って好き好んで俺の嫁に、苦しみにまみれた生活を送らせるという選択肢は絶対にない。


 夜海をあきらめるというのは論外だ。


 彼女にはいつでも俺の近くにいてほしい。俺の隣で笑っていてほしい。俺のわがままではあるが、最重要事項であることには違いない。


 だが、地上に出たら今度は、夜海が別の意味で苦しむはずだ。自分が地上に出たせいで……地上の人間たちが苦しむのを、黙ってみていられるような鋼の精神を彼女はもっていない。


 完全な八方ふさがり。選択肢がどれをとってもろくなことにならない……。


 もしかしたら、上から聞こえてくる女神の声が全部嘘だという可能性もあるが、


『原始の獣だけの世界だった時は、別に黄泉なんてなくてもよかったんですけどね……。罪になるような余計なこと考えなくて、ただ食っちゃ寝するだけの生活ですし。ですがあなたたちは知恵という武器を得ると同時に、その知恵が罪になることを知った。だからこそ、黄泉に相当する、霊界による魂の浄化装置は、人が住む場所には必須なのです』


 行かせるわけにはいきません。と、丁寧な口調とは裏腹に、彼女の声には、絶対に揺るがない、この世界の運営者としての気配(イロ)が隠れている。


 嘘をついている可能性は限りなく低いだろう。


 だとするなら……だとするなら……この状況を打開する術は……。


「クソッ……」


「瑠訊様……」


 苦しそうに眉をゆがめてしまった俺を、不安げに見つめる夜海。そんな彼女の頭を撫で、必死に精神を落ち着かせながら、俺は賢者の石の知識を思い出し、必死に考えを巡らせる。


(何のために賢者の石(あいつ)の鬼教育を受けていきたと思っている? 夜海が死んでからずっとだぞ? ずっと……俺はこの時のために……夜海を今度こそ救うために知識をつけてきたんだろうがっ!!)


 なかなか妙案が浮かばないポンコツな俺の思考回路を叱咤しながら、俺はひたすら考えに考えて、




…†…†…………†…†…




 ある日常の一こまを思い出した。


『おい、賢者の石……狩りの邪魔なんだけど。岩神様のところに行くなら否麻にでも送ってもらえよ』


『火急の用事なんだよ。なのに、否麻が起き出すのにあと一時間ぐらいかかりやがる……。あのぐうたら巫女はいいかげん、早寝早起きを覚えるべきだっていうのになぁ……』


『それは俺も同意だが』


『まぁ、それに……俺の故郷にはこんな格言があってだな』


『石に故郷とか……』


『まぁ黙って聞いておけ……。いうぞ? その格言っていうのは』




…†…†…………†…†…




「『立っているモノは《親》でも使え』……だったか」


 ひらめいた。


 このくだらない八方ふさがりを打開する妙案を。


 まったく、賢者の石サマサマってところか……。と、笑いながら、俺は再び女神に問いかける。


「なぁ女神。あんたこの世界の母なんだよな?」


『? まぁ、確かに生みの親ではありますね』


「だったら俺はあんたの息子ともいえなくもないわけだ?」


『否定はしませんが、私の印象としては、とても血のはなれた親戚ぐらいになると思いますね……』


「それで構わない!」


 縋るとっかかりとしては十分だ。


「では我が母、我が祖、創造神に願い奉る! 我らに試練を与えたまえ!!」


『試練?』


「そうだ。ただでは帰せないというのなら、俺達に試練を与えろっ!! そして、その試練を俺たちが乗り越えられたら……あんたが変わりに黄泉の女神として夜海の役割を引き継いでくれっ!!」


『っ!?』


 俺の要求がよほど意外だったのか、天空からの声が息をのむのがわかった。


 そして、


『ふ、ふふふふふ。神を使うというのですか?』


「そうだ」


『この世のすべてを作った、最高の存在であるこの私に……黄泉の女神風情の仕事をしろと?』


「どうせ世界を観察するだけで、暇してるんだろ? ちょうどいい暇つぶしができたと思ってくれ」


 俺でも、ちょっと身勝手すぎたか? と思ってしまうほどの暴言を聞きながら、それでも女神は笑っていた。


『ふふふ。まさか私の作った世界で、こんな愉快な――創造神を顎で使うような人が生まれるとは……。やはり賢者の石を作って正解でした。想像以上に面白いことになっていますね』


 女神はそう言ってしばらくの間、発作でも起こったかのように笑い続けた後。


『いいでしょう。子供のわがままを聞くのは親の役目。あなたのその願い……確かに聞き届けました』


「「っ!!」」


 女神ははっきりとそういった。


『ただし……創造神の試練は、決して安くはありませんよ?』


 得体のしれない、不安を残す言葉を付け足してだが……。


あれ? 今日で終わるはずだったのに……あるぇ~?


神の娘(かみのこ)=名称はメシア・イリス。この世のすべてを創造の女神に教えられた信託の巫女とされており、彼女自身も神がごとき絶大な力を持っていた。だが、その思想は土着宗教を信仰していた王の迫害を受け、磔にされ処刑。彼女は短い生涯を終えた。


 が、三日後に復活した彼女は、再びその体で布教活動を行った。このことによって彼女は正式に創造神の娘だと知れ渡り、絶大な信仰得た。


 復活してから三日後、彼女は処刑された際の傷跡が原因でふたたび没したが、彼女を慕い集まった弟子たちにより彼女の教えは各地に広められる。


 これがのちに世界三大宗教の一つとなる《イリス教》の前身となった。

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