表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/270

明石閑話・夜海黄泉帰り悲話 其之一

またシリアスが続いてしまった……。


いつになったら書ける、日常パート……。

「父上……ちちうぇ……」


 もういい年をして、嫁もできた息子が泣きながらその男の遺体に縋り付く。


「兄さん……。安らかに眠ってください」


 大往生でしたね……。と、彼と同じように年老いた妹は、涙を流しながらも笑った。


「兄者……。ワシもすぐに後を追うことになると思うが、しばらくの間、集落のことは任せてくれ」


 その妹の婿である老人も、長年の相棒である槍に彼の冥福を願った。


「わが神。岩神様に奉る。共に過ごせし偉大な集落の長……瑠訊の新たな旅路に、多くの幸をお与えください……」


 相も変わらず年老いることなく、美しい姿を保ちつつも、やはり身体機能が落ち始めている巫女は、座りながら榊をふるい死した男の身を清めた。


「父上……。あなたに生かしていただいた御恩……一生忘れません」


 かつて敵であった龍神は、その時の罪をすべて清算し、彼の息子の嫁となり集落に迎え入れられていた。彼女の体にはその息子との新しい命が宿っており、彼女は大きくなりつつあるお腹をさすりながら、涙を流し彼に別れを告げる。


「俺の右腕の貸しも返させぬまま逝ったか……。勝ち逃げ男め……」


 巫女を支えた虎の獣人は、涙と共に悔しげな悔恨の声を漏らす。


「…………………………………」


 縁側で、俺を膝に乗せた狐獣人の新人巫女は、そんな彼らに視線を注ぐことなく、自分の隣を三白眼で見つめていた。


 そんなしめやかで、ひそやかな、一人の偉大な男――瑠訊の葬儀を、俺――賢者の石は縁側で見つめながら、


「おい、どーすんだよ、これ」


「そんなもん……。俺が一番聞きてぇよ」


 狐巫女の隣で、彼らに気付かれないようこっそり葬儀の様子を覗いていた瑠訊(・・)は、青い顔をして、そんなことを漏らす。


 その姿はどういうわけか、現在親族に囲まれている彼の遺体と比べると、ずいぶんと若々しい。……いや、それどころか人間のころとは比べ物にならない、圧倒的な存在感が瑠訊には宿っていた。


 彼の体は現在、すべてが霊力によって構成される、実体のないものだ。代わりに、霊力そのものとなった彼の魂は、生前とは比べ物にならない莫大な量の霊力をふるう許可を得ている。


 人は、そういった莫大な力を持つ、精神だけの生命をこう呼ぶ。


「まさか、《神様》になって、無事俺が生きながらえましたなんて……今更言える空気じゃねぇ!!」


「まぁ、確かに、お前が神格化するなんて、流石の俺も予想外だけどね?」


 内心で半笑いになりながら、俺自身が予想しえなかったこの異常事態に、なんと対応すればいいのかと頭を悩ませた。


 俺の名前は賢者の石。あらゆることを知る石だ。


 だがさすがに、初体験のことを予想しろというのは、いささか酷というものだろう。




…†…†…………†…†…




 端的に言ってしまうなら……瑠訊が神になりました。


 まぁ、あれだけの絶望的戦力差を持つ相手を、一刀のもとにたたき伏せればそりゃ信仰の一つや二つ出来上がると思ってはいたが、


「正直、わたしより霊力が高いというのはどういうことでしょうか……」


 それに引きずられて、もはや私たちが加護を与えた天剣も、別物みたいな量の霊力発していますし……。と、結局、自分の体を火葬されてなお、家族たちに自分が神になったことを言えなかった瑠訊は、新人の狐獣人巫女――稲納に俺を連れてくるよう言いつけ、岩神のところに逃げ込んでいた。


 まったくもってヘタレた男だった……。見た目通り、中身まで若いころにすっかり逆戻りだ。


「お前分かってねぇよ……。なんだけあいつらが悲しんでいるところに『ごめ~ん。実は生きてたんだ?』なんて顔だしてみろよ? 喜んでもらう前にまず袋叩きにあうわ」


「神様殴れるかどうかは甚だ微妙だがな……」


 いやいや、畏れ多いとかは問題ではなく、物理的肉体をもたない瑠訊を殴れるかって問題だが……。と、俺は内心でため息をつきながら、今回の現象について考える。


「ようするに、あの戦争であれだけの神の祝福を受けて、この国の支配者になりかけた龍を鎮圧したお前は、一種の生き神として、獣人たちの信仰を受けたんだろう。《瑠訊》という神としてな。何せ戦果が戦果だ。今遠視や透視で調べてみたけど、お前の評判はウナギのぼりで、あの戦争で生き残った獣人たちの口から、国中に膾炙している。『自分たちを危地から救ってくださった、生き神様だ!!』ってな。そりゃ、そいつらの意志を受けて、霊力の変質の一つや二つぐらい起きるだろう? そして、それによって岩神たちと同じような霊力変質をうけたお前の魂は、こうして自意識を保ったまま、高度な霊体=神としてその存在を生き延びさせてしまったんだろう」


 なるほど。と、とりあえず俺の大まかな説明を聞き、瑠訊の神格化に関してはある程度納得したのか、この場にいる面々は感心したように小さく頷く。


 あとは細かい解析結果を教えていくだけだ。まったく、賢者の石というものは、こういう時にこき使われてしまう……。


 まず、瑠訊の質問。


「俺の体が若いころのままなのは?」


「神として権能をふるうに当たり、一番やりやすいのが全盛期の姿だからだろう? 莫大な力を持つ者は、それにふさわしい見た目も得るもんだ」


 続いて、子供のように思っていた瑠訊に、頭一つ追い抜かされるような霊力を得られてしまい、若干微妙な表情をする岩神。


「私より霊力が高いのは?」


「単純に信仰されている人間の量じゃないか? お前が天剣八神の中でも、現状一番霊力が低い理由でもあるな。なにせ、信仰しているのうちの集落の連中と、森の獣ぐらいだし……」


「わ、私が一番霊力低いんですかっ!?」


 なにやら神としてのアイデンティティーを揺らがされ、慌てふためく岩神をしり目に、稲納の質問。


「瑠訊様との子供はこの状態になってもできますか?」


「あきらめなさい」


「想像妊娠の準備なら万全です。受胎告知でも可です」


「どこでそんな言葉を覚えたんですか。忘れなさい」


 俺からの冷や汗交じりの忠告に、不満げに頬を膨らませる稲納。そんな彼女のガチ告白に若干胃が痛そうな瑠訊。


 この娘、瑠訊がよぼよぼのジジイになっても、自分が15歳になり、いい感じの美人な娘さんになっても、まったく瑠訊への恋慕の情を衰えさせず、死ぬ間際、寝たきりになっていた瑠訊を、性的な意味で襲おうとした前科がある。


 無論俺がそれに気付きあわてて神術で止めたのだが、神格化してなおこうも瑠訊に執着しているとなると、彼女の将来が心配だった。


「見た目は若いころになったんですから、むしろお爺さんの時よりアリだと思うのです……。ほら、若返ったら色々たまるでしょう? 瑠訊様」


「ハハハ……。な、何の事だか? カミサマ、ソンナゲセワナコト、カンガエナイ……」


 着物の胸元を盛大にはだけさせる稲納から、必死に目をそむけながら、ガッチガチに緊張した口調で誤魔化しにかかる瑠訊を放置し、俺と岩神は新しい神格になった瑠訊をどうするか、相談する。


「とにかく、このまま集落の面々に黙ったまま、匿い続けるわけにもいかないでしょう?」


「かといって、こいつが出づらいって言ってるからな……。それに、神になった事情を話すにも、それ相応の理由でも作ってやった方が、話は円滑に進むだろうし……」


 いっそのこと、古式ゆかしい黄泉帰りをしましたって言った方がいいくらい……。と、俺はその言葉を言いかけ、


「あ……」


「ん?」


「どうしました賢者の石?」


「賢者様?」


 あることを思い出した。


「そういや瑠訊。おまえ、死んだら、黄泉に夜海迎えに行くって約束していたような気がしたんだけど、あれどうすんだよ?」


「「あ……」」


 夜海のことを知っている二人は、思わずといったような口調でそんな声を漏らし、


「??」


 夜海……瑠訊の嫁のことを知らない稲納だけが、小さく首をかしげた。




…†…†…………†…†…




 真っ黒な瘴気が未だに引かない、三日月の入り江。


 俺と岩神の結界によって封鎖されたその危険区域に、俺たちはやってきていた。


「悪いな、瑠訊。俺は、蘇生術式を禁止されているからな……。それの制限にひっかかるみたいでついていけないんだよ……」


「私も結界の維持で精いっぱいですので、中に入るのはちょっと……」


「瑠訊様。黄泉の果てまでお供します。ふふっ。あの戦争中に、私たち二人で旅行したことを思い出しますね……。どうです、瑠訊様? 古女房なんてうっちゃって、このまま若い娘と二人、黄泉観光としゃれ込むのは……」


「おい、やめろ、稲納。お前本気で死ぬ気か!? さっきから結界内部の瘴気濃度が信じられない数値にまで上がってんだぞっ!?」


 俺――瑠訊は、後ろに控えている騒がしい仲間たちの言い合いに苦笑をうかべながら、心配するなという代わりに、ひらひらと手を振った。


「大丈夫、大丈夫。ちょっとさびしがり屋の嫁つれてくるだけだから。そんなに騒ぐなって」


「油断するなよ、瑠訊! 仮にもお前がやろうとしていることは、死者蘇生に類似する行為だ。岩神から龍神姫の黄泉がえり事例が確認できたから、たぶん大丈夫だと思うが……。黄泉――一つの世界の主である神格を無理やりこっちに引き上げるなんてことになったら、さすがに、あの気まぐれな創造神が口を挟んでくるかもしれん」


「創造神って……お前をこの世界に作った奴?」


 賢者の石の警告で、俺の脳裏に浮かんだのは、一度だけ賢者の石が苦々しげにつぶやいた存在のこと。


 確かあれは、『お前はそんな知識をどこで仕入れたんだ?』という瑠訊の質問に対する答えだった。


「丸投げ女神?」


「そうだ。属性的には、庭師というより観察者だそうだが……。正直どんな行いが、あの神様にとって駄目なのかは完全に未知数だ。十二分に注意しろっ!!」


「了解。お前の忠告だ。きちんと頭に入れておくよ」


 俺は頼れる仲間の言葉に、そう返事を返し、結界の中に足を踏み入れた。


 すると、中で充満していた瘴気は、まるで俺と瑠偉が、賢者の石によって、この島に連れてこられた時の海のように裂け、俺をある一点に導いてくれた。


 三日月の入り江を満たす海。


 ちょうどその真ん中……夜海の骨を散骨した場所にぽっかりと空いた、真っ黒な穴へと。


「俺を導いてくれるのか? 夜海」


 可愛い奴め。と、俺はちょっとだけ笑いながら、


「待ってろ。すぐ行く……」


 躊躇いなんて全く感じないまま、その穴の中に飛び込んだ。




…†…†…………†…†…




 穴の中は真っ暗……では、意外なことになかった。


 うっすらとした月の明かりのような光が、わずかに穴の中を満たしており、その中の情景を俺に見せてくれていた。


 大気を満たすように満ちる、黒い霧のようなものは多分あの穴からあふれ出ていた瘴気だろう。


 だが、その瘴気たちはどういうわけか俺が近づくと、怯え身をすくませるように縮み、道を開ける。


 神様になった影響だろうか? それとも大和のせいで黄泉の主となってしまった、夜海の命令だろうか?


 どちらにしろ、好都合であることには違いないと思い直し、俺は深く考えるのをやめ、もくもくと足を進める。


 すると、俺の進む先から小さな明かりがやってきた。


「なんだ?」


 俺がわずかながらに警戒し、愛剣を手に取ろうと腰に手を伸ばした瞬間、


「あ、そうだ……。邪魔になるかもと思って、天剣は岩神様に」


 預けておいたんだった……。と言いかけたときにはもう俺に手にずっしりとした重みがあった。


「……………………………」


 手にはいつのまにか握られている天剣。どうやら神様になったおかげで、こいつとも一心同体になったらしい。


 なんて便利かつ、ご都合的能力……。と、いささか自分のハイスペックさに呆れながらも、俺はその明りの主を睨みつける。


 それは、俺の腰辺りまでの背丈しかない、珍妙な生物だった。


 膨れ上がった腹に、ぎょろぎょろと動き、輝く、猫のような瞳。


 それとは対照的に、やせ細った手足は今にも折れてしまいそうなひ弱さを受けてしまい、それを使って直立している、その存在の不自然さを際立たせる。


 餓鬼……賢者の石がいたらそう評したであろうその生き物は、天剣を握り締め警戒する俺に向かって一礼。


「お待ちしておりました、高草原が主、瑠訊様……。我等冥府の主……夜海様がお待ちです」


 そう言って、俺に背を向け元来た道をもどり始めた餓鬼に、俺はちょっとだけ呆然とした後、


「そうか、夜海の迎か。いや、なんか悪いなっ……気ぃ使わせちゃったみたいで」


 相変わらず夜海は気が利くなぁ!! と、変わらぬ嫁の気遣いに嬉しくなり、彼の背中についていく。


「……………………………………」


 餓鬼の背中から、ものすごく何か言いたげな雰囲気が出ていたが、大したことじゃないだろうと俺は黙殺。


 それよりも、いまから会える懐かしい嫁の姿に、俺は胸を弾ませていた。




…†…†…………†…†…




 俺がその餓鬼に連れられ、たどり着いたのは、砂を固めて作られたかのような、変わった宮殿だった。


 だが、俺がそれよりも最初に気付いたのは、その周囲に力なく倒れ伏す無数の餓鬼たちだった。


 餓鬼の数は計11名。


 そのすべてが、飢えて苦しみ、それを紛らわすために凄惨な行いをしている。


瘴気を吸い込むことによって得られる激痛で、飢えを紛らわせたり、


 そこらにある砂にむしゃぶりついて嘔吐したり、


 果ては己が身を食いちぎり、恍惚とする。


 そんなおぞましい光景を餓鬼たちは繰り広げていた。


「なんて……ひどい」


「仕方がないのでございます……」


 俺が思わず絶句していると、俺を先導していた餓鬼は、深い悔恨が入り混じった言葉を漏らす。


「我々は現世で罪を犯しました。死してなお許されてはいけない途方もない罪を……。だからこうしてここで、最もつらい《飢え》の苦しみを受けているのです。我々もそれを甘んじて受けています」


「だが、幾らなんでもこれは……」


「瑠訊殿……。あなたは私の声に聞き覚えはありませんか?」


 俺が突然ぶつけられた問いに思わず首をかしげるのを見て、餓鬼は小さく苦笑いを浮かべた。


「でしょうな。あなたにとっては取るに足らない……それこそ龍神姫様に比べれば、どうしようもない程度の小悪党だったのでしょう。しかし、賢者の石様は私たちの罪を見逃されなかった……」


 賢者の石の裁き。その言葉を聞き、そして先導する餓鬼を合わせて12人のという人数から、俺はその餓鬼の正体を割り出した。


「まさかお前……龍神姫の側近か!?」


「側近……すら、できなかったクズですよ」


 自嘲が入り混じった笑みを浮かべ、再び歩き出す餓鬼に、俺は慌ててついていく。


「龍神姫は無知であるがゆえに許された……。彼女は何も知らず、何も学べず、ただ自分が正しいのだと褒め殺され、それを信じただけの無垢な魂でした。だからこそ賢者の石様も、彼女の助命を聞き届けられた。だが私たちはすべてを知っていました。我々に蹂躙された村の悲鳴も。われわれが無理やり押し倒し、泣きわめくのを殴りつけ黙らせ、犯した娘たちの苦痛も。休みも与えず疲労のあまり死に至った子供たちの悲嘆も。……すべて私たちは、知っていてやっていた。なぜなら……私たちは感じてしまっていたのです。他者を一方的に虐げることによって得られる快感を」


 餓鬼の後悔の言葉は続き、俺たちはとうとう宮殿に入る。


「龍神姫の力を笠に着て、圧倒的高みから他者を叩き潰せるのは快感でした。この世のものとは思えない嗜好でした。ですが、龍神姫があなた方に、今まで自分がしてきたように叩きつぶされたのを見て、私たちは急に怖くなった。次は自分もあんな目に合うのか? と」


 だから私たちは姫も裏切り、そして賢者の石様にとらえられた……。餓鬼がそう語っていると、再び門が現れた。


 そこに映るのは罪の写し鏡。


 餓鬼がまだ獣人だったころ犯した罪が、そこには描かれていた。


 泣きわめく女性を獣のようにむさぼる獣人の姿が……。


 開く。先に進む。


「愚かなことをした……。と、いまならそう思えます。あそこで踏みとどまることさえできていれば、私たちはまだ人間で居られた。自分の責任は自分でとる。己が罪は己が手でそそぐ。そんな常識すら、その時の私たちは忘れていたのです」


 再び現れた門。今度は、暴行でも食らったのか、全身を腫れあがらせ息絶える子供を、馬車から捨てる獣人の姿が描かれていた。


 開く。先に進む。


「そして最後の審判の時、私たちはそれを思い知らされた」


 再び現れた門。描かれているのは俺も賢者の石から聞き及んだ、側近たちの弾劾裁判。


 醜く言い争い、罪を擦り付け合う、12人の獣人の姿が描かれていた。


「私たちの醜い言い訳など聞き届けられず、私たちの首は一閃のもとに斬りおとされました」


 開く。その時には、扉の絵柄が変わっていた。


 跳ね上がった獣人たちの首がすべて、今の餓鬼の姿になって黄泉へと落ちていく絵柄に。


「ここはいるだけで自分の罪を教えてくる。思い返させてくる……忘れさせてくれない。ここまでされてようやく、われわれは自分の罪の重さを思い知りました」


 まったく……バカですよね。と、餓鬼は、今度は明確な自嘲の笑みを浮かべ、その門をくぐった。


「恨んでいるのか……俺たちを?」


 そんな彼の様子に、俺は思わずそう尋ねてしまった。それほどまでに、今彼らが受けている責め苦は、彼らが犯した罪に対して、重すぎる印象を受けていたからだ。


 だが、餓鬼は首を振った。


「お優しいですね、瑠訊殿は。ですが、われわれは全員この仕打ちに納得しています。満足……とは口が裂けても言えませんが、納得はしているんです。初めはそれこそ、悲鳴と共に理不尽な世界を罵ったものですが……今やそんな愚かなことを言う餓鬼はこの黄泉にはおりません」


 罪に対する当然の責め苦を、うけているだけにございます。と、餓鬼ははっきりとそう言ってくれた。


「だからこそ、私たちに自分を見つめ返す機会をお与えくださった夜海様には……感謝してもしたりない、大恩を感じているのでございますよ」


 だから……。と、餓鬼はそう言って、最後に現れた扉に手を伸ばした。


 そこに描かれたのは、文字。


 夜之海。


「ですから、瑠訊様……夜海様をどうか、この黄泉から連れ出してくださいませ。ここはあの方のような、優しい方がおられていい場所ではありません……」


 罪人の罪を償わせる刑場。そこにあんな罪も何も犯していない方がいることじたい、おかしいのでございます。


 餓鬼は最後にそう言って、門を開き、俺を中へと入れてくれた。


*餓鬼=原始の地獄とされている、日ノ本神話の罪人の魂がおちる場所―—黄泉に落とされた罪人が変化したとされる化生。

 ギョロリとした瞳に膨れ上がった腹部。いまにも折れそうな手足が特徴的な存在。

 罪人は黄泉に落ちた際その姿になり、その罪を精算するまで正気を保てないほどの飢えに苦しむことになる。

 当然闇ばかりが広がる黄泉には食料など存在せず、彼らが摂取できるのは、大気中に漂う、吸入すれば耐え難いほどの激痛とともに、身を腐らせる瘴気。宮殿を構成する口にすれば嘔吐してしまう砂。そして、自らの体の身である。

 その苦しみの中、頭の中で繰り返される己が罪を認めることによって、彼らは黄泉の宮殿の門をくぐっていき、最後に黄泉の女神に謁見を果たすことによって、罪を清算することができる。

 罪が清算された魂は現在いないため、その後どうなるのかは不明。

 ただ、《真教》の伝来により、黄泉を統合した地獄の整備が進むとともに、この種族はだんだんと消えていった。

 初期の餓鬼である12人の餓鬼は鬼神へと昇格し、整備された地獄の官吏として雇われ、罪人たちの罪の清算を行っているとかいないとか……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ