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金太朗 母親について

 それから一週間ほどたち、如廊山のふもと付近では、あの丸耳の少年が新しい鬼の死体を作り出しているところだった。


「いい加減しつこいべ……」


 これでいったい何人目だと思っているべ……。と、丸い耳をぴくぴく動かしながら舌打ちをした少年は、今日は珍しいことに、その鬼たちを丁寧に埋葬していた。


 理由は至って簡単。


「金太朗? さっき大きな音がしたけど、なにかあ……あら? 地面なんて掘ってどうしたの?」


「タケノコねーかと思って」


「まぁまぁ、金太朗。前に教えたでしょう? タケノコは竹藪にしかないのよ?」


 今日は珍しく体調が良いということで、彼の母親――褐色の肌に、額から二本の角を生やした、美女――女郎御前がついてきていたからだ。


 鬼にしては珍しい、華奢で病弱な体を持つ彼女は、強い風でも吹けばぽっきりと折れてしまいそうな儚さを感じさせる。


 だが、彼女はそんな病弱な体を一生懸命働かせて、人外じみた膂力を持つ自分を一生懸命育ててくれた。


 少年――金太朗はその恩に報いるために、大きくなった自分の体を使い、母を生涯守り抜くと心に決めていたのだ。


 だからこそ、そんな母の穏やかな生活を乱そうとする、鬼たち――その背後にいる、天目童子が許せなかった。


――いいかげん誤魔化すのも限界にきているべ。ここらで一気に片を付けるか?


 掘り返された形跡がある、鬼たちが埋まっている地面を見つけ「猪がエサを探して掘ったのかしら?」と、不思議そうに見つめる母の姿に、そんな決意を固めながら、金太郎は優しくその背中を押し、この場から離れるよううながす。


「ほら、そんなことは良いべ、お袋。ただでさえ病み上がりなんだから、あんまり無茶しちゃいけねーべさ」


「あら。私はこう見えても、人間よりも頑丈な鬼なのよ?」


「よくいうべ。昨日熱だしてぶっ倒れていたべさ」


「あ、あれは……ちょっと油断しちゃってね? ほ、本当よ、金太朗!」


 顔を真っ赤にして、一言で嘘だと分かるやせ我慢を、自分に心配をかけないようにと必死に言ってくる母の可愛らしい姿に、金太朗は苦笑いを浮かべながら自分の家へと帰っていく。


 そしてその翌日、金太朗は女郎御前に『ちと遠くの山まで狩りに行って来るべ』と置手紙を残し、姿をくらました。




…†…†…………†…†…




「ここがその、子供の化物がいるっていう如廊山か?」


 俺――賢者の石は、とうとうやってきてしまった子供の妖怪がいるとうわさされる妖怪山=如廊山にやってきていた。


 この近辺村落でミカジメ料なんて愉快な税金を取り立てていた鬼をいためつけ、靖明に幻術をかけてもらい、聞きだした情報なので恐らくこの山で間違いはないだろう。


「それにしても、この地域の鬼……思わずムカついて、痛めつけたはいいものの、大丈夫なのか?」


「なにが?」


――やってしまったモンは仕方ないけど……。と、俺が呆れながらつぶやいた言葉に、山に入り何か痕跡はないかと探していた来光は不思議そうな顔をして振り返った。


「だって、ここは五山頂――天目童子が統べる山脈だぞ? そこにいる鬼をいためつけたってことは、要は天目童子の領土を犯したっていうのと等しい。多分報告が行けば、あの大鬼が黙ってないだろう」


「あぁ、そういうことか。気にする必要はない。いいかげん朝廷も、鬼どもにデカい顔をさせておくわけにはいかんということになったからな」


 喧嘩になるようなら討伐しろと言われている。と、割とあっさりとんでもない命令を暴露した来光に、俺と靖明は「相手を舐めすぎじゃね?」と、呆れきった表情を浮かべ、


「「「え?」」」


 部下三人も目を見開いた。って、


「言ってなかったのかよっ!? 俺達はともかくこいつらにもっ!?」


「あれ、言ってなかったっけ?」


「聞いてませんけどっ!?」


「えぇ! 天目童子と対峙することになったら、とりあえず撤退するものとばかり!?」


「おい、来光……気は確かか?」


 末竹が、宇賀が、定湯が、それぞれ冷や汗をかきながら来光に詰め寄っていく。


 そんな部下たちの姿に、来光は「まいったな……」と言いたげに頭をかき、


「まぁ、俺たち全員でかかれば五山頂ぐらい何とかなるって」


「「「…………………っ!!」」」


 三人一斉に首を横に振る末竹たちの姿に、俺たちはさらに不安を加速させる。


 この自分の武錬の腕には、並々ならぬ自信を持っているこの三人がためらうことなく「勝てない」と主張するのだ。鬼と獣人にはそれくらい身体的性能の差がある。


「靖明……どっかに紙ないかな? 紙。遺書書きたいんだけど」


「それは賢気には必要あるまいて。それよりも遺書は小生にこそ必要だ」


「そんな不安になることないって。そんな信用ないか? 俺」


 ため息交じりに懐をごそごそ探し始め、札にする用の和紙と筆を取り出した靖明を見て、来光が顔をひきつらせた。


 そんな間にも、俺たちは結構山の中を進んでおり、道なき道をかなりの距離歩いていた。


 そんなとき、


「っ! 来光様っ!」


「ん?」


 俺ここで死ぬんだ……。と、ぶつぶつつぶやきながら先頭で槍をふるい、草をならしていた宇賀が、真剣な表情になり声をあげた。


 その声に反応した来光は、一気に先頭に向かって駆け出し、


「これを」


「……ほう」


 まるで巨大な武器にでも薙ぎ払われたかのように、雑に大木がへし折られ、小さな広場になっている空間を見つけ、来光は思わず感心の声をあげたのだった。




…†…†…………†…†…




「どうやら、本当にこの森には何かいるらしい。まぁ、鬼がそこらじゅうにいる山脈だから、いてもおかしくはないと思っていたが……」


 大罪府の与太話じゃなかったんだな……。と、ほんの少し感心しながら、来光はへし折られた後整えられすらしていなかった、ぎざぎざの断面を晒す木の切り株に触れる。


 まだわずかに湿り気があるし、覗く中身もまだ新しい黄色に近い色をしていた。へし折られたのはつい最近と思われた。


 その間にも靖明は、手で無数の印を結び自分の霊力を放出。この場に残っている霊力の探知をして、敵の正体を割り出そうとしていた。


 だが、


「霊力が残っておらん? 損傷から見てかなり最近暴れたものだと思ったのだが……。まさか、ただの膂力でこれをやったのか?」


「ということは、相手は鬼か?」


「いや、鬼だとするならばこの区域にわずかながらでも鬼気が残っておらんとおかしい。あやつらは、自分の存在を主張することで、恐れを得ておるからの……。つい最近鬼が暴れておったなら、ここにはかなりの密度の鬼気が残っておるはずじゃ。それがないということは、鬼がはじめからいなかったか……もしくは」


 鬼気の根源である鬼自身が、何者かの手によって討たれたかのどちらか……。靖明がそう言って、難しい顔をして額に手を当てて考え込もうとしたときだった。


「来光様っ! 靖明様っ! 賢気様っ!! こちらにっ!!」


「ん?」


「なんだ?」


 ふたたび宇賀が何かを見つけたらしい。俺達はその呼び声に向かって、近づいていき、


「うっ!!」


「これはひどい……」


「だれがやった」


 全身をグチャグチャにされて絶命している鬼の死体が、地面から覗いていた。


 辺りに土がまき散らされており、その周辺に宇賀が立っている。どうやら宇賀がこの死体を掘り返したらしい。


「ここだけ土の色が違って、つい最近掘り返した形跡があったので調べてみたらこのありさまでして……」


「こりゃ、鬼が暴れたわけじゃなくて、鬼以上の何かがいるのは確定みたいだな」


 思った以上に厄介な仕事かもな……。この仕事。と、来光がそう言って、いままでの楽観的な雰囲気をけし、するどい闘気を放ち始めた瞬間だった。


「ひっ!?」


 森の奥から声が響き渡った。


――声が思った以上に高い? 女か?


 俺が内心でそんな考察をしている間にも、声が聞こえた方向に来光の部下三人は構えを取り、その中で最も足が速いと思われる末竹が、放たれた矢のような速度で疾走。


 声が聞こえた草むらを飛び越え、そこから逃げようとしていた何かの背後をとる。


「っ!? 鬼女っ!!」


 女の鬼を初めて見たのか、聞こえてきた末竹の声が驚きに染まっていた。だが、それは悪手。


「末竹っ! 油断するなっ!! 仰得山の涙鬼や玉鬼の例がある。女だからって油断していると、頭から食われるぞっ!!」


「っ!!」


 俺の警告の声に、気を引き締めなおしたのか、草むらの奥から飛び出した銀色の線が、草むらの高さを半分以下になるまで切りそろえた。


 そして、露わになる、


「ま、まって……待ってくださいっ!! あなたたちに危害を加えるつもりはないんですっ!!」


 泣きながら土下座をし、必死に命乞いをする美人な鬼女の姿。


「「「「「「「…………………」」」」」」」


 思わずその空間に沈黙が下りる。あまりに予想外すぎる鬼女の姿に……。だが、とりあえずその美貌と、目元に浮かぶ涙のせいで、なぜだかこっちがとっても悪いことをした気になってしまって……。


「あぁ~あ。な~かした~、な~かした~」


「ちょ、来光っ!?」


「無職の万年居候だと思っておったが、まさかここまで落ちるとは。神の位を返上したのは正しかったのかもしれんな……」


「ちょ、靖明までっ!? お前らっ、あの鬼女泣かせた責任を、全部俺に押し付けようとしてんじゃねぇ!?」


 罪悪感を少しでも軽減するためか、鬼女を泣かせた原因を全部俺になすりつけてくる最低な二人組。そんな二人に抗議する俺の声が、むなしく如廊山にこだました。




…†…†…………†…†…




 それから数時間後。俺達は鬼女が住んでいると主張する、山奥にある小さな庵にやってきていた。


 不便な山奥にあるにも関わらず、割と豊かな生活を送っているのか、まだ火がちろちろと見える囲炉裏には、おいしそうな吸い物が入った鍋が置いてあり、壁には敷物や布団に使うと思われる、獣の毛皮がずらり。


 生活用品も一通りそろっていて、俺は少しだけ驚きをあらわにした。


「山奥の小さな庵とは思えんな……。貴族でも貧乏貴族だったら、これだけの家具をそろえられるかどうか……」


「息子ががんばってくれましたので」


――鬼が息子……ねぇ。聞いたことはないが……だとすると小物については納得がいくな。と、俺は内心呟きながら、どう考えても二人以上の人間が住んでいるとしか思えない、家の小物の数を見て、合点がいく。


「も、申し遅れました……。この山に住まわせてもらっている鬼女の《女郎御前》と申します」


「あぁ、これはご丁寧に。都より妖怪討伐の命を受けて派遣された原来光と、その部下。足すことの愉快な仲間達です」


「「おいこら」」


 部下以上に雑すぎる俺達の紹介に、靖明と俺が抗議の声をあげ、末竹たちは「まじめにやってください」と抗議の色を含んだ嘆息を漏らす。


 だが、そんな間の抜けた雰囲気を気にしている余裕は女郎御前にはなかったのか、顔を真っ青にして、彼女は再び頭を下げた。


「あ、あの……私を討たれに来られたのですか?」


「ん? あぁ……」


 そういえばあんたも鬼女だったな。と、穏やかな女郎御前の雰囲気に誤魔化されていた事実を、いまさらながら思い出した来光はポンと手を打つ。


 そして、


「あぁ、今回の獲物は違うし……あんたも悪いことしているようには見えない」


 と、本当の自分たちの目的を告げようと、口を開いたときだった。


 その言葉をぶつ切りにし、女郎御前が頭を下げる。


「で、でしたらお願いですっ! 私はどうなってもいい……どうか、どうか息子だけはお目こぼしを」


「え? ちょ、な、何を勘違いして!?」


 殺したりしないから安心して。と、来光が口を開きかけたときだった。


「ゴホッ……!」


「っ!?」


 女郎御前が、咳とともに血を吐きだしたのは。


 一瞬俺たちの思考が氷結し、その間に女郎御前は何度も咳を漏らす。


「ど、どうか……息子だけは」


「ば、バカっ!! そんなこと言っている場合かっ!! 靖明っ! 賢気っ!!」


「わかっている!」


「はよう床に寝かせんか! 仰向けはいかんぞ! 血がのどに詰まるかもしれん!!」


 確実に何らかの病にかかっている。そうとしか見えない女郎御前の姿に、俺たちは慌てて女郎御前を寝かせ、治療を行う体制に移った。




…†…†…………†…†…




 それから数時間後。ひとまず俺たちの応急処置が終わり、もうろうとした意識が戻ってきたのか、床に寝かせた女郎御前が目を覚ました。


「っ……私は?」


「目を覚ましたかの?」


「あっ……」


 そんな女郎御前を安心したような笑顔で迎えた靖明の顔に、女郎御前は何が起こったのか思い出したのか、顔を真っ青にして上半身を起こす。が、


「す、すいません! 話の途中でなんて失礼な……ごほっ! ごほっ!!」


「あぁ、戯け。治ったわけではないんだから、大人しく寝とかんか。また血をはくぞ」


 当然、病み上がりの彼女がそんなことをしていいわけがなく、再びむせはじめた女郎御前を半眼で見つめながら、靖明はその肩に両手を置き、ゆっくりと彼女を床に敷いた敷物の上に寝かしなおした。


「す、スイマセン」


「かまわん。鬼の治療なんぞ初めてしたからのう。いい経験になったわ」


「にしてもお前、見た目に似合わず結構無茶苦茶しているみたいだな……。本来人の感情を食らう鬼が、まさか山への信仰心を食らっているとは……」


「っ!?」


 自分の病の原因を言い当てられたことに驚いたのか、女郎御前が目を丸くするが、知識の神の俺と、都一の陰陽師の靖明の手にかかれば、割と調べるのは造作ないことだった。


「最近神様が顔ださないからって、信仰によって生まれる力にまで手を付けるのはまずかったな……。そんなことができんのは文字通り、信仰の権化の鬼仙童子だけだ。ただの鬼がそんなことをやったら、本来神が使うべき膨大な霊力を御しきれず、体に不具合が出るに決まっているだろう」


 そう。調べてみると女郎御前からは、神々が保有する霊力と同じ、清浄な霊力がわずかに確認された。


 それは人々の純粋な信仰によってのみ得られる力。妖怪ごときが御しきれるわけがない、最も清廉で強力な霊力だ。


 彼女はどうやらそれを定期的に摂取していたらしく、体内に取り込んだそれを御しきれず、病のような症状にかかっていたのだろう。


「なんだってこんなことをした……。知識がないとはいえ、定期摂取していればこれが原因だとなんとなくは気づいていただろう?」


「……すいません」


「いや、謝られてもな……」


 大事にはいたらなかったからよかったが……。と、呆れながらも告げる来光に、女郎御前は落ち込んだ様子で俯きながら、ポツリポツリと事情を離し始めた。


「私は……いわゆる《母性》という感情から生まれ出でた鬼みたいなんです。自分が生まれて、ふと目が覚めたとき、私の目の前には、血まみれで倒れ伏して絶命した女の人と、その人に大事に抱えられていた男の子がいました。そして私は、生まれながらにその子がどうしようもなく愛おしかった……」


「それがあんたの今の息子さんか?」


「はい……」


 俺の言葉に小さく頷き、彼女は毛皮を握り締めた。


「本当にかわいい、玉のような子供で……。目に入れてもいたくない子なんです。この毛皮もこの庵の家具も、四苦八苦しながらあの子が作ってくれたもので、家に庭にはたくさん失敗品が転がっています。どうしても、あの子ががんばった証を捨てられなくて……」


「そりゃまた……親孝行な息子さんだ」


 野蛮な鬼の子供にしては珍しい。と、ようやく口を開いた定湯の皮肉げな言葉に、末竹はきっと定湯を睨み付け、宇賀は「いつもあんな感じですから、気にしないでください」と、苦笑い交じりにびくりと震えた女郎御前に笑いかけた。


「そ、そうですか? でも、私その子を育てて、成長させていくたびに気付いたんです……。どうもこの子、普通の獣人以上の力を持っているなって……。そして五歳くらいのことでしょうか? 山の主として、鬼すら襲っていた巨大な熊を打ち倒し、肩に担いでもってきたとき、私はこの子が鬼すらも凌駕する存在になるって確信しました。私ごとき、生まれたときの感情以来、人の感情を食べずに、普通の食事で飢えをしのいできた鬼もどきでは、到底親として名乗ることのできない存在に……。だから私は、あの子の親としてふさわしい鬼になろうと、この山を満たしている神様への力を食べてみたんですけど……」


「失敗したってわけか」


 さきほどこの庵の奥も見聞したが、どうも病の看病に奮闘したと思われる痕跡がチラホラとみられた。


 その中にはずいぶんと年季が入った包帯もどきの布まであり、彼女の体調の変化がここ一年二年前で、起った程度のものではないと知らせてくれる。


「はい……。結局あの子に心配をかけるだけの結果になって、申し訳ないと思っています」


 本当に……ダメな親ですね。と、悲しげに笑う女郎御前。


 そんな彼女をしり目に、俺と靖明は念話による通信を行い、先ほど貰った情報を整理していた。


『つまり……こいつの息子が依頼にあった子供の妖怪だと思うんだが。怪力無双で子供って点は一致しているし』


『おそらくそうだろうな。人外染みた膂力を見たものがおって、妖怪と勘違いした……といったところかの?』


 なんか、あっという間に依頼が終わってしまい、俺と靖明は安堵と共に拍子抜けといったような気分になる。


 とはいえ、平和なうちに終わってくれてよかった、よかった……。と、俺と靖明が、ひとまず納得し、このことを来光に念話で伝えている傍らで、女郎御前の言葉に心打たれたのか、いろいろ親という者に不自由していた末竹が、涙をあふれさせながら彼女の手を握った。


「ぞ、ぞんなごとないでずよっ! 女郎さん! き、きっとむずござんも、あなたのことりっぱなははおやだっておぼっていまずよ……」


「わかった。お前が言いたいことは分かったから、鼻水をふけ!」


 かかる、かかる、かかるっ!! おかれた俺の上で垂れ流される水滴に、俺が悲鳴を上げるのをきき、女郎御前はしばらく唖然とした後、


「ふふ……。優しい人たちなんですね、あなたたち。ありがとう……そう言ってくれて」


 鬼には似合わない、はかなげな笑みを浮かべて、自分のために泣いてくれた末竹に向かって、頭を下げた。




…†…†…………†…†…




「それにしても、体調が悪いのならどうしてあんなところに……」


 不思議そうに首をかしげた宇賀の言うとおり、確かに不自然だ。さっき血を吐いたところから見ると、今日の外出は相当な無理を押して行ったことなのだろうし……。


 そんな風に疑問符を浮かべた俺たちの視線に、女郎御前は先ほどまでの笑顔の代わりに、今度は心底心配そうな表情を浮かべ、


「実は……昨日から息子が行方不明になっていまして」


「なに?」


「遠くに狩に出るっておき手紙には書いてあったんですけど……。私達が食べる分の保存食は十分そろっていますし、いまさら狩りに行くなんておかしいと思って、探していたんです」


「ふむ……」


 その言葉に、来光は何かを考えだし、靖明は「何か息子さんの持ち物とかはないかの? 良ければ行方を占うが?」と、女郎御前に提案する。


 そんなときだった。


 外から雷鳴のような、凶悪な声が聞こえてきたのは。


「くはははははは! あのクソガキがいねぇじゃねぇか!」


「かまわん。我々の本来の目的は、女郎御前のかどわかしだ。あの小僧を殺すのは、別の鬼がやってくれる」


「結構な数の同胞を殺したそうだから、中々食いでのあるやつだと期待していたんだがなぁ!!」


 外から響き渡る不気味な声。


 それと同時に、庵の扉が壁ごと粉砕され、轟音と共に崩れ落ちたっ!


「っ!?」


「なにやつっ!!」


 驚く靖明をかばうように、即座に武器を引き抜き、靖明と来光を守るように立つ末竹たち。


 そんな三人を睨み付け、庵の壁を壊した存在――赤と褐色の二人の鬼は、こちらを見つめて凶悪に笑う。


「おぉっと、クソガキの代わりが大量じゃねェか」


「かまわん。全部殺して全部食おう。天目童子様が、新たな后として貴様を所望だ、女郎御前。大人しくついてこい」


 赤い鬼が凶悪な笑みを浮かべて威嚇するのと同時に、冷静そうな褐色の鬼が、女郎御前に向かって傲然とした言葉を放つ。


 そんな彼らの言葉には、聞き捨てならないフレーズがあった。


「く、クソガキ……それってまさか、私の金太朗のことっ!?」


「あぁ? 一か月ほど前から、母上には指一本触れさせないとか抜かして、ずいぶんと俺達の仲間を殺してくれたぜ」


「まさかそれすら知らんとはな……。恐れ入る話だ」


 ずいぶんと厳重に守っていたらしい。箱入り娘ならぬ、箱入り母親か。と、うまいこと言ったと言いたげな褐色の鬼の言葉など、もはや女郎御前には届いておらず、


「ま、まさか……そんな。じゃぁ、あの子が狩りに行ったっていうのは」


 俺にもこの話の流れが、鬼たちの発言で何となくわかった。そしてなにより、


「マジかよ……」


 もしやと思い鬼たちの話を聞いた瞬間に発動していた、俺の遠視が、安増山山頂の洞穴で、隻眼と右の角が折れた二本角が特徴的な褐色の大鬼――鬼天目童子と対峙した15歳くらいの少年を映し出したことで、その予想は確信に変わる。


「あんたの子供、あんたの平穏な生活を乱そうとした天目童子に……ケンカ売りに行きやがったんだ!」


「――っ!?」


 女郎御前の顔から血の気が引く。当然だ。相手は五山頂の一人……この日ノ本の精霊種である《鬼》の頂点に立つ存在の一人であり、その実力はその看板にたがわぬものだ。


 いくら強いといっても、人間ごときが挑んでどうこうできる相手ではない。


 きっと女郎御前の脳裏には、原形をとどめないほどズタボロにされた息子の姿が浮かんでいるはずだ。


――もう、きっとこいつの息子は助からない。


 俺が内心でそう確信した瞬間だった。


「だったら、ここでまごまごしている暇はないな?」


 不敵に笑った来光が、そんなことを呟いたのは。


 そう。女郎御前の息子……金太朗はもうきっと助からない。


 ここで俺たちが黙って見ていればの話だが……。


「お前たち。予定変更だ……天目童子のクソジジイを殺しに行くぞ」


「「「おうっ!!」」」


 ここ数時間で、人間でも最近はろくにみない善人とわかった女郎御前。


 そんな彼女が泣いているのだ。息子の安否を気にかけているのだ。


 武士(もののふ)が、剣をとるには十二分な理由。


 それを得た彼らは、先ほどの五山頂への恐れなどどこかへ追いやり、代わりに女郎御前の涙を止めるという覚悟を瞳に宿した。


 ちょっと気が向いたから人助け。鬼であろうがなんであろうが、善人は報われるべきだと、四人の若武者が立ち上がった。


*女郎御前=正史では名前の記されなかった金太朗の母親。しかし、その痕跡はいくつか残っており、日ノ本三大美姫の一人《岐山築野愛》と同一人物であるとする説もある。

 また、語源が不明になっている、後世で使われる美女を指す《女郎》という言葉も、どうやら彼女から派生しているものではないかと考えられており、現在ではだんだんと彼女の本名が明らかになっているとか……。


 童話《金太朗》の物語では年老いた老婆となっており、病弱かつ、華奢。よく寝込んでいたという描写もあるのだが、病弱な鬼女というのはいささか珍しかったため、本当に鬼女であったのかどうか? 角が生えた獣人ではなかったのかと疑われている。


 また、彼女と同一人物であるとされる岐山築野愛の没後、都周辺で《鬼母守神(きぼしゅしん)》信仰が流行ったため、どうもこの人がその信仰の神である《鬼母》であったのではないかという学説が、近年発表され話題になっている。

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