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決意表明


師匠をベッドに寝かせる。安眠堂の店内は見た目だけは前に戻ったが、師匠の目が覚めないという事実は僕達の胸に重くのしかかっている。

僕は師匠が持って行った荷物の量を思い出す。一週間分はあった。そうだ、絶望するにはまだ早い。

師匠はしばらく帰れないと言っていた。長丁場になると分かっていただけでなのではないか。

「もしかして、師匠はまだ夢の中で戦っているんじゃ……」

二人の視線が僕に集まる。しかしジュードさんは、綺麗に片づけられた師匠の机の上で、わざとらしく真ん中に置かれた封筒を僕に渡した。

「戻ってくるつもりのやつが、こんなものを用意するか?」

おそるおそる開封し、書類に目を通す。僕のわずかな希望を砕くには十分な内容だった。

『魔術学校入学許可証』

全寮制の魔術学校は、魔術師の推薦がなければ入学出来ない。

そして高額な入学金を僕の為に支払ってくれたのだろう。

魔術学校を出れば、魔術協会のお墨付きを得られたようなものである。

仕事に困る事にはならないだろう。けれどそれは、弟子が師匠の元を離れて行くのを強力に後押しする事にもなりかねない。

そこには見返りを求めない手放しの愛があった。立派な魔術師になれと、師匠の声が聞こえてくるようだ。

もう、自分が戻ってこないと分かっていたから。

くしゃくしゃに書類を握りしめる。ちっとも嬉しくない。

「師匠、僕の夢は……夢魔術師って堂々と名乗ることですよ……!」

戻ってこないという師匠の明確な意図が僕から気力を奪っていった。脱力して床に座り込む。

文句の一つも言わなければ気が済まないところだが、相手は夢に囚われて聞くことも出来ない。

いつから師匠はこうなることを分かっていたのだろう。

出かける直前? いや、ずっと前からかもしれない。

魔術学校の入学手続きを始めるより、更に前だ。

ジュードさんはこれだけの調剤と、採集の腕があれば何処へ行ってもやっていけるだろう。

僕も魔術の基礎を学び終えているし、夢魔術に関しては特化して習得している。

もう充分、一人前の魔術師として名乗れるはずだ。

残された僕達が困らないように、さりげなく用意周到な準備がなされていた事に気が付いた。

怠惰なふりをして仕事を僕達に任せ、技術を惜しみなく分け与えてくれた。

形容のし難い感情がこみ上げる。泣きそうになるほど熱くて、呼吸するほどに胸が痛む。

ジュードさんが壁にもたれ掛かり、気怠げに僕に視線を向けた。

「どうする」

「どうするって……」

「俺はこの店の店員だ。安眠堂はまわしていく」

迷いのない言葉だった。彼自身は何処へでもいけるだろうに、ジュードさんにその気は全くないようだった。

安眠堂がなくなると困る人もいるからだろうか? 主にアドルフだが。

そんな慈善家ゆえの決断かと思ったが、浮かぶ諦めのような表情は優しく師匠へと向けられた。

「後を頼むと言われたからな」

ジュードさんにとっても師匠は、雇い主以上の存在らしい。

二人の間にある過去について、僕は何も知らない。けれど忠義のような芯の通った揺らがぬ信念を、確かに感じた。

しかしその言葉は、師匠が目覚めるのを諦めたという意味でもある。

当然だ。

だって、夢魔術師が越えられなかった夢を、他のいったい誰が覚ませるというのだ。

それまで奇妙なほど静かだったローリーさんが動き出す。

寝かせたばかりの師匠を抱え上げ、荷物のように肩に担いだ。

無造作で唐突な動きは僕達に理解を求める素振りもない。

人形のような不気味にも見える無表情に、不穏な気配を感じてジュードさんが立ちふさがった。

「何をしている」

「……連れていく」

「何処へだ」

「俺の家だ」

「何のために」

ローリーさんは口角を上げて笑った。それは僕達の尺度で推し量れない人物であると思い出させる、覇者の笑み。

邪魔をするな。潰すぞ。

声以上に明確な意思表示で、ローリーさんは僕たちを威嚇する。

それを直視したジュードさんと僕の額から、冷たい汗が流れ落ちていった。

「こいつは『私達ずっと仲のいい友達でいようね』という自らの約束を破った。ならば、俺がそれを守る筋合いはない」

師匠、そう言ってこの人のことフったんですね……!

過去のテキトーなやりとりに愕然とする。

そしていつにない落ち込みようと、この振り切れてしまったローリーさんの様子から垣間見る感情を、安直に恋と名付けていいのか躊躇った。

そんな世間にありふれた感情より、唯一の同じ生き物が失われたような、他者には理解しようのない深い嘆きが適切な気がした。

「何をするつもりだ」

ジュードさんの問いに答えず、野獣のようなぎらぎらとした目を向けてくる。

師匠のために残しておいたローリーさんの人間的な部分が、その喪失により崩壊したようだった。

僕達の意見などまるで聞こうともしていない。元来はこういう性質の人なのだろう。

何を考えているのか分からない。分からないが、絶対に止めなければいけないのだけは分かる。

「ローリーさん、止めてください」

僕の声など、聞こえてもいないかのようにローリーさんが足を進めようとした。

しかしそれを止めるべく、ジュードさんが自分の腰に手を伸ばす。下げていた剣を抜き取ると、勇ましくもローリーさんに向き合った。

「俺に立ち向かうつもりか?」

とても面白いものを目にしたかのように、ローリーさんはジュードさんを笑う。

安眠堂の中で、魔王と勇者の対決が行われようとしていた。けれどジュードさんを勇者というには、荷が重すぎるように思える。

腐っても東の森の守護者相手に、無謀な挑戦にしか思えなかった。

だがジュードさんは怯んだ様子もなく、静かに剣を向け続ける。

「店主を守るのも、店員の仕事でな」

「死ぬぞ?」

「そいつに拾われた命だ。惜しくはない」

やはりジュードさんと師匠の間には、僕が知らない深い関わりがあるようだ。

けれどどれほど絆が深かったとしても、ローリーさんに立ち向かうには何の力にもならない。

彼には恐らく、精神的な攻撃も、肉体的な攻撃も、一切合切通用しない。

それを理解しているだろうに剣を向け続けるジュードさんもまた、常人の胆力ではなかった。

ローリーさんの膨大な魔力があふれ出し、大気が震えて共鳴した窓ガラスにヒビが入る。

呼吸をするのも躊躇う異様な空気が部屋に充満する。

物が落ちる音、あるいはほんの少しの衣擦れの音。そんな些細な切っ掛けで戦闘が始まるような、限界まで高められた緊張感だった。

二人のやり取りを、不思議と他人事のように一歩下がった視点で眺める僕がいた。

いや、勿論抜き差しならぬ事態だという事は分かっている。

けれど一つの単語が、僕の脳裏に浮かんでしまったのだった。


―――これ、三角関係ってやつ?


だとしたら取り合うべきヒロインはぐうすか寝ている師匠である。

なんてヒロイン映えしない人間だろう。

「はは……」

僕の場違いな笑い声に、一触即発の雰囲気だった二人が怪訝そうに僕を見た。

一気に気が抜けてしまった。そして、次に湧いてきたのは怒りだ。

師匠は確かに僕とジュードさんに技術を与え、せっせと自分がいなくても大丈夫なように下準備をしていたのだろう。

でも、全っ然上手く回ってない!

肝心なところで何かが足りないのも、僕の師匠らしかった。

爆発した感情が叫びとなって口から出る。怒りのままに拳で床を強く叩いた。

「こんなのどうしろってんだ! アホ師匠!! 何が後は頼んだ、だ!

こんな猛獣二匹放っておいて、僕にどうにか出来るわけないだろ!」

猛獣扱いされた二人の周囲の温度が下がった気がしたが、そんなことに構っていられる余裕はない。

「人の気も知らず、暢気に寝やがって!」

別れの一つも言わず、こんな結末を僕が素直に受け入れると思っているのか。

だとしたら甘い、甘すぎる。

あなたの弟子は諦めが悪いのだ。一旦間をおいて、呼吸を整える。

そして僕はローリーさんに担がれている師匠を据わった目で見た。


「……叩き起こします!」


二人はもう戦いのことなどどうでもいいかのように、僕に視線を注ぐ。

ローリーさんは宣言を聞いて真顔になると、肌がひりつくほどの威圧的な雰囲気を向けた。

「夢魔が見せる夢から、帰れなくなるぞ」

「僕は安眠堂の店主、夢魔術師フランキーの一番弟子です。

僕の他に誰が立ち向かえるんですか?」

「お前の師すら囚われた夢だ」

「越えて見せます! それが師匠を覚ます道なら!」

どんな困難も打ち砕いて見せる。

何よりも誰よりも大切なこの人を救うために、僕は自分の命も危険に犯す覚悟を決めた。

まるでいつも師匠がそうやって仕事に向き合っていたように。

立ち上がり、力強くローリーさんと対峙する。

僕しかいないのだ。世界一、夢を知る人物から教えを受けていたのは。

自信がついていかなくとも、形振り構わずやらねばならない時があるのを身を持って知った。

今この時、全てを懸けて望まなければきっと僕は死ぬまで後悔する。

僕を形作った師匠を見捨て、その後長生きしたところで何の意味があるのだ。

ローリーさんは僕の顔をじっと見ていたが、少しだけ柔らかく笑った。

「俺だって、死体のようなこいつを部屋に飾っておくのが望みではない。

もう一度……声を聞くことが叶うならば」

肩に担いでいた師匠を自分の胸の位置にくるように抱え直し、ローリーさんは師匠の手をとって自分の顔に触れさせた。

師匠の意識があったら全力で嫌がりそうな行動である。

しかし深い眠りについている今、師匠は人形のようにされるがままだった。

ローリーさんは寂しそうな目を師匠に向けた後、元のベッドの上にそっと戻した。

ジュードさんはその様子を見て武器を納め、深呼吸して張りつめた空気を和らげる。

「多くはないが夢魔に関して集めた資料がある。お前に渡そう」

僕はほっとして息を吐いた。とりあえず誘拐するのは考え直してくれたようだ。

「俺は何をすればいい?」

ジュードさんが僕に尋ねる。

「師匠の持って行った荷物をあさって、夢魔の夢に入り込む為に使った薬品を再現してください」

そして僕たちは自由すぎるあの人を捕まえるために、それぞれ行動を開始した。


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