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第13話 花咲く季節-7

 壁に区切られ、湾のようになっている街の中の海には殆ど波は無い。少なくとも以前アタカ達がマカラと戦った北ゲブラーに比べれば、湖のように穏やかな海であった。


 そんな海でぱしゃぱしゃと水音を立てながら、金の髪をなびかせて走る美女に、その場にいた誰もが目を奪われた。


「捕まえてみてください」


 悪戯っぽく微笑むと、桜花はアタカにそういって、舞い踊るかのような足取りで軽やかに駆ける。それを、アタカは追いかけた。


「あはは、待って、桜花さん」


 波打ち際をおいかけ、逃げる二人を、あるいは恋人同士と見るものもいたかも知れない。


「待って……待って、いや、本当に……早い、早いよ! 追いつけるわけが無い!」


 ほんの、一瞬くらいは。


 衝撃波で波打ち際の地面をわだちの様に抉り取り、桜花は海の上を駆けていた。


「桜花、人間は海の上を走れないよ」


「え、でも……」


 呆れたように言うルルに、桜花はちらりと背後を振り返る。その視線を追ってみれば、ウミの背に乗りまるで水の上を滑るように進んでいくカクテと、その横で水面を跳ねる様にして駆けるソルラクの姿があった。


「……あれは、例外」


「と言うか、ソルラク別に水上歩行使ってるわけでもないみたいだけど、どうやって水の上走ってるんだろう、あれ……」


「時速百キロほどで踏みしめれば、水面も地面とあまり変わりませんよ」


「人間にはそれ、無理だから」


 呆れた声でアタカが言えば、桜花は少し考え、結論を出す。


「アタカ様とクロさんで力を合わせれば可能だと思いますが」


「無理だよ。ソルラクと僕とじゃ地力から違いすぎる」


 強化魔術というのは、足し算ではなく掛け算だ。元々の能力が高いほど強化後の能力も跳ね上がる。あまり魔力を伸ばしていないジンと、満遍なく育てているクロの魔力はそれほど差はないが、ソルラクと同じ事をするにはアタカの力が足りない。


「それにそもそも今日はクロは留守番だしね」


「あら? それでは、あちらの方は……?」


 アタカの言葉にこてんと首を傾げ、桜花は彼方を指さした。人の視力では見えぬ距離に、彼女ははっきりとドラゴン・パピーの姿を捉えている。


「クロがいるの?」


「んー、でも、ディーナと一緒に宿にいるみたいだよ? クロちゃん」


 今日は仮にもデート、ということで、クロとディーナには留守番してもらっている。ルルが念話で尋ねてみれば、彼女達は宿で仲良く微睡みの時間を過ごしていた。クロの暖かくて気持ちいいフサフサとした毛並みの感触までついでに送られてきて、ルルは思わず漏れそうになる欠伸を何とか噛み殺す。


「と言うことは……クロ以外にドラゴン・パピーが、いる!?」


 叫ぶや否や、アタカは桜花が指さした方向に弾かれたように走り出した。


「一人でも水の上くらい走れるんじゃないの、あれ」


 こんな美少女二人をおいて、と不満げにぼやきつつも、ルルは桜花と顔を見合わせて笑った。






「凄い……本当に、ドラゴン・パピーだ」


 数ヶ月前までパピーに囲まれ、見慣れていたはずのその竜。しかし、それはアタカが知るパピーとはまるで異なるものであった。


 まず、クロと比べてなおその体躯は大きく、アタカを完全に見下ろす程の巨体。

 目つきは鋭く、精悍な顔立ち。毛並みは艶やかで、爪は一本一本が太く力強い。


 彼女は、クロと接していると忘れてしまいがちな、竜という生き物であるという事をまざまざと思い起こさせる風貌をしていた。パーツの一つ一つを見、それを知識に照らせば確かにそれはドラゴン・パピーに違いない。しかし、全体として見つめたときに受ける印象はまるでかけ離れていた。


「うちのナナに、何かご用?」


 我を忘れてアタカがパピーに見ほれていると、背後から声がかけられた。人好きのする笑みを浮かべた小柄な女性と、彼女とは対照的に目つきの険しさが印象的な男性の二人組だ。


「すみません、パピーが珍しくて、つい。この竜はあなたの竜ですか?」


 アタカが声をかけてきた女性の方に尋ねると、彼女はにこやかに首肯した。


「ええ。わたしはツブサで、そっちはナナ。ついでに、こっちの目つきの悪いのがロカ。よろしくね、アタカ君」


 名前を言い当てられて驚くアタカに、ツブサはくすくすと笑って見せた。


「自分で言ったでしょ? パピーの使い手は珍しいの。それも、適合率ゼロとなれば尚更ね。有名人よ、君は」


「その、失礼ですがツブサさんの適合率は……」


「残念だけど、ゼロじゃないの。わたしは好きでパピーを使ってるだけ」


「出来れば、戦い方を教えてもらえませんか?」


 詰め寄るアタカに、ツブサは困ったように首を傾げた。


「あ……すみません。その、初対面の人に失礼でした」


「ううん、別にそれは構わないんだけど……ただ、わたしの戦い方は、君の参考にはならないと思うの」


 その時、カンカンと鐘の音が打ち鳴らされた。


「……侵入か」


 ロカと呼ばれた男が、面白くも無さそうに口をまげて呟いた。


「侵入!?」


「竜が入り込んできたのね」


 さして慌てた様子もなく呟くツブサの言葉を肯定するかのように、大きく波が立った。


「対処しないと……!」


 アタカは顔色を変えた。戦おうにも、クロもディーナも宿だ。


「そんなにあわてなくても大丈夫よ」


 しかしツブサはコロコロと笑った。

 波打ち際から姿を見せる竜に向かって、竜使いを伴った無数の竜が文字通り飛んでいく。


「あ、そっか……」


 街壁の外が竜の世界であるなら、内側は人の世界だ。

 その場に居合わせた竜使いの数は外とは比べ物にならず、更に警鐘で続々と集まってくる。


「今回はあの辺からの侵入かしらね」


 ツブサが指を伸ばす先には、水面から生えるようにして伸びる壁があった。


「水中にあるから、どうしても他の壁より脆くてね。この街では割とよくあることなのよ」


「さて、こっちにもおいでなすったぞ」


 どこか愉快そうに呟くロカに呼応して、ざばりと岸辺から竜が姿を現した。


「あれは……ペルーダに、グランガチ!」


 現れたのは二頭の竜だ。


 ペルーダは、特徴だけを捉えれば吉弔に似ていなくもない。

 亀のような甲羅を背負い、長い首に長い尻尾。

 しかしその印象がまるで異なるのは、全身を長い毛で覆われているからだ。

 背中からは何本もの毒棘が生え、水棲にも関わらず激しい炎を吹く竜。


 一方でグランガチは、殆どワニそのものだ。

 鋭い牙の並んだ巨大なあごに、鱗に覆われた長い身体、太い尾。

 しかしその前足は非常に太く大きく、対照的に後ろ足は殆ど見えないほど小さい。獣竜種にしか見えないが、その実は水を司る精霊種だ。


 どちらも、かなりの強敵だった。


「アタカ様たちに、手は出させません!」


 追いついてきた桜花が、アタカとルルを背後に庇いながら毅然としてそう言い放つ。


「折角だから見てもらいましょうか。ロカ、この子たちお願いできる?」


 そんな彼女を眺めて、良い事を思いついたとばかりに声をあげたのはツブサだった。


「へいへい。ホムラ、俺達は子供のお守りだとよ」


 ロカの声に呼応して、巨大な竜が姿を現す。


 全体としてはトカゲのようなフォルム。大きく長い口に、それを支える長い首。全身は赤い鱗で覆われ、がっしりとした太い四本の脚がそれを支える。尻からは何本も棘の生えた尻尾が長く伸びて、背中からはコウモリのような翼が全身を包み込む外套の様に折りたたまれていた。


「レッドドラゴン……!」


 アタカは思わず呆然として呟く。


 主竜。

 ドラゴンと聞いて誰もが思い浮かべる、所謂『正統派』のドラゴンだ。

 しかしそれを扱うものは意外と少ない。

 何故か? 簡単な話だ。


 倒せるものが、滅多にいないからだ。


 神竜種と違って、別に希少なわけではない。いるところに行けばいくらでもいる。……だが、倒せるかどうかは別の話だ。

 竜の力をもってしてもそう簡単には倒せない、竜の中の竜。

 それが、主竜種だ。


「じゃ、ちょっといってくるわねー」


「えっ!?」


 そんな強大な竜を残してさっさとパピーと共に戦いに向かうツブサに、アタカは声をあげた。


「あの、手伝わなくていいんですか? 僕らなら大丈夫ですから」


「ガキがいらねー心配すんじゃねえよ」


 ロカは無愛想にそう答えると、懐から煙草を取り出して口に咥えた。ホムラと呼ばれた赤竜が小さく炎を吹き、その先端に火をつける。


 炎の化身と呼ばれる赤竜が見せた絶妙な力加減の炎にアタカは一瞬見惚れるが、すぐにそんな場合じゃないと首を振った。


「でも」


 幾ら何でも、ペルーダとグランガチを相手にパピーだけでは無茶すぎる。どれだけ鍛えていようと、パピーはやはり最弱の竜なのだ。


「要らねえって言っただろ」


 どこか呆れを含んだロカの視線の先で、炎が、アギトが、ナナに襲い掛かる。


「あいつが俺を置いて行ったのは単純な話だ」


 次の瞬間、ペルーダとグランガチは巨大な業火に包まれていた。


「……え?」


 まるで赤竜が吹いたかのような凄まじい炎に、アタカは我が目を疑う。


「あいつの方が強いからだよ」


 言って、ロカは煙を吐き出した。

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