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第09話 5万シリカ-6

「そんな事言われても……」


「あたしは難しい事はわかんないもの。

 アタカはそういう小賢しい事考えるの、得意でしょ?」


「小賢しいって」


 堂々と思考を放棄してみせるカクテに、ルルは呆れたように呟く。これも一種の信頼の証と取って良いものなのか、と思いつつ、アタカは頭を悩ませた。


 ……信頼。多分、それが今、一番必要とされているものだ。その考えに、アタカはようやく思い至った。


「ソルラク」


 名を呼んでもソルラクは答える事はない。しかし、その目はじっとアタカを見つめた。真っ直ぐにこちらを見るその瞳に、アタカは妙な既視感を覚えた。


「……何男同士で見詰め合ってんの、気持ち悪い」


 どこで見たのだったか思い出そうとするアタカの思考を、カクテの茶化すような言葉が断ち切る。


「君がどういうつもりで、僕達と来たのかはわからない。

 でも、マカラ達は僕らだけでも、君達だけでも倒すことは出来ない。

 だから……今だけで良い。協力して欲しい」


 一つ咳払いしてからアタカがそう言うと、ソルラクは何かを考えているのか、無言のまま、表情も変えず、頷くでも首を振るでもなくアタカの目を見つめ返し続ける。


(主よ)


 そんな彼に、ジンは呆れた様子で念話を送った。


(声をかけてもらえて嬉しいのはわかるが、

 噛み締めるより先に返答したほうが良いと思うぞ)


 内心で快哉を叫び、お祭り騒ぎのように喜びまわっていたソルラクははっとして、慌てて頷いた。


「……わかった」


 短く応えられるその返答に、アタカはほっと胸を撫で下ろす。相変わらず何を考えているかは全くわからないが、少なくとも協力してくれる気はあるらしい。


 しかし、どうしたものか。アタカは腕を組んで考える。敵は巨大、かつ海中に存在する。ただ攻撃するだけでもかなりの苦労だ。


「……足場だ」


 そんな彼に、初めてソルラクの方から声をかけた。


「足場?」


「足場があれば勝てるって言いたいの?」


 横から口を挟むカクテにソルラクは頷き、


「勝てる」


 これが海上でなく、地上での戦いであれば遅れを取らない。その自負を込めて、ソルラクは短くそう答えた。


「うーん。ウミの背中を……ってのは流石に危険すぎるか」


 船の上と違って水に濡れた甲羅は滑りやすい。それに、ウミが竜に近づきすぎるのも得策ではなかった。


「なんか、あれ、水の上を歩ける魔術みたいのないの?」


「あるけど……」


「あるんだ!? じゃあそれでいいじゃん」


 何の気なしに呟いた言葉を首肯され、カクテは驚く。何でも使えるなコイツ、と思いながら言えば、アタカの首が横に振られた。


「無理だよ。水の上に立てるだけで、水の流れがなくなるわけじゃない。

 幾らソルラクだって、あんなに揺れる波の上に立って戦うなんて無理だ」


 水上歩行は緩やかな流れの川や、湖の上を歩くための魔術である。海の上など、絶えず大地震に見舞われながら戦うようなものだ。


「何だ、そんなこと?」


 しかし、意外にもカクテはそれを一笑に付した。


「そのくらい、あたしとウミが何とかするよ」


 カクテは軽く請け負い、


「他の場所ならいざ知らず……

 ここはあたしとウミの領域だって事、わからせてあげる」


 にっと不敵な笑みを見せた。






「さて、性懲りもなくまた来たね、あの三頭」


「向こうもそう思ってるんじゃないかな」


 再び沖へと泳ぎだしてみれば、それを待ち構えるかのように三頭の竜がアタカ達を取り囲んだ。


水上歩行(ニシウェディ)……大体、10分くらいしか持たないから気をつけて」


 アタカが魔術をかけると、ソルラクの身体が淡く輝く。『湯冷めるまで』……魔術の基本的な時間単位の一つだ。あまり長い間は持たないが、術者の精神状態でその長さが多少上下する。平常時では3分程度しか持たないが、熱を持って行動する間……例えば戦闘中などは、10分程度持続する。それほど長さを必要とはしないが、一瞬で終わられては困る魔術に良く使用される区分である。


「充分だ」


 ソルラクは短くそう答えると、海面を駆けシーサーペントへと向かう。それを見送りながら、アタカは次の竜を迎え撃つ準備を始める。


「ジン、僕の魔力では君に水上歩行をかけてあげられない。気をつけて」


 竜の魔力が弾くのは攻撃に関する魔術だけではない。人の魔力でかける、ありとあらゆる魔術を無効化してしまう。水上歩行はまだクロに仕込んでいない為、ジンにかけることは出来なかった。


「問題、ない」


 金属を擦り合わせるかのような声で、ジンは短くそう答えると、ラプシヌプルクルの姿になったディーナの背にまたがった。


「ディーナ、よろしく頼むよ」


 その頭を一つ撫でてやれば、ディーナは高く一声鳴いて宙に舞い上がり、クラーケンへと向かう。


「お任せ下さい、だって」


 ディーナの言葉を、ルルは通訳した。


「さて」


 アタカは前に向き直り、波を立ててこちらへと泳ぐ竜魚の背ビレを眺め見た。シーサーペントはソルラクが。クラーケンはディーナとジンが、それぞれ相手をする。その間、アタカ達はマカラの相手をしなければならない。


「それじゃ、頑張ろうか!」


 恐ろしい質量を持って迫る竜魚を前に、アタカは声を張り上げた。






 大きくうねる海面に足を下ろせば、ほんの一寸ばかりソルラクの身体は沈み込み、そこで奇妙な足の裏の感触と共に沈むのが止まる。硬い大地の上を歩くのは全く異なる、不思議な感覚だった。


 海面は波で上下するばかりか、四方八方から水が流れ込み、あるいは離れ、生き物のようにうごめく。ただ立っているだけで身体が流されてしまう。しかも、一定の方向に流されるならまだしも、流れの向きは絶えず変わり、ソルラクの身体は上下左右に弄ばれるばかり。アタカの言っていた通り、これでは足場を確保するどころか走ることさえ出来そうになかった。


 しかし、ウミの……カクテの魔術によって光る海面を踏んでみれば、そこはまるで大地のようにしっかりとした感触をソルラクの足の裏に返した。飛び石のように現われる光を踏んで、ソルラクは海面を跳ね飛びながらシーサーペントの元へと向かった。


 カクテの示すそこは、魔力で固定化されているのみならず、波の流れ自体が拮抗し、留まっている場所だった。勿論、海の動きは気まぐれで変化に満ちている。拮抗すると言ってもそれはほんの一瞬の話だ。しかしカクテはそのほんの一瞬を正確に読み、ソルラクへと伝えた。


 海面を跳ね駆けながら、ソルラクは斧槍を構える。シーサーペントは大きく口を開いてそれを迎え、水のブレスを吐き出した。光線のように放たれる水の槍は、ソルラクの足元をうがつ。跳躍し、それをかわすソルラクは、シーサーペントが笑ったかのように錯覚した。


 今の一撃はその跳躍を引き出すために加減した牽制。真の狙いは、空中で身動きが出来ぬ彼を狙い打つ二撃目だ。連続でブレスはない。そう読んでいたソルラクは、刹那の間に大きく口を開くシーサーペントに身を強張らせた。竜の魔力で強化されているとは言え、殆ど傷もない大型竜のブレスをまともに喰らえばただではすまない。


 障壁を張ってやり過ごし、痛みを無視して移動、追撃をかわす。同時に接敵して、その喉笛に斧槍を突き刺す。


 そこまで想定し、魔術障壁を展開しながらぐっと奥歯を噛み締めるソルラクの両足を、何か硬いものがぐいと押した。


 海面が渦巻き、まるで蛇のように盛り上がると、ソルラクの身体を下から押し上げていたのだ。


 思わず振り向けば、カクテが手を振り上げ、何事か叫んでいた。声は聞こえないが、彼女のしてくれたフォローには間違いない。彼の身体を持ち上げる水柱は、シーサーペントのブレスをかわすとそのままその喉元までソルラクを押し上げた。


 ……ここまでお膳立てしてもらって、決められなければ男ではない。ソルラクはぐっとバネの様に足を縮めると、水柱の勢いを上乗せして宙を駆け、渾身の力を込めて大海蛇の喉を突いた。


 そしてそのまま、斧の刃で切り込むと、真っ直ぐに振り下ろして喉を切り開く。だが、浅い。相手は数メートルの太さを持つ大海蛇だ。浅くはないが、その程度の傷で絶命するほどでもない。シーサーペントはその身をうねらせ強引に斧槍を引き抜くと、尾を勢い良く振りぬいてソルラクを打ち付けた。


 流石にかわしきることが出来ず、ソルラクは海面に叩きつけられる。地上とは違う柔らかな感触が彼の命を救い上げた。……硬い地面に叩きつけられていたなら、彼の命はなかったことだろう。


 額から流れる血をぐいと拭い、ソルラクは知らずうちに笑みを浮かべた。






 宙を舞うディーナの身体を捉えんと、無数の触手が海面から姿をあらわし、宙をうねうねと舞う。ジンはそれを片っ端から切り裂いていった。


「ええい、キリのない」


「がんば、て、くだぁい」


 舌打ちするジンを、ディーナが舌足らずな口調で励ました。あまり知られていないことだが、ラプシヌプルクルは精霊種の中では珍しく、人間の言葉を喋ることが出来る種族である。魔術による戦闘を重視するルルが、相性の良い精霊種とは言え、肉弾戦を得意とするラプシヌプルクルの魔力結晶をわざわざ集めた理由はそこにあった。


 とは言え、ディーナ自身はあまり喋るのが好きではない。なぜなら、彼女の知能に比べ、ラプシヌプルクルの身体は非常に拙い言葉しか発音できないからだ。心の中で話す念話はもっと流暢で優雅であるのに、肉体の放つ言葉遣いは酷く歪で声も酷い。それは竜にとっては実に恥ずかしい事のように思われた。


 しかし、ディーナはジンを背に乗せた時、彼が自分と同じ悩みを抱えていることに気付いた。他人の竜とコミュニケーションをとる、と言うのは彼女にとって初めての行いである。


 勿論、クロやウミが言いたい事も、同じ竜なのだからなんとなくはわかる。しかし、その身から出るのは常に意味を持たない鳴き声であって、竜同士だから特別に意思の疎通ができると言う類のものではないのだ。


 そこにあって、ジンとの邂逅は彼女にとって驚きであり、喜びであった。人相手では気後れしてしまう拙い言葉も、相手が同じ悩みを抱える竜であればなんともない。更に、練習すれば多少は言語能力もマシになると聞いて、彼女は殊更ジンに話しかけた。


「本体、おびき、だぁないと」


「うむ……だが如何にする」


 ジンの声はキンキンと耳に響き、いかにも不快だ。しかしそれこそが彼が口を開かぬ理由と悟るディーナにとっては、さして気になることではなかった。ディーナの舌足らずな上に、低くうなるような声……特に、サ行の発音が殆ど出来ない……に比べれば実に聞きやすい。


「ぉくぅ……手、えぇんぶ切る?」


 そんな彼女にとって『触手』と言う言葉は実に鬼門であった。


「やはりそれしかないか」


 ジンはため息一つ付き、剣を構えなおした。デカい図体をして海中に逃げ隠れするとは、情けない奴め。そう胸中で呟きながらも、頼れる相棒の背を撫でる。


「頼んだぞ、ディーナ殿」


「はい!」


 ディーナは嬉しそうに返事をし、翼をはためかせた。

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