第09話 5万シリカ-2
「やあ、ようこそアタカ君。よく来てくれたね」
長い腕を広げ、にこやかな笑みを浮かべて出迎えるナガチの姿を見て、アタカは早くも少し後悔した。運がいいのか悪いのか、彼はたまたまサハルラータに滞在しているところだった。大体、サハルラータとフィルシーダを行ったり来たりしているらしい。
「何この胡散臭い奴」
それを見るなり、カクテはずばりとそう言い放つ。
「ごめんなさい、この子ちょっと思ったことをすぐ言っちゃうだけなんです」
「だからそれフォローになってないってば!」
カクテの口を塞いでにこやかに笑顔を浮かべ言うルルに、アタカは思わず突っ込んだ。この二人は、初対面のアタカの知り合いには失礼な事を言わずにはいられないのだろうか。
「……これは手厳しいな」
髪をかきあげ、ナガチはククク、と笑う。
「確かに胡散臭い人間だという自覚はあるがね。
初対面でいきなり面と向かってそう言われたのは初めてだよ」
そしておもむろに壁を向いて膝を抱え、座り込んだ。
「何もそんなにハッキリ言わなくても……」
案外メンタル弱かった……!
アタカ達は慌てて、互いに顔を見合わせた。
「あ、あの……ナガチさん」
恐る恐るアタカが声をかけると、ゆっくりとナガチは立ち上がり、振り返る。
「いや……すまない。冗談だ」
その瞳の端に光るものが見えた気がして、アタカは慌てて視線を逸らした。……見なかったことにしよう。恐らくそれがいい。交渉を有利に進めるための策略に違いない。アタカは無理やりそう思うことにした。
「それで、わざわざワタシに会いに来た、という事はだ。
金が入り用になった……つまりはそういう事だろう?」
「ええ、まあ……そうです。
一週間以内に、5万シリカ用意しなければならない事になりまして」
「ほう。5万……それも一週間以内に、か」
ナガチは考え込むように顎に手をやり、撫で摩る。
「……二つほど、方法があるな」
そして、おもむろにそう言った。
「一つ目は、ワタシがキミに5万シリカを貸すという手だ。なあに、我々の中だ。
担保などは必要ないよ。利子も……まあ、良心的な利率で貸そう。
もう一つは、ちょっとした仕事をしてもらう、という物だな」
「後者でお願いします」
迷わずアタカがそう答えると、ナガチは興を削がれた様に目を瞬かせた。
「まだ仕事の内容は言っていないのだが……」
「じゃあ、一つだけ聞きます。
――その仕事で、ナガチさんは指一本動かす事無くマージンを取りますか?」
「……まあ、そうだな」
アタカの真意を測るように彼の目を見ながら、躊躇いがちにナガチはそう答えた。すると、アタカはにっこり笑って頷く。
「なら、いいです」
「いや、……いいの? それで」
横から口を挟むカクテに、アタカは頷いた。
「カクテの言うように、ナガチさんは胡散臭くて信用できない人だけど。
たった一つ、お金に関する事だけは信頼できる。
僕が仕事をする事によってナガチさんに利益が入るというのなら、
少なくとも金の卵を産む鳥を使い潰すようなことはしない……でしょう?」
「……アタカ君。やはりキミは面白い」
口の端を吊り上げ、ナガチは不敵な笑みを浮かべる。そしてアタカに背を向けると、数歩歩き、
「だがキミまでワタシを胡散臭いと言う事ないじゃないか……」
そのまま壁に向かって膝を抱えた。
今度は、立ち直るまでに数分の時間を要するのだった。
「アタカ君。キミはなぜ、このサハルラータが商業都市と呼ばれる程に
発展しているか知っているかね?」
気を取り直し、ナガチはそんな事を尋ねた。
「フィルシーダ、シルアジファルア、ディスティーア……
三つの街に繋がる街道を持ち、交易の中心だから……ですか?」
「キミらしい、実に模範的な回答だ」
ナガチはうんうんと頷き、
「だが、それでは満点はあげられないな」
しかし、そう言った。
「立地に恵まれている、と言うのは勿論ある。
だがしかし、考えるべきは『何故そのような立地を得られたか』
そちらの方なのだよ」
ナガチの言葉に、アタカははっとした。確かに発展したのは交易のおかげだ。しかし、そもそもこの街、そして他の街が出来上がっていないとそれは成り立たない。であれば、それ以前の問題。街を作るために絶対不可欠なものが、サハルラータには足りない。
「水源、ですか」
「そのとおりだ」
勿論、小さな川であればサハルラータの中には何本も流れている。しかし、これだけの巨大な都市の水源となりえるほどではない。街は大抵、海の近くに作られる。少なくともこの大陸ではそのようになっている。
先にあげたフィルシーダ、シルアジファルア、ディスティーアの三箇所も、全て海の近くにある街だ。対して、サハルラータは広大なケセド平野のど真ん中。東にケテル河があるにはあるが、竜の足をもってしても往復一日近くかかる距離である。水源の確保には些か遠い。
しかし、サハルラータで水に困ったことなど無い。フィルシーダ同様に湯はたっぷりと使えるし、上下水道も完備されている。食料や資材なんかよりよほど大量に必要になるから、他の街から輸送するにも限度があるはずだ。そもそも輸送するくらいなら、河からとったほうが早い。
「竜だよ」
考え込むアタカの思考を呼んだかのように、ナガチはそう正解を明かした。
「ここの付近で取れる竜の種類数が、それを補って余りあるんだ。
ケセド平野は言うに及ばず、少し足を伸ばせばコクマの森や、ケテル湖まで。
そして西に向かえばゲブラー海。北東に向かえばティフェレト山脈が連なっている。
これほどまでに豊富な狩場が揃っている街と言うのは他には無い。
そして、竜の魔力さえあれば、大抵のことは何とかなるものなのだよ」
「……北ゲブラー、ですね」
「ご名答」
大陸をぐるりと取り囲む海のうち、南西に広がるものを総称してゲブラー海と呼ぶ。フィルシーダの近くの海岸を南ゲブラー、サハルラータから北のディスティーアへと繋がる道の西側に広がる海岸を北ゲブラーと呼ぶ。
「北ゲブラーで取れる海竜の力を持ってすれば、河など無くても水の確保など容易い。
それに限らず、さまざまな物資の調達を、この街では竜の力を持って支えている。
需要がある、と言う事は即ち……カネになる、という事さ」
「でも、私達では北ゲブラーの竜を倒すのは無理です」
調子よく話を続けるナガチに、ルルははっきりとそういった。
結局のところ一続きでしかない海を、北と南に分けるのは実に単純な理由がある。生息している竜の強さだ。稀に吉弔のような強敵が現われるとは言え基本的に弱い竜しか出てこない南ゲブラーに比べ、北ゲブラーにはこの辺りでは場違いなほど強力な竜が出没する。
「だからこそ、だよ、お嬢さん」
ナガチは笑みを浮かべる。
「この街の水はその殆どをケテル湖の竜に頼っている。
北ゲブラーの竜を狩れる竜使いなど数えるほどさ。
特に、この街に留まっている者はね。だからこそ価値がある。
だからこそ、高く売れる」
「でも、死んでしまっては意味がありません」
熱の篭った声で演説を打つナガチにルルは一歩もひかない。アタカはああ言ったが、彼は少し……いや、かなりお人よしな面があるのは確かなことだ。代わりに見極めるのは自分の仕事だと彼女は感じていた。
「勿論、お嬢さんの仰る通りだ。北ゲブラーの竜は手ごわい。
……だが、ワタシの見立てでは十分に倒せると思っているよ。
彼と一緒ならね」
そういい、ナガチはアタカ達の背後を指し示した。
振り返る彼らの目に映ったのは、見知った顔だ。とは言え、彼らにとってはあまりいい印象は無い。
「ソルラク……!」
感情の見えない表情でこちらを睨む様に見つめる彼の名を、アタカは苦い思い出と共に思い出してつぶやいた。




