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おかえりなさいと言いたくて……  作者: 矢野りと


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多少の犠牲①(聖女視点)

勇者が亡くなり半年が過ぎた。

民はその死を心から悲しみ、一生忘れないと誰もが誓った。

そして、彼がもたらしてくれた平穏な生活に感謝しながら、だんだんと忘れていった。……いいえ、忘れたという言い方は適切ではない。


平民は毎日を精一杯生きているから、過去を振り返る余裕がないだけ。


貴族は政治的に利用価値がなくなった勇者に関心がないだけ。また利用できる機会が訪れたら、饒舌に勇者のことを我先にと語ることだろう。


私――ライシャリアは勇者のことを忘れない。剣聖、賢者のことも。王族として些細なことでも覚えておくのは義務である。





侍女の手によって私の身支度が整え終わると、待ち人の来訪が伝えられる。


「ライシャリア様、リール侯爵家のロルダン様がお待ちでございます」

「すぐに行くわ」


弾んだ声が室内に響く。


今日、私は元婚約者であるロルダンを呼び出していた。


身内の死に対しては一年間喪に服すのが一般的だ。

勇者と私の関係はあくまでも噂だった。

しかし、すぐに新たな婚約者を得たら民衆が反感を抱くのは目に見えている。だから一緒に苦楽を共にした仲間として、半年間喪に服していたのだ。



――今日という日を一日千秋の思いで待っていた。



私は胸を高鳴らせながら、王宮内で一番豪華な貴賓室へと向かった。


「ロルダン様!」

「本日はお招きいただき恐悦至極でございます、ライシャリア様」


部屋に入り人払いを済ませると、私は嬉々として彼の名を呼んだ。それなのに彼は臣下の礼をとりながら、儀礼的な挨拶を述べてくる。


「リアと呼んでくださいませ」

「婚約は解消されましたので、愛称で呼ぶことは無礼となります」


真面目なロルダンらしい返事に、私はクスリと笑う。


彼はリール侯爵家の三男で騎士として仕えている。将来は縁戚である伯爵家の養子となり爵位を継ぐ予定だが、領地を所有することはない。

普通ならば王女の婚約者になれる立場でないが、彼の誠実さに惹かれた私が切望し婚約が結ばれた。

……そして、私が聖女となったあと政治的な事情で解消された。


――婚約解消は彼の望みではなかった。



魔物討伐にかかる莫大な費用は、民に課した重税によって賄われていた。なので不満が爆発しないよう操作する必要があった。


だから、王家は『高貴な身分である第三王女の泥に塗れての献身』を強調し、王族も民と苦楽をともにしていると印象付けようとした。実際に私はその通り命がけで臨んでいたのだから嘘ではない。


それは成功した、……が予想していた以上に噂に尾鰭――『聖女と勇者が愛を育んでいる』――がついた。


劇の演目でも人気がある『身分を超えた愛』は民に受けた。

たぶん、魔物の恐怖から目を逸らす事ができる話題を、みな渇望していたのだろう。

それに、見ていないことを無責任に語るのは簡単だ。


王家は民衆の娯楽である噂を放置することを選択する。自分達に害を及ぼさないと判断してのことだった。


噂は魔物討伐後に聖女と勇者がお互いに愛する人と並んで、『そんな噂があったのですね』と揃って笑顔で否定すれば収まるはずだった。


 それなのに……。


それが叶わなくなった。勇者の妻が不幸な事故で亡くなってしまったから。


『婚約者がいる第三王女』と『妻と死別した勇者』が育んだ愛など、後から否定したとしても醜聞となってしまう。

だって、肝心の勇者の隣には誰もいないのだから。


だから王家は私とロルダンの婚約解消を決めた。それならば、聖女の隣に並ぶはずの相手をなくせばいいと。


決定を覆す力は私にはなかった。

でも彼を想う気持ちが消えることはなく、秘かに手紙を送り続けていた。


『貴方のために魔物討伐を成功させます』


『貴方がいるから頑張れるのです』


『愛しています、貴方だけを』


――一行だけの短い文に想いを込めた。


魔物討伐地域への行き来は命がけだったので、連絡手段も制限されていた。だからこれが精一杯だった。



そして帰還後、私は彼に長い手紙を送った。噂の釈明や私の想いが変わっていないこと、半年後には再婚約を願い出るので待っていて欲しいと綴って。



「正式な発表は数カ月後になりますが、無事に私達の再婚約が内々に決まりました。ですから、遠慮はいりませんわ。どうぞ、リアと呼んでくださいませ」


以前のように『リア様』と親しげに呼ばれるのを私は微笑みながら待つ。

それなのに彼は表情を変えることなく、黙ったままだった。


 どうしてなにも言ってくれないのですか……。


先ほどまで喜びしかなかった心に、不安が芽生えてくる。



婚約解消されるまで私達は良い関係を築いていた。

噂だって偽りだったとちゃんと伝えたし、彼も『すべて承知しております』と手紙に綴ってくれていた。


疑っているのだろうか、私の気持ちを。それならば、何度でも分かってもらえるように伝えるだけ。


時間はいくらでもある、彼のためならば努力は惜しまない。



――彼は私にとって運命の人。


貴族ならば愛人を持つことも普通だけれど、私は平民のように生涯一人の相手だけを愛し続けたい。いいえ、一人(ロルダン)しか愛せない。


「色々ありましたから私の気持ちをお疑いになるのも仕方がないことです。ですが、私が心を捧げているのはロルダン様だけです。胸を切り開いて心をお見せすることは叶いませんが、貴方の不安が消えるまで言葉を尽くして説明いたします」


一生ともに歩む相手に私は嘘をつくつもりはない。愛し合い信頼しあう関係を築きたいから。

私を射るように見ながら、彼は低い声で告げた。


「……なぜ勇者は死んだのでしょうか?」



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