21
その人形の名前はミスティアと言う。
いや、正確にはその人形の持ち主の名がミスティアと言い、人形はその分身に過ぎない存在だ。
彼女はこのフィーニスアイランドで特別な存在である。
誰も成し遂げなかった島と島への渡航に成功し、
人の心を操る〝心操〟のスキルの達人。
あのイトナが全アイランドのプレイヤーの中で五本の指に入る実力者なら、ミスティアもまた五本の指に入るプレイヤーである。
人形の目を通して退屈なボスルームの虚空を眺めながら、ミスティアは昔のことを思い出していた。
いつもの事である。
いつだって、どこだってミスティアは過去を思い返している。
〝今回の〟フィーニスアイランドが始まってからは、思い出の回想ばかりを頭の中に流している。
「イトナ……」
思い返せばつい想い人の名前を口にしてしまう。
遥々ブラックアイランドからこのホワイトアイランドまで来たのもイトナに会うためなのだから。
ブギーとかいうプレイヤーに心操を教えているのも、キツネを操ってストラテジーゲームをしているのも、単なる暇潰しに過ぎない。
と言ったら言い過ぎか。
あれはあれで未来の保険であり。今後重要な駒になりうる。
でも、やっぱりホワイトアイランドへ来たミスティア最大の目的はイトナに再開する事だ。
味方か、敵か。
それは現時点では分からない。
でも、きっと、残念なことに敵になってしまうだろう。
味方に引き込めればよし、敵に回るなら、やるべき事がある。
忘れもしない。彼に出会ったのは〝前回の〟フィーニスアイランドである。
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遠い昔、二十年以上前の話だ。
当時、ミスティアはとてもか弱い存在だった。
ギルドにも所属したことの無い初心者。
友達と呼べる人は少なく、ただつまらない現実世界から逃げるようにして人気ゲームのフィーニスアイランドをインストールした。
でも友達のいなかったミスティアはすぐにゲームに飽きてしまった。
このゲームは一人で楽しむように作られていなかったのだ。
もう止めよう。そう思っていた時、転機が訪れた。
それは物語のようは出来事だった。
そのまま言葉にするならば、ゲームであるフィーニスアイランドはある時を境に、
ゲームでは無くなった。
創作物ではよくある話だ。
その日、仮想の世界が現実の世界になったのだ。
突然のことだった。
突然、一つのウィンドウが目の前に現れた。
短い一文だけ書かれたウィンドウ。
その文を読んだだけで、事の多くを理解した。
その一文はたった一言。
【チュートリアルは終了しました。】
そう表示されていた。
不思議な事に、その一文だけで理解したのである。
ああ、もう元の世界に戻れないと。
確信に近い理解。
それはミスティアだけではない。恐らく、全てのプレイヤーが、そう強く理解した。
後で思った事だが、心操に近い現象だと思った。
その時、ちょうどフィーニスアイランドをプレイしていた人はもちろん、フィーニスアイランドをインストールして、現実世界にいた人にも。
強制的にウィンドウが表示されて、フィーニスアイランドに引き込まれた事を知った。
逃げ場など、無かったのだ。
恐らく、ほとんどの子供達がフィーニスアイランドに幽閉された。
ログアウトはない。
その時をもって、子供達の現実世界はフィーニスアイランドになったのだ。
ミスティアは最初の都にいた。
そこでは多くのものが、泣き、絶望し、そして泣き叫んでいた。
ミスティアも、その中の一人だった。
幾人かのプレイヤーは現実を受け入れ、外に出て行ったが、多くのプレイヤーは外に出れずにいた。
だって、そうだろう。あのウィンドウを見た時、あの一文を見た時、理解したのだから。
これからはここが現実。
現実で死ねば、それは当たり前に、死だ。
元はゲームの世界。
街を出ればモンスターがいる。
モンスターは襲ってくる。
モンスターを倒せなければ、もしくは逃げきれなければ、その先は死だ。
もう戻れないという不安。そして、恐怖。
それらの悲痛な叫びが、都では一日中響いていた。
でも、それも3日でおさまった。
3日だ。
都に止まったプレイヤーも、3日で都を出なければならない状況に陥ったのだ。
なんて事はない。
空腹だ。
これはゲームであって、ゲームでない。
現実世界だ。
生きていれば、お腹も空く。
食べなければ、生きていけない。
そんな当たり前なルールは、このフィーニスアイランドでも適用されていた。
いくら泣き叫んでも食べ物は降ってこない。
食べ物は、買わないといけないのだ。
買うにはお金がいる。
この世界でのお金の入手方法。
それはクエストだ。
いち早く現実を受け入れ、クエストをこなすことのできたプレイヤーを見て、初心者はそれを真似するほか無かった。
この3日で気づいたけど、何故か都にはベテランのプレイヤーは1人もいなかった。
その理由はわからない。
ベテランの、強いプレイヤーはどこにいるのか。
そもそも、この世界にいるのか、わからない。
でも、確かに、都には初心者のプレイヤーしかいなかった。
だから初心者同士で助け合う。それは叶った。
一人とは心細いものだ。
皆積極的に仲間を集め、都の外に出て行った。
それがチュートリアルが終わってからの最初の出来事。
それからは色々な事があった。
最初は犠牲者が少なかったものの、時が経ち、慣れ始めた頃、街に戻る人が目立って少なくなった。
きっと、無理をして難しいダンジョンにでも行ったのだろう。もしくは、適正レベル通りのダンジョンに行ったか。
ミスティアが思うに、この世界の適正レベルは適正ではない。
だって、適正とは自分と同等の強さを持つモンスターがいる事を意味する。
単純なステータスでの勝敗は五分五分に近いって事だ。
つまり、余裕なんてない。
一回でも失敗できないのに、余裕がないダンジョンに行くのは間違っている。
ミスティアは自分のレベルよりずっと低い適正のダンジョンを選んだ。
ある時は、人同士の殺し合いもあった。
きっかけは些細なこと。例えば、いいクエストの取り合いとか、レアアイテムの取り合いだとか。
この世界では争うきっかけはそこら辺にゴロゴロ転がっている。
ミスティアは遠慮して振る舞った。
レアアイテムがドロップして、ジャンケンで決めようとなっても、遠慮した。
レアアイテムを手にしている事を他の人に知られれば、後からなにされるかわからない。
無法世界。
ゲームの仕様はあっても法はない。
皆生きる為に必死だった。
そんな世界の有様を正しく理解できたミスティアは、か弱いながらも長く生き延びることに成功した。
しかし、上手く生き延びて約一年。
ミスティアの打ち止めはすぐにやって来た。
三日に一度のクエストに行きお金を稼ぐ日。
慣れない笑顔を作って、なんとかパーティに入れて貰って、安全に安全を重ねてダンジョンに挑む。
それがミスティアの日常だった。
きっと、他のプレイヤーもそうだったろう。
誰だって死なないように、慎重に暮らしていた。
そんな毎日の中。不運が重なる日がやって来た。
いつものようにパーティに入りダンジョンに潜る。
ダンジョンはパーティの平均Lv.より格段に低いところ。
パーティだって、上位のプレイヤーが推奨するいいバランスで集まることができた。
今日も大丈夫。
今まで大丈夫だったのだから、今日も大丈夫に違いない。
その頃のミスティアは、このゲームの世界に慣れ始めてきた時期だった。
慣れた足取りでパーティは洞窟型ダンジョンの奥に進んでいく。
エンカウントしたモンスターも余裕を持って倒せる。
それを見て改めて安全を感じる。
大丈夫。問題ない。
パーティは危なげなくズンズンとダンジョンの奥へ進んで行く。
安全の歯車がズレ始めたのは、先頭を歩いていたプレイヤーの不注意からだった。
簡単な罠に引っかかったのである。
前を向いていれば気づけるようなある程度太い縄を用いた罠。
それに綺麗に引っかかった。
ここはそこまで高いレベルを求められていないダンジョン。
罠だってそこまで脅威な物ではない。
ただ、ダメージの少ない矢が飛んできて、当たれば低いLv.の毒の異常状態になるだけ。
解毒薬を使えば簡単に対処できる。
なんてことはない。
そう、解毒薬さえあれば何の問題も無い出来事だ。
だが、パーティの誰一人として所持していなかった。
安全に安全を重ねたはずだったのに。
解毒薬を所持する担当のメンバーを決めていたのにも関わらず、
そのプレイヤーは解毒薬を所持していなかった。
理由は容易に想像できる。節約したかったのだろう。
ミスティアはこの世界で生きていけるだけのお金を稼げればいい。
贅沢したいとか、
世界の果てを目指し、この世界を終わらせたいとか、
そんなものはない。
故にレベルは高くない。
そんなミスティアが入るパーティだ。
他のメンバーだってそうなのだろう。
生活するためのお金目当てで、ちょっと節約したい気持ちはよく分かる。
更に理由を付け加えるなら、このダンジョンには毒の異常状態にするモンスターはいない。
罠で毒になるのはごく稀。
だって普通は罠には掛からないから。
鈍臭い後衛クラスが20回ダンジョンに潜って1回か0回か。それくらいの確率だ。
だから尚のこと解毒薬なんて購入したくないだろう。
自分の命であるHPを回復させる回復薬を買った方が、多くの使う場面がある。
唯一の救いがあったところを挙げるのなら、その解毒薬を担当していたプレイヤーが罠に掛かったという事だ。
自業自得。他のメンバーが担当だったのであれば批難が集中しパーティが更に混乱しただろう。
でも一人の毒はパーティを取り乱すには十分な出来事だった。
これがゲームだったら、毒になったところで回復が面倒臭いとか、適当な感情しか湧かなかっただろう。
だが、今は違う。
ゲームでは無い。
毒はHP減少だけの効果をもたらすわけではない。
毒はそのプレイヤーの体を蝕み、時が経つほど苦しんだ。
汗を滝のように流し、ガクガクと足を震わせ、何度も地に手をついた。
パーティの一人が毒になった時点でパーティは引き返すことを選んでいた。
だが、だいぶ深くまで潜り込んでいたせいでダンジョンを抜けるにも時間がかかる。
時計の針が動くたびに毒の症状が悪化していくプレイヤーは濃厚な死の香りを漂らせた。
毒でHPが減り、回復薬を少しずつ口に含む。それを繰り返していればあっという間に彼の回復薬は尽きた。
それからはパーティメンバーから回復薬を恵んで貰っていたが、とうとうメンバーの一人が首を横に振った。
これ以上回復薬を渡すことは出来ない。
誰も口に出来ず、心に秘めていたことをメンバーの一人が言った。
誰だって自分の命の方が可愛い。それは死ねと言っているのと等しいとしても、生命線である回復薬を全て譲るほどのお人好しはこのパーティには存在しない。
誰からも回復薬を譲ってもらえなくなった毒のプレイヤーは、しばらくして死んだ。
もがき苦しみながらHPを空にして。
それからもパーティは引き継ぎダンジョンの脱出を目指した。もちろん罠には細心の注意を払って。
次の不運はモンスターとの戦闘で起こった。
一人欠けた五人パーティではあるが、十分な余裕を持っていたお陰で然程苦戦はしない。
対峙するモンスターは大きな木の棍棒をもったトロール。
動きが遅く、棍棒を振り回すだけの攻撃モーションしかない弱いモンスターだ。
が、弱いにカテゴリーするのはトロールだけじゃない。このパーティもまたそのカテゴリーに当てはまっていた。
それはレベルとかステータスの数字だけを指しているわけではない。パーティ皆の基本的な戦闘技術が稚拙なのだ。
それが証拠に、気をつければ当たらないトロールの攻撃が度々前衛のメンバー直撃していた。
それでも一発で死ぬことはない。前衛のステータスならば三、四発ぐらいなら耐えられる。トロールの行動は鈍い。当たってしまったら下がって回復すればいい。
だから大丈夫。
そのはずだった。
もちろんHPだけを見るなら、それは間違いない計算だったのだが……。
その時はトロールの攻撃が前衛の頭に直撃した。
クリティカルヒット。
乾いた音をミスティアは確かに耳にした。なにか、硬いものが砕けたような音だ。
何度も言おう。ここはもうただのゲームの世界ではない。
HPがゼロになれば死ぬというルールは変わらずとも、そのダメージが人の体にどう影響するだろうか。
頭蓋骨を破られただろう前衛のプレイヤーは意識を失って倒れると、ビクビクと痙攣し始めた。HPはゼロになっていないから死にはしていないが、頭を砕かれた人間が通常の状態でいられるはずがない。
それを見た誰かの悲鳴が聞こえた。その間にもトロールは棍棒を振り上げ、次の攻撃モーションへ入る。意識を失い、痙攣するプレイヤーに向けて。
それでも残り四人のパーティメンバーは誰も動こうとしなかった。誰も助けようとしなかった。
ただ、傍観していた。
既にトロールは攻撃モーションに入っている。
助けに行って、運悪く当たってしまえば、次に頭蓋骨が割れるのは自分だと考えたのかもしれない。
そして、そのプレイヤーは二度目のクリティカルヒットで頭を潰されHPを失った。
二人目の死者が出た。
不運はさらに連鎖する。
二人目が死んだその時だ。
トロールの攻撃に耐えられなかった棍棒が折れ、その半分がこちらに吹っ飛んできたのは。
イレギュラーバウンドした棍棒は残った四人の一人に直撃した。不意の事に身構えていなかったプレイヤーは簡単に吹き飛んだ。
通路先に吹き飛ばされたプレイヤー。
その先に、新たなトロールが姿を現わしたのが見える。
それに気づかない飛ばされたプレイヤーは強く打った腹を痛そうに抱えながら、ヨタヨタと立ち上がろうとした。
この時、残り三人の誰かが伝えていれば結果は違っただろう。「後ろ!」と叫ぶか、指をさすだけでもよかったかもしれない。でも、それさえも誰もできない。
ただ、事の行方を見守っていた。
そのまま後ろのトロールは攻撃モーションに入り、振り上げられた棍棒によって伸びた影で、そのプレイヤーはやっとトロールの存在に気づく。
もはや手遅れである。
慌てて振り返るも、振り下ろされた棍棒は容赦なくそのプレイヤーの足を潰した。
激痛に悲鳴をあげるプレイヤーを見ながら、残った三人のプレイヤーは今更ながら自分達がとても危険な状態である事に気づいた。
最初このパーティのバランスは前衛、後衛共に三人ずつととても素晴らしい構成だった。
たが今はどうだろう。
先頭から順番に死んでいき、今のパーティは後衛三人と足が潰された前衛が一人。
それはお世辞でもバランスがいいとは言えない。
足が潰され、這いながら逃げようとするプレイヤーを余所に、安全を失った事に気づき、パニックを起こした最年長であろうプレイヤーが、悲鳴混じりに叫びながら後方に逃げ走った。
ミスティアより前にいたその最年長プレイヤーはすれ違いざまにミスティアを突き飛ばす。
小柄な体を持つミスティアは簡単に尻餅をついた。
慌てて立ち上がってみれば、既に仲間は一人もいなかった。
足を潰された最後の前衛クラスは殺され、トロールがこちらへ向かってくる。
このフロアにいるのはミスティアたった一人だけだった。もう一人の後衛も逃げたのだろう。
死ぬ。
その事実を前に、ミスティアは恐怖しながらも、状況を正しく理解していた。
ミスティアは勤勉である。
ゲームのことをよく知らないミスティアは、テクニックを磨くよりこの世界をよく理解しようとこれまで勤めてきた。
そのミスティア知識が正しければ、次に殺されるのはミスティアではない。
頭にクリティカルヒットを与えたトロールと、足を潰したトロール、計二体のトロールを確認し、ミスティアはその場を動かなかった。
ここはもうゲームではない。でも、ゲームだった世界だ。
高レベルのモンスターは知能を持ち、学習するらしい。だから高レベルのモンスターは厄介だとか。そんな話を聞いたことがある。
だけど、このトロールは違う。低レベルのモンスターで、知能は低い。
そして、プレイヤーへのターゲットの取り方も決まっている。
優先度を決める条件は二つある。ダメージを最も与えたプレイヤー。それと、エンカウントした時に最も近かったプレイヤー。
ダメージを与えていたプレイヤーは死んだ。であれば次のターゲットは最初にエンカウントした時に最も近かったプレイヤーとなる。
つまり、ミスティアを突き飛ばして逃げていったプレイヤーだ。
そのはずだ。
近づくトロールに震えながらミスティアは自分に言い聞かせた。余計なことをするなと。自分の知識は正しく、攻撃した方が生き残る可能性が高いと勘違いするなと。
大股の早歩きで迫るトロールを見ながら、ジッと息を止める。
ガチガチに震える歯を噛み締め、心臓の音さえ止めるかのように、小さく縮こまった。
果たしてミスティアの知識は正しかったことが証明された。
トロールはミスティアを横切り、逃げていったプレイヤーを追って通路の奥へ消えていった。
それを見送ってからミスティアは腰を抜かした。じんわりと湿った下半身からアンモニアの匂いが漂う。
生死を分ける判断の成功に安堵して体から全ての緊張が抜けたのだ。
でもまだ何も解決していない。
終わっていない。地獄が始まったのだ。
少しの間、腰を抜かして動けずにいると、遠くから断末魔が届いた。
最初はモンスターの発したものかと肩をビクつかせたが、間を置いて逃げていったプレイヤーの発したものだと気付いた。
ミスティアを突き飛ばしたプレイヤーのものだ。
このままでいたら死ぬ。
力の抜けた体に鞭打って体を起こすと、インベントリを確認する。
少ない収入でなんとか買った回復薬が2つ。
今自分になにができて、なにができないのか。それを正しく理解するためだ。
そして、今自分が置かれている状況を正しく理解する。
か弱いミスティアはこれからダンジョンを抜けるまで失敗は許されない。
自分にできないことに直面したその時が、ミスティアの最後になる。
まず、モンスターとのエンカウントは論外と結論づけた。
エンカウントしてしまった場合のプランを幾つか考えてみたが、生き残る可能性は低いだろう。
悲鳴を上げて逃げていったプレイヤーの二の舞だ。
逃げても、走り回ってモンスターを釣って、最終的には行き止まりか、モンスターに挟み撃ちになるか、その可能性の方が助かるよりも遥かに高いのだ。
エンカウントせずにダンジョンを抜けるしかない。
それからミスティアはモンスターとのエンカウントを避けながらダンジョンを移動し続けた。
これまでにもピンチはあった。その時の知識をフル回転させて、モンスターの位置と徘徊パターンを丁寧にマッピングして、糸を通すかのような生還ルートを歩んでいく。
安全地帯なんて無い。
隈なく全ての道を歩くモンスター。
安全な場所はこのダンジョンにはない。
眠ってしまえば、たちまちエンカウントし、殺されてしまうだろう。
ミスティアは生き延びるという執念を糧に丸一日以上移動をし続けた。
出口まであと半分。
カタツムリのような速度で着実にエンカウントを避ける中、ミスティアは自分の体力の限界を感じていた。
体がだるく重い、意識も時折飛んで膝をつく事があった。
ミスが許されないというプレッシャーに神経をすり減らして行動し続ければ、ステータスのおかげで頑丈な身体もすぐに限界が訪れる。
そして、モンスター徘徊の隙間を走り抜けようとした時だった。疲れ果てた体は思いのほか言うことを聞かず、体勢を崩して派手に転んだ。
一瞬の不注意が死を呼び寄せた瞬間だった。
転んだ拍子で響いたその音に、徘徊していたモンスター達は反応し、一斉にターゲットをミスティアに向ける。
あ、終わった。
そう思った。
まともに走ることさえもできない衰えた自分の体。
もはや抵抗するなんて虚しいと思った。
でも死ぬのは怖い。
倒れたまま震えた。
短い時間でたくさん目にしてきた死。
それがついに自分の番になったのだ。
倒れたままミスティアは目を固く閉じた。
耳を両手で塞いだ。
そして死を待った。
心臓が脈打つ音がよく聞こえる。
今、自分が生きている証拠だ。
それが間も無く止まると考えると怖くて仕方なかった。
脈打つ音を聞きながらどれくらいの時間が経っただろうか。
まだ死なないのだろうか。
それとももう死んだのだろうか。
「大丈夫?」
塞いだ耳に、篭った言葉が届く。人の声だ。
恐る恐る目を開けてみれば、そこには黒い少年が覗き込んでいた。
死神だろうか。はたまた天使なのだろうか。
しかし、少年はその両方に似つかわしくない銃を両手に持ち、そこから微かに煙が立ち昇っている。
周りを見渡せば、少年の仲間だろうか、ミスティアにターゲットを向けていたモンスターを軽々と屠っていた。
ハイレベルプレイヤー。
助かった。そう確信した後、涙が流れた。安堵で涙したのは初めての経験だった。
白馬の王子様がーなんてフレーズがある。
助けてくれたプレイヤーは馬にも乗ってなければ色は白のではなく黒だ。
しかも見た目気弱そうな少年。
フィーニスアイランドには子供しかいないから当たり前だけど、歳もそんなに離れていないように見える。
それでもミスティアにはかっこいい勇者様のように映った。
そんな少年をぽーっと眺めながら色々な感情が渦巻く。
これがミスティアとイトナの出会いである。
運命の出会いだ。
それからダンジョンを抜ける間、パーティにお邪魔する事になった。
パーティリーダーのイトナを筆頭に、にゃーにゃー言う赤毛の猫忍者。
語尾に「ですの」と付ける青の魔法使い。
生真面目な性格をした緑の魔法剣士。
そして絶え間なく笑顔で話しかけてくるピンクの天使。
パーティ名は《ルミナスパーティ》。
そのパーティは異常なまでに強かった。
何故か一人欠けた五人で構成されたパーティ。
でも、このダンジョンを攻略するのはその中の一人で十分なほどに強い。
先頭で赤毛の猫忍者がモンスター屠り、他のプレイヤーは開いた道を淡々と歩いていく。
「大丈夫ですか? 疲れてませんか?」
分刻みで心配してくれるのはピンクの天使。
ルミナと言う名前のプレイヤーだ。このパーティ名は彼女の名前から来ているのだろうか。
それに大丈夫と答え続け、数分。あっと言う間にボスルームへ辿り着くと、打ち合わせも、緊張もなくパーティはルームに踏み入れ、赤毛の猫忍者は一人で巨大なボスを30秒程で屠った。
信じられない程の強さに唖然としているミスティアを他所に、ルミナスパーティの面々は何事もなくボスルームから踵を返す。
それについて行けば、危なげなく近くの街へ辿り着いた。
偶然の出会いから救われた身で、街まで送って貰えばそれでお別れである。
当たり前だ。
だが、ミスティアは図々しくもルミナスパーティに縋り付いた。
今まで控えめを貫いてきたミスティアだったが、この時は違った。
この人達といれば安全だと思ったから、生きたいと強く思う、生命として当たり前な本能がミスティアをそうさせた。
オマケで言えば、イトナという少年のことをもっとよく知りたかったのもある。
それに緑の魔法剣士は強く反対した。
猫忍者は「にゃーはみんにゃに任せるにゃー」と言い、青い魔法使いは「右に同じですの」と興味なさげに言った。
そんな中で、ルミナだけがミスティアの味方になってくれた。
仲間が脱落し、一人になったミスティアを可哀想に思ったのだろう。と言っても即席で作られたパーティ。ミスティアにとってなんの思い入れのない人達だったが。
ルミナがミスティアを庇い続けていると、魔法剣士は呆気なく折れた。
この魔法剣士はルミナには甘いらしい。
どうせ埋まらない一枠があるんだからと言うことで、ミスティアもルミナスパーティに入る事を許された。
アイテム持ち担当として。
÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷
ルミナスパーティに加入してからは時間が流れるのは速かった。
多分、安全だったからだろう。
明日死ぬかもしれない。
生き残るか死ぬかは自分次第と、全て背負いこんでいたミスティアの毎日は長かった。
そんな緊張の荷が少し降りて余裕ができたのかもしれない。
それでも仲間になった以上、役に立たないばかりではいられない。
戦力外で足手まといなミスティアには教育係としてイトナがついた。
本当はルミナだったけど、ミスティアがイトナがいいと粘ったのだ。
緑の魔法剣士には図々しいと言われ不機嫌になったが、イトナは優しいから嫌な顔せずに頷いてくれた。
いや、もしかしたらイトナはミスティアに気があるのかもしれない。
そうだったら嬉しい。
イトナは強いし、優しいし、カッコイイし、時に可愛い。文句なしにルミナスパーティの中で一番好きな人物だ。
それに比べて緑の魔法剣士はどうだ。
なにかとミスティアに文句を言ってきた。
後衛ならもっと周りをよく見ろだの、前衛を信用しすぎるなだの。いちいち口うるさい。一番嫌いだ。
そんな中、イトナはミスティアのことをよく褒めてくれた。センスがあると。
イトナ曰く、女の子はスキルの習得が速いという。
夢見る少女の発想力と、それのスキル発現力はこの世界ではとても強い力だとか。その夢見る少女の中でもミスティアはセンスがあるという。
夢見る少女だなんて言われるのは恥ずかしかったが、イトナに褒められるのは悪い気がしなかった。
時が進めば、ミスティアはルミナスパーティのメンバーと肩を並べる、とは言うには全然まだまだだが、それなりに役に立つほどまでに成長した。
モンスターを操り、味方にするミスティアの心操スキルを習得し、それはパーティに大きなアドバンテージをもたらしたからだ。
このパーティでそれなりに役に立つというのはとても凄いことだとミスティアでも思う。
イトナの言っていた通り、ミスティアにはセンスがあるのだろうと実感した。
更に時が進んだ頃、いつもに増して真面目な顔でイトナに呼ばれた。
まさか告白? なんて思ったが、残念な事に違った。
仕方がない。イトナは強い故に多忙なのだから。
恋とかしている余裕はないのだ。
話はフィーニスアイランドの秘密についてだった。
今思えば、この時仲間と認めてくれたのだろう。
内容はフィーニスアイランドがというよりも、イトナ達がなぜこれ程までに強いのかだった。
その時、初めてイトナがステータスウィンドウを見せてくれた。
昔は人のステータスなんて全く興味がなかったが、長い間この世界で暮らしていたせいか、人のステータスを見るのは少しドキドキした。
相手がイトナだったからかもしれない。
覗き込んでみると、当たり前だがイトナのレベルや各ステータスが表示されていた。
確かにどれも高い数値だったが、驚くほどでは無い。
むしろ予想よりも低いぐらいだ。
イトナが何を伝えたいのか疑問に思っていると、イトナが右上の端を指差した。
そこにはフィーニスアイランドのプレイ時間が表示されている。
それを見てミスティアは息を呑んだ。
1,316,758h
その時間の桁数を数えるのに少し時間がかかり、それを時間単位から年単位にする計算を脳内でするのを諦めた。
ミスティアもこの世界に来てから2年は経つ。それでもプレイ時間は20,000hくらいだ。
このプレイ時間が本当なら、少なく見積もっても、イトナは150年以上フィーニスアイランドをプレイしている事になる。
それは普通ではありえない数字だ。フィーニスアイランドが現実になる前、〝チュートリアル〟の時からずっとゲームにインしていたってありえない時間。更にいうなら、人間の寿命が続くのも難しいと言える時間だ。
驚くミスティアにイトナはゆっくりと、丁寧に説明してくれた。
端的に言うと、イトナはこの世界の人間ではないらしい。
順を追って説明すれば遥か150年以上昔、イトナの世界の子供達もこのフィーニスアイランドに閉じ込められた。
その世界の子供達も今と同じくゲームの達成を目標とし、世界の果てを目指すことになる。
子供達は次々と命を落とし、遂には攻略に失敗した。
攻略に失敗すると、フィーニスアイランドはリセットされ、また別の世界へ移るという。
数少ない生き残ったプレイヤーはレベル、ステータス、スキル、装備、アイテム、そして歳をリセットされ、記憶のみを引き継いで再び別世界のフィーニスアイランドが始まる。
イトナ達はそれを繰り返して来た。その証拠がこのプレイ時間だという。
イトナとルミナと魔法剣士は同じ世界の出身で、10回のフィーニスアイランドを旅して来た。他の二人は別の世界の子供で、青の魔法使いは7回。猫忍者は3回ループしているとか。
つまりこのルミナスパーティのメンバーはフィーニスアイランドを何度も繰り返しプレイしている。ゲームが上手いとか、運動神経がいいとか、特別センスがあるなどでは無く、膨大な経験が圧倒的な強さになっているのだ。
ミスティアにとってその真実は驚きより、不安を煽った。
つまり、イトナ程の、ルミナスパーティ程の強いプレイヤー達がいても、まだ一回も、未だ一度もフィーニスアイランドの攻略に成功したことがない事実を知ったからだ。
ミスティアはこのパーティについていけば安全にフィーニスアイランドを攻略し、元の現実世界に戻れると思っていた。でもそれは違ったのだ。
久しぶり不安の感情が湧き上がって来るのを感じる。
イトナ達以外にもループしているプレイヤーはどれくらいいるのか聞いてみたが、この五人以外いないと断言された。
となれば、一番気になるのは攻略に失敗したと判断され、生き残り、別の世界のフィーニスアイランドに移るための条件だ。
五人がフィーニスアイランドをループしているということはプレイヤーの全滅が攻略失敗の条件ではない。
もしこの世界でも攻略失敗に陥る時が来るとしたら、生き残る術を知っておきたい。ループしているプレイヤーが五人だけと断言するのであれば、イトナはその条件を知っているはずだ。
でも、イトナは教えてくれなかった。正確には、分からないと言われた。
でも、それはおかしい。
イトナはループの条件を知っていて、ミスティアに隠している。そんな気がした。
しかし、手に入れられない情報ならしょうがない。
無事にフィーニスアイランドが攻略されればなにも問題はないのだから。
だから頑張ろう。
頑張ってみんな助かる未来を目指そう…………なんて甘い考えはミスティアにはない。
だって今まで攻略に成功してないとイトナは言った。だったら、この世界でだって失敗する可能性は高いに違いない。
死にたくない。
死なないのであればなんだってする。
イトナのことは好きだ。
初めての恋かも知れない。
でも恋と命を天秤にかければ命に傾く。
恋は生きてこそできるものだ。
なら自分にできることはなにか。
それは心操スキルだ。
モンスターを操り、味方につける力。
モンスターは常に憎悪に満ち満ちている。
その感情はプレイヤーに向けられ、襲いかかって来る。
だからミスティアはその感情の先をプレイヤーでは無くモンスターに向くように操っているのだ。
でもこれをプレイヤーに使ったらどうだろう。
感情は憎悪だけではない。色々なものがある。
例えば。
そう。
恋心とか。
ミスティアの中にある黒いものがどよめく。
イトナに心操スキルを使い、ミスティアに恋をさせ、ループ情報を聞き出せれば、あるいは……。
心の奥底で様々な計画を立てながら、その日はそれ以上食い下がらなかった。
÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷
攻略が進むにつれて、上位プレイヤーの死者が目立つようになってきた。
適正レベルから見て安全ラインを保っているのにだ。
理由は単純に難易度が増しているから。
適正のレベルに釣り合う程のプレイが出来ないプレイヤーが脱落して行く。
そんな中、ある日のレイドボスモンスター攻略で、かつてないほどの死者が出た。
ルミナスパーティは危なげなく立ち回っていたが、他のパーティはついていけず、どのパーティにも一人以上の犠牲者が出た。
絶望の空気が漂う中、一人のプレイヤーは激怒した。
なぜかその矛先はイトナに向けられる。
怒った理由はルミナスパーティが危なげなく立ち回り過ぎたことだ。
あれだけ余裕があるなら死んだプレイヤーのフォローができて、被害をもっと減らせただとか。
めちゃくちゃなことを言ってきた。
イトナは悲しそうな顔を見せた。
それを見てミスティアも悲しくなった。この人は何もわかっていない。
イトナ達は全力でフォローに回っていた。
フォローしてなおこの結果なのだ。
もしイトナ達が他のパーティを気にせずに攻略していたならば、この場に立っていたのは六人だけだったかもしれない。
そう思うと怒りが芽生えた。
イトナにはループ条件を教えてもらえず、最近はモヤモヤしていたが、好きなものは好きなのだ。
その彼が理不尽な思いをしている。
ミスティアが怒る理由はそれで十分だった。
謝らせてやる。
ミスティアの黒い部分が膨れ上がる。気づけばイトナに怒り散らすプレイヤーに糸を這わせ、心操スキルを使用していた。
スキルが発動すれば、そのプレイヤーは態度を変え、泣きながら謝罪をし始めた。跪き、頭を地面に擦り付けながら。
余りの変わりように周りは戸惑う。その時はイトナ達もミスティアの仕業だと気づかずに困惑していた。
必死に硬い地に頭を擦り付けて、額から血を流すプレイヤーを見下ろしながらも、ミスティアの怒りは収まらなかった。
ミスティアは心の中で一つの命令を下す。
自害しろと。
すると、男は「嫌だ死にたくない!」と喚いた。
周りのプレイヤーはとうとう頭がおかしくなったんじゃないと、心配そうに見守っている。それらを見て、ミスティアは楽しくて堪らないのを感じた。
まるで人形劇だ。人が自分の手の平の上にいるかのように思いのまま。
今までモンスターにしか使わなかった心操スキルがまさかここまでの性能を発揮するとは思っていなかった。
やがて、男は死にたくないと喚きながらも、その言葉に反して自分の武器である剣を引き抜く。
一瞬で緊張が周りに広がった。
頭がおかしくなった男が剣を抜いたのだ。なにをされるかわからない。そう考えたのだろう。
剣を抜いた意味を知るのはミスティアだけだ。
全員が警戒する中、男は手を震わせながら剣先を自分の喉元に運ぶ。
自害する。
その瞬間、やめろ! そんな声が聞こえた。イトナの声だ。
やっぱりイトナは違う。
優しい人だ。
イトナに助けてもらったあのダンジョンでは仲間を平気で見捨てるプレイヤーしかいなかった。
こいつらも同じだ。
でもイトナは理不尽にも文句を言ってきたプレイヤーさえも助けようとする。
そんな優しいイトナを悲しませたのだ。やっぱり死んで貰おう。
ミスティアは自害命令をを止めなかった。男は剣先を喉元に突き刺しては抜き、また突き刺した。
その時の恐怖に満ちた顔は今でも鮮明に記憶している。今まで弱者だった自分が圧倒的強者になっていたことを知った瞬間だった。
男は高いステータスのおかげで中々死ななかった。でもそれはそれでいいだろう。一瞬で終わってしまっては罰の意味がない。
四、五回だろうか。喉に差し抜きしたのは。それでやっと男のHPは空になった。現実なら四、五回死んでいただろう。いい気味だ。
その直後、無言のイトナに手を引かれ、半ば強引にダンジョンの外まで連れてこられた。
イトナは途中で気づいていたのだ。ミスティアがやったと。やめろと言ったのも、ミスティアに向けて言ったのかも知れない。流石イトナだ。
イトナに怒鳴られた。初めて見る怒ったイトナだった。
人を殺すのはそんなにいけないことだろうか。
確かに法で守られた現実の世界ではそうだっただろう。
だが、フィーニスアイランドは違う。
フィーニスアイランドに法があるとするなら、ゲームの仕様だ。
仕様上PKが許されているのだから、ミスティアはルール上なにも悪いことをしていない。
でも、イトナの言い分も分かる。
現実だって、法に触れていなくとも良いとは思えない行いは多々ある。
例えばイジメとかそうだ。
法には触れてはいないが、アレは良くない。ミスティアは身をもって知っている。
イトナにもう二度と心操スキルを人に使うなと釘を刺された。
ミスティアには首を横に振る選択肢はない。
横に振ろうものなら、ルミナスパーティから見捨てられる。それ程この時のイトナは怒っていた。
この時、ミスティアは普通のプレイヤーよりも遥かに強くなったことを自負していた。
が、この先一人でやっていけると勘違いはしなかった。
だから、それからはミスティアは大人しくするよう心掛けた。自分の心操の力は今ので十分試せた。わざわざ危ない橋を渡ることはない。
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それから数ヶ月もすれば、フィーニスアイランドの終焉はすぐに訪れた。
六つの島の果てを攻略し、それにより訪れた四つの大災害を乗り越え、フィーニスアイランドの終わりはすぐ目の前まで来ていた。
世界の中心に出現した六つのラストダンジョンの扉。
この扉の先を乗り越えれば、晴れてフィーニスアイランド完全攻略である。
長かった。
この扉の前に立つまで数年の時と、たくさんの子供の命を犠牲にした。
ミスティアは本当に運がいい。
そう思った。
ルミナスパーティに拾ってもらえなければ間違いなくこの場には立っていなかったのだから。
そう確信を持たせるのは四つの大災害だ。
今まで危なげなかったルミナスパーティさえも生死の一線を何度も行き来した。
大災害はモンスターを喰い、安全地帯だった街を滅ぼし、その強大な力でプレイヤーを地獄へと叩き落とした。
結果、この世界に立っているプレイヤーはとうとう六人にまで減っていた。
何度もループし、フィーニスアイランドを知り尽くしている五人のプレイヤーと、それに守られたミスティアだけだ。
こんなもの、無理に決まっている。
もしループしているプレイヤーがいなかったら、無理ゲーにも程がある難易度設定だ。
でもいい。自分が生きていればそれでいい。
あと少し。
あと少しで生きて帰れる。
そんな希望を微かに感じながら、ミスティアはルミナスパーティのメンバーを見渡す。
が、そこにいたメンバー達はいつも見せる自信に溢れた顔は消え失せ、絶望とも言えるほどに顔を引きつらせていた。
「大災害が、最後じゃないの……?」
「扉が六つ……だから今まで……五人になったら……」
彼らはまるでそれを初めて見るかのように、硬直している。
その様子を見てミスティアは察した。イトナ達もここまで来たのは初めてなのだろうと。
そして、ミスティアは魔法剣士がポツリと零したその言葉をミスティアは聞き逃さなかった。
その言葉でミスティアが一番知りたかった事がわかった。
フィーニスアイランドの攻略失敗になる条件。
ループする条件。
それは、
残り5人以下になるまで生き残る事だ。
現れた6つのラストダンジョンの扉。
それは同時に入り、同時に攻略しなければならないものだった。
だから5人なんだ。
6人を下回った瞬間、人数的に攻略が不可能になるから。
だから5人で攻略失敗とされ、ループするのだ。
ミスティアは平常心を保った。
顔に出さないように。何もわからないふりをして、これからどうするかの指示を待った。
大丈夫。
このパーティなら、ミスティアを殺すという選択肢はしないだろう。
ミスティアを殺して、また五人でやり直すなんてそんなことは。
きっと、もっといい、このパーティなら最善な選択肢を見つけてくれる。
ミスティアはそう信じた。
でも、次に発した言葉は、それを裏切った。
「攻略するしか、ない」
魔法剣士はそう言った。
攻略を進める。
それしか助かる道はないのだから。
それに頷くイトナの姿が見えた。
ミスティアはそれに失望した。
それは間接的にミスティアに死ねと言っているようなものだったからだ。
少し考えればわかることだ。
6つの扉に6人のプレイヤー。
1人で1つのダンジョンを攻略する事になる。
大災害でもギリギリだったのに、それ以上の難易度を秘めているダンジョンを1人でだ。
きっと、イトナや魔法剣士でも攻略は難しいだろう。
そんな中、6人同時に入って、一番最初にゲームオーバーになるのは誰だろうか。
ミスティアだ。
実力も経験も5人と比べれば低いミスティアが最初に死ぬだろう。
ミスティアが死ねば5人となり、またループする。
それを知ってか、知らずか、魔法剣士の発言はそう意味していた。
顔が引きつるのを感じる。
平常心が保てない。
ここまで来たのに。ここまで頑張ったのに。
殺される。
ここまで共にした仲間に。
仲間?
そう思っているのはミスティアだけだったのかもしれない。
ミスティアは彼らと同等の力を持っていない。
そんなミスティアが仲間と思うのは図々しかっただろうか。
でも、今はそんな事はどうでもいい。
どう、生き残るかだ。
逃げてしまうか。
逃げて、1人で生きていくのは?
いや、ダメだ。この5人から逃げ切る自信はない。
なら、残り5人に残ればいい。
6人同時にラストダンジョンに入り、進まずに入り口で1人が脱落するまで待ち続けるのはどうだろう。
これもあまり良くない。
そもそも、ダンジョンに入ってすぐは安全って考えが甘い。
ダンジョンに入った瞬間死ぬ。なんて事があっても、この理不尽な世界では不思議ではない。
なら、
ならば、
確実に生き残るには、この手で1人殺すしかない。
ミスティア自身の力で、1人を屠り、次のフィーニスアイランドに生き長らえる他ない。
もちろん確実ではない。
誰1人として、ミスティアより弱い人、同等の人はいないのだから。
全員が圧倒的格上。その1人を屠る必要がある。
でも、ミスティアには勝算があった。
ミスティアの心操スキルはステータスの数値が影響するものでも、プレイヤースキルが影響するものでもない。
多分、影響するのは心だ。
今までイトナの目があって、人に対する心操スキルの実験はあまり行えていない。
だから確かな事ではないが、ミスティアはそう睨んでいる。
ミスティアの推測が正しければ、今がこれまでにないチャンスだ。
皆、初めて見るラストダンジョンの扉に動揺している。
精神状態は良くはないはずだ。
だから今。
やるなら今しかない。
ミスティアは固く決意する。
迷いは捨てる。迷えば心操の効果は弱まる。
こいつらはもう味方じゃない。
敵だ。
勝負は一瞬。
ゾッと湧き立つ殺意で髪が逆立つのを感じながら、ミスティアはスキルを発動させた。
1人を残して全員を糸で縛り付ける。
この瞬間の皆の顔がどうだったのかは覚えていない。
驚いたか、戸惑ったか。
でも、それはミスティアにとっては都合のいい事だ。
次に縛り付けなかった残り1人に全身全霊の心操スキルを使用する。
心操を使用したのは魔法剣士。
理由は一番嫌いな人に使った方が心操の力を増せると思ったからだ。
周りから叫ぶのが耳に入る。
それを無視して、ミスティアは命令した。
ルミナを、殺せ。
ドス黒い、憎悪に近い強い想いを込めて命令した。
これまで、魔法剣士のことは嫌いであっても、恨んだことはなかった。
でも、たった今、ミスティアを切り捨てるといち早く決めたのはこいつだ。
強い心操が魔法剣士に入り込む。
しかし魔法剣士は動かなかった。
必死に歯を食いしばり、強固な心で心操を拒んでいる。
ダメだ。
動かない魔法剣士を見て、ミスティアは涙を流した。
失敗した。
やっぱり、この5人に敵うはずがなかったのだ。
縛り付けている他の4人も、もうもたない。あと数秒もすれば、ミスティアのスキルは解かれてしまう。
このままでは殺される。
死にたくない。
こんなところで、
こんなふざけた世界で、死にたくない。
その強い想いが爆発した。
思えばあの時、ミスティアはみっともなく泣き叫んでいた。
駄々をこねる子供のように、目の前の嫌な事を拒んだ。
死を、強く拒んだ。
すると、魔法剣士の前に、一つの剣が現れた。
エメナルドグリーンに光る、魔法の剣。
それは魔法剣士のスキルによって生成された剣だった。
それを見た時の魔法剣士の顔は今までに見た事がない程に顔を歪め、焦燥感に駆られていた。
その顔は今でも覚えている。
あの魔法剣士の顔こそが、ミスティアの生きる希望の光となったのだから。
手足を動かすことには失敗した。
でも、スキルは発動させられた。
あとはその剣で、ルミナの首を取るだけだ。
ここまで数秒。
でも、もう時間はない。
もう数秒すれば、イトナたちが束縛を解いてしまう。
ミスティアは無我夢中で叫んだ。
殺せと。
殺せ殺せ殺せと、喉が壊れんばかりに叫んだ。
魔法剣士もまた、泣き叫んでいた。
自分ではどうにも制御できない剣を前に、泣き叫んでいた。
魔法の剣にヒビが入る。まるでなにかに抵抗をしているかのように震えている。
でも、剣は消えない。
そして、剣は振るわれた。
シュンと風を切る音が聞こえた。
最強の魔法剣士による、凄まじい切れ味を持った魔法の剣がいとも簡単に、呆気なく、ピンク色の天使の首を跳ね飛ばした。
ルミナの体から離れる頭を見て、涙を流しながらもミスティアの口角が釣り上がる。
それは、ミスティアが生き残った事を意味ていたから。
様々な叫び声が聞こえた気がした。
そして、世界はリセットされた。
問題は山積みである。
ミスティアは最強のパーティを敵に回したのだから。
でも、その時は素直に喜ぶことにした。
生き長らえることに成功した。
Lv.1になったステータスウィンドウを見て、涙を流して喜んだ。
それからの8年。ミスティアは全ての時間を対ルミナスパーティへの準備に費やした。
ミスティアが生き残るための様々な考えと、可能性。
準備が万端とは言いがたいが、やれるだけやってきた。
ミスティアはもうじきチュートリアルも終わると予想を立てている。
ミスティアはチュートリアルの終了条件を知らない。だから確かな事は分からないけど、以前のチュートリアルは8年。
その年のグランド・フェスティバルの直後にチュートリアルは終わりを告げた。
これは推測だが、グランド・フェスティバルで各島の実力を図り、良い人材が揃ったタイミングでルミナスパーティの誰かが意図的に終わらせていたのではと考えている。
そうであれば、次のグランド・フェスティバル後にチュートリアルが終わる可能性は高いと見える。
だからチュートリアルの時期にイトナと接触できるのはこれで最初で最後かもしれない。
本番が始まってからでは手遅れな事もある。
8年間死にものぐるいで準備した計画。
それを持って、ついにイトナと再会する。
これからもミスティアが生きていくために。




