06
サダルメリク城、その裏側。
正面からはよく見るが、裏から見る人はそういないだろう。
ノノアもその一人だった。
驚いたのは街から半分はみ出したサダルメリク城裏側もしっかりと整備されていることだ。
ここは街外のフィールドである。誰も所有できる土地ではなく、モンスターとエンカウントする可能性のある、安全でない場所。
サダルメリク城を大きく囲うように鉄の柵が建ててあり、モンスターの浸入を防いでいる。策には鈴がついていて、万が一モンスターが柵を越えようとすれば鳴る寸法だ。
なるほどとノノアは素直に感心する。
危険のあるこの場所で多くのNPCを雇えるのはこのような安全対策をしっかりしているからだろう。プレイヤーであっても、浸入は難しい。今回は相手が悪かったのだ。
ノノアはサダルメリク城に一番近い茂みから、それらを確認し誰もいないことを確認すると、そっと柵まで近づく。
「街から入れれば楽だったのに」
街内は安全だ。本当であれば安全地帯から入城したい。それで城半分は安全地帯なのだから、その境界線から戦闘が撮れれば最高である。
それに気づいたのはついさっき。でもすぐにそのプランを捨てた。
少し考えればわかることだ。サダルメリク城の半分が安全地帯なら、サダルメリクメンバーはそっちに避難して固まっているだろう。
五十鈴も言っていたが、ナナオ騎士団はともかく、サダルメリクからはキルされない。
けど、自分の不幸をはい、撮影して金儲けに使ってくださいと、快く通してくれるわけがない。
門前払いを食らうとわかってて行く必要なんてない。それなら最初から裏から浸入する。
ノノアは柵を慎重に観察する。
やる事はトラップの多いダンジョンと同じだ。もっとも、こういった事は前衛クラスが率先してやるものだが。
舐めるように見て、やはり気をつけるべきなのは鈴と判断する。鈴が鳴れば、ナナオ騎士団に見つかるかもしれないし、サダルメリクにだってナナオ騎士団のメンバーと間違われて攻撃してくるかもしれない。柵を壊すのは論外だ。
柵の更に奥にも目を配る。花壇が綺麗に並ぶ中、柵までの一定範囲にはなにも置かれていなかった。もしかしたら罠でも張ってあるのかもしれない。
となればここから飛んで行って、着地はせずにそのまま城内に浸入してしまうのが一番安全かもしれない。
一通りの手順を頭のなかでシュミレートして、実践に移る。
ステッキを両手で握り、ステッキにぶら下がるようにして宙に浮く。充分に柵より高い高度まで上がって、そのままゆっくりと柵を越えた。
次に宙に浮いたままノノアは城の壁に耳を当てた。
この行動に意味があるか自信はないが、耳を当てて、激しく戦闘が行われているのは何階か判断できればと思ったのだ。
全ての階に耳を当てて、もっとも振動していた二階に目星をつける。なら侵入は三階からだ。
五十鈴のアドバイスにあったのはサダルメリクの背中を取る事。
二階で戦闘が行われているのなら、三階から侵入すればサダルメリクの背中取れる可能性が高い。
サダルメリクが引くなら三階に上がるだろうし、押しているなら一階に行くからだ。そう考えをまとめて、三階の窓の鍵を壊して侵入した。
因みに窓の鍵を壊したのは許してほしい。一応空いている窓を探したけど、全て鍵がかかっていたのだ。
転がり込むように侵入したノノアは身を低くして、身の安全を確認する。
この部屋に人はいない。どうやら侵入に選んだ部屋は当たりだったようだ。
ひとまずの安堵に浸っていると、不意に日に当たっていたノノアの顔が一瞬陰った。
つまり、何かが太陽との間を通り過ぎたのだ。
「っ!?」
些細な変化に心臓が飛び跳ねる。侵入した部屋の出入り口よりも、さっきノノアが侵入してきた窓に警戒を強める。
雲であればいいのだが、警戒するに越した事はない。
壁に背を付けて、そっと窓の外を覗くと、
「……なにあれ」
そこにはヘンテコな二人のプレイヤーがいた。
翼を広げ飛んでいるピンク色の髪をしたプレイヤー。
そのプレイヤーの手を握り、ぶら下がる真っ黒なローブをすっぽりと被ったプレイヤー。
アンマッチなカラーと、お互いに両手が塞がって隙だらけ。あまり格好のいいようには見えない。
ぶら下がっているプレイヤーはよく見えないけど、飛んでいる女の子はとても可愛らしかった。
見た目で判断をしてはいけないけど、ナナオ騎士団のメンバーには見えない。かといって、サダルメリクでもなさそうだ。ぶら下がっているプレイヤーは多分男だから。
どうするか。少し考えたが、結局のところノノアにはどうしようもない。
あのプレイヤー達がナナオ騎士団でもサダルメリクでも、はたまた第三勢力だったとしても、関わらないことに越したことないだろう。
一応このタイミングで録画を開始しとく。これが思わぬスクープになるかもしれない。
ノノアが視界の録画を開始すると、不意にぶら下がっていた黒いのがこっちを振り向いた。
気付かれた。
慌てて身を隠すがもう遅い。頭の中が真っ白になり、どうすればいいか何もわからなくなる。
とりあえずもう一度外を確認すると、そこには誰もいなかった。
「見間違い?」
いや、確かにいた。しっかりと録画だってしてある。
気になるが、今は棚上げしておく。ノノアの目的はナナオ騎士団とサダルメリクの戦闘を撮影することだ。
すぐに切り替えて部屋を出る。
廊下には人一人いなかった。ただ、激しいスキルの衝突音が地響きのような振動で伝わってくる。
「下ね」
ノノアの予想は確信へ変わる。ならばと、下へ続く階段を探そうと一歩踏み出す……その時だった。
光が視界を埋め尽くしたのは。
「え」
死。それを予感した光景だった。
鼻先をチリチリと焼く感覚と、光の衝撃を受けて、思わず後ろに飛び退く。
時間にして一秒に満たなかっただろう。その光が止むと、ノノアが進もうとしていた先が消滅していた。
まるで城を割ったかのように大穴が空き、上を見れば青空が見える。
「な…………」
一体何が起こったのだろうか。まさかこれがプレイヤー一人のスキルの威力だと言うのだろうか。
予期しない光景に、ノノアは言葉を失った。
こんなのダンジョンの方がまだ生易しい。
腰を抜かしてお尻を床に打つと、穴から次々とプレイヤーが上がってくる。サダルメリク、しかもヴァルキュリアのメンバーだ。
ユピテルが翼を広げ、優雅に飛翔するのを先頭に、ラヴィ、風香が上がってくる。
そして目があった。
「おい! 全員避難し終わったんじゃないのかよ!」
ラヴィがノノアを見るなり、風香に文句を言う。
「……あれはサダルメリクのメンバーではありません」
「くそっ! 敵か!」
ラヴィがモーニングスターを構え、風香は腕に抱えたNPCを隠すように身をよじる。
明らかに敵対していた。
冗談じゃない。サダルメリクのラヴィと言ったら勇者パーティのアイシャの魔法の矢を全て避け、一瞬で距離を縮める脚力を持ったバケモノウサギだ。
宙を無制限に蹴り、その変則的な動きをする相手に攻撃を当てられる自信はない。
敵じゃないと伝えなければ、そう頭ではわかっていても、握ったのは武器であるステッキだった。
構えてから後悔する。これでは攻撃しますと言っているようなものだ。
バカ! と脳内で自分を叩くがもう遅い。でも、意外なところで助け舟が出された。
「……いえ、あれはナナオではありません。リエゾンの報道部かただの野次馬でしょう」
「っち。人の不幸を金儲けにしやがって……」
「相手をしている余裕はありません。
あなた、私たちに手を出すつもりが無いのならもっと下がることをお勧めします。近づくようなら容赦はしません」
助かった。風香の言葉に数回頷くと、ノノアは素直に距離をとる。
敵ではないことを確認したラヴィはノノアをひと睨みして、大穴に向き直る。
「次は念話ジャマーかよ。いちいちメンドクセースキル持ってやがる」
「相手にもかなりのダメージを与えました。だからでしょうか、代わりにアイテムジャマーが消えています。今のうちに回復を」
そのやりとりをノノアは遠くで撮影する。念話ジャマーとか初めて聞いたスキルだが、報道者にとっては好都合だ。会話を通して、状況が把握しやすい。
しかし流石ヴァルキュリア。あの人数でナナオ騎士団と渡り合えているなんて。あの光もヴァルキュリアのものだったのだろうか。
「……小梅がおせぇ。まさかやられたか?」
「まだフレンドリストの光は失ってません。ですが小梅には負担をかけすぎています。このままでは時間…の問題かもしれません」
「あーくそッ。一旦降りて小梅を引っ張ってくる。風香は先にそのNPCをーーーー」
ラヴィがそれを言い切る前に、音も無く大穴から黒い影が現れた。
それはスキルで禍々しく発光した、円を描くような曲線の獲物を大きく振りかぶっている。
ナナオ騎士団のアクマだ。
ノノアは息を呑んだ。遠くからでもはっきりと見えるヴァルキュリアのピンチに。
最後まで見届けようと、逸らしそうになった目を大きく開ける。
だが、果たして、その結果はノノアの予想とは違った。
「小梅!」
「ハルカは……殺らせません!」
吹き飛んだのは三人の首ではなくて、一人の片腕だった。直前で小梅が割って入って盾となったのだ。
三人の命と引き換えに、小梅のまだ小さな腕がアクマの斬撃により切断され、ノノアの前まで転がってきた。
切れ目からバチバチと電流が鳴っている。
「っは! ガキが手こずらせやがって。でももう終わったな」
奇襲が失敗に終わったと思えたアクマの攻撃だったが、満足気に言った。
小梅は腕を失い、無理な体勢で割り込んだせいで体勢が崩れ、反撃も防御も行えない。
アクマの狙いはもともと小梅で、三人を攻撃すれば自然とこうなると分かっていたかのだ。
それから間を入れず、アクマは追撃に入る。
スキルが込められた鎌が黒く発光すると、グルンッと鎌が回った。
それは小梅のもう片腕の根元を通過する。
「っく!」
両腕を失い顔をしかめる小梅は、体を捻って蹴りの体制に入る。回し蹴りだ。
そのモーションを見て、アクマはニヤリと笑った。
「おっせーんだよ! バーカ!!」
黒の一閃が見えた。
次には小梅の首が体から離れて飛んでいくのが見える。そのまま頭が窓を破り、外へ放り出される。
その一瞬の一部始終はゲームといえどあまりにも残虐だった。小さな女の子の両腕が切断され、首をも切り落とされる。酷いとしかいいようがない。
それをドクロの仮面の奥で笑みを浮かべでやるアクマに狂気を感じた。
が、その笑みをすぐに歪めることになる。首を飛ばしてもなお、小梅の体は攻撃を止めなかったのだ。
小梅の回し蹴りが綺麗にアクマの脇腹に入る。
そのまま薙ぎ払うかのようにしてアクマは側面の壁に激突した。
壁にはクレーターができたかのように凹みができ、亀裂が入る。
「がはっ! くそッ! これで死なねーのかよ。どうなってんだこのガラクタ」
よろけて後退したアクマが鎌を握り直す。
「ああ小梅……。すまねぇ。まさかあたしが足引っ張っちまうなんて……」
ラヴィのその言葉に小梅の返事はない。
ただ、立つ背中は風香が抱えるNPCを守らんと、アクマの視界を遮るように堂々としていた。
が、出来ることはもう立っているだけだろう。視力も聴力も失った体だけでは、もう戦闘はできない。
「安心して下さい小梅。このNPCは命に代えても守ります。明日、また会いましょう」
「小梅様……」
淡々と小梅の観察をしていたアクマが、残る小梅のHPを見て判断する。
「……こりゃ足切ってもそう簡単には死にそうにねぇな。メンドウだが頭潰してくるか。てめーらの相手は選手交代だ」
それが合図かのように、穴から二人のプレイヤーが上がってくる。玉藻と八雲だ。
でた。大ボスだ。
ノノアもここまで間近に玉藻を見るのは初めてである。
しかしサダルメリクのマスター、ニアはどうしたのだろうか。てっきり同格である玉藻の相手をしていると思っていたが。
「あの牛はどこ行ったのかしら? 翼と服を剥ぎ取って晒しあげたいのだけれど」
玉藻の機嫌はかなり悪いように見えた。薄っすらと顔を赤くして、鼻息も荒い。鋭い目で辺りを見渡している。
牛女? 玉藻をあれ程怒らせる事がある実力者で、そんな名前のプレイヤーがサダルメリクにいただろうか。
いや、いない。きっと悪口だ。だとすると牛女って誰のことだろう。もしかしてニアのことなのだろうか。
それから穴から次々とナナオ騎士団のメンバーが出てきた。
総勢七人。
対してサダルメリクは二人だ。ユピテルは飛んでどこか行ってしまったし、風香は重症のNPCを抱えている。この大穴が開く時から見ていたから、ニアも近くにはいないはず。圧倒的戦力差だ。
小梅もやられ、とうとうサダルメリクは追い詰められた。そんな形だろうか。
穴を挟んで対峙し、睨み合う両ギルド。
その全員が突如、眩い金の光に照らされた。
「っ!?」
自然と全員の視線が空へ集まる。
全ての天井を貫かれたその先には、
青空と、
大きく広がった光輪と、
それと共に飛翔するユピテルの姿があった。
それを見て、彼女がなにか大きなスキルを発動させようとしているのはここにいる誰もが理解しただろう。
目が眩むような神々しい光。それはまさに難易度五のスキル発動であることを物語っていた。
「これは……」
圧倒的な不利の中で、ノノアはサダルメリクが逆転したことを感じた。
穴を開けて三階に来たのはナナオ騎士団を一箇所に集めるため。
しかも城外まで脱出したユピテルは屋根が遮り、一定の角度からは見つからない。
その間に難易度五の膨大な量の詠唱を間にあわせたのだ。
当たれば一網打尽の一撃必殺。ナナオ騎士団を殲滅し、サダルメリクが逆転する。
その兆しにナナオ騎士団がたじろぐ。
「城は壊して構いません! 思いっきりやって下さい!」
「ぶちかませやぁー!」
風香とラヴィがユピテルに叫ぶ。
間もなく詠唱が完成する。
ナナオ騎士団に逃げ場はない。
流石のナナオ騎士団もさっきまでの余裕は消え去り、顔をしかめている。
「八雲! 札を切りなさい! 相殺!」
「は、はい!」
妖術師の二人がスキルを込めた札を取り出す。詠唱なしのズルスキル。今の状況を見直して、玉藻がニヤリと笑う。
このホワイトアイランドで最も強い後衛魔法クラスのプレイヤーは誰か。
その質問を受ければ殆どが五芒星の称号をもつ玉藻と答えるだろう。
しかし、それは総合力だ。
詠唱が最も早いのはと聞かれれば、黎明の剣、早詠みのアーニャ。
そして火力と聞かれれば、サダルメリク、破壊のユピテル。
圧倒的防御力を持つニアが主軸となっているサダルメリクは強気で火力の強化を行なっている。その代表が小梅とユピテルだ。
そのユピテルが最高難易度の魔法スキルを叩き込む。
ナナオ騎士団は穏やかではいられない。
が、それは一対一での話だ。
二対一、しかもLv.110を超える二人だ。いくらユピテルの火力が強かろうと、部が悪い。
上手く立ち回り、難易度五の詠唱を詠み切ったというのに、あっさりと逆転の兆しが摘まれた。
その事に遅れて気づいたナナオメンバーたちが冷や汗を流しながら薄く笑う。
人数の差。それもあるが、ナナオ騎士団でなければこれで勝っていただろう。
なにより相手が悪かったのが、速攻で魔法発動が可能な札持ちが二人もいた事だ。
まさに盤石。ピンチの状況でも答えを用意する。
ナナオ騎士団が最強と言われていたのも頷ける。
妖しく光る二つの札。それが掲げあげられた。
そして、黒紫と白紫の光がユピテルの発動させたスキルと同じほど強まる時ーーーー、
「うぐっ……!」
八雲の膝がガクリと折れた。
苦しそうに胸を押さえて、顔を真っ青にし、小刻みに震えている。
「え……」
様子のおかしい八雲の状態に声を漏らしたのは風香だった。
「……な! ふざけんな……! ふざけんじゃないよ! こんな時にっ!」
隣で膝をつく八雲に玉藻は怒声をぶちまける。
なにが起こっているかノノアは理解できなかった。
それはサダルメリクも、ナナオ騎士団も同じように見えた。理解している風なのは玉藻だけ。
次に八雲からビービーと警告音が高らかに鳴り響いた。
リアルで危険な状態になった時の警告音。
「お、おい……大丈夫なのか?」
「これヤバいんじゃねぇか……?」
流石のナナオ騎士団も動揺する。サダルメリクも八雲の状態に目を張った。
ゲームではない。リアルの冗談では済まない警告音だ。
「これはどうでもいい! 邪魔だからキルして強制ログアウトさせておきなさい!」
だが、玉藻はゲームを優先させた。
「で、でもよ……」
「早く! 早く殺せ!」
玉藻の怒声に押されて、メンバーの一人がキルする。無抵抗の後衛クラスは呆気なくHPを空にした。
「さっさと武器を構えなさい! あんたらあの牛なんかにキルされたらただじゃおかないよ!」
ユピテルの発動させたスキルは止まらない。相手にアクシデントがあろうとも、容赦なく放たれる。
そして、詠唱が完成した。
「ーーーー《ブリューナク》!」
万華鏡の様な輝きが渦を巻き、収束して作られたのは巨大な槍だった。
神々の槍、ブリューナク。
それが投じられる。
大きく、鋭く、穂は五つ。
白い稲妻を纏って降りてくる。
強い発光と共に、天使の歌声のような音が響き渡った。
ブリューナクの降下は緩やかだった。
まるで終戦を知らせるかのように果てしない威圧を放ちながら。ナナオ騎士団めがけてゆっくりと降下していく。
ノノアはそれを目に焼けつける。
最上位プレイヤーによる最上位スキル。
同類の後衛クラスのノノアも難易度五のスキルをこの前取得したが、それとは規模が違う。
難易度五スキルの取得に喜び、慢心していたのをビンタで引っ叩かれたようだった。
ブリューナクの火力により、城の天井を蒸発させるのが見える。
それを見たナナオ騎士団は一層顔をひきつらせた。
それとほぼ同時に、玉藻が叫んだ。
「負けるかああああぁぁぁぁ!」
玉藻のスキルも発動した。
こちらも難易度五の最上位スキル。
現れたそれは禍々しい大きな扉だった。
まるで地獄へ繋がるような禍々しい扉。
それがぎぃっと音を立て扉が開くと、勢いよく無数の黝ずんだ腕が飛び出した。
それらは狂喜に満ちた笑い声を響かせながら、大小様々な腕が踊るようにして伸びていき、ブリューナクと衝突。
不気味な手が張り付くように五つの矛先を掴むと、押し上げようとする。
聖属性と冥属性。対なる二属性の衝突は離れたノノアにも届いた。
踏ん張らないと吹き飛ばされてしまいそうな衝撃波に耐えながら、視界はスキルの衝突から離さない。
玉藻のスキルにより、ブリューナクの降下が止まる。
拮抗した火力のぶつかり合い。
その威力の波動が全プレイヤーを擬似的なスタン状態にする。
火力ならユピテル。
そう思っていたが、さすが五芒星の称号を持つ玉藻。火力勝負でも引けを取らない。
互角。
いや、よく見れば、ブリューナクの穂を掴んだ腕が一本、また一本と消滅していくのが見える。
その度に扉から新たな腕が現れ補強していた。
玉藻のスキルの方が消耗している? やはりユピテルの方が押しているのだろうか。
そう思っているのもつかの間、ユピテルのブリューナク、その五つある穂の一つが砕けた。
なら無限に腕が沸く玉藻のスキルの方が優勢なのか?
光が強いせいで、上空にいるユピテルの顔は見えない。対して、玉藻は歯を食いしばり、厳しそうな表情を作っていた。
よく見れば、掲げられた札が最初に見たのより、半分が燃えて消えている。もしかしてあれが門を開いていられる時間なのだろうか。
穂がまた一つ砕ける。
だが、五つある内の二つを砕くのに、玉藻の札は半分消費している。
やはりユピテルの方が優勢だ。
劣勢とわかると、玉藻の札を持つ力が強くなり、札がぐしゃりと歪む。
五つ尾をピンと伸ばし、眼を見開き、そして物凄い集中力を札に捧げて叫んだ。
「負けるなぁ! 押せぇ! 押し返せええええええええあああああああああっ!」
いつもの余裕を持った玉藻の面影は無かった。
絶対に負けたくない執念か。強い感情を露わにし、その気持ちに答えるようにスキルの発光が増す。
感情、想い、願い。様々な心の熱量がスキルへ影響する。
それはノノアも僅かながら知っていた。
最近知ったことだ。
だが、ここまで影響するものだろうか。
扉から激流の如く伸びる腕が更に増す。
だが、それと同時にブリューナクの光も同じく強まった。
状況は一進一退。依然としてユピテルの優勢だ。
四本目の穂が砕かれる。残り一つ。だが、その最後を残して、黝ずむ腕は穂から手を離した。
ゆっくりと門の中へと戻っていく。
「っぐ………!」
力んで震える玉藻の手には札が残っていなかった。
つまり、ユピテルのスキルが勝ったのだ。
進行を妨げるものは無くなり、ブリューナクは一つの穂を残して降りてくる。
「あ、アレを止めろおおおお!」
玉藻はブリューナクを指差して叫んだ。
玉藻を除くナナオ騎士団は全てが前衛だった。故に、全員が投擲の構えを取る。接近でスキルを放っても手遅れだからだ。
玉藻が相殺しきれなかった残りのブリューナクにスキルを込めた武器が投じられる。
だが、
しかし、それらは何事もなかったようにブリューナクに飲み込まれた。
ブリューナクの最後の穂は健在である。
つまり、
「あ、ああ……そんな、こんな、こんなはずじゃ……」
圧倒的な戦力差を持って、
奇襲をかけて、
負けなんてありえない状況をつくって、
それにもかかわらず、
ナナオ騎士団が敗北する。
そして辺りは光に包まれ。
その結末をノノアは眼を通して録画したーーーー。
はずだった。
そのはずで間違いない。だって、難易度五のスキルが直撃したのだ。ナナオ騎士団のHPが残るはずがない。
が、目の前にある光景はそうではなかった。
ナナオ騎士団のメンバーは誰一人として消えていない。更にいうなら少しもHPが減っていなかった。
確かに決まったユピテルのスキル。
その結果を見た上空にいるユピテルも信じられないといった表情。
一体なにがどうなったのか。
ノノアは確かに見た。
ブリューナクが直撃し、強い光に包まれたのを。
瞬き一つせずにその瞬間を目に収めたはずだ。
ならばと、急いで録画した映像をウィンドウを開いて確認する。
そこに映っていたのは、ブリューナク直撃の寸前、黒い稲妻が落ち、それがブリューナクを砕いていた映像だった。
「双方、運が悪かったね」
それはこの場で初めて聞く落ち着いた声だった。
その声を発した人物は、大穴を挟んでナナオ騎士団と対峙するサダルメリク側の方に立っていた。黒いローブをすっぽり頭から被った怪しげな人物。
ノノアが城に侵入した時に見た、へんてこ二人組の一人だった。
「さて、交渉をしよう。ナナオ騎士団」
突如現れた謎のプレイヤーはそう言って、ナナオ騎士団、サダルメリク、そしてノノア、ここにいる全てのプレイヤーに銃を突き付けた。




