02
むかしむかし、あるところのお話である。
「んーダメだってさ」
赤いヒーローマントを羽織った男が言った。純粋無垢な瞳を持った小さな少年に。少し困った声色で少年の要求をハッキリと断る。
「なんでだ!?」
それに怒るわけでもなく、純粋な疑問を少年は唱えた。
「なんでだって言ってもなぁ……」
困ったように頭を掻く男は小さなギルドのマスターを務めている。名前はスペイド。上位のプレイヤーの間では知る人ぞ知る人物だ。まるで物語の主人公とも思わせる顔立ちをし、凛々しくも優しさを感じる風格は男子から見てもカッコイイと思わせた。
そんな容姿も加味してか、少年はスペイドに憧れを持っているようだ。
「俺、なんでもするからさ! アイテム拾い役でも、回復薬持ち役でも!」
「だいたいお前ギルド入ってるだろ。……冷麺のつるぎ?」
「黎明だ」
「あー。それ。一応かなり強いギルドだったろ? なんでわざわざうちに入りたいんだよ?」
「スペイドさんに剣教えてもらいたいから! 俺もスペイドさんみたいなヒーローになりたい!」
目を輝かせる少年に、スペイドはたじろぐ。なんとか言ってくれよと仲間に助けの目線を送ると、それにやれやれと黒ローブの男が前に出た。
カッコよく着こなした黒ローブの中から男は容赦なく少年を睨みつける。
「テトだったか。悪いがパレンテはメンバーを募集してない。諦めろ」
冷ややかな態度でテトをあしらおうとする黒ローブに、テトはスペイドに向けていた表情を一つ変えずに向け出して。
「クラースさんですよね!? 握手いいっすか!?」
「あ?」
突拍子も無いテトの返しにクラースは眉をひそめる。テトはそれに気づかずか、無邪気にローブの中をまさぐり、無理やりクラースの手を引っ張り出すと、それをテトの小さな両手で強く握った。
「うおー! 俺、スペイドさんの次にクラースさんに憧れてるんだ! あ、手冷たいですね」
「……」
普段からメンバーにも冷たい態度をとるクラースでも、純粋な少年の相手はやり辛いのか、しばらくの間硬直し、ぶんぶん手を振られるのをされるがままになっていた。
終始ハイテンションのテトがクラースの手をやっと離すと、クラースは逃げるように後ろを向く。
「なー、パレンテってメンバー五人だろ? パーティにしたら一人足りないじゃんか」
それは最もなことだった。フィーニスアイランドは六人で一パーティ。二人以上、六人以下がパーティの決まり。当然理想は六人に決まっている。
もちろんそんなことはクラースも百も承知。でも、それ以上の理由があると、クラースは改めてテトに向き直った。
「別に一人足りなくても不自由してない。むしろ弱い奴が入ったら今のバランスが崩れる。雑魚を入れるメリットはない」
さっきされるがままになっていたお返しだろうか。クラースは容赦なく鋭い目をテトに向けると、厳格な理由でテトを突き放す。そんなクラースを見て、他のメンバーは小さい子に対してムキになりすぎと苦笑した。
「俺、強くなるからさ! なら問題ないだろ?」
「強くなるなんて誰でも言える。実際に今、強いかそうでないかだ。それに子供はいらん」
この世界には子供しかいないけど、この世界での〝子供〟は小学生を指す。上位のプレイヤーは高年齢の高校生が大半を占めるため、上位のギルドは様々な経験が浅い小学生を敬遠することが多い。その中でも一握りの例外がいるけど、それを見定めるのは困難だから。
「子供なら俺より小さいのがいるじゃん!」
そう言って、テトは一人のプレイヤーを指差した。
そこには確かに小さい男の子がいた。周りのメンバーと比べると身長が半分くらいしかない。見た目だけでもテトより歳が下と分かるほどの幼いプレイヤーが。
「イトナは特別だ」
「なんでだよ!? どうすれば俺も特別になれる!?」
なーなーとしつこくローブを引っ張るテトに、クラースはうざったそうに大きくため息を吐いた。
「……分かった。良いだろう」
「本当か!? 俺パレンテ入れるか?」
「強ければなんの文句も無い。パレンテメンバー誰か一人に決闘で勝ってみろ。そしたら加入を認めてやる」
「やった!」
もう勝った気でいるのか、テトは両手を上げて喜ぶ。その傍ら、他のメンバーは憐れみの表情を作っていた。
「ちょっと可哀想じゃない? あの子、前のレイドに参加してた子よね?」
桜色の綺麗な長髪をした女のプレイヤーが、横の赤髪の男プレイヤーを肘でつつきながらテトに聞こえないように言う。
「そうだったか? よく覚えてるなコール。俺は全然覚えて無いや」
普通、ダンジョンボスモンスターへの挑戦権は一つのパーティとされている。そのせいでボス挑戦権の順番決めでパーティ同士での争い事が起こることがある。特に未攻略ダンジョンの最前線にいるパレンテにはよく起こるイベントだ。
そしてボス部屋前でかち合うギルド決まって三組。パレンテ、黎明の剣、サダルメリク。
いつもなら挑戦権を争って勝ち負けがあり、どうしてもギスギスしている三ギルドだったが、この前初めての三パーティで挑むいわゆるレイドボスに当たった。
普段ならボス攻略の順番を決めるために三ギルドで決闘が行われるところ、レイドボスという事で初めて共同攻略が行われた。互いに初めて見るボス攻略スタイルに、学ぶ事が多く、噛み合わない戦闘だったのはパレンテメンバー皆記憶に新しい。
きっとテトは毎回行われるボス挑戦権を賭けた決闘と、レイドボスでのスペイドを見て憧れを持ったのだろう。
「イトナは覚えてるか?」
「……うん。一番攻撃してた。一番ダメージもらってだけど」
「あ、あー……ちょっと思い出してきた。アレだ。サダメリに小さい子いただろ。その子の気を引こうとして頑張ってたやつだ」
「ふーん。それは知らなかった。そいうとこばっか見てるわねカロは」
カロの人間観察に少し感心するコール。そして、自分に素直で好感が持てただけに、尚更テトの事を可哀想に思うコールだった。
「確かにクラースの条件じゃ加入は難しい……てか無理だな」
レイド戦でテトの実力を見限ったカロが断言した。
「でしょ? なんか言ってきてよ。クラースの意見を曲げるのカロの仕事でしょ」
「んや、意地悪だけどクラースの条件が一番分かりやすいよ。ギルドは近い実力じゃないと楽しめない。特にうちは小さいから尚更だ。テトを入れて、全員テトに合わせてもしょうがないだろ? かと言って俺達に合わせようとしてもついて行けずにテトが一人ゲームオーバーになる。お互い楽しくないよ」
「それはそうかもだけど……」
そんな話をこそこそとしていると、三人の方へ向かってテトが歩き始める。
そして目の前まで来ると、堂々と指を指して宣言した。
「じゃあ俺、こいつと戦う!」
指名されたのはイトナだった。ここにいる誰もが当然の選択だと思う。だって一番小さいし、見た目一番弱そうだから。その指名に誰も文句を言わなかった。
「よし。分からせてやれイトナ。間違ってでもわざと負けるなよ?」
「……」
クラースの念押しにイトナは頷いて答えると、黙ったままメンバーから離れる。決闘を行うスペースを空けるためだ。
「よろしくな!」
その途中、後を追ってきたテトに無邪気な挨拶をされてイトナは少し動揺した。勝てると思われて指定されただけに、多少は見下したような言葉がかけられると思っていたからだ。
これから負かさなきゃいけない相手ということもあって、イトナはやり辛そうに首を縦に振って挨拶を返した。
程よい距離まで移動すると、イトナは慣れた手つきで決闘のウィンドウを操作し、テトに申請を送る。
ルールはシンプル。時間は十分。その間に相手のHPを空にするか、全体HPの割合から見て多くダメージを与えていたプレイヤーが勝者になる。
パレンテのメンバーが見守る中、決闘は始まった。
「うおおおおおお!」
開始と同時に、テトは元気よく叫びながら突進してきた。そのまま大振りな垂直斬りが放たれる。それをイトナは一歩だけ動いて避けた。
剣に振られているような拙い一撃は勢い良く地面に突き刺さる。
「おいしょっ!」
避けられたことにめげずに、テトは再び剣を持ち上げイトナに斬りかかる。
「おらああああ!」
一歩動いて避ける。そしてまたテトの剣が地面に刺さった。
「なんの!」
土を撒き散らしながらまたテトは攻撃を繰り返す。
何度も何度も。
諦めずに、一回の振りに全力を込めて、テトは攻撃を続けた。
結果、緑の絨毯が広がっていた辺りは、テトによってひっくり返された土が顔を出し、それがテトの稚拙さを語っていた。
「くそー……」
テトが額に滲む汗を拭い、肩で息をし始める頃には決闘も終わりの時間が近づく。
一方、テトの周りを歩いていただけのイトナは息を乱すことはない。無表情のままテトの次の動きを見ていた。
残り時間五秒。差し迫る終了の時間。お互いのHPに一つの変化もない。圧倒的で一方的な試合なのに、イトナは武器を一度も抜いていないからテトもまた無傷である。
最後の一撃。それも今までと同じ、単純で最初の一撃となんら変わらない、成長皆無な垂直斬りがイトナへ向けられた。
この時、イトナは心中で思っていた。この人は、このテトというプレイヤーはゲームに向いてないと。
良いところは言えば、真っ直ぐで一つ一つに全力なところ、諦めないところ。想いが実現するフィーニスアイランドでは、とても重要なことでゲームが上手いプレイヤーのほとんどが持っていないものをテトは持っている。
悪いところは学習がない事。なんで攻撃が当たらないのか、どうすれば攻撃が当たるようになるのか。テトは何も考えていない。これは致命的な欠点で、ゲームの最上位では最も差が出る部分だからだ。
中の上、または上の下辺りのプレイヤーは考えるよりも、知識として取り入れてる部分が多い。最上位のプレイヤーを見たり、公開された情報で成長して行く。新しいものを生み出さず最上位が出した結論を真似する。それはどうしても最上位の劣化となり、最上位に勝ることができない。
多分、頑張ってもテトのたどり着けるのはそこまでだろう。
今のパレンテはホワイトアイランドの最上位に位置するギルドだとイトナは思っている。実際に手合わせして、カロがさっき言っていたように、テトをパレンテに迎えてもお互いに幸せになれないと思った。
残り時間三秒。テトが振り下ろす最後の攻撃を今までと同じように避けて、イトナは初めて武器を抜くと黒く光る銃口をテトの顔へ向けトリガーを引く。
残り時間ゼロ秒。イトナの攻撃はテトの頬を掠め、微かにHPを削った。
「っ!?!?」
突然のイトナの反撃に驚いたのか、決闘終了と同時に、テトは盛大な尻餅をつく。
数値だけを見れば僅差。でも試合を見れば途方もない実力の差を見せつける内容だった。イトナはまだ驚きが残るテトの顔を一瞥して、クラースと入れ替わるようにメンバーの元へ戻った。
テトの前に浮かぶ負けを知らせるウィンドウを挟んで、クラースはテトを見下ろす。
「これで分かっただろ。お前じゃパレンテに入るのは無理だ」
イトナに精神的に打ちのめされ、クラースは追い打ちをかけるように冷淡な言葉を送る。
これで分かったはずだ。パレンテ入るほどの実力が著しく足りない事を。パレンテのメンバー誰もがそう思うと同時のことだった。
「すげー……………すっげーーー!?」
テトは盛大に声を上げると、飛び起きてイトナの元へ走った。
「お前めちゃくちゃ強いな!? 最後狙ったのか!? わざとちょっと当てたのか!?」
「え、う、うん」
落ち込むどころか、何故か喜ぶテトにイトナも反応に困る。それ以上にクラースだ。止めの一撃を言い放ったつもりなのに、無視され完全に硬直してる。
「クラースが翻弄されてるな……」
「この子大物になるんじゃない?」
「ええい! 勝負はついたんだ。帰れ!」
いつも冷然なクラースの言葉に熱が入り、強引にテトを払おうとする。
「次、このねーちゃんとやる!」
「は? 次?」
「だって勝つのは誰でもいいんだよな? ならこのねーちゃんになら勝てるかもしれないじゃん」
クラースは誰かに勝てばいいと言った。でもそれ以外なにもルールに乗せていない。回数制限も時間制限もない。最悪テトの心が折れるまで続く。
「好きにしろ」
それからパレンテはテトに長い時間付き合わされた。コールに光の裁きを受け、カロに俊速の槍で貫かれ、クラースの重力魔法に潰され、スペイドの剣にひれ伏された。
どの決闘も圧倒的な結果で、何回挑んでも結果は変わらないと誰の目から見ても分かった。それでもテトは顔色一つ変えずに次の対戦相手を指差す。
「名前イトナって言うんだよな? もっかいやろうぜイトナ。次は一発当ててやっからな!」
その前向きさにクラースはげっそりし、他のメンバーは苦笑いした。
「あーわかったわかった。俺らの負けだ」
そこでスペイドが音をあげた。
「マジ!? 俺パレンテ入っていいか!?」
「おい!」
スペイドが折れたのをクラースが止めようとする。それをスペイドが腕を横に上げて制した。
「いや、決闘に勝ってないからパレンテに入れることはできない。俺に剣を教えてもらいたいんだろ? なら俺の弟子にしてやる」
「マジでか!?」
「ああ、空いてる時間見てな。それなら問題ないだろ?」
「…………個人で面倒見るなら文句ない」
クラースは少し考えてスペイドの提案に頷いた。このまま続けても終わらないと思ったのだろう。
「その代わり決闘は一日一回まで。何回もやられてたら俺らの時間がなくなるからな」
「わかった!」
これがテトとパレンテが関係を持ったきっかけ。
それから毎日のようにテトは顔を出してきた。スペイドに剣術を教えてもらい、メンバーの誰かと一試合する。それがパレンテの日常になった。
テトの〝強くなりたい〟という言葉は本物だった。剣術は勿論、嫌いな勉強も頑張っていたから。勉強と言ってもモンスターの攻撃パターンとか、初見モンスターとの戦い方とか、ダンジョンで気をつけることとか、ゲーム知識だけども。
特に剣術に関しては人並み外れた努力を重ねて、日に日に腕を上がるのが目に見えて分かった。
やがて実戦を通して考えることも覚えることになる。パレンテメンバーの使うスキルを覚え、多用するスキルに対してどうすれば有利が取れるのか。自分なりの答えを出して決闘でそれをぶつけ、成長していく。
パレンテメンバーの誰かに一勝。その目標が近づいてきたと思う頃、イトナ以外のパレンテメンバーが卒業する日もまた近づいていた。
そして卒業の日。
パレンテのメンバーは最後のクエストに挑もうとイニティウムの集会所に集まっていた。
グランド・フィスティバルですっかり有名になったこともあって、普段誰も近寄らないS級ボードの前にいるパレンテメンバーを囲うようにしてギャラリー達がクエストの依頼書を剥がすのを見守っている。
スペイドが依頼書に手を伸ばすと、それを見たプレイヤー達がどよめきを漏らす。
「白の世界樹取ったわよ」
「無理だろ。適正Lv.200だぞ」
「いや、あいつらならやるかもしれない。Lv.130の白骸を倒した時はまだLv.100くらいって聞いたぞ。格上でも攻略しちまうかもしれん」
白の世界樹の攻略はホワイトアイランドプレイヤーの悲願でもある。終わりあるゲーム、フィーニスアイランド。その終点と思われる白の世界樹の攻略に成功すれば、何かが起きフィーニスアイランドのサービスが終了すると誰もが推測している。
サービス終了を嫌がるプレイヤーもいるが、卒業するまでに終わりの瞬間を見たいと思う人もまた多い。
特に卒業間近のプレイヤーにとって、これ以上とない目標のクエストだろう。
「師匠! 師匠ー!」
「お、来たな」
パレンテを囲む人の柵を掻き分けて現れたのはテトだった。毎日の恒例イベントだけあって、テトを自然に迎え入れる。
「今日は絶対に勝ちます」
らしくない神妙な面持ちで登場したテト。この挑戦ができるのも今日で最後だからだろうか。真剣な眼差しをスペイドに向ける。
「いいのか? 黎明も今頃お別れパーティ的なのやってるだろ。抜け出してきたのか?」
「今日から俺はパレンテのメンバーですから」
力のこもった声でテトが答える。
「じゃあ場所変えるか」
「いえ、ここでお願いします」
集会所のど真ん中。街の中ではあるが、ちゃんとした決闘であれば可能ではある。
しかしギャラリーが多い。パレンテのメンバーはもちろん、テトも黎明の剣代表メンバーでグランド・フィスティバルにに出場したプレイヤー。テトが剣を抜き構えると、決闘の香りを嗅ぎつけたギャラリー達ががより一層興味を持って集まってくる。
「俺、本番に強いので」
本番とは大会などの決闘を指しているのだろう。確かにテトは大会での戦闘は普段より一回りキレているように見える。このギャラリー達を利用して擬似的な大会に見せかける考えだ。スペイドは一瞬考えてから頷いてそれを了承した。
「誰とやる?」
「師匠で!」
即答でスペイドを指名する。
予想通りの指名に、スペイドは笑みを漏らすと決闘の申請を送った。
「おいおい凄いの始まんぞ! パレンテのスペイドと黎明のテトの決闘だ!」
一人のプレイヤーが叫び、ガヤガヤと野次馬が増えていく。
集会所はプレイヤーがよく集まる施設。こんなところで決闘を始めれば場所を取り、周りからは非難が飛ぶのが普通なのだが、好カードという事あってか今回はその限りではなかった。
決闘の準備時間。スペイドは早々にOKボタンをタッチし、テトを待つ。
テトは目を瞑っていた。集中力を高めるかのように、これから行われる最後の師弟対決をイメージしているのだろうか。
ゆっくりと呼吸を整えているうちに、テトの準備完了を待つウィンドウが姿を消す。全ての時間を使って、万全なコンディションを整えると、テトはゆっくり目を開けた。
「よろしくお願いします!」
÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷−÷
剣が重なる音が幾度も鳴り響く。
お互いに相手の全てを知っているとあってか、剣がダメージを与える判定に届くことがない。
毎日、心折れることなく、ひたむきに挑んできた。そんなテトの背景を知らないプレイヤーをも無言にさせる決闘だった。
ステップを踏み、音を奏でる。まるでここが演奏会に変わってしまったかのように、集会所の雑音が消える。
一つ一つの動きが力強い。美しく、洗練され、息を飲む攻防は見る者全てを魅了していた。
スペイドのクラスはヒーロー。剣を扱うテクニカルなクラス。
対してテトは勇者。ヒーローと近しいクラス。諦めず、真っ直ぐなテトに与えられたクラスだ。
師弟であり、クラスも、スキルも、剣筋も、何もかもが似たプレイヤーの戦いは、まるで同じプレイヤー同士が戦っているかのように見えた。
スキルを織り交ぜた剣撃が徐々に激しさを増す。
難易度一のスキルが難易度ニのスキルへ、そして難易度三へ変わっていく。
スキル難易度の変化の主導権はスペイドが握っていた。全く互角の戦い。でも、テトは合わせる側であった。
それに気づいているのは刃を重ねる二人と、パレンテのメンバーのみ。
このまま行けば、テトは勝てない。
合わせていてもスペイドから一本取ることは叶わない。
静かでもあり激しい音を鳴らす集会所の中、そんな試合を見て大きく舌打ちしたのはクラースだった。
「相手に合わせるな! 自分のペースを相手に合わさせろ!」
それはテトに向けた発言だった。
テトからの決闘は受けても、一切のアドバイスを与えなかったクラースが叱咤する。
「そうだ! 足さばきはお前のが上だろう! 俺が教えたんだからな! 得意を押しつけるんだ!」
続いてカロが両手でメガホンを作って激励を送る。
「もっと思い切って! 私とイトナくんの攻撃避けられるようになったじゃない! スペイドなんかの攻撃なんて当たらないわ、もっと踏み込んで!」
コールも応援した。一度も勝ったことない相手から負癖を振り払うかのように、テトの強みを伝える。
もう、それくらいの差なのだ。スペイドとテトの差は。気持ち一つでテトの勝ちが見えている。それをパレンテメンバーが気づかせてあげる。
なんだよ。まるで俺が悪役じゃねーかと仲間達の応援を聞いてスペイドがニヤリと苦笑した。
そして風向きが変わった。そんな気がした。それは些細な変化で、気づいたのはこの場でテトだけだろう。
憧れのパレンテメンバーからのエールでほんの少し、強気になれた。それだけの変化だから。
俺のが強い。そうテトは自分に錯覚させた。
大きなステップを前に踏み込む。強気の一手。
ダメージが無くて焦ったわけじゃない。それは確信のある一歩だった。
今まで合わせてきていたテンポを急に崩され、スペイドに微かな迷いが生じる。
テトは三の難易度ではなく、二の難易度のスキルを発動させてきたのだ。
スキル再発動のクールタイムがあるため、限りある発動可能なスキルは貴重。ワンランク下のスキルで対応されれば、それは大きなアドバンテージになる。
例えば今がそうだ。スペイドが三のスキルを出し、テトが二のスキルで対応したならば、テトはスペイドの三のスキルを一種類使わせたことになり、三のスキル数の差をつけることができる。
スペイドは瞬時にそれを嫌った。
スペイドは難易度ニのスキルを遅れて発動し、掬い上げるようなテトの剣を弾こうとする。
ここで初めてスペイドは選択を間違えた。
激しく、速い剣撃の中、その一瞬の迷いがスペイドの想定を裏切る。
裏切ったのは勢い。スペイドとテトが発動させたスキルの火力は同等。でも、勢いに乗る時間に大きな差が出たのだ。
スペイドの剣はテトの剣に弾かれ、大きく仰け反る。初めて取った有利攻撃にテト自身驚きながらも、その大チャンスを逃さなかった。
勢いで勝ち、上に流れる剣を無理やり操作しようとせず、重心を乗せて思いっきり回し蹴りをぶちかました。
「っぐお!」
武器でも、スキルでもないテトの攻撃はスペイドの腹に直撃し、確かなダメージを与える。
何度かスペイドにダメージを与えたことはあったが、ここまで綺麗に入った一撃は初めてだった。
初めて動いたHP。勝ちへの一歩を進めたのは弟子の方だった。
「よっしゃー!」
「やった!」
カロとコールが喜び、クラースも周りに気付かれないように拳を作った。それらが後押ししてから遅れて初めて実感する。
勝てるかもしれない。
そう思うと、少し手が震えた。大きなことの達成を前に、テトの気持ちが焦る。
この時、テトはこう思っていた。
たまたま取れた一本かもしれない。
なら、このまま終わりたい。
早く、終わらせたい。
早く、勝ちを決めたい。
勝ちはテトに傾いている。なら、それなら多少強引に押し切れば勝てるんじゃないのだろうか?
いける。
勝って、パレンテに入れる。
そう思った。
シンプルで、簡単な勝利への道がテトを誘惑する。
数年も前から夢見ていたパレンテに入れる。それがたった一日だったとしても夢が叶う。
夢が膨らみ、それが後押しする。
テトはそれを実行した。
テトの蹴りによってよろけるスペイドに畳み掛ける。
そして、なりふり構わず高難易度のスキルを発動させた。
《一刀断魂》。隙が多くも、高火力のスキル。これで一気に終わらせてやる。
そのつもりだった。
スペイドはよろけ仰け反る体勢のまま、後ろに宙返りする。ヒーローのクラス故の身軽さ。つまり、テトから見て大きく後退した。
「な!」
それはテトの予想にはなかったもので、発動させたスキルの範囲外に逃げられたことを意味した。
次にミスをしたのはテトだった。それも簡単で、普段のテトなら選ぶことのない愚行。
綺麗に避けられた後、スキル後の硬直時間にスペイドの丁寧な剣撃を貰った。
難易度ニくらいの隙のない攻撃。それがテトのHPを大きく減らす。
「っく……!」
そこでテトの目が醒め、ついさっき犯したミスに絶望した。
はとテトは自分のHPを確認すれば、大きくニ割ほど削られている。
さっきテトの与えたダメージは一割も削っていない。
大きく逆転されていた。
次に時間を確認する。十分あったタイマーはちょうど分の値が消えるところだった。
残り一分。
まだ、時間はある。
まだ、チャンスはある。
そう思っていた時間が驚くほどあっという間に無くなった。
タイマーを見ればさっき見た時の半分も無い。
それからは時間が過ぎるにつれてテトの顔が歪んでいった。
途中からは嗚咽のような声が漏れる。
それはパレンテのメンバーに初めて見せる顔だった。
「テトくん……」
コールの心配そうな声が聞こえる。
今まで、テトは負けてもなんとも思っていないような素振りを見せてきた。
心のどこかで負けて当然と思っていたのだろう。
自分より強い人だから憧れたのだ。勝てなくて当然と。パレンテと出会ってから最初の頃はそう思っていた。今は勝てないと。
でも今は違う。勝たなければいけない。負ければ終わり。ラストチャンス。
それを些細なメンタルの弱さで失ったのだから。悔しくないわけがなかった。
ほぼ確定した絶望の中、テトは諦めなかった。といっても無茶な攻めをするわけではない。
先の過ちを強く心に刻み、堅実に攻め続けた。
涙を流しながら。剣を振るった。
スペイドとテトの実力はほぼ互角だろう。それだけに、ダメージのない攻防だけが続く。
そして。
そして、終わりの音がなる。
結果はテトの負けだった。
「うっ……あぁ……」
テトは膝から崩れ落ちた。今までで一番悔しい試合だった。最後で一番惜しい。最大のチャンスだった試合で、敗因が油断だったのはテト自身許せないことだった。
普段と様子が違うテトにスペイドは困り、パレンテのメンバーは冷ややかな視線をスペイドに送る。
なんて声をかけるか困り果てているスペイドに、テトは両手を地に着いたまま俯き、泣きながら言った。
「あり、とうございました……!」
感謝した。
最後まで手を抜かないでくれたスペイドに感謝した。
もし手加減されて勝っても意味なんか無いから。
そして何より弟子にしてくれたことを感謝した。こんなワガママなクソガキを見捨てずに剣を教えてくれて。
涙は負けて悔しいからが半分。もう半分は、もう会うことができないからだ。
ここはフィーニスアイランド。終わりがあり、卒業のあるオンラインゲーム。現実じゃない。
ゲームの繋がりが断たれれば、それは永遠の別れと言ってもいいだろう。
だから、テトは別れに涙した。
別れは思っていた以上に寂しい。
「……強く、なったなー」
不器用にスペイドが言った。テトの様子を伺うようにして目の前でしゃがむのがわかった。
テトは今の自分をあまり見て欲しくなかった。負けて、惨めに泣いてる姿なんてカッコ悪すぎるから。
理想はスペイドに勝って、胸を張ってパレンテに入って、これから行く最初で最期のクエストに挑んでから誇らしくお別れをしたかった。
でもそれはもう叶わない。だから今はただテトは頭を下げて顔を隠す。
「俺は、この世界でここまで強くなった。すげぇよな。剣士クラスの中じゃ一番って言われた。でも、ここまでだ。……ここで、終わりだ」
そこでなにか、大きい布のようなものが背中にかけられるのをテトは感じた。
「……?」
「テト、お前はもっと強くなれる。だからこれを譲ろう」
かけられた布を握って手繰り寄せると、それは真っ赤なマントだった。
スペイドのトレードマークでもある高価な装備アイテムがスペイドの背中から外され、テトに装備されている。
「こんなの、貰えません……」
「終わる俺が持っててもしょうがねーだろ。その代わりに、二つお願いしていいか?」
「お願い、ですか?」
すると、スペイドは顔を近づけ、周りに聞こえないように小さな声で言った。
「イトナを頼む。俺たちが卒業したら、一人になっちまう」
スペイドたちの卒業のことで頭がいっぱいですっかり抜けていた。今日の卒業でパレンテにはイトナしか残らないことを。
「と、当然。言われなくてもイトナは友達ですから!」
「それが聞けて安心した」
スペイドが立ち上がって、テトを見下ろす。
「でもまぁ、これからこのゲームを終わらせに行くけどな」
さっきクエストボードから剥がした一枚のクエストをテトに見えるように広げる。
「白の世界樹……」
「二つ目の約束。失敗するつもりはないが、もし明日もフィーニスアイランドが続いていたら、もし俺たちがクエスト失敗したら……。テト、お前が成功させてくれや」
それを聞いたパレンテメンバーがスペイドを睨む。挑む前から失敗したことを考えているからだろうか。スペイドはそれにひやひやしながら話を続ける。
「……い、イトナと一緒にな。そしたらまぁ、なんだ。嬉しいだろ。俺が失敗しても、俺の伝えた剣が成功したらさ」
「ま、任せてください! 俺、もっともっと強くなって、師匠より強くなっていつかイトナと一緒に……!」
「おう!」
テトの頭を乱暴に撫ぜ、スペイドは集会場の出口を向く。
「じゃあな」
「ありがとうございました!」
それがスペイドとテトの別れの言葉だった。それからテトの背中をクラース、カロ、コールが叩いて去って行く。
最後に見た最難関ダンジョンに向かうパレンテパーティはめちゃくちゃカッコよく、テトの目に焼き付いた。
四章01話に挿絵を追加しています。




