01
薄暗い洞窟の天井から幾つもの鍾乳石が垂れ、それを伝い落ちる雫が地に溜まる水に波紋を起こす。
見渡せば、動き回るには十分な広さがある洞窟の最奥。そこで男は囁くように小さな声でスキルの詠唱を紡いでいた。
「ーーーー《フォース・コンヴィクション》」
その男の震える声で、少女は朦朧としていた意識がはっきりと覚醒した。
ここは水が滴る洞窟の奥深く。
ところどころ水たまりにが出来ているこの場所は、とあるダンジョンの隠しボスルーム。
現在はボスも討伐され、辺りにはダンジョンギミックでもある醜いカエルが、ぴちゃりぴちゃりと音を立てて飛び跳ねていた。ここのボスモンスターはこのカエルを食べてHPを回復させるのだ。
そんなダンジョンの奥深くに、二人のプレイヤーがいた。
今さっき意識を戻した少女と、スキル名を口にした少年。
その二人の立場は一目瞭然だった。
硬く、高価な武器をも作ることが可能な鉱石をリングに加工し、それが幾つも連なった鎖がダンジョンの壁から少女の首元まで伸びている。それと同等の物が、両手両足にも繋がれていた。
少女は囚われの身だった。
そんな完全に身動きを封じられた少女を見下ろす少年。
捕らわれた側と捕らえた側。はっきりと分かる立場に。状況が分かるや否や少女は震えた。
「な、なにここ……。だ、誰?」
少女は周りを確認した。
ここはダンジョン。少女が自ら足を踏み入れ、攻略に挑もうとした場所である。でも、今の少女にはその認識は無かった。
少女はいきなり未知の場所に連れ込まれたかのように、驚いた様子でしきりに周りを確認している。
現実離れした空間。
見たことの無いカエルのような生物が飛び跳ねている。
少女の目に映る光景はまるでファンタジー世界、そんな風に思っている顔だ。
実際、ここはゲームの世界なのに、少女はこの場所を現実世界と思い込んでいた。いや、強制的に思い込まされていた。この少年のスキルによって。
「あぁ……な、なななるほど、そうなるのかぁ。なるほど、なるほど……」
少年は少女を舐めるように観察すると、震える声でそう言った。今の彼女の発言と行動でなにかを理解をしたかのように。それを嬉しく思ったのかニタニタと笑いながら少女を見下ろすと、噛んでギザギザになった爪の先で少女の頬を撫でた。
少年の不気味な笑みがより一層少女の恐怖を引き立て、体が震える。
「助けて……」
少女は助けを請う。
「ごめんなさい……」
少女はなぜか謝る。決して少女に非などないのに。
非があるのは圧倒的に少年の方なのに。
そんな少女の言葉に、少年は満足していた。
「いぃぃ、いい……! とても、とととてもとてもいいよぉ。やっぱり女の子はいい……!」
震えた声で喜ぶ異常な少年が無表情な眼球で少女の顔を覗き込む。少女はそれに恐怖で涙した。
恐怖の理由は至ってシンプルだ。この見知らぬ狂った少年に捕らわれ、知らない場所で身動きを封じられている。恐怖の理由はそれだけで十分だ。
「質問」
「……え?」
「質問してい?」
口元の笑みをピタリと止めて、少女に質問した。眼鏡をかけた細面の堀が深い少年の顔が更に近づけられる。
少年の無表情かつ、仄暗く深い黒色をした眼孔を向けられ、恐怖した少女は慌てて何回も首を縦に振った。首に繋がれた鎖がジャラジャラと音を立てる。
「ここはどこですか?」
低いトーンで彼が言った質問に、少女の口は躓いた。
答えがわからないからだ。回答を間違えたらなにをされるか分からない。そんな恐怖に押しつぶされながら、掠れた声で少女は謝罪した。
「ご、ごめんなさい……わかりません……ごめんなさいっ……!」
涙を流しながら謝罪する少女を見て、少年は少し笑ったように見えた。
「じゃあ名前は?」
「高橋です!」
答えられる質問に、少女は即座に答えた。
「下の名前は?」
「み、美希です!」
「みきちゃんかぁ……」
少女のフルネームを聞いて、少年はニタリと笑った。
ーー成功だ。
少女は自ら入ったダンジョンを答えられない。更に名前聞けばプレイヤーネームを言わずに、本名を名乗った。少年は自分のスキルが成功したことを確信する。
ーー完全に現実だと思い込んでいる。
少年の求めていたスキルが完成した瞬間だった。
「やった……! やったんだ! やっとだ! ここまで長かった……!」
狂ったように歓喜する少年は、更に恐怖する少女の姿を見て嬉しそうに興奮した。
少年は恐怖が好きだった。
特に女の恐怖する顔が好きだ。とても心が高ぶり、満たされる。
そして、少年は恐怖に拘りがあった。少年の求める完璧な恐怖は仮想世界には無い。だって、仮想世界の恐怖は所詮仮想だからだ。どんなに怖いことがあっても、どんなに恐ろしいことがあっても、仮想だと思ってしまえば、その恐怖は薄れてしまう。
少年の思う理想の恐怖は現実にこそある。でも現実では許されないことだ。
例えば今目の前の状況こそがそうだ。現実世界で同じように女の子を攫い、身動きを封じて、恐怖を与える。こんなことをしてしまえば一発で刑務所行きが決まってしまう。
だから考えた。少年はこの無法地帯の仮想世界で理想の恐怖に辿り着く術を。
そして手に入れた。強い心があれば、強く願えば叶えてくれるこの不思議なゲームの世界で。
「じゃ、これはどうかな?」
少年は一本のナイフを取り出す。それを見せびらかすように少女の目の前で泳がしたら。
「な、なにを……」
「こ、こうするのさぁ!」
ナイフを容赦なく少女の腕に突き刺した。
「いやぁっ! 痛いっ! 痛い痛い痛い痛い痛い!」
少女が絶叫する。ゲームの世界で、それほどの痛覚なんて無いはずなのに、確かな激痛が少女を蝕む。
そして、切り裂いた少女の腕からは、真っ赤な液体が溢れ出てきた。まるで、トマトケチャップの容器にナイフを入れたかのように、どっぷりと。
それを見て、少年は夢中になった。初めて出会った圧倒的に理想に近い恐怖を見て、無我夢中でナイフを刺し続けた。
刺して刺して刺して刺して刺して、刺し続けた。
この不思議な世界は強く思えば、確信すれば叶えてくれる。言い方を変えれば、実現する。
現実だと思い込まされている少女も例外では無い。少女が刺されれば痛いと確信しているならば、刺されれば血が出ると確信しているならば、それは実現してしまう。
全てが少年の思った通りになっていた。
やがて泣き叫ぶ少女の声と共に、ビービーと警告音が鳴った。現実世界のプレイヤーが危険な状態になると鳴る警告音だ。こうなってしまうと、プレイヤーは強制的にログアウトされてしまう。
少女の身体が強制的にこの世界から離れ、突き立ていたナイフが宙を切り、ダンジョンの壁に当たる。
「あー……最高だ。最高すぎる……!」
手に残る生々しい血を見て少年の興奮は絶頂を迎えていた。
「このスキルがあれば、俺は神だ……! なんだってできる!」
そう思えば笑いが込み上げてきた。
が、それをぐっと我慢する。
「いや、俺は神じゃない。この力は神様が与えて下さったものだ……」
自分の過ちを反省し、ダンジョン奥に作った祭壇に跪坐く。
「神様の教えが実りました。有難き……有難き幸せ……」
少年は手を合わせ、神に感謝する。その感謝の言葉に反応して、祭壇の奥から小さな影が動いた。
「よく出来ました。見ましたよあなたの成果」
「あ! ああ! 有難きお言葉!」
「でも慢心してはいけません。あれは心操の初歩にすぎないのですから」
「精進いたします」
「しかし、そうですね。貴方はだいぶ優秀です。素質があるのですね。このままいけば思ったよりも早くイトナに会えそうです。今はスキルの成功を喜びましょう」
そう言って、祭壇から神と崇められる物が姿を現わす。
それは人形だった。
綿を詰められて作られた小さな女の子が持っていそうな人形。
目はボタンがとめられた簡素な作りだが、服は丁寧な作りで、黒く何重にもなったフリルのスカートを身につけていた。
高貴を感じさせる服装。だが、薄汚れ、所々が破けている。
その人形の口が表情を作るかのように三日月型に伸びた。
「笑って、喜びましょう」
それに合わせて少年の口元も三日月型に歪めて笑った。
ケラケラと、周りのカエルと合唱するかのように、少年は笑った。
ケラケラと。
ケラケラと。
3章と同じく、少し時間を空けてから投稿を開始します。詳細は活動報告に書きましたので確認してもらえればと思います。




