07
「うん!」
鏡に映る自分の顔。一時間かけた化粧の出来栄えにニアは満足して頷いた。
薄い、ナチュラルな化粧。多分イトナは気づいてくれないだろうけど、好きな人には少しでも可愛く見てもらいたい。そういう気持ちが込められている化粧だ。
髪のセットも大丈夫。服もオーケー。装備のバックラーも昨日装備屋で綺麗に磨いてもらった。
「よし!」
本日数度目のチェック。デートの準備は完璧。ニアは万全を期して部屋を出る。
最上階に位置する自室から階段を軽やかに降りて、何人かのギルドメンバーと挨拶を交わしながらエントランスホールまで来る。
すると、珍しいプレイヤーと鉢合わせた。
「あれ、風香」
「今日は随分と気合いが入っていますね。お出かけですか?」
黒い綺麗な髪に尖ったエルフ耳。和の軽装を纏ったプレイヤー。
彼女の名前は風香。大人びた顔立ちで、ニアから見ても羨ましい美貌を持っている。
サダルメリクの代表パーティ、ヴァルキュリアメンバーでもある風香の実力は言うまでもない。それに加えてユピテルと同じ最年長の十七歳高校三年生である。サダルメリクの中では一番落ち着きがあって、的確な意見もくれる頼りになる仲間だ。
本来ならユピテルではなくて風香にサブマスターをしてもらいたかったけど、「私よりもユピテルが適任です」と言われ断られてしまった。
風香に言われた通り、実際にユピテルにサブマスターを渡してみて良かったことも多かった。
ギルドは大きくなるほど上位プレイヤーの意見が正義となってしまうことが多くなる。特にサダルメリクはプレイヤーのレベル層の幅が多い、レベルの低いプレイヤーは意見を言い辛くなってしまう。
だけど、ユピテルの緩い性格のおかげか、レベルの低いメンバーからもユピテルを通してたくさんの意見を聞くことができている。
そんなニアよりもギルドのことを理解している風香はあまりギルドホールに顔を出すことが少ない。
「風香も珍しいじゃない。ホールに戻ってくるなんて。なにか用事?」
「実はニアに少し話がありまして」
どうやらニアに用事だったようだ。念話で済ませないでわざわざ顔を出すところが風香らしい。それに、改まった口調からして、だいぶ重要な話のように見える。
でもちょっと困った。これから出かけるニアにはあまり時間がない。
「ごめん風香、これから外せない用事がーー」
「ふえ?????ん! 助けてニアちゃーーーん!」
ニアの声を遮ったのはユピテルの声だった。
ニアと風香が悲鳴じみた声の方へ向くと、エントランスホールへ続く階段を慌しく、そして危なかっしく駆け降りるユピテルの姿があった。
「ちょっと、ユピテル危なーー」
「ふぇっ?」
ニアが言ってる側から長いスカートの裾を踏みつけて、バランスを崩すユピテル。あと少しで階段を降り切れるというところで転倒。思いっきり床に顔面をぶつけるユピテルに思わず顔をそらしてしまう。
「待って! 待って下さいキングモスラ様!」
そんなユピテルの後を追うのは小梅だった。いや、よく見てみれば、小梅の眼中にユピテルはいない。小梅が追っているのはユピテルでは無くて、金色のなにかだった。
小さな金色のなにかは空を飛び、ユピテルの後を追っていたらしい。
金色の物体は倒れるユピテルの上を通過して、ニアと風香の元へ迫ってくる。
「なにあれ」
それを見た風香は静かに人差し指を立てて上に向ける。
金色のなにかはその人差し指に気づいたのか、かすかに減速すると、風香の指の上に止まった。
その正体をまじまじ見てみると、一本の立派なツノを持った昆虫。
「カブトムシ?」
「カブトムシですね」
なんでこんなところにカブトムシが、なんて考える必要はない。改めて階段の方を向くと、小梅が大きく跳躍しているところだった。階段を使わず一気に飛び降りる。でもその先にはーー。
「ぐげっ!?」
トドメを刺すかの様に転倒していたユピテルの上に着地する小梅。今ユピテルからすごい声が出たけど、大丈夫だろうか。確か小梅の体重って……。
毎回可哀想だと哀れに思うニアだったが、小梅はそんなユピテルのことには一切の気を止めず、こっちに走ってくる。
「ふーか様!」
「これは小梅のですか」
「はい! ありがとうございます!」
指先に止まったカブトムシを慎重に捕まえると、手に持っていた虫カゴへ入れる。
「小梅、このギルドは女の子しかいません。小梅と違って虫が苦手な人も多い。飼ってもいいですが、外に出すときは気を付けなさい」
「かしこまりましたふーか様!」
素直に風香の注意を承知すると、ビシッと敬礼をする。そこで小梅はなにかに気づいたかの様にニアの事を見つめる。
「ニア様お出かけですか?」
「ん? そうだけど、どうして?」
「ニア様、いつもより可愛くしていますので」
少し驚いた。小梅が化粧に気づいてくれるなんて。もしかしたらイトナも気づいてくれたりして。なんて思っていると、
「えー? なになになーに? ニアちゃんデート?」
好物を嗅ぎ告げてか、さっきまで死んでいたユピテルがいつの間にか復活して、小梅の後ろからゾンビのようにぬっと現れる。
「別にユピテルには関係ないわよ」
「あ、わかった! イトナくんとデートでしょー? いつも気合いが入ってるニアちゃんは例外なくイトナくん関係だもん」
変なところで勘がいい。こういう話題には目がないユピテルは、お節介が過ぎるところがあってニアは少し苦手だったりする。
「イトナ様とクエストですか! 小梅も行きたいです!」
イトナという単語を聞いて、小梅が興奮する。小梅の思考回路はイトナ=強い=強いクエストに行く=伝説の武器となっているのだろうか。オモチャを買いに行く前の無邪気な子供の様な顔をニアに向けてくる。
「小梅、今日はついて行ってはダメです。それにクエストには行かないと思いますよ?」
「クエスト行かないならいいです……」
伝説の武器が手に入らないと分かった瞬間、小梅はちょっぴりしょんぼりして簡単に引き下がってくれた。が、問題はもう一人の方だ。
「あなたもダメだからね。ユピテル」
「えー。私はついて行くなんて言ってないよー」
「言い方を変えるわ。つけてこないで」
ユピテルには前科がある。イトナと出かけると分かると、隠れてついてくるのだ。一瞬でイトナに気づかれて、気にしない様にお願いしていたけど、ニアも見られているのは気持ちのいいことではない。
「えーー。つまんない!」
小学生の小梅は聞き分けが良かったのに、最年長高校生は駄々をこね始めた。
「趣味が悪いですよユピテル。後をついて行くなんて」
「う……ご、ごめんなさい……」
風香が真面目な顔でユピテルに正論をぶつけられ、ユピテルは謝るしかできない。風香には冗談は通用しない。ユピテルの天敵である。
「じゃーぁ、アドバイス! アドバイスなら問題ないよね?」
風香に窘められても、なにがなんでも関わりたいユピテルは風香も納得する様な提案を出してくる。
それに対して風香は、ふむ。それならと視線で許可を出した。
「えー、ユピテルのアドバイスぅ?」
ユピテルのアドバイスなんて聞いてもしょうがない。
ニアはそんな態度を取りながらも、心の中では聞き耳を立てていた。
今、ニアは他人の意見は喉から欲しかったりするのだ。それが例えユピテルのアドバイスだとしても。
ニアはイトナの前では異性に強い態度を取っているが、実際は恋愛に全然詳しく無い。むしろ苦手意識があると言ってもいい。
理由は現在ニアはイトナに三連敗中だから。
この負けはもちろん決闘のものではない。イトナに告白して、交際を断られた回数。最初の一回目は酷く落ち込んだのを今でも覚えている。
イトナ告白をしようと決めたのは高校に入学した頃、ニアが学校で初めて男子に告白されたことがきっかけだった。相手は先輩で、後で知ったけどバスケ部の部長だったらしい。顔も成績も悪くなく、女の子からの人気もあったとか。だけど、ニアはその先輩に惹かれなくて、断ってしまった。
周りからなんで断ったの? と不思議がられた。その時に誰かと付き合いたいのかを本気で考えてみた。浮かんだのは歳下の男の子。しかもリアルで会ったこともない人物。一緒にいたいと思ったのはイトナだった。
正直、その時のニアは自信があった。それからも何人かに告白されたことも後押しして、心のどこかで慢心していた。軽く、からかう様にして告白すればイトナは恥ずかしがりながらも頷いてくれる。そう確信していた。いたのに……。
結果はNO。首を横に振られてしまった。その喪失感は他では表せないほど、ニアの人生で初めてのことだった。
それからも諦めずに二度アタックして砕け散って、今日、四回目の挑戦となる。高難易度のダンジョンに挑む時と同じ様に、ニアは闘志を燃やしていた。
恋愛経験が無いニアにとって、男の子の。イトナの攻略情報は貴重である。
そういうわけで、ニアはユピテルのアドバイスには少しばかり期待をしていた。
「ニアちゃん、恋愛は攻めなの! 一回目みたいに強気な告白じゃないと! 二回目、三回目みたいに弱気な告白はダメ! ニアちゃんらしくなかったし、イトナくんも反応に困ってたよ。特にイトナくんみたいなタイプは攻めて攻めて攻めないと! 」
「ちょ、ちょっと!」
ユピテルは人が変わったかの様に熱弁するが、その内容はニアの失恋話。ニアの数少ない人にはあまり知られたくない部分だった。慌ててユピテルの口を塞ぐがもう遅い。
「ニア様、攻めなら小梅におまかせください!」
「告白……」
少し顔を赤らめて恥じらいながら目を反らす風香。隣の小梅はよく分かっていないような顔をしている。
「ユ ピ テ ル?」
口を押さえていた手を横にスライドしてユピテルのほっぺを摘む。
「ふぃーじゃなひ?。はふかしがふことなんてなひよー」
へんてこな発音をするユピテルを数秒睨んで手を離す。
「はぁ……」
もう過ぎてしまったことはしょうがない。気兼ねなく相談できる人が増えたと前向きに捉えよう。小梅は置いといて、風香は力になってくれそうだし。
「ねぇ風香。なにかない? 告白する時のアドバイス」
その質問に対して風香は申し訳なさそうな表情を作る。
「すみません。私はそういった経験はありませんので……力になれそうにないです」
「そうよねー……」
風香はどちらかというと、告白される側方だろう。するとしても特別なことなんかしなくとも、大抵の男の子は喜んでオーケーを出すと思う。
「恋愛は分かりませんが、ニアは普段通りが一番魅力的だと思いますよ」
「そうかなぁ」
「むしろイトナさんが断ったことに驚きです。ニアとは仲が良いように見えますが」
「そう! そうなんだよー。イトナくんには勿体無いないくらいニアちゃんは良物件だと思うのよねー」
「物件ってあんたねぇ」
ユピテルの言い方は粗末だけど、女の子から……主にサダメリのメンバーからの評価は高いのは自分でも知っている。でも、好きな人に好かれなければそんな評価は意味をなさないのだ。
「ねーねーニアちゃんはイトナくんのどんなところが好きなの?」
唐突にユピテルがそんなことを聞いてきた。ニヤニヤしながら。
「小梅、イトナ様は最強なので好きです!」
「私も気になりますね。ただフィーニスアイランドという趣味が合うという理由だけじゃ無いと思いますし」
「っう……」
小梅とユピテルだけなら軽くあしらうのだけど、風香が混ざるだけで何故か答えなくちゃいけないような空気になってしまう。
普段、イトナにちょっかいを出すニアだけど、他人から改めて聞かれるとやっぱり恥ずかしい。
「だってイトナくん、ゲームはすっごく強いけど、勉強とかすっごい苦手って聞くよー? そこら辺はいいのー?」
「イトナ様はお勉強できないのですか?」
「確かに。フィーニスばかりで、学生の本業である勉強を疎かにしている、そういう方向で見ると……」
「そ、それは違う!」
ニアが何も言わないでいると、イトナの悪口が重ねられていく。それに我慢できず、つい口を挟んでしまった。
「確かにイトナくんは勉強が苦手って聞くけど、ちゃんと勉強をしてて勉強が苦手なの! 月一でコールさんに勉強見てもらってるみたいだし、全然勉強してないわけじゃ無いんだから。それに……」
「それにー?」
「私がイトナくんの彼女になった暁には私が勉強を教えるから全く問題ありません!」
「「おおー……」」
どこか感服した声がユピテルと風香の口から漏れる。
「と、とにかく! 私の前でイトナくんを悪く言うのは止めて」
ムキになって言い返してしまった自分に少し恥ずかしくなりながら、時計をチラリと確認する。
「あ、いけない。もう出ないと」
予定よりだいぶ余裕を持って出るつもりだったのが、もうギリギリの時間になっていた。
「ふぁいとだよーニアちゃん!」
「ニア様行ってらっしゃいませ」
この場から離れようとして、一番初めの話を思い出す。
「あ、風香はなにか大事な話があるんだっけ?」
「いえ。大丈夫です。こちらのことは私達に任せてニアは頑張ってきてください。私も応援します」
「よくわからないけど、ありがとう。行ってくるね」
私達に任せてってなんの話だったのだろう?
そんな疑問は迫る待ち合わせの時間を前に吹き飛んでしまう。小走りでサダメリホールを後にすると、贅沢に転移アイテムを使って目的地へと一気にワープした。
ワープした視界の先、そこに想っている男の子の姿があった。まだニアに気づかずに、遠くの空を眺めている。
さっきは言わなかったけど、イトナが好きなところを上げればたくさんある。ゲームだけど、戦ってるところはカッコイイとか、でも普段は頼りなくて守ってあげたいとか、落ち着きがあって、少し大人っぽいかなって思っても、ちょっとしたスキンシップで顔を赤くしちゃうところが可愛いとか……。
でもきっかけはイトナのたまに見せる目だった。まだイトナとニアが小学生の頃、ダンジョンを攻略して喜ぶ高校生プレイヤー達に度々向けるのだ。子供らしからぬどこか大人びた目を。まるで育っていくプレイヤーが微笑ましいと思っているかのように。
そんな不思議な目に興味を持ったのが始まりだった。
「お待たせ! イトナくん。待った?」
「いや、僕も今来たところだよ。それよりごめん、今日行くところとか全然決めてなくて………」
目があって早々謝ってくる。
一応、今日はデートと意識はしてくれているみたいだ。デート先を決めてないことを不安そうに謝るイトナを可愛く思う。きっと直前でセイナに言われたのだろう。
「大丈夫。行き先は決めてるから。はい、これ」
ニアが出したのは今日とっておきのアイテム。それを見て、イトナの目が少し輝いた。
「黎明vsナナオ戦の観戦チケット。しかも特等席!」
分かりやすく喜ぶイトナを見て、ニアの顔も緩む。最初の手応えはよし。ここから話とか盛り上げていって、今日の最後に……。
「よし……!」
「ん?」
「ううん。なんでもない。じゃ、行こっか」
自然な流れでイトナの手を握り、恥ずかしがりながらも抵抗しないイトナを引いて、ギルド戦会場へ向かった。




