06
ラテリアがオリジナルスキルを取得した次の日。
いつもと変わらない一日が訪れたというのに、ラテリアの心臓は緊張でドンドンと太鼓を鳴らしているかのように高鳴っていた。
緊張の理由は、昨日取得した新スキル『チャームリング』のことだ。結局昨日は使いそびれてしまったけど、このスキルをイトナに使ったらどうなるのか、それを一晩考えてみた。でも、いくら考えてもそれはラテリアの妄想の域でしかない。そこで明日の特訓で試してみようと決意をしたのだ。
もし、もしも、ラテリアがチャームリングを取得する時に行った妄想どおりの事が起きるのなら、それはとても大変なことである。
ふにゃりとニヤける顔をしながら、ラテリアはイトナが来るその時を待った。
しばらくして、ガチャリとドアノブが引かれる音が鳴る。あまりにも神経を尖らせていたせいで、思わず背筋がピンと伸びてしまう。
「ごめん。ラテリア今日の特訓は中止で」
「え?」
パレンテホールに入った瞬間に発せられたイトナの言葉に一瞬耳を疑った。
「明日は大丈夫だから。直前で本当にごめん」
「い、いえ……」
緊張していただけに、ふと気の抜けた返事をしてしまう。少し残念だけど、急な用事ができたならしょうがない。最近はずっとイトナの時間を取ってしまっていたし、こういう時もあるだろう。
イトナは慌てた様子で回復薬を手に取って、出かける準備を進めている。どこかのダンジョンに用があるのだろうか?
「もしかして今日のこと忘れてたの?」
慌てながら出かける準備をするイトナを見て、セイナが飽きれた声を漏らす。
「二日前ぐらいまでは覚えてだんだけど……」
どうやら前から決まっていた予定のようだ。セイナも知っていて、自分だけ知らないのがちょっと寂しい。
「なんの予定なんですか?」
「え、えーと……」
ラテリアの純粋な質問に、イトナが言葉を濁らせる。目も逸らされてしまった。なにかを悪いことをして、それを隠すかのように。
「ニアとデートに行くのよ」
そんなイトナを無視して、セイナが興味無さそうにサラッとイトナの予定を口にする。
デート? ニアと?
理解に少し時間をかけながら、いろいろな感情も追いついてくる。
ラテリアは脳内辞書で検索を行う。
デート、男女がお出かけをする行為。あわよくば手を繋ぎ、キスなんてしちゃうかもしれないとても危険なイベント。
ニアとと聞いて、余計に不安と焦りの感情が芽生える。ニアはイトナを誘惑する節がある。この前もサダルメリクの人達とご飯を食べに行った時、ニアはイトナにちょっかいを出していた。もしラテリアが止めてなかったらどうなっていたか分からない。
二人でお出かけなんて危険だ。危険すぎる。
「私も行きます!」
勢いよく立ち上がり、宣言する。余りにも勢い余って、椅子がそのまま倒れてしまった。でも今はそれどころではない。
「あのね、デートは二人で行くからデートなの。あなたデートの意味分かってる?」
「で、でもまだイトナくんはちゅうがくせいなんですよ!?」
「は?」
「デートなんてまだ早いです! デートはこうこうせいになってからです!」
謎のラテリアモラルにセイナが素っ頓狂な顔をされてしまう。
セイナはこのデートを認めているみたいだけど、ラテリアは許さない。なぜかというと……そう、ギルドマスターだから。ギルドの風紀を守る義務があるのだ。
「ま、まぁラテリア落ち着いて……」
「イトナくんも簡単にデートの約束なんてしちゃダメです!」
「いや、これには訳があって……仕方なくなんだよ」
「仕方なくですか?」
このデートにはなにか理由があるらしい。でもデートをすることには変わりはないので、眉をひそめたままイトナの次の言葉を待つ。
「ほら、ニアにはナナオ騎士団との時いろいろ助けせもらったよね。その時の借りを返して欲しいって言われちゃって」
つまり、セイナが攫われたあの時、ラテリアはニアに助けを求めた。そのツケが今ここに来ているということだ。
いくら友好関係で、友達でも貸し借りはちゃんとするべきだろう。ニアの場合ただイトナとデートをするきっかけが欲しかっただけのように思うけど、セイナを助けてもらったことを出されてしまったら何も言うことができない。
う??! う??!
着々とデートの準備を進めるイトナを睨みつけながら、ラテリアは心の中で唸った。
準備が一通り終わって、次は身なりを気にし始める。ラテリアとの特訓の時は一切気にする素振りは無かったのに。
「セイナ、変じゃないかな?」
「服くらい自分で鏡見て確認しなさい。……ちょっとこっち来て」
セイナがいろいろとチェックする。髪の毛を直してあげたりして、まるでお母さんである。
「行き先とか決めてるの?」
「いや、特に……ダメかな?」
「ダメに決まってるでしょ。まぁニアだし、大丈夫だと思うけど」
そんな会話を聞きながら、ラテリアの機嫌がどんどん傾いていく。これが普通にダンジョンに行く約束をしていたとかなら、きっと許せたのかもしれない。でもラテリアにとってデートという単語が特別で、何よりイトナの対応がラテリアよりニアの方が上だと思える行動をとる度に、なんとも言えないイライラが込み上げて来る。
ラテリアのイライラメーターが上昇していくのを他所に、イトナの支度は終わり「行ってくる」と言ってパレンテホールを出て行ってしまった。
「……」
やり場の無くなった必殺技も繰り出せてしまいそうなイライラメーターが萎んでいく。代わりに、不安という感情が膨らみ始めた。
冷静になってみれば、なんでイライラしていたのか不思議に思えてくる。今まではこんな感情なんてなかった。友達に約束をすっぽかされても、残念。しょうがないって思うだったのに。
嫉妬、してるのかな……。
薄々とこの感情の意味には気付いていた。
やっぱり好き、なのだろうか。
この不安な感情はイトナをニアに取られちゃうことを指しているのだろうか。
静かに腰を落として、倒してしまった椅子を元に戻す。
今、イトナはどんな事を考えているんだろう。口では仕方なくって言ってたけど、内心は喜んでいたのかもしれない。
ニアは女のラテリアから見ても美人だ。美人で、しっかりしてて、ゲームも強い。きっとイトナと話も合うだろう。イトナがニアと一緒にいて楽しく無い理由が一つも見当たらない。
それに対してラテリアはどうだろう? イトナはラテリアと一緒にいて楽しいだろうか?
考えれば考えるほど、自分を痛みつけていた。心が痛い。
「はぁ……」
いつの間にか自分が椅子に座っていることに気づく。無意識に座っていたらしい。
寂しさに暮れていると、パタンと本を閉じる音が聞こえた。
「……出かけるわよ」
不意に聞こえてきたセイナの声に顔を上げる。
「え?」
「報酬。クエストの。いつまでも取っておかれても気持ち悪いから」
セイナが目を逸らしながらそんなことを言ってくる。
そういえば、そんなものもあったと思い出す。セイナがグリフォーンに捕まった時に口約束をしたのだ。助けてくれたらデートをしてくれると。
でも、あれは助けることができたと言っていいのだろうか? 結局、八雲に連れ攫われてしまって、ラテリアはなにもできなかったはずだ。
きょとんとセイナを見ていると、セイナの顔が優しくなる。
「行くの、行かないの?」
「い、いきます」
釣られて返事をする。
「美味しいケーキが食べたいな。ラテリアはいい場所知ってる?」
セイナがわざとらしくラテリアの得意分野を聞いてくる。そこでセイナがラテリアを元気付けてくれてることに気づいた。
沈んでいた顔に笑顔が戻ってくる。
「はい! 任せてください!」
「あ、でも行く前に回復薬作っとかなきゃだから少し待ってて」
見ればセイナは回復薬の調合途中。中途半端な状態だった。
「私も手伝います!」
沈んでいた気持ちを無理やり盛り上げて、セイナの隣へ椅子を寄せる。いつもなら邪魔と邪険にされるところだけど、今のセイナは優しかった。回復薬を調合に必要な素材を分けてくれる。心に優しさが染みた。
ラテリアは毎日のようにセイナが回復薬を調合する姿を見ている。たまに手伝わせてもらってるのもあって、調合手順はバッチリのつもりだ。
なんの疑いもなく素材を手に取り、フラスコへ入れていく。確かセイナはこんな感じで……。
「いい? ラテリア、まずこれを粉末に……って、なにしてるの!」
「ふぇ?」
その瞬間、フラスコの中身が爆発した。ボンと可愛い爆発音と共に、煙がラテリアに向かって噴射する。
「っ! ケホッ……ご、ごめんなっ、ケホッ……」
煙を思いっきり吸って咳き込んでしまう。なかなか上手く呼吸ができないでいると、セイナがコップを渡してくれる。
「飲みなさい」
噎せながら頷いて返事をして、コップに入った水を一気に飲み干す。
「あなたはちょっと落ち着きがなさすぎ。もう少しよく考えてから行動しなさい」
「ごめんなさい……」
せっかくセイナが気を使ってくれてたのに、結局失敗して怒られてしまった。
ラテリアの噎せ返りが治ったのを確認して、セイナは自分の部屋へ入ってしまう。
しゅんと俯いて落ち込んでいると、視界に回復薬の素材を持ったセイナの手が映る。
「次はちゃんと私の言う通りにやりなさい。わかった?」
セイナは優しかった。特にNPK事件以降から優しい気がする。普段はちょっとトゲトゲしいところはあるけど、この優しさはラテリアのことをパレンテの一員と認めてくれたってことだろうか。
「とりあえず、この失敗したのは捨てるわよ」
ラテリアが爆発させたフラスコをセイナが摘んで持つと、目を細めて中を観察していた。
フラスコの中はどす黒い液体が少し残っていて、回復薬とは程遠い存在と化していた。視界を合わせることで、その液体の効果が表示される。
【30パーセントのダメージを負い、毒Lv.1を永続付与する】
一応、ラテリアの失敗作品にも効果が付いていた。回復薬とは程遠い効果内容だけど。
「……ラテリア、これどうやって作ったの?」
「え? 素材を入れる順番を間違えて……」
何故かセイナが失敗した液体に興味を持つ。捨てようとしていた液体をビーカーに移して、逆にさっきまでセイナが作っていた作成途中の回復薬が捨てられ、素材を片付け始めてしまう。
「セイナさん?」
もう回復薬作りは中止してデートに行くということなのだろうか。
「凄いわラテリア。新発見よ!」
セイナはいつもと様子が少し違った。少し興奮気味に毒薬の入ったビーカーを持ってラテリアに近づける。
「永続付与。こんなオプション見るの初めて。今はバッドステータスの付与だけど、これを上手く使えば薬でステータスを永続的に上げられるかもしれない!」
「そうなんですか?」
よく分からないけど、セイナが凄い喜んでいることはわかる。とりあえず一緒に喜んでおく。
「デートは中止よ」
「え」
笑顔で言われたセイナの言葉にラテリアは固まる。
「デートなんてしてる場合じゃないわ。とりあえず、この永続付与オプションを残してマイナスの効果を取り除かないと……、別の回復薬と混ぜれば、いやそれだと……」
ブツブツとつぶやきながらセイナは自室へ姿を消してしまう。ややして出てきたのは、大量の薬品をバスケットに詰めてきたセイナだった。それをテーブルへ並べていく。
もうデートをする気は完全に消滅してしまったようで、セイナの目にはラテリアが映っていない。
ガーンとショックで石化したかの様に固まって立ち尽くすしかできないラテリア。
いや、でもこんな事でいちいち凹んではダメだ。っは、ラテリアのダメなところに気づいて、気を強く持つ。せっかくセイナが元気付けてくれたのに、すぐにしょぼくれるのはラテリアの悪い癖だ。
強くなるって決めたじゃないか。セイナを守れなくて、なにもできない自分が嫌だって。今、自分のできることをしようって。
「セイナさん、私も手伝います!」
「大丈夫よ。ちょっと邪魔だからなにも触らないで」
……ピキっ。心にヒビが入る音が聞こえた気がする。
そうだ。小さくなろう。小さくなって、消えてしまおう。
ラテリアはふらふらとパレンテホールの隅っこに移動すると、膝を折って小さく縮こまった。




