27
死んだ。
セイナが。
たった今、自分の目の前で。
認めたくない現実をイトナはゆっくりと心の中で呟くと、何かが視界に滲み出てきた。目に熱いものを感じる。
NPCはこの世界で生きている。プレイヤーと違って死んだら終わり。生き返ることはない。
「どうして……こんな……」
セイナの怒った顔が頭中で浮かぶ。見慣れたいつもの顔。でもそんな当たり前を見ることはもう叶わない。
イトナはセイナを守ることはできなかったのだから。
「泣いてるの? NPCがいなくなっただけで?」
「なんで……セイナは関係ないだろ! こんなことをしても僕がギルドを変えるわけないのに!」
「変えるわよ? 元々この状況を作るための計画だったのだから」
「計画?」
「そう。どうでもいいNPCを殺して回ったのもちゃーんと意味があるの。リエゾンがあなたに頼るのが速くて助かったわ」
「どういう意味……」
「あなたには仲間が多すぎるの。リエゾン、黎明、サダルメリク……。そんな大きなギルドを複数相手にするのは今のナナオでは到底無理。どうしてもあなた一人にここへ来てもらいたかった。一人予想外がいたけど、戦力外で安心したわ」
玉藻がチラリと振り返る。未だ動かない阿修羅の拳を一見して微笑む。ラテリアのことを言っているのだろう。
「考えたわ。うんと考えた。どうすればあなたが一人でここ来てくれるか。それでやっと思いついたのがこれ。誰もいない時間帯にする。そして時間を与えない。助けを求める時間がないなら一人でくるしかないでしょう? こっちも人が用意できなくなるけど、あなた一人なら私だけでも十分だわ。だからNPCをキルしたの。NPCが実際に殺されていて、あなたの大好きなNPCが狙われてると知ったら……焦るでしょう?」
焦った。確かに焦って、急いでここに駆けつけた。誰にも連絡しないで一人で。でも、それが玉藻の狙い。
「それだけためだけにNPCを殺すなんて……。命をなんだと!」
「命? NPCよ。命なんかないわ。データよデータ。同じデータならあなただっていっぱい殺してるじゃない。その理論ならモンスターだって立派な命じゃない?」
「なにも分かっていない……」
話にならない。話も聞きたくない。いくらここで口で言ってもセイナはもう帰ってこないのだから。
行き場の無くなった怒りの感情を強く押さえ込んで、スキルを発動させる。
宙に召喚された拳銃が四つ。それが短く音を立てて、イトナを縛る四つの鎖を粉砕した。
呆気なく解放されたイトナはゆっくりと歩き出す。
「あら? まだ話は終わってないわよ?」
「話なんてしたくない。顔も見たくない」
玉藻の横を通り過ぎると、引き止めるように肩に手が置かれた。
「あなたが入ってくれないとあのNPC、本当に無駄死になっちゃうじゃない」
その言葉をトリガーにイトナの感情が爆発する。
コップにギリギリまでに溜まった水が表面張力で溢れていなかったよう。ついにその怒りが限界に達して溢れ出す。
高速で振り返るのと同時に銃を抜き、玉藻の額に銃口を押し付ける。
怒りで声も出ない。強く睨みつけ、わなわなと震える手でしっかりと銃を握った。
それでも玉藻は平然とイトナの視線を絡める。
「交渉よ。ナナオに入ってくれたらあのNPC、生き返らせてあげる」
一瞬、なにを言われているのか理解できなかった。数秒してからイトナの理解が追いついてくる。
「……え?」
生き返らせる? セイナを?
魔法の言葉がイトナを揺さぶる。
「ただ殺しただけで入ってくれるなんて思ってないわよ。私と八雲は妖術師。八雲は死霊魔術のスキルを育ててるのは知っているでしょう? 同じデータであるモンスターを蘇らせて服従させてるのよ。NPCも蘇らせてもおかしくないと思わない?」
死霊魔術のスキルでNPCを蘇らせる? そんな事が可能なのか? もし可能だとしたらセイナは本当に……。
「嘘だと思う? スキルの細かいところまで説明するのはいいけど、今は時間がないわ。蘇生対象はHPを0にしてから三分以内、プレイヤー以外、八雲よりLv.50低いキャラクターなの。もし嘘だったらすぐに抜ければいいじゃない?」
目の前にギルドの加入申請ウィンドウが出現する。
《ギルド〝ナナオ騎士団〟から加入申請が届きました。 申請に同意しますか?》の文字の下に 《同意》と 《拒否》のボタンが用意されている。
今ここで 《同意》のボタンにタッチすればセイナは生き返るかもしれない。
考えることなんてなにもなかった。
吸い込まれるように指が 《同意》のボタンへ向かっていく。
玉藻がニヤリと笑う。全てが玉藻の思惑どおり。悔しいけど、完全にイトナの敗北だった。
指先にウィンドウを触れる感触を感じる。ついに入ってしまった。ナナオ騎士団に。そう思うのもつかぬ間、目の前に浮かぶウィンドウに目を疑った。
《パーティ〝ヴァルキュリア〟に加入しました》
……え?
目の前に書かれた文字を何度も読み返す。
本来あるべきテキストではない文字が並んでいる。ギルドの加入ではなく、パーティの加入。しかも〝ヴァルキュリア〟といったらあの有名ギルドの一軍パーティの名前。
間も無くしてテキストが消え、後ろからナナオ騎士団からの加入申請メッセージが再び現れる。
この現象に玉藻は気づいていない。こういった申請ウィンドウは送る側と受ける側しか見えないからだ。
申請ウィンドウが複数出現する場合、後出しされた申請のウィンドウが一番上に重なっていく仕様になっている。
イトナが今タッチしたのは玉藻とは別のプレイヤーから送られてきたもの。
そしてパーティの申請は同じマップにいることが条件になっている。つまり……。
「お話はそれで終わりかしら? ナナオ騎士団のマスターさん?」
ここにいるはずのない透き通った声が、絶望の空間に流れた。
「この声は……」
ソプラノボイスの音源方向に視線が流れる。
セイナとラテリアを潰したはずの重々しい阿修羅の拳が徐々に持ち上がっていき、そしてーー。
そこにはニアがいた。
片腕に装備されたバックラーに円形魔方陣を浮かび上がらせ、それが拳を受け止めている。そして、背後には目を回しているラテリアと、それの下敷きにされているセイナの姿があった。
そして、いつの間にか収まっている火柱からプレイヤーが次々と姿を表す。
「うおっ! おっかねー! なんだよこのでけぇモンスター!? やっぱナナオのアジトなんて来るんじゃなかった!」
ウサギの耳をした亜人種、サダルメリクの中で小梅に次ぐアタッカーであるラヴィは、阿修羅の巨体を見て逃げ腰になりながらも無数の針が張り巡らせた大きな鉄球を鎖で繋いでいる自分の武器、モーニングスターを構える。
「ユッピー様! 見てください鬼です! 小梅、鬼初めて見ました!」
ラヴィとは正反対に目を輝かせ、興奮しながら阿修羅を見上げるのはのダルメリクの狂戦士〝バーサーカー〟こと小梅。
「鬼さんー? 今年の節分ってもう終わってなかったっけー?」
小梅に引っ張られながらヨロヨロとおぼつかない足取りのサダルメリク最強の後衛。ユピテルは、今にも寝落ちしそうな様子。目を擦りながら大きくあくびをしている。
「ユピテル、いい加減目を覚ましなさい。小梅も動物園に来たわけじゃないのですから真面目にお願いします」
サダルメリクのナンバー2、3に注意をするのは綺麗な黒髪に尖った耳を持つ亜人種、いわゆるエルフの顔を持つ彼女もまたサダルメリクの一軍パーティの一人である。
ニアを含めて五人のサダルメリクメンバーが並ぶ。現ホワイトアイランド内で数字上二位に君臨するパーティが一人欠けた状態で登場したのだ。
「……あなた達を招待した覚えはないんだけど?」
感情を噛み殺した抑揚の低い玉藻の声がサダルメリクに向けられる。
「招待ならされたわよ。ラテリアちゃんに。ラテリアちゃんが呼んでくれた」
「邪魔をしないでくれる? これはうちとパレンテの取引なの。他所のギルドがこれ以上介入するならーー」
「戦争、する? 受けて立つけどギルドの立場を考えた方がいいわよ。このホワイトアイランドでうちとナナオ、どっちの味方が多いのか……。それに他所のギルドじゃないわ。サダルメリクとパレンテ、あなたがギルドを作るずっと前から友好関係を結んでいるんだから」
圧倒的劣勢が圧倒的優勢に変わった瞬間だった。いくら序列一位のギルドといえど、この人数差ではもう勝負は見えている。
この状況を玉藻は少しの間ジッと眺めると、やがて身を翻し背を向けた。
「……帰るわよ八雲。とんだ邪魔が入ったわ」
「……はい」
「後悔するわよ……サダルメリク」
頂点に立つギルドの長のプライドか、無理矢理作ったような冷めた声でそれだけを口にすると、静かに姿を消した。
それに八雲も後に続くと、阿修羅の姿も消え、さっきまでとは打って変わって辺りは静寂に包まれた。
緊張感がストンと落ちたような感覚。戦況が一転二転して、呆気なく終局を迎えた出来事を整理する前に、イトナの足は自然とセイナの元へ駆け寄っていた。
「セイナ……」
覆いかぶさるラテリアの体を重そうにどかすセイナを見て、目からなにかが流れるのを感じる。
セイナさん、セイナさん……と呟きながらダウンしているラテリアをなんとかどかし終えたセイナは立ち上がり、イトナの顔を見るなり気まずそうな顔を作った。
「よかった……本当に、よかった……」
「ちょっと、なに泣いて……」
ゆっくりと、自然にイトナの額がセイナにもたれかかる。
セイナの胸上に額を置いて、自分の顔を隠しながらも、額から感じる暖かさに安堵し気が抜けたイトナの感情が溢れ出す。嗚咽が隠しきれずにいるイトナの肩はそれに合わせて震える。
「もう、ダメかと思った……。死んだかと、本気で思った……」
「……うん。でも生きてる。だから泣かないで?」
セイナの声とは思えないほどの優しい声がイトナに届くと、震える肩をそっと抱きしめた。
「ありがとう。大丈夫。私はまだ生きてるから……」
普段は言わないセイナの言葉がイトナを包む。
そんな二人の姿を温かい目で見守るサダルメリク面々の傍ら、倒れていた一人の少女が起き上がる。
なにが起こったのか理解できない様子で辺りを見渡し、セイナの姿を見つけると、大粒の涙を浮かべた。
「セイナさあああぁぁん!!」
泣き声で名前を叫びながら勢いよくラテリアが二人に抱きつく。油断していたイトナとセイナは呆気なく押し倒され、ラテリアの下敷きになる。
「ちょっと! 重いんだけど!」
「ふぇぇん。もうダメかと思いましたー!」
聞く耳を持たないラテリアは二人をギュッと強く抱きしめて離そうとしない。
「分かったから退いて! い、イトナももうお終い! これ早く退かして!」
セイナが振りほどこうともがくが、ラテリアの圧倒的なステータスの前では無力。頼みのイトナも肩をひくつかせながら動こうとしない。
「いいわね。パレンテってほんと」
「ニアも見てないでどうにかして!」
パレンテの三人が纏まって倒れているのをどこか羨ましそうに見下ろすニアを見つけてセイナが助けを乞う。
「たまにはいいんじゃない? それにセイナ嬉しそうな顔してる」
「そ、そんなわけ……!」
目を白黒させるセイナを揶揄うような目で一瞥すると、踵を返す。
「みんなありがとう。こんな時間に集まってくれて。助かったわ。もう解散して大丈夫よ」
このニアの号令をもって、今回の一件に終止符が打たれた。




