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ふつふつと煮えるように不安感がこみ上げてくる。憂虞した結果へ真っ直ぐ進んでしまっているのではないだろうか。そう思ってならない。
戦況は上々。
スキルは一度使えば再発動するまでにかかる時間 《クールタイム》というものがある。難易度が低いスキルほどこの時間が少なく、一回の戦闘で何回も使いまわせる。
有利な距離にもってこれたおかげか、今のところ複数の低難易度スキルを回して、それだけで凌ぎきれてしまっている。欲を出してキルを狙った 《デス・バイト》も、仕留めはできなかったものの、相手の武器の破壊を取れた。これは大きなアドバンテージになる。
結果だけ見れば順調。もともと負けるつもりは無かったが、それでも順調すぎる。それがとても不気味だった。
なんで高難易度スキルを使ってこない?
なぜ距離を大きく取ろうとしない?
なにかを狙っているのか?
違和感の理由を自分に問いかける。でも答えは返ってこない。
出口が塞がれてからもう三十秒が経過。折り返しの時間のタイミングで相手の雰囲気がガラリと変わった。
下がっていた八雲が前に出て玉藻と並び、古びた札を慎重に取り出す。
身体がゾクリと震える。
嵐の前の一瞬の静けさ。
遂に八雲も出てきた。これで一対二。ここからが踏ん張りどころだ。
武器をバゼラートから銃に持ちかえた瞬間、八雲の持つ札が不気味に光を放った。
目の前の空間が大きく歪む。
二枚目の札の使用。
ぐにゃりと視界の一部分が渦を巻くように彎曲すると、そこにバリバリと音をたてながらヒビが入っていく。
なにもない場所に亀裂が広がる異様なエフェクトにイトナは瞠目した。
見たことない。イトナの知らないスキル。
このエフェクトの規模は難易度4……いや、5に相当するんじゃないだろうか。
一瞬、後ろを振り返る。
まだ立ち昇る火柱。その前で、このエフェクトに唖然とするセイナと蒼白するラテリア。
難易度5のスキルの習得はプレイヤーのレベルが100以上が最低条件と言われていて、どんなに劣勢な戦況もひっくり返す程の影響をもつ最後の切り札でもある。
あらゆる可能性がイトナの中に浮かび、消えていく。広域攻撃だったら、もしくは超火力の前方攻撃だったらセイナを守ることは……。
それでも、やるしかない。
初見でもなんでもイトナが守らなければセイナは死ぬ。
自分を叱りつけ、戦闘に邪魔な不安を吹き飛ばす。
五感を全て研ぎ澄ませろ。
イトナの瞳が微かに赤く点滅する。それを見て玉藻の口角が釣り上がるのを視野の端に確認しながら、今は八雲のスキルに集中した。
難易度が高くてもスキル。この世界で攻略が不可能なものはない。いくら強くても、必ず抜け道がある。
瞬間、空間が砕けた。
来る。
焦げたような匂いが鼻を通る。
ジリジリとした熱が肌で感じる。
今にも押しつぶしてきそうな殺気を感じる。
砕けてできた穴から姿を現したのは巨大な腕だった。
「ひぃっ!」
予想外な物の登場にラテリアが上ずった悲鳴をあげる。
ドシンッと畳に掌を叩きつけ、肘を曲げる。次に穴から現れたのは巨大な顔だった。
真っ赤な複数の顔にむき出しにされた牙、そして荒々しい角が二本。
それはまさに。
「せ、セイナさん。鬼です! 赤鬼ですぅ!?」
あのヨルムンガンドを超える巨体に、ラテリアは怯えセイナに抱きつく。それでもセイナの身を守ろうと鬼の視線から隠すようにして抱きついていた。
鬼神阿修羅。Lv.130。
予想を上回る驚異的なレベルに、イトナは思わず一歩下がってしまう。
「ヴオオオオオオオオオオオオオォォッ!!!!」
鼓膜を破かんばかりの咆哮がイトナ、ラテリア、セイナに浴びせられる。
Lv.130って、テトやニアのレベルを超えるじゃないか……!?
現在のペンタグラムの正確なレベルは不明確だけど、ある程度の予測は立てられる。ペンタグラムの基準レベルは120以上。それを一歩超えている。
死霊魔術によるモンスターの召喚。文字通り、死したモンスターを蘇らせるスキルは、その対象のモンスターを討伐することが最低条件。このSランククエストに匹敵するボスモンスターをナナオ騎士団だけで攻略したってことなのだろうか。
「どお? これが八雲の切り札。凄いでしょ? ナナオには他にもペンタグラム候補のアクマがいるのよ? あなたが入ればより完璧になる。どこにも負けない最強のギルド、あの時のパレンテと同じギルドに!」
「一緒にしないで欲しいな。パレンテは強さが全てだったわけじゃない」
「一緒よ。この世界、ゲームの世界は強さが全て。強い方が正義なの。イトナは強い。でも一人だけじゃその輝きは薄れるわ。いてもいなくても当然なNPCと、プレイヤーのくせになにもできないお嬢ちゃん。そんな人達と一緒にいるなんて本当に無駄。こっちにいらっしゃい。こっちの上を目指すギルドに。……やりなさい八雲!」
「阿修羅さん。やって下さい」
召喚主の八雲の声に反応して、阿修羅の巨大な拳が振り上げられる。
ぎこちなく固く握られた拳を見上げながら、イトナは違和感を感じていた。
……召喚が不完全?
阿修羅がこの場に出てきているのは一本の腕と、顔だけ。他の部位はまだ亀裂の入った向こう側のままだ。それだけに、阿修羅はとても動き辛そうに見えた。
あのゴーレムにも負けないほどの打撃が、掲げられた拳骨が振り下ろされる。
「 《フェイタルストライク》」
イトナの持つ数少ない高火力スキルを撃ち放つ。
赤と黒、二つの高威力がぶつかり合い、轟音を立てた。
爆発。
普段、トドメとしてよく使用するフェイタルストライクの威力は使い手本人の期待を裏切らなかった。
単純な威力勝負に勝ったのはイトナ。弾き返されたのは阿修羅の拳だった。
これなら……。
なんとかなる。難易度4のフェイタルストライクは、クールタイムで当分使えないけど、このスキルでこれだけ押し返せる程度なら他のスキルでも対応可能だ。
召喚が不完全の阿修羅が攻撃に使えるのは腕一本のみ。一回づつの攻撃ならなんとか捌ける。
あくまでも時間稼ぎ。勝てなくても、セイナを守り切れればそれでいい。
攻略の突破口を探りつつ、次のスキルを用意する。
対して減っていないHPにも拘らず、阿修羅の逆鱗に触れたのだろうか。木炭が赤く燃えるようにして、皮膚がさらに赤くなる。
丁寧に、硬く握り直された拳が新たに用意されると、咆哮と共に再び殴りかかってきた。
大丈夫。問題ない。
あらかじめ用意していたスキルを込めて阿修羅の繰り出す拳に銃口を向ける。
あとはそれで攻撃を相殺するだけ。
「……ねぇ、私を忘れてなぁい?」
耳元で囁かれたその言葉に背筋が凍った。
「しまッ!?」
いつの間にかいた存在。背後からイトナの首元に顔をヌッと突き出し、玉藻は嘲笑うかのように頬を撫でてきた。
阿修羅の攻撃の相殺のため、既にイトナはスキルを発動している。阿修羅の出現に圧倒されて一番注意しなくてはいけない玉藻から思考を外してしまっていた。
もう後悔しても遅い。
スキルの発動。そしてその後に発生する僅かな硬直。その時間は今の状況からして致命的に違いなかった。
スキルが放たれ、二回目の衝撃が広々とした和風の部屋に四散する。再び阿修羅の攻撃をはじき返すのに成功したイトナを確認してから、玉藻は四つの魔方陣を出現させた。
ジャラジャラと鉄が擦れる音を立てながら魔方陣から伸びてきたのは鎖。それが蛇のようにイトナに絡みつき、束縛する。
「くっ……そ」
イトナの見せる焦りの色に玉藻は満足そうに微笑むと目で八雲に合図を送った。
コクリと頷く八雲と同時に阿修羅が3度目の拳を用意する
「やめろ……!」
「やめないわ。さっき素直に入らなかったあなたがいけないのよ? それに、あのNPCさえ殺してしまえば必ずあなたは必ずナナオに入る」
「そんなわけないだろ! そんなことして、僕がナナオ騎士団に入るわけっ……!」
「試してみる?」
「やめッーー」
阿修羅の腕が伸びていく。やや上から下に向かって放たれた拳の風を切る轟音でイトナの声がかき消された。
拳はイトナを無視して真っ直ぐセイナとラテリアに向かっていく。
「ご、 《ゴッドウィング》!」
一歩遅れて、ラテリアにできる最大の抵抗が迎え撃つ。
が、無駄だ。レベルの差が余りにも大きすぎる。ペンタグラムをも凌駕するその拳にラテリアの起こす突風はそよ風にしか感じていないように見えた。
一切の威力も弱まわらず、そしてーー。
阿修羅の拳は容赦なく二人を押し潰した。




