23
ナナオ騎士団ギルドホール。
朱塗りの丸い柱が規則正しく並び、畳が敷き詰められている。ただそれだけの広々と部屋が、襖で区切られ連なる造り。そしてなにより全ての部屋に戦闘可能エリアに設定されてあることが特徴である。
上位のギルドは内部での練習のために戦闘可能のエリアを一つくらいは用意するのだけど、ナナオ騎士団は異常だった。強豪プレイヤーがひしめくこのギルドホールは毎日戦争でもしているのだろうか。もはや一つのダンジョンとかしているようにも見える。
でも今は深夜。なにもない静かな部屋を足早に通り過ぎ、襖を開いていく。
そしてとうとう最後の部屋に着いた。
「お久しぶりね。イトナ」
艶やかな声がイトナを迎える。それに対してイトナは沈黙で返事をした。
八雲と同じ和をモチーフにした衣服に五つの尻尾を持つ大人びた顔を持つ女性プレイヤー。
現在最強のギルドの長にしてペンタグラムの称号を持つ、誰もが認める超上級プレイヤー、玉藻。
その隣に八雲が並び、合計七つの尾が揺れる。
七尾。ナナオ騎士団の名前の由来であるその象徴が目の前に完成していた。
「本当寂しかったわ。私はあなたにずっと会いたかったのに全然会いに来てくれないんですもの」
驚くほど明媚な黄金の髪をかきながら、うっとりとイトナを見つめる。
「本当、寂しかった……」
そんな仕草をしている間もイトナは八雲の隣にいるセイナのことが気が気で仕方なかった。
ここでもソードマンか……。
足がある。さっきまで戦闘してい奴とは別のソードマンだろう。そいつがまるで人質を取った犯人のように、セイナを後ろから抑えつけ、首元に刃を置いていた。
イトナが少しでも変な動きをしたら切り落とす。言われなくても光景がそえ物語っていた。
でもその心配は無い。大丈夫、焦る必要はないのだ。イトナは喧嘩を仕掛けに来たのではないのだから。変な気を起こさない限りセイナは絶対に助かる。そう自分に言い聞かせて冷静を保つ。
「歓迎してくれるのは嬉しいけど夜も遅いし本題に入っていいかな」
「そうね。夜更かしはお肌に悪いもの。流石イトナ。話が早いくて嬉しいわ」
髪をかいていた手が下がって、肌を労わるように頬を摩る。
「さっそくなんだけど、是非あなたにはうちに来て欲しいの。そう八雲に伝えるよう、何度も言っているのだけれど、なかなか私の気持ちが伝わらないみたいで……。だから今日あなたに来てもらったの。直接お話しした方が私の気持ちが伝わるでしょう?」
セイナの事は一切話してこない。あくまでギルドの勧誘だった。どうやら向こうから脅す形にはしたくないらしい。仕方なく、こちらから話を切り出す。
「僕が加入したらセイナを放してくれるでいいんだよね?」
「セイナ? ああ、あのNPCのこと?」
白々しく玉藻が言う。
ああ、忘れていたと演技を見せたと思うと薄笑いを浮かべながら、セイナを横目で一瞥する。
「私、あのNPC嫌いだから殺しちゃう予定だったけど……大事な〝ギルドメンバー〟のお願いだったら仕方ないわね。放してあげてもいいわよ? 私、こう見えてもギルド内ではメンバー想いのマスターなの」
ギルドメンバーという言葉にアクセントを置き、協調する。
「わかった」
それだけ確認できれば十分だ。もう覚悟はここに来る前にしてある。
迷わず開いたギルド情報ウィンドウ。そこでフィーニスアイランドを始めてから約八年間、初めての操作を行う。
ギルド脱退のダイアログ。
【本当にギルドを脱退しますか?】
はい。いいえ。
短く、感情のない簡素なメッセージは、覚悟してきたはずの気持ちを驚くほどに揺さぶってきた。
余計な事を考えちゃいけない。間違っても力でセイナを奪い返すとか、そんな気を起こしてはいけない。
冷静に考えろ。相手は二人。玉藻がいる時点で勝負をするのは間違っている。
セイナを連れてパレンテに帰るなんて理想の未来を押し殺して目を閉じる。
そして感覚だけで〝はい〟の文字に触れた。
【ギルドを脱退しました】
今、イトナの目の前にはそんなメッセージが浮かんでいるんだろうか。
「ね? 私の言った通りお願いすればちゃんと入ってくれるでしょう? 八雲は心がこもってないのよ。しっかり、どれくらいの思いで入って貰いたいのか態度で示さないと」
パレンテを脱退したイトナを見て、笑いを漏らしながらそう言う。
「もうセイナはいいだろ。放してあげても」
八雲がソードマンに視線を送る。それを合図に首元に置いてある刃がゆっくりと下がる。
「ダメ!」
さっきまで余裕のある声とは真逆。玉藻は声を荒げてセイナの解放を却下した。
その声に八雲の耳がピクリと震え、慌てソードマンに戻すよう指示を出す。
「まだダメ……まだイトナはうちに入ってないんだから」
油断なんてしないわよと用心深く目を細める。
「さて、早く済ましてしまいましょう。イトナ」
慣れた手つきでウィンドウの操作をし、ギルドの加入申請が送られてくる。
同意と拒否の文字。
同意に触れればセイナは助かる。拒否を選べばセイナの首が飛ぶ。簡単な選択肢。
手を伸ばし、人差し指は〝同意〟を目指す。
ーー本当にそれでいいの?
なぜか念話をしていないのに、なぜかセイナの声が頭の中に流れる。
今はこうするしかない。
ーー後悔しない?
する……かもしれない。でもこうしないともっと後悔すると思う。
ーーラテリアは? 勝手に入れて、置いていくの?
いつでも会えるよ。違うギルドになるだけ。
間違っていない。この選択肢なら失うものは少ない。失うものがあるとしたら、それはきっとちっぽけなものだ。セイナの命と比べれば本当に小さなもの。
今ここで、こんなところでセイナを失うわけにはいかないのだから。
ーー私を守る約束は?
遠い遠い昔のセイナとの約束。その約束を守るために、今だけギルドを変えるのだ。
セイナの声を借りた自問自答で自分を言い聞かせて頭の中からセイナの声を追い出す。今、イトナにとって一番大事なのはセイナなのだから。
だから〝承諾〟の文字に触れーー。
「待ってくださいっ!」
一声が投じられた。
その情感に溢れた一言がこの場全ての時間を停止させた。
ラテリア!?
「あら?」
振り向けば、息を切らして膝に手を置くラテリアがそこにいた。
「ダメです! 行っちゃ、ダメです!」
途切れ途切れの声がしっかりと届く。
それを見た玉藻は余裕の笑みを零す。
「あなたがパレンテに入ったっていう? 悪いけどイトナはもうパレンテのメンバーじゃないの。部外者は出で行ってもらえる?」
「私は! イトナくんが! セイナさんがいるからパレンテに入ったんです! セイナさんも、イトナくんも返して貰います!」
ここまで強気のラテリアは初めてかもしれない。玉藻を睨みつけ、膝に置いた手を持ち上げる。
「面白いじゃない。私と勝負するって言うの?」
「します! 私はもう逃げたりしません!」
そう言って素早く取り出したのは金の笛だった。サダルメリクとのクエストで手に入れた伝説級のアイテム。
ピーーーーーーーーーー……ッ!
魔笛 ルーエの音色が甲高く響く。
獰猛なモンスターをも魅了する伝説の音色。
もしかして……。
「なにを……?」
この音色の正体を知らない玉藻と八雲はラテリアに警戒心を高める。
その隣、セイナを捉えたソードマンがゆっくりと刃を下げていくのがイトナの視界に映った。
玉藻と八雲の警戒の先はイトナとラテリア。ソードマンが八雲の制御下から外れようとしていることには気づいていない。
今なら助けられる?
セイナを助けてパレンテに戻れるかもしれない。でももし失敗したら……。
二つの選択肢がぶつかり合う。
安全か。冒険か。
ーー僕は……。
「イトナ!」
緩まったソードマンの腕からすり抜けたセイナが叫ぶ。
「冒険しなさい!」
助けを求めるかのように手をこちらに伸ばすセイナ。
いつも保守的なセイナが、自ら冒険を望んだ。
「殺しなさい」
同時に玉藻が声を上げる。この瞬間、イトナの選択肢は強制的に一つに絞られた。
玉藻の命令で動いた八雲が素早く紫黒の鬼火をセイナに飛ばす。
「セイナさんを守って下さい!」
八雲の攻撃に対して、すかさずラテリアがコントロールを奪ったソードマンに命令を下す。
俊敏な動きでセイナと八雲の間に割り込み、盾となる。
八雲の放った鬼火はクロスしたソードマンの腕に直撃し、掻き消された。
それからはイトナの視界に映るもの全てが、驚く程にスローモーションに感じた。
玉藻は武器である扇子を取り出し、八雲はソードマンに与えたエンチャント魔法を解除しようとしている。視界にある登場人物の数秒先が見えるような感覚。それが次に行うべき自分の行動を導くように。
今日は調子がいい。
抜いた銃を一つその場に落とし、イトナは畳を蹴った。




