20
走る。走る。走る。
セイナの手を引きラテリアは全力で走っていた。
「セイナさん大丈夫ですか!?」
引く手が重い。振り返れば汗をかき、呼吸もままならないセイナが必死に足を動かしていた。
ラテリアに対する返事はない。出来ないのだ。
当たり前だった。セイナのレベルはたったの1。ラテリアの敏捷について行くなんて無理な話。
そんなセイナの後ろに映るのは追ってくるエビルコングの姿。少しでも足を止めればセイナの命はない。
イトナの説明は無しでも、今の状況をラテリアなりに理解していた。この前みんなで行ったオアシスでの話で出てきた殺人鬼。きっとあのモンスターがそうなのだ。
やり直しはない。セイナの死は本当の死。ここでラテリアが失敗すれば仲直りもできない。
速さの拮抗は崩れ始めてきていた。
このままでは確実に追いつかれる。
ラテリアは覚悟を決めるしかなかった。
「セイナさん! ここは私が足止めします!」
セイナの手を離し、エビルコングとの間に入る。
「ヴヴゥ……」
セイナはラテリアに引っ張られていた力を失い、そのまま地面にへたり込む。
もう体力の限界を超えていたのか、セイナは息を荒げながら立ち上がろうとするも失敗していた。
「リエゾンのギルドホールまであと少しです! あと少しだけ頑張ってください!」
それだけ言ってラテリアはエビルコングと対峙する。その巨体に月が隠れ、ラテリアは影に包まれた。
正直、怖い。
ヨルムンガンドの時と同じ。強大なモンスターを目の前にして、足が震え、竦み、体が縮こまる。
「無理! 逃げて!」
「逃げません!」
「死んじゃうわよ!?」
セイナがラテリアに対して始めて声を荒げる。それでもラテリアは言うことを聞かなかった。
死ぬのは怖い。本当は全力で逃げたかった。たとえそれがゲームで、偽りの死だったとしてもやっぱり怖い。でも……。
「セイナさんが死んじゃう方がもっと怖いです! 行ってくださいっ!」
「ッ……!」
セイナが怯むのがわかった。こんなことを言って、もし死んじゃったら怒られるかもしれない。最初会った時のイトナのように。
その時はいっぱい怒られよう。いっぱい謝ろう。その時のために今、勇気を出そう。
エビルコング。そこまで強いモンスターじゃない。でも同等のモンスターであるソードマンにあのイトナが苦戦しているところを見ている。ラテリアは自分が勝てる相手じゃないことを重々に承知していた。
避けよう。避けて避けて、耐えて、時間を稼ごう。そうすればきっとセイナは助かる。
「ヴヴッ!」
エビルコングが飛びかかる。同時に腕を大きく振りかぶり、それを叩きつけるかのようなモーション。
避けなきゃ。
そう分かっていても自分の体は思うように動いてくれなかった。
ここで自分があっけなくやられてしまえばセイナも危ない。その責任がラテリアにずっしりと重くのしかかる。
「~~~~ッ!!」
上手くやらなきゃいけない。今、絶対に失敗しちゃいけないのに。ラテリアの足は地面に縫い付けられたかのように剥がれなかった。
時間を稼ぐ。そう自分で立てたプランが早々に崩れる瞬間、ラテリアの視界は真っ赤に染まった。
「ーーッ!?」
赤の正体はマント。赤いヒーローマントを装備したプレイヤーが目の前に現れたのだ。
「やっと見つけた。お前か、イトナに一発入れたのは」
突如現れたプレイヤーは長剣をエビルコングの拳に突き立て、地に押し付けていた。平然と、しかも片手で。
凄まじい力のステータス。顔を真っ赤にして腕を引き抜こうとするエビルコングの傍ら、ヒーローマントのプレイヤーは涼しい顔で振り返る。
「セイナさん。助けにきました」
「テト……」
テト。その名前はラテリアでも知っている。
イトナ、ニアと肩を並べるペンタグラムの一人。勇者テト。
おそらく、対人戦の実力で一番目立っているプレイヤー。リエゾンの開く1on1の大会では連続五回の優勝。誰もが認める力は最強を超え壊れた強さと称えられ、そしてついた二つ名が〝バグ勇者〟。
対人戦にそれほど興味がないラテリアでも耳に入るほどの凄い人。
「ヴォッ!」
エビルコングの空いている片方の腕がテトを払おうと側面からの攻撃。
それに対してのバグ勇者の対処は二つ名に相応しくぶっ壊れていた。
「うぉっと!」
テトも空いた片方の腕でそれを受け止める。ステータスだけならプレイヤーより圧倒的に高く設定されているはずのモンスター。それを受け止めたのだ。
「ヴゥー!? ヴフゥー!?」
純粋なステータスの力比べ。それでもテトはエビルコングの一歩先を行っていた。
「ここは俺に任せろ。どこの誰だか知らないが、セイナさんを頼む」
「あ、ありがとうございます! セイナさん行きまーー」
助かった。頭を下げ、再びリエゾンのギルドホールへ走る。
そう思って振り返ると、風が舞い、黒い羽根が辺りに散りばんでいた。
セイナの視線は上。視線を追うと黒い影が物凄い勢いで降下してきている。
あれは……グリフォーン!?
獲物を掴むかのようにむき出す爪。
三体目のモンスターも狙いは他のモンスターと変わりなかった。
「セイナさん!」
セイナが連れて行かれる。
そう判断した瞬間、ラテリアはセイナに飛びつく。
その瞬間。ものすごい勢いで足が地から離れた。
《グリフォーン》飛行系のモンスター。
セイナを捕らえたグリフォーンはぐんぐん高度を上げ、どこに向かうのか南の方角へ進んで行く。
「セイナさんを離してくださいっ!」
セイナを助けようと掴む足をこじ開けようと、グリフォーンの爪に指を入れ、力を入れる。
「痛っ……」
その側でセイナが弱々しく悲鳴を上げた。ラテリアが力を入れたことで掴む力を強めたらしい。グリフォーンの鋭い爪がセイナに食い込む。
しまったとセイナのHPを確認する。予想した通り、HPは減少していき、あっという間に半分を示すイエローに色を変えていた。
グリフォーンの足をこじ開けるのを急いで止めて、自分の持っている回復薬に手を伸ばす。
「セイナさん口を開けて下さい!」
グリフォーンの足の付け根に片手でしっかり捕まり、握った回復薬を慎重にセイナの口に届ける。
一口、二口と回復薬がセイナの喉を通り、あっという間に全回復した。でもまた直ぐにHPが減少して行く。
「大丈夫です。セイナさんは絶対に助かります!」
セイナの顔色は良くなかった。普段使わない体力を使い切り、そして今は一定のダメージを受け続けているからだ。
「もう、無理よ」
「え?」
「私、もう助からない……」
普段強いセイナから弱音が吐かれる。
疲弊しきったセイナの命は刻々と削られていく。
「そ、そんなことないです! 助かります! そんなこと言わないでください!」
「ラテリアの持っている回復薬があと五つ。私のHPは35。一秒に1ダメージ。ギリギリで回復薬を使ってもそう長く持たない」
ラテリアの励ましの言葉をへし折るかのようにセイナは具体的な数字を並べてくる。
回復薬一個で約三十秒。それが五回で二分と半分。それが自分の余命だとセイナが告げた。
「あ、諦めないで下さい……二分もあれば街の外に出ます。そうすれば私がスキルで……」
なんとかします。そう言いたかったのに、失敗した。なんとかできる自信が無かったからだ。二分で出て残りはたった三十秒。さっきなにも出来なかった自分がそんな僅かな時間でなんとかするなんて、想像もできない。
セイナの弱音が自分に伝染して行くようだった。
「ありがと」
「え?」
不意に、セイナが小さく呟く。風を切る音で聞き取りづらいけど、確かに聞こえた。
「最後に、言えてよかった」
今日ラテリアがセイナに一番言われたかった言葉。この言葉をきっかけにもっと仲良くなる。そう思ってペット型のモンスターをテイムして、セイナにプレゼントして、もっと楽しい毎日になると思っていたのに……。それが最後の言葉のように聞こえた。
「イトナのこと、よろーー」
回復薬の詰まった試験管をセイナの口に突っ込む。
「聞こえません」
立て続けに続く別れの言葉を無理やり切り裂く。
「全然聞こえません!」
今、その言葉は聞きたくなかった。だからラテリアは聞こえないフリをした。
「明日聞かせてください。ここだと聞こえないので明日パレンテのギルドホールで!」
声を出して自分の弱気を払拭する。
「パレンテは凄いんです。どんなに難しいダンジョンだって、どんなに難しいクエストだって攻略しちゃうんです。だから信じてください。私だってパレンテのメンバーなんですから!」
弱り切ったセイナの目をしっかり見て言う。ヨルムンガンドを前にしてもうダメだと諦めていた自分を見るようだった。
今度が自分が勇気付けよう。あの時イトナがしてくれたように。
「ラテリアのくせに生意気」
そんなラテリアの必死な想いはセイナに届いたのか、力なく笑ったように見えた。
「クエスト」
「え?」
「ラテリアにクエストを依頼するわ」
「クエスト、ですか?」
「もう一度。もう一度だけイトナに会わせて」
初めてセイナからのお願い。
「はい! 何回も会えます。これから毎日だって!」
セイナの目に少しだけ光が灯ったように見えた。
大丈夫。きっとなんとかなる。でも、そのためのもう一声欲しい。
「……報酬はなんですか?」
「……は?」
「クエストには報酬があるんですよ?」
こんな状況でも報酬を求めてくるラテリアを睨むセイナ。
「ほんと生意気」
そんないつも通りのセイナを嬉しそうに見つめる。
「報酬があったほうが成功すると思うんです」
ラテリアが普段のセイナの調子に戻そうとしているのを察したセイナはつまらなそうに眼を細める。
「じゃあ…………してあげる」
「え?」
「一緒にお出かけしてあげる……。一日だけ、ラテリアと」
照れ臭そうに。でも真っ直ぐラテリアを見て言った。
「これは絶対にクエスト達成させないとですね!」




