17
ラテリアがいなくなり、パレンテホールはシンと静かになる。
そのせいもあって、イトナの小さな声もより鮮明に聞こえた。
「セイナ」
「なによ」
「ラテリアはセイナと……」
「分かってるわよ。そんなの分かってる……」
不機嫌に返す。
分かっている、つもりだ。いつもとは違うラテリアが今日どういう想いでプレゼントを用意してくれたのか、大体は想像がつく。自分がいつも一定の距離をとろうとするから。ずいずいと近づいてくるラテリアに慌てて離れようとするから。少しでも仲良くなりたいから。そんなところだろうか。
「はぁ……」
なにやっているんだろう。
変にムキになってしまった自分に後悔を覚える。
「ニアには普通に言えるのに」
もし相手がニアだったら、はいプレゼントと渡されて、自然に〝ありがとう〟と言えるのに。なのに、どうしてかラテリアには素直に〝ありがとう〟の一言が言えない。
「なーご」
目の前にいる丸々と太った黒猫が慰めるかのようにセイナの指を舐める。
「ありがと」
ぽんと軽く頭を撫でであげてから、今自然と零れた自分の言葉に気がついて余計落ち込んだ。
「はぁ……」
そこでまだイトナがいることを思い出して、いつもの顔に慌てて戻す。
「追わないの?」
もちろんラテリアのことをだ。
「ちょっと心配だけど、これから小梅と遊ぶ約束してるって言ってたし大丈夫かな。なんか伝説のカブトムシ捕まえに行くんだって」
「イトナは?」
「僕はちょっと寝不足で……。夜まで昼寝する予定」
「そう」
寝不足なのはきっとリエゾンの依頼のせい。夜までってことは今日も行くつもりなんだろう。不規則な生活をしているイトナに文句の一つや二つ言ってやりたいところだけど、今はそんな気力も湧いてこなかった。
その横で寝ると宣言したイトナは発言とは反して椅子に腰掛ける。
「寝るんじゃなかったの?」
「宿題やってから寝るよ。この前忘れてコールにかなり怒られちゃってさ。ここでやってもいいよね?」
「好きにしたら」
本当は一刻も早く一人になって、誰の目にも晒されない状態で落ち込みたかったけど、勉強ならしょうがない。
そこからはしばらく沈黙が続いた。イトナは問題集のデータを本の形で具現化し、それと睨めっこしながらノートに筆を走らせている。でも進捗は芳しくないらしく、その筆はよく止った。
横目で教科書を覗くと博士のイラストに吹き出しが付いていてここがポイント! と書かれてる。今セイナが開いている本と比べるとだいぶ可愛く見えた。きっとコールのセンスなのだろう。
「セイナこれ分かったりする?」
セイナの目線が気付かれたのか、イトナはおずおずと問題集とノートをこっちに寄せてくる。
どうやら教科は数学らしく、問題の数式が並んでいた。
数学なんて最後にやったのは相当昔のことだ。勉強をしてその記憶があるのは調合関係と、頼まれて仕方なく覚えたボードゲームだけ。それでも教科書に書かれた例題と、ノートに書かれた数式を無言で見比べる。
「こうじゃない?」
間も無くして解かれた問題にイトナはなるほどと頷く。どうやらあっていたらしい。
そんなやり取りをしていると、ノートにノシノシと黒い塊が登ってきた。
「なーご」
そしてセイナの顔を見上げて鳴きだす。
「どきなさい」
「なーご!」
当然このネコがなにを言っているか全然わからない。でもなにかを伝えようとしているのはなんとなく分かった。
だとしてもそんなことセイナには関係ない。丸々太った肉を掴み、ノートから剥がそうとする。
「な”ー」
重い。そしてセイナに抗う黒猫。ノートの上から退きたくないらしい。
「なんなのこのネコ」
「セイナにかまって欲しいんじゃない?」
「なにそれ」
面倒くさい。まるでラテリアみたいだ。
せっかく頭の中から薄れてきていたのに、さっきの出来事が蘇ってくる。
「最悪」
それならと掴んでいた肉を離し、席を立って離れた場所に座る。
完全に無視。トドメに本を広げ視界を遮る。するとギギギと木造のテーブルが微かに悲鳴を上げるのが聞こえた。それが徐々に近づき、すぐそばで止まる。
そして腕に柔らかい毛並みを感じたかと思うと、黒猫は本と腕の間に首を突っ込んで、セイナの視界に顔を現せた。
「しつこい」
「あはは、すっかり懐かれたね」
「懐かれたって……なにもしてないんだけど」
「いろいろあるんじゃない? 匂いが気に入られたとか」
「匂いって……」
イトナと話をしている間も黒猫は本とセイナの間に入ろうと頑張っている。普通の大きさなら通れるだろう本とセイナの腕の間に、肉がつかかってもがいていた。
そんな姿を哀れに思い腕を少し緩めてあげると、スルリと中に入り、座り込む。
目の前に黒猫。これでは本は読めない。本を読まないで私を見てと言っているかのようにセイナを見つめてくる。
「撫でてあげたら?」
「なんで私が」
そう言ったところである疑問が浮かぶ。なんでさっきは普通に撫でれたのに今は嫌だと思ったんだろう。
見上げる黒猫の目をジッと見つめる。撫でて欲しいと求めているような視線が混じりあった。
このネコがラテリアにどこか似てると思ったから? 違う。半分当たっている気がするけど、しっくりこない。
なんともいえないモヤモヤが胸に詰まる。
あと少しで何かが分かる気がする。その何かはきっと、ラテリアに冷たくしてしまうセイナの正体な気がした。
一回だけ。
あと少しで分かりそうな何かのために手を黒猫の頭に乗せた。すると黒猫は気持ちよさそうに目を瞑り、ゴロンとひっくり返る。だらしないお腹を晒し、もっと撫でてくれとアピールしてきた。
なんでだろう。やっぱりムカつく。ちょっとかまってあげただけで調子に乗って、本当にラテリアみたい。
続けてぶよぶよのお腹をくすぐるようにして揉む。これがなかなか気持ちよかった。されてる方も気持ちいらしくゴロゴロと喉を鳴らしている。
黒猫の満足した顔を見てなぜか自分が負けたような気分になった。
「……なにそれ」
ラテリアを突き放していたのはラテリアが求められてる通りにするのが癪だから。強がって反発した態度を取っていただけ?
気づいてみれば凄くくだらなく、自分が子供だと思い知らされた。格好悪い自分が嫌になる。
ひっくり返った黒猫を自分の目線まで持ち上げ、ジッと目を見る。
「名前、なんだっけ」
「ねこねこ丸って言ってたね。ラテリアは」
「ねこねこ……」
そうだったと思い出して少しうんざりする。この名前はどうにかならないのだろうか……。
「でもあの時に僕も初めて名前を聞いたし、その名前で決定じゃないと思うよ。セイナにプレゼントだし、セイナが名前付けてあげたら?」
まだ名前変更は可能らしい。今後、この黒猫と暮らすとして、ねこねこ丸と呼ぶのは流石に気が引ける。
なんて付けてあげよう。呼びやすくて気取っていない普通の名前がいい。
黒猫の尻尾が揺れ、立てていた本が倒れる。パラパラと捲れ、止まったページに目が止まった。そこには黒い葉 《ディアブロの葉》について記載されていた。このネコと同じ真っ黒の葉。
「ディア……」
少し安直だろうか。動物に名前なんて付けたことがないセイナは少し不安になる。
少し目線を上げるとイトナと目が合った。
「いいんじゃない? 呼びやすいし」
どうやらおかしくはないようだ。
「よろしく。ディア」
「なーご」
ラテリアによく似たディアと上手くやっていければラテリアとの関係も……。って、別に自分から望んでいるわけじゃない。ただ、このままだとラテリアがちょっとだけ可哀想だと思っただけで、自分から仲良くなりたいとかそんなことは一切思ってなんかいないんだから。
そんな事を考える自分に気恥ずかしくなり、ディアを少し乱暴に置く。
その時だった。
「え?」
ディアには似合わない俊敏な動きで上半身が上がり、前足を振り上げる。立ち上がったディアの高さは椅子に座ったセイナと同等の高さを誇っていた。
突然の行動にセイナは思わず目を丸くしてしまう。どうしたんだろう? 乱暴に置いたことを怒っているのだろうか?
そんなことを頭で考えている間に、ディアは振り上げた短い前足を勢いよく振り下ろしてきた。
爪を立てた前足がセイナの肩を切り裂く。
「痛っ!」
「セイナ!?」
肩が熱い。セイナにとって久しぶりの感覚。びっくりした勢いで椅子から転げ落ちる。
テーブルの上から肩を押さえるセイナを見下ろすディア。引っ掻いたディア本人もびっくりしているかのように目を見開いていた。
「なーご!」
ディアがテーブルから飛び降りる体勢に入る。高さに少し躊躇しながらも、後ろ足でテーブルを蹴ってセイナに飛び込んできた。
黒い塊が落ちてくる。慌て受け止めようと手を出すが、ディアが落ちてくることは無かった。
「大丈夫!?」
飛び降りたディアを空中でキャッチしたイトナはもがくディアをしっかり捕まえる。
「大丈夫って、大袈裟。少し爪が当たっただけでしょ」
正直セイナ自身驚きを隠せなかったが、無理矢理落ち着いた態度を装う。
「でもHPが……!」
「え?」
そこまで言われてなぜイトナがそんなに慌てているかを理解した。
HPが減っている。減っているのは一割とそこまで慌てるほどではない。でも確かに減っている。絶対に減ることがないはずのこの場所で。
「どうして……」
「セイナ回復薬を早くっ!」
片腕でディアを抑えながら自分の回復薬を取り出すと慌ててセイナに渡してくる。
「別にそこまで慌てなくても……」
「いいから!」
こんなに必死になるイトナを見るのは久しぶりだ。半ばせがむようにして回復薬を使うことを急かしてくる。
「わ、わかったわよ」
反発する暇もなく、回復薬を口に含む。
苦味が強い味が口の中に広がる。そんな味を感じている間にも、母数の少ないセイナのHPは一瞬で満タンになった。
「不味い……」
普段口にしない自分で作った回復薬のあまりの不味さに顔をしかめる。因みに不味く作っているのはわざとだ。こんな不味いのを飲みたくないならそもそもダメージを受けないようにと。少しでも死への抑止力となるように作っている。
でもちょっとこれは不味すぎる。これだといざという時に飲むのを躊躇ってしまうかもしれない。
「もうちょっと甘くしたほうがいいかな……」
「痛くない?」
自分の作品を評価するほどには余裕が出てきた中、イトナはまだ心配そうに伺ってくる。
「大丈夫よ。少しひっかかれただけじゃない。それよりディアを放してあげて。苦しそう」
イトナにしっかり捕まったディアは「な”ー」と呻きながらもがいている。
「それは……」
出来ない。そう言おうとしたのがセイナでも分かる。ディアは街の中でダメージ与えるとんでもないイレギュラーを出したのだから。でもそれを言う前に口を一回閉じて「ごめん念話」と話を切った。




