10
『イトナー。飽きたー。そっちはなにかあったか?』
見回りが始まって約十分。
なにも起こらない現状にテトがつまらなそうに声を上げた。
『僕の方もなにもないよ』
『なにもないと退屈だよな。そうだ。しりとりでもやらない?』
『やらない。真面目に見回れ』
ちょうど念話に戻ってきたオルマがテトを嗜める。
『リンゴ』
それを無視してか、テトは唐突に適当な単語を口にした。多分、いや間違いなくしりとりの最初の単語を言ったのだろう。
『……ゴリラ』
あ、やるんだ……。
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淡々と単語がつぶやかれる念話が続くこと十五分。
『……サジタリウム』
『がー! オルマさっきから〝む〟で終わるのばっかりでずるいぞ! てかサジタリウムってなんだそれ!』
しりとりは第二ランウンドに突入。一回目はテトが早々と〝プリン〟と言ってしまい、順番を変えてまた始めたのだけど、オルマがもう十回以上連続で〝む〟で終わる言葉を言い続けている。もう思いつく単語がないのかテトが根を上げた。
『しりとりでは基本的な戦術だ。サジタリウムはフィーニスアイランドに存在する武器の名前。弓のな』
『ヤメだヤメ。オルマとしりとりするの超つまんない』
『ま、まぁまぁ。テトも結構頑張ってたとーー』
と、言いかけたところで、念話による脳内の声でなく、耳から鬼気迫る声が割って入って来た。
「だ、誰かっ!」
でた。
女性の助けを求める悲鳴にも近い声が確かに耳に入る。声の大きさからしてここからかなり近い。
『イトナ聞こえたか!?』
『聞こえた。僕から近い。オルマ、南東街近くに』
『了解。メンバーをそっちに固める』
悲鳴はどこからだ。
南東街は横道がやたら多い。全ての路地を確認しながら悲鳴のあった方へ走る。多すぎる道に焦りが増す。
カチッ……カチッ……。
耳朶に触れる聞きなれない音に足を止める。
なにか物音が聞こえた。微かにだけどなにか硬く鋭い物が擦れたような音。もともとの音源が小さいと思われることから、かなり近い。聞こえた方向からして……この路地だろうか。
予想を一つに絞る。その路地は高い建物に挟まれて、月の光が届かず先が見えないほど暗く、視界が悪かった。
ゆっくりと、警戒を高めて路地を進む。安全地帯である街の中では感じることのない不気味な空気が纏わり付いてくる。
「あれは……」
暗闇が続く路地になにかが倒れているのがうっすらと見える。
暗くてよく見えない。
目を細める。
あれは……人?
更に近づくとそのシルエットがハッキリとしてきた。
見えたのは人の頭。誰かが倒れている。犠牲者だ。
真っ先にそう思って、急いで足を進める。もしかしたらまだ生きているかもしれない。
回復薬の入った試験管に手を伸ばす。その時だった。
「なっ……」
助かるかもしれない。そんな希望は一瞬で消えて無くなった。
倒れているNPCと思われる女性は間違いなく死んでいる。だって、
だって、頭と体が離れているのだから。
「っ……!」
血はない。それでも生々しい、見開かれた瞳にはまだ恐怖と絶望の色が残っている。残酷過ぎるこの光景はイトナに嘔吐感を誘うには十分すぎた。
とても見れたものじゃない。
すぐに目を外す。
「なんでこんな……」
酷い。残酷すぎる。
初めて見るNPCの死体に焦燥感がのしかかってくる。
本当だった。オルマからも言われて信じていないわけではなかったけど、目の前の現実を見て改めてそう思った。
首が斬り落とされていた。昨日リエゾンのメンバーが見たものと一緒、つまり同じ犯人だ。
とりあえずこれを念話で報告をーー。その瞬間、微かに空気が動くのを感じた。
なにかが近くにいる。テトがもう駆けつけてくれた? いや、この気配は……。
次に襲ってきたのは鋭い殺気だった。
身を翻すと同時に、鋭利な刃が首のすぐ横を走る。
「ッ!?」
首を斬り落とすような斬線が宙に描かれる。
これをやった犯人。
攻撃を避けた途端、犯人と思われる影は大きく後ろに後退、暗闇に混じり、建物の屋上へ跳躍したのが微かに見えた。
刃を確認するのがやっとで姿が見えなかったが、間違いない。アレが犯人だ。
あとを追うためにイトナも続いて屋上に跳躍する。細い路地から一転、建物の上に出ると視界がひらけると、犯人の影はすでに家五つ分先を跳躍しながら逃走していた。
かなり速い。オルマから伝えられていたとおり、相当な敏捷をもっている。でも……、多分イトナの方が速い。
自慢の敏捷ステータスを存分に発揮する。
『テト、犯人を見つけた。南ゲートに向かって屋上の上を移動してる』
『オーケー。そっちに向かう』
『イトナの速さだと、仲間の合流は期待するな。大丈夫だとは思うが気をつけろ』
『了解』
テトとオルマとの会話を素早く切り上げて、自分のスピードに集中する。
後家三つ分。月明かりに照らされて目に映った犯人の姿は異様に細かった。全身に銀色の鎧をまとっているのか、街灯の光が強く反射している。
噂では毛むくじゃらとか、空を飛んだとか言われて、総合的にバケモノと呼ばれていたけど、やっぱりオルマから聞いていた目撃情報と一致するシルエット。かろうじて人型のようにも見える。
イトナから逃げるところを見ると野生のモンスターとは思えない。しっかりした理性がある。やっぱり犯人はプレイヤーなのだろうか?
そんな事を考えながら武器を抜く。この距離なら攻撃を当てられる。
犯人はどんなトリックを使っているのかわからないけど、街の中でスキルは使えない。普通の攻撃もダメージを与えられないはずだ。でも衝撃なら与えることができる。この超高速移動中、あの細い体だ。足に銃弾を当てれば必ず相手はバランスを崩す。
イトナが武器を抜いたことに気づいたのか、相手は蛇行移動に切り替えてくる。
大丈夫。当てられる。
不規則に動く標的の脚はかなり細い。それでも今までの未開地攻略に比べれば、さして慌てることでもない。
この世界で踏んできた場数から生まれてくる絶対的な自信。
目標に銃口を向け、相手の俊敏な動きを見据え、建物と建物を移る両足が宙に浮いた瞬間、次に脚が屋根に着くまでのほぼ確定された移動軌道の一瞬を捉える。
そしてトリガーを絞る寸前。その時だった。
「ッ!?」
上空から物凄い速度を迫るなにかに、注視が移る。
予想外の襲撃に一旦攻撃を止め、転がるようにして上空からの突進をなんとか躱す。
元いた屋根には大きな穴が空き、その周りに鳥の羽根のような物が舞っていた。
「羽根!?」
なにかが空から突進してきた!?
羽根の色は黒。翼を持てる数少ないクラスには存在しない色。
それを見て様々な可能性が浮かんでくる。
噂で言われていた空を飛ぶバケモノ?
だとしたら犯人は一人じゃない?
そしてプレイヤーの仕業じゃない?
だとしたら……。
いや、考えるのは後だ。今はそれどころではない。目の前の殺人鬼を捕まえないと。
上空からの襲撃者は一旦保留。急いで狙いを直す。
今のでだいぶ離されて小さくなってしまった殺人鬼の影に目を細める。
遠い。でも、当てられない距離じゃない。
確実ではない。でも、今から追ってまた上空から襲われてたら距離は開くばかりだ。ここでなんとか当てられれば……。
集中。
ターゲット以外の視界を遮断する。定めた狙いに全ての集中力を注ぐ。
夜空。
いつもより強い月明かり。
そしてその光を反射する殺人鬼の体。
それらが重なり、イトナの放つ銃弾の命中率にとって好条件な環境が作られていた。
揺れる光の影と、イメージした弾道線が重なる。
ーー今っ!
トリガーを引いた瞬間、当たる。そう確信をも覚えたイトナの射撃は、真っ直ぐ目標に向かっていくーーはずだった。
「えっ……」
突然の出来事。
すぐ前の屋根と屋根の隙間から現れた巨大ななにかに視界を遮られたのだ。
重なる予想外の事態でついに体が硬直する。
突如現れた巨大ななにかは、毛むくじゃらな大男を彷彿させるような図体。それは既に大きな腕を振りかぶっていた。
目と目が合う。
毛むくじゃらのバケモノ。
「三体目なんて……」
絞り出した声と同時に、振り下ろされた大きな拳に、イトナはなすすべも無く吹き飛ばされた。
声も出ないほどの衝撃。
腹部に拳を入れられたイトナは呆気なく屋根から突落とされ、メインストリートの端に積まれた木箱に派手にぶつかった。
「痛っつ……」
見上げると、もうそこには動く影はない。夜空に輝く星々と、大きく削れた自分のHPゲージだけがイトナを見下ろしていた。




