08
イニティウムのメインストリートを一つ外れた道。雑貨店が並ぶ、少し狭い通りをすっかり機嫌を直したラテリアが時折鼻歌を交えて先頭を歩く。
最初と比べてだいぶ変わった。今日一週間ぶりにラテリアに会って、改めてそう思った。
本来、こういう性格なのだろう。初めは男性恐怖症のせいで凄く大人しく見えていたけど、今はイトナに対してもとても明るく、表情豊か。どこかコールに似ている部分も多くなってきた。
「おとと……」
でもコールはもうちょっとしっかり者だったかな。なにもないところで躓いてバランスを崩すラテリアを見て、考えを少し改める。
「ここです」
ややして着いたのは広々としたテラスが特徴的な、開放感があるお店だった。
〝オアシス〟と書かれたこのお店には、以前ニアと入ったことがある。確か、あの時は開店されたばかりのせいかテラスが満席で店内になってしまった覚えがある。見る限り、今回はテラスの席がぽつぽつ空いているからその心配はなさそうだ。
「いらっしゃいませー! 三名様でしょうか?」
可愛らしい制服をしたNPCの女の子が、元気な声でお出迎えしてくれる。店員は全員女の子なのもこのお店の特徴。だからラテリアはこのお店によく通っているのかもしれない。
「はい」
「ではこちらにどうぞ」
人数を確認して、店員はテラスの方へ案内をしてくれる。そこで、ラテリアが予想に反した事を店員に言った。
「あの、店内がいいんですけど……」
「え、店内ですか? かしこまりました」
テラスが名物のお店なのに、わざわざ店内を頼むラテリア。店員もそれに不思議そうな表情を浮かべる。
「店内にしたのは後のお楽しみです」
どうやら店内にしたのにはなにか理由があるらしい。セイナはテラスに興味はないらしく、特になにも言わなかった。
客が少ない店内のひとテーブルに案内される。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」
「あの、今日はこれに挑戦しにきました!」
ギルドホールで見せていたチラシを店員に渡す。それを見た途端、店員は微妙な顔に変わった。
「すみませんお客様。このイベントは昨日まででして……」
「えぇ!?」
困ったような笑顔で、チラシをラテリア返す店員さん。
改めてチラシを確認して涙を浮かべるラテリアと、頭が痛そうに手を当てるセイナ。
「えっと……景品は難しいですが、お願いすればこちらのスイーツだけならご用意できるかもしれません……どういたしましょうか?」
「普通に注文します……でいいよね?」
「はい……」
がっかりしたラテリアの声が返ってくる。
「ではお決まりになりましたらお呼び下さい」
気まずい空気から逃げるように厨房に戻った店員を確認してから、セイナが不満の声を上げた。
「あなたね……私に恥をかかせに来させたの?」
「ま、まぁまぁ……」
セイナをなだめようと置かれたおしぼりを率先して配布する。
「イトナもチラシ見たでしょ。なんで確認しなかったの」
「それは……ゴメンだけど……ここのケーキ凄い美味しいんだよ。前にニアと来たけど、ニアも絶賛してたし」
話を逸らすようにメニューをセイナの前に広げる。メニューには色とりどりのケーキの写真が並び、ドリンクのバリエーションも豊富だ。
「そうなんです! イトナくんの言う通りここのケーキはとても……って、ニアさんって誰ですか!?」
なぜか突然機嫌が傾くラテリア。
「え? サダメリのニアだけど……」
「ニアが言ってなら信用できるわね」
ニアなら信用できるらしい。それで少し興味を持ったのかメニューを真面目に見始めるセイナ。
入れ替わりに不機嫌になったラテリアは「う~~……」と唸り、お冷を口に含みながらイトナを睨む。
それから。全員の注文の品が運ばれ、ケーキが口に入る頃には二人ともすっかりご機嫌になっていた。恐るべきスイーツ。あのセイナが文句一つ言わずに黙々と口にケーキを運んでいる。
でも、途中でラテリアはなにかを思い出したかのように、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「どうかしたの?」
「いないんです……」
「え?」
「ここの店員さんに凄いセイナさんに似た人がいて……。今日はセイナさんとその人を会わせてビックリさせようと思ってたんですけど……」
どうやらそれが目的で店内を選んだようだ。店員を見つけやすいように。でも、ラテリアの目論見は失敗らしく、セイナ似のNPCはどこにも見当たらない。
「今日は休みなんじゃない?」
「いつもはいるんですけど……あの、すみません」
「はい?」
「このお店にセイナさんに似た方、働いてますよね?」
わざわざ店員を呼び止めて確認するラテリア。特盛スイーツの予定が潰れたのもあって、こっちは諦めたくないらしい。
「セイナ、様ですか?」
「ん……?」
そこで自分の名前が出ていることに気づいたのか、フォークを口に咥えながら振り向くセイナ。珍しくきょとんとした目が「なに?」と聞いてくる。
「ああ、いますよ。セーラにスゴイそっくりです」
セイナの顔を見て、うんうんと頷く。どうやら本当にセイナに似たNPCがいるようだ。
「そのセーラさんって人はお休みなんですか?」
「あ……えっと……それがですね……」
気まずい顔になる店員。通りがかった店員も会話が聞こえたのか、心無しに表情を沈めているのが見えた。
「なにかあったんですか?」
一瞬、話すかどうか迷った素振りを見せて、イトナたちにしか聞こえないほどの小声で口を開いてくれた。
「一週間ほど前からお店に来なくなってしまったんです」
「辞めちゃったんですか?」
「いえ、セーラは連絡もせずに勝手にお店を辞める人じゃないんです。凄い真面目な人で……」
「じゃあ……?」
「わからないんです。家まで探しに行っても見つからなくて、行方不明に……。もしかしたら噂の殺人鬼に襲われたんじゃないかって……。すみません。こんな話をお客様に」
「噂の殺人鬼?」
初めて聞く単語がNPCから出てくる。長くこのゲームをやっているイトナでも聞いたことのない。NPCが行方不明になるのはおかしな話である。
「すみません。その話、もう少し詳しく……」
「ねぇ、これとこれとこれ、お願いできるかしら?」
「え? あっ、はい。少々お待ちを」
今の話を聞いてなかったのか、横からメニューを広げて何食わぬ顔で追加注文をし始めるセイナ。
不意を突かれた店員は慌てて注文のメモを取る。
「す、すみません……お仕事中なので……」
「そうですよね、すみません無理言って……」
ゲームといえど、NPCはこの世界で暮らしている。生活にはお金が必要で、運営が出しているクエストをできるわけもないNPCは、こうやって働いてプレイヤーから稼ぐしかないのだ。イトナたちプレイヤーと違って本当に働いている人の邪魔をするのは申し訳ない。
「……あの、よろしければなんですけど、裏メニューでこんなものがありまして……」
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「う~~……」
「……」
「ご注文、ありがとうございました……」
どうしてこうなってしまったのだろう。
またお冷を口に含みながらイトナを睨んで唸るラテリア。その隣で黙々とケーキを食べるセイナ。そして照れ臭そうに隣に腰掛けるさっきの店員さん。
本当にどうしてこうなってしまったんだ……。
「えっと、なにか食べます?」
空気を変えるために、メニューを開く。
「じゃあこれを……」
控えめに指差されたのはこのお店で一番安いコーヒーだった。
裏メニュー。この店員が言ったそれは、店員さんとお話ししながらケーキを一緒に食べられる。そんなオプションだった。
確かにこれで仕事をしながら話を聞けるようにはなったけど……。
なぜかものすごい背徳感を感じてしまう。この注文は子供のイトナにはまだ早すぎるような気がするし、ラテリアもそれをよく思ってない態度だ。
「すみません。話を聞いてもらうためにわざわざ私なんかを注文させてしまって……。 お代は私が払いますので」
「いや、いいですよ! 仕事の邪魔をしちゃっていますし……!」
「そうです! お金はイトナくんが全部払いますからっ」
トゲトゲしい言葉が飛んでくる。どうしてラテリアはそんなに怒ってるんだろか。お冠なラテリアにはちょっと悪いけど、話を進ませてもらうことにする。
「えっと、話の続きなんですけど、噂の殺人鬼って?」
「はい。プレイヤーの皆さまにはあまり知られていないみたいなのですが、最近イニティウムで暮らすNPCの間で凄い噂になっているんです。真夜中にバケモノが街を徘徊していて、NPCが殺されているって」
「でも街の中は安全地帯ですよ? 殺されるなんてそんなこと……」
ラテリアの言う通りだ。この世界のルール。街の中ではHPが減らない。それは絶対だ。HPが減らないのであれば死ぬこともないはずだ。これも絶対的なルールである。だからこの店員さんの言ってることはにわかに信じがたい。
「だから噂なんです。普通に考えたらありえませんから……。でもその殺人鬼、バケモノを実際に見たってNPCがたくさんいるんです」
「え? 見たことあるんですか?」
「私は見たことないのですが、毛むくじゃらで、大きな翼を持っているみたいで空を飛ぶそうです。あと剣のように鋭い爪があるとか」
NPCの言う姿を想像してみるも、いまいち思い浮かばない。というのも、そんな姿形をしたものをイトナは知らないからだ。
まず動物の耳などを付けている亜人種にしたプレイヤーを一瞬疑ってみたけど、すぐに取り消す。毛むくじゃで翼のある亜人種なんてイトナの知る限り存在しない。
だとすれば、あとはモンスターぐらいだ。でもモンスターは街の中に入ってこれない。これも世界のルール。この話が本当なら世界のルールを二つも破ってることになる。
「やっぱり信じてもらえませんよね……」
「い、いや! そんなことは……」
真剣にそんなことがあり得るのか考察していたら、つい顔に出てしまったらしい。
「いいんです。信じてもらう方が難しいことですから。私も絶対になんて思ってませんから」
「す、すみません……」
「でも、実際にNPCが行方不明になっているんです。セーラだけじゃありません。いろんな人が毎日のように……」
「ま、毎日ですか?」
「はい。私が知っているだけで十人は」
十人もいなくなれば確かにただ事ではない。ありえない噂を信じるのも自然なことだ。
「そこで、NPC同士でなんとかお金をかき集めてプレイヤーの皆様にクエストを依頼することにしたんです」
「クエストですか?」
「はい。この古都で一番大きいギルド、リエゾンさんに依頼をかけました。非力な私たちNPCではどうしようもできませんので」
リエゾンにクエストの依頼。それを聞いてここを出る前の念話が頭に浮かぶ。
ーー緊急事態だ。深夜一時にリエゾンホールで。
オルマの呼び出しはもしかしてこの件なのでは無いだろうか。それなら殺人鬼が現れる夜中の時間を指定してきたのもこの話と一致する。
だとすればオルマは殺人鬼の存在を確認してる? その討伐を依頼してきた?
殺人鬼が存在する。
その可能性が膨らんだ瞬間、背筋に悪寒が走った。今まで噂半分で聞いていたけど、本当なら大変なことだ。人によっては、プレイヤーにとってはどうでもいいことなのかもしれない。NPCがいなくなって悲しい思いをするプレイヤーなんてごく少数だ。でも、少なくともイトナはそのごく少数に当てはまる。ことによっては緊急事態といってもいい。
相変わらず黙々とケーキを口にするセイナを見る。
セイナと同じNPCが殺されている。NPCは死んでしまったらプレイヤーのように一日待てば生き返ることは決してない。本当に死んでしまうのだ。
もしセイナが殺されてしまうなんてことがあったら……。
「イトナくん?」
「ご、ごめん。ちょっと考え事してた」
「なんか凄く怖い顔してましたよ?」
「もし本当なら怖いと思って。僕たちとNPCじゃ殺されるの意味は変わってくるから……」
「そうなんです。なのでもし夜中、NPCが襲われているのを見かけましたら助けてくれると嬉しいです。プレイヤーの皆様はお強いので」
「はい。もし見かけたら絶対に助けます。絶対に」
その後からは話が徐々に変わって、このお店のケーキのことになっていった。どのケーキが一番人気か、オススメはどれか。ラテリアのおかげで話は弾んだけど、イトナの中では殺人鬼のことが頭から離れなかった。
そして隣に座るNPCの店員を見て改めて思う。自分たちと変わらない人間だと。セイナに限らずNPCだってこの世界で生きている。もし軽い気持ちでNPCの命を奪っている者がいたとしたら、イトナは絶対にそれを許さない。




