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オンラインゲーム 《フィーニスアイランド》。十八歳未満の子供たちしか遊ぶことのできないこのゲームには六つの島が存在する。
レッドアイランド、ブルーアイランド、グリーンアイランド、イエローアイランド、ホワイトアイランド、ブラックアイランド。
色に因んだ各アイランドの間には海が広がり、行き来が出来ない。ここはそのうちの一つ、ホワイトアイランドになる。
モノクロ樹海を背に、イトナは壮大に広がる荒野を眺めた。
ここはゲームの中、ゲームの中にもこうして世界が広がっている。
ゲームといえど、この世界は現実とあまり差異は無い。むしろ現実より鮮明で、美しく感じる。頬を撫でる風、肌に当たる日差し、人の温もりなど些細な感覚をも忠実再現され、区別は全くつかない。
ただ現実と比べればフィーニスアイランドの世界はプレイヤーたちにとって、とても都合のいい世界だ。
例えばそう。この自分で切り落としたこの腕も、回復薬を飲めばトカゲの尻尾のように生えてくるのだから。
すぐに元通りになる腕だけど、イトナは失った腕を見て大きく肩を下ろす。
「やっちゃったなぁ……」
最低限の生きて帰るは達成出来たけど、片腕を失うのもあまり……いや、物凄くよろしくない。イトナの所属するギルドのとある事情で、危ないことは固く禁じられているのだ。たとえこれがゲームだったとしても。
「……帰ろう」
悩んだところで腕が生えてくるわけではない。諦めて帰路につくことにする。
フィーニスアイランドの世界はそれなりに広い。子供の足、と言ってもステータスによっては超人的な体を持つことになるのだけど、上級プレイヤーでも、このホワイトアイランドを一周するには、不眠不休でも最低三日は欲しいところだ。
そんな広い島でも、移動系の便利アイテムを使えばあっという間に目的の街に着ける。でもそういったアイテムは高価でお金がかかる。特別急ぎじゃなければ上級プレイヤーでもアイテムの使用は渋る程に。
そんな節約という言い訳を見つけて、取り出そうとしていたアイテムを引っ込めれば、ギルドホールに帰って怒られるのを少し先延ばしに出来る。そんな考えで、イトナは道のない荒野を歩くことにした。
サラサラとした柔らかい砂に足を少し沈め、それを持ち上げる。そんなイトナの地道な作業をげっそりとしたサボテンが蜃気楼に揺れ、力なく励ましているようにも見えた。
移動を初めてから約十五分。やっと辺鄙な村にたどり着く。ここまで来てしまえば、少しの出費で大きな移動が可能となる。
オンラインゲームではお決まりのワープ施設。モンスターが入り込めない安全地帯、村や町、または特定の箇所に 《ワープゲート》というものが存在する。
小さな村から大きな都まで必ず一つはあって、街と街の間を一瞬で移動することが可能な便利施設だ。自分の拠点としている街から離れた場所に用がある、またその街に近いダンジョンに向かう場合、プレイヤーはこれを利用する。
一応ゲートの通行料をNPC (ノンプレイヤーキャラクター)に支払う必要があるけど、2000リムとあってないような金額なので、余程の初心者でなければ気軽に利用できるのだ。
NPCが住んでいるであろう、疎らに建てられている薄茶色のテントを縫うようにして進むと、見えてくるのが目的のワープゲート。
トーテムポールのようなデザインをした柱状の木の彫刻が二本立っていて、その間には水面に水滴を落としたかのように空間に波紋がなびいている。
そのワープゲートのすぐ隣に民族衣装をまとった小さな少女が立っていた。この子が今このワープゲートを管理するNPCのようだ。
「……どちらに致しますカ?」
目が会うと、訛りがある控えめな声が少女から絞り出された。緊張のある面持ちでジッとイトナを見つめてくる。
「イニティウム、お願いできるかな?」
行き先を告げて通行料を少女に手渡す。二枚の硬貨が小さな手に乗っかると、それを大事そうに懐に運んでいった。
NPCはこの世界で暮らしている。プレイヤーが現実世界で暮らすのと同じで、生きて行くにはお金が必要だ。きっと、ほとんどのプレイヤーが訪れないこの村では今支払った2000リムでも貴重な収入なのだろう。
「ご利用ありがとうございましタ」
お金をちゃんと貰えて、緊張から笑顔に変わった少女を見届けてゲートを潜り抜けた。
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ゲートを潜り抜けると、人気が無い場所から人が溢れかえる広々とした部屋に変わる。
古都イニティウム。ホワイトアイランド最大の都で始まりの都。
白い大理石で作られた立派なワープゲートが六つも用意されたこの施設、通称 《テレポステーション》は人の出入りがとても激しい。
現実世界ではちょうど夕ご飯が終わる時間帯。食事を済ませたプレイヤー達がこれからどのダンジョンに向かうなどの会話で賑わっていた。
「よっ……と」
ここでは走らない・押さない・止まらないが暗黙の決まり。常にちょっとしたイベント会場状態になるテレポステーションでは立ち止まることはご法度なのだ。施設に入るプレイヤーが多い中、素早く出口に向かう人の流れを見つけて外に出るのが定石である。
が、そんな暗黙のルールがあっても、人が集まるところにトラブルはよく起こる。
「いってぇ! オメェの剣が足に当たったんだけどどうしてくれるんだよ!?」
「え? え?」
イトナのすぐ近くでそんな声が聞こえてきた。
「あー痛ってぇ。痛ってぇなぁ……」
「え、あの。僕なにかしました?」
大袈裟に痛がる大男。フィーニスアイランドでも年長者になる高校生だろう。対して、オロオロと状況を把握できていない少年。如何にも初心者の装備。歳は小学生の中学年くらいか。背中には鞘に収まった剣が背負われている。アレが当たったといちゃもんを付けられているのだろう。
可哀想に。イトナは被害者である少年に同情する。
アレは初心者プレイヤーを狙った当たり屋だ。
大男は痛い痛いと喚いているが、フィーニスアイランドではそんな事はあり得ない。この世界ではプレイヤーに強く痛いと感じることなんて無いのだから。
「なにかしました? じゃねぇーよ。あー痛い。これはアレだ。慰謝料だ。慰謝料出せよ?」
「いしゃりょ?」
「そー。お金だよ。痛いことしてごめんなさいって、お金を渡すんだよ」
「え? でも僕……」
こうやって初心者からお金を巻き上げる悪質な行為。更に、この場所で行うのはタチが悪い。
「おい! こんなところで止まってんじゃねーよ!」
ワープゲートに並ぶプレイヤーからも声が飛ぶ。被害者の少年には味方はいないのだ。
たまたま一部始終を見かけたプレイヤーがいたとしても、こんなトラブルに首を挟みたいとは思わないのがほとんどだろう。イトナだってそうだ。いつもだったら見ないふりをする。
けど、今日は違った。
「ちょっと」
今、イトナはすこぶる良いことをしたい気分だった。良いことをして、少しでも運気を上げたい。この善意ある行いを神様が見ていてくれて、これから腕を失くしたことを、あまり怒られないで済むようにしてくれる、かもしれない。なんて……。
人混みを掻き分けて、トラブルの現場に近づく。その時、被害者の少年とイトナの目が合う。少年は何故かニヤリと笑ったように見えた。
「きゃー! この人痴漢です!!」
「は?」
女性の甲高い悲鳴が耳元で響く。
叫んだのは露出の多い装備をしたお姉さんだった。その人が、ビシッとイトナを指差して、改めて叫ぶ。
「この人が右手で私の太もも触りましたぁー!」
「えぇ!?」
「僕も見た! この人がおねーさんの太もも触るの! 僕も見た!」
「ああ! 俺も見たぜ! イヤラシイ手つきで貪るように触ってるの見たぜ!」
被害者の少年と、当たり屋の大男もイトナを指をさす。
「い、いや。違っ……」
そこでイトナは気付く。ハメられたと。
思い出した。初心者から取れるお金なんてたかが知れているから、最近は上級プレイヤーを狙う劇場型の慰謝料請求が流行っていると。
「なんだなんだ? 痴漢か?」
「嘘っ、サイテー!」
やらせの痴漢話が瞬く間に広がっていく。
「いや、右腕今無いから、触って無いから!」
証拠の右腕を見せる。ついさっきお婆ちゃんにプレゼントして来たから、イトナには右腕は無い。だから痴漢なんて出来ない。決定的証拠だ。
「……。じゃー……左手! この人左手で私のおっぱい触ってきたの!」
「僕も見た!」
「俺も見たぜ!」
「え、さっきの太ももは!?」
残念ながらイトナの左腕は存在している。こうなった時点でイトナの負けなのだ。
触った、触ってないは悪魔の証明。誰も証明することは出来ない。触っていないことが事実でも、グループで三人にされた、見た、見たと言われてしまえば、そっちが〝事実〟になってしまう。
「慰謝料1000万リムで許してあげるけど?」
勝ち誇った顔で手を出すお姉さん。イトナはそれを無視して、回れ右。
逃げる。
「あっ! コラ! 慰謝料ー!」
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「酷い目にあった……」
なんとか逃げ切って外に出ると、夕日はすっかり姿を消して、代わりにまん丸な満月が二つ顔を出していた。
自分の帰る場所、ギルドホールはこの古都の南住宅街にある。
人がごったがえすメインストリートを避けて、できるだけ人通りの少ない裏道を選んで移動する。
細い路地を進むこと約十分。やっと目的地である小さな木造の一軒家の前に着いた。
「ふぅ」
現実に近づけすぎたこのゲームはこのように移動だけで一苦労してしまう。モノクロ樹海から移動だけで約三十分。ゲームは一日一時間の人は半分時間を消費してしまったことになる。
「はぁ……」
そして腕を無くしたことを改めて思い出すと、もう一つため息を吐いた。今度は憂鬱を表したため息だ。
うじうじしてても良くない状況が変わるわけでもない。意を決して恐る恐るドアを引いた。
次回は0時投稿です。




